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日本の医療は良いのか悪いのか [医療]

郵政民営化が日本(国民)の死命を制するテーマのように小泉政権は必死だが、国民にとってそれ以上の課題は医療の有り様だ。

幸い、現状はフリーアクセス、誰にも提供される同質(と言うことになっている)な医療提供は決して悪くないシステムだ。
ただ、財政の破綻、高齢化、医療の進歩は確かに金のかかる医療に確実に変化しつつあるため、鉈を入れようとしている。それも小泉政権が目指そうとしていること。

しかし、日本では決して医療に過大な配分をしているわけではない。先進国では制度の違いはあれ、GDPの十数パーセントを医療に向けている。
それに対し日本は8パーセント程度だ。がん死亡率が先進国で日本だけが相変わらず上昇している事実をどう理解すればいいのだろう。ほとんど使われない農免道路、港湾等々土木事業には先進国で最も高い水準の投資をし続けている。直接的に命に関わる医療分野と土建屋、ゼネコンが喜ぶだけの土木事業、どちらを選ぶか国民に問うて欲しい。

さらに、日本の医療には制度的な独特な問題がある。
ドイツから輸入されたという医局講座制が明治以来、後生大事に守られていて(ドイツではとっくのとうに無くなっている)、患者本位でない、大学や医局講座制支配による歪んだ医療がまかり通っている。
その上に君臨している学会もお互い交わることなく、自らの立場、権益だけを強化し守ることに汲々としている。
つい最近、癌(腫瘍)専門医を制度化する動きがあったが、外科と内科でそれぞれがコラボレイトするのではなく、独自の立場に立った制度作りを発表している。

患者本位の医療はいつになったら実現すろうか。


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医師不足の真偽 [医療]

今日まで一貫して行政サイドも日本医師会も医師過剰を主張し、医学部定員を削減する動きもあった。しかし、現実には北海道、東北だけにとどまらず全国的に医師不足が社会問題化している。ここで言う医師は医師全般ではなく、医療の最終責任を負っている勤務医のことだ。今や医師不足はいわゆる僻地だけではなく、地方の基幹病院にまで及んでいる。直接的契機は2004年から始まった初期研修の義務化が大学医局から医局員を剥ぎ取って市中の病院に若手研修医が移動する契機を作ってしまった結果である。
この現象は従来の大学医局ではストレート研修しか出来ないとの医学生からの批判でもあり、同時に市中病院が相対的にプライマリーケアの研修場所として評価されたことでもある。しかし、底流にあることはそれ以前から乱造される博士号に対する評価低下がある。大学医局が強力な人事権を行使できたのは博士号で医局員を拘束できたからだが、博士号イコールスキルという等式が成り立たない以上研究を目指すものを除いて大学医局に止まる意味が薄れる。
大学医局の後退は今まで医局の壁そして学閥で阻害されていた医師が交わる場を提供する事になり、時間がかかるであろうが、医療の標準化につながるはずだ。他方で社会にとってのデメリットは地域を支える医師の供給システムが崩壊してしまったことだ。
医師の配分を市場にに任せて良いのかは疑問がある。医師が必要量を超えて(一般社会のように受給が緩ければ=教員市場がまさにその様になっている)いるならそれも可能だが、当分は医師不足が避けられない以上、政治的なシステム作りが必要だと思う。さらに地域別、診療分野別に必要医師数を想定し需要にマッチさせなければならない。米国では診療領域別に専門医の定員を決めている。その結果自ずから専門医を目指すためには厳しい競争があるので、医師のレベルも上がるというものだ。残念ながら日本では実力の裏付けがない専門医がどこの先進国よりも大量に認定されて、まかり通っている。ここに日本の医療の本質的欠陥を見ることが出来る。先日の腫瘍専門医制度を打ち上げる構想が内科分野と外科分野で同時に行われた。自己の領域拡大だけを目指した提言には呆れるばかりだ。旧態依然たる体質は全く変わってないことに、将来の医療を展望したとき肌寒さを感じるのは私だけだろうか。


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医学部教育者の時代錯誤・・研修制度撤廃の叫び [医療]

未だスタートしたばかりなのに初期研修の義務化に反旗を翻した大学病院長会議の決議は何を意味するのか。大学医局に医学生が残らない、けしからんと聞こえて仕方がない。確かに大学に医学生が残らない結果として地域医療が崩壊し始め深刻な問題を惹起しているのは分かるが、その問題と研修の義務化を同じ土俵で議論するのは乱暴だ。
大学に医学生が残らない理由があるはず。そこにメスを入れることが本来の答えではないだろうか。大学の医局に入る魅力が何か、従来は人事であり学位であったかもしれないが、今の医学生は魅力ある教育カリキュラムを求めている。それが実現しなければ大学に強制的に縛り付けることが出来ても結局は患者が被害者になるだけだ。その点が理解されないとますます大学の存在意義を失って行く。将来の日本の医療水準を引き上げる責務を負っている大学がそこに気がつかない
ようでは心配だ。


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地域医療に医療の原点あり [医療]

地域医療のモデル地区がいくつかある。長野県、沖縄県そして長崎県だろうか。未だその他の県について検証していないので断定は出来ないがおそらく大きく間違ってないはず。長崎県では日本最多の離島を持っているという地勢的背景があったにしても離島医療を支える素晴らしいシステムを構築していることには驚嘆させられる。

長崎県には修学制度があって、県からの支援で医学部に入学する学生への経済的援助を制度化している。当然自治医科大学への派遣の上乗せとしてである。毎年4ないし6名が長崎県下の医療を支える新しい人材を生むことになる。

さらに素晴らしいのは長崎県離島圏組合を作り、県と市町村が資金を拠出して離島内に基幹病院をそしてそれを核とした診療所を配置している。五島中央病院や対馬いづはら病院では都会並みの規模と医療レベルの治療を行っている。だからごく稀な難治療を除いて直ぐに本島の長崎にヘリ搬送ということになっていない。

長崎大学から医師派遣も受けているが、むしろ組合自体で集めた医師が継続的に離島医療を支えてきている。ここでは初期研修義務化で各地で起きている医師不足とは違った世界が展開している。

その理由は医師養成に県が力を入れているだけではなく、国立病院機構長崎医療センターがいち早く(数十年前から)スーパーローテを導入し、修学生制度で医師の卵となった卒業生ををしっかり離島で医療活動が出来るように教育を施してきた。しかも、彼らは義務年限の間にさらに2度にわたって再研修の機会を与えられ、専門医が取れるよう手厚いサポート体制が確立されているのも大きい。

さらに離島では医療の領域に止まらず健康の根本である保健福祉を含めたヘルスケア全般を統合して活動が行われているのが素晴らしい。医療領域に入る患者予備軍を健康維持の為の活動強化で疾病の手前で予防し、結果的には医療費の増嵩を抑えてきている。日本のどこでもが目指すべき道のりを示している事にビックリした。

さらに長崎大学の離島医療に対する意気込みが大きく前進したことも目を見張る。昨年から五島中央病院内に大学院の離島医療研究の講座がスタートした。離島医療をエビデンスに裏付けられたシステムの構築を目指している。そして長崎大学5回生のポリクリの中で離島医療の現場研修が義務づけられて、その成果が上がっていると聞く。一番の効果は生々しい離島の現場を見ることで座学では得られなかった正しい実態を知り、離島医療に理解を示すようになり、将来の自分の医師活動を離島医療に向けたいという希望者が増えたことだ。多くの地方大学医学部が目指すべき見事な提言が発せられている。

地域(地方)医療を別の世界と分けて考えやすいが、実は医療の本質の全てが凝縮しているのが地域医療だという事が分かる。分かりやすく言えば東京で時間との戦いが迫られた病気が発症したとき、おそら病院の都合でたらい回しされてしまう危険性があるけど、地域(地方)では移動時間の問題はあっても(これも今日では改善されてアクセス時間のバリアはかなり低くなってきている)はあってもたらい回しによるロスは全くないし、ピンポイントで的確な行く先に搬送される。健康管理についても指導が行き届く。地域が患者さんを温かく見守ってくれる可能性も高い。小さな政府と住民が直結しているので施策も建てやすい。地域医療は医療ではなく、社会システム(ネットワーク)作りであることに気付くことが一番だと思う。我々はもう少し地域医療に学び、都市部での医療制度ひいては日本全体の医療制度を考えるときの大きな実験として、見本としてもっともっと学ぶべきではないか。


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初期研修制度のこれから [医療]

初期研修制度スタート後の一期生がいよいよ4月には医療現場に配置される。この制度には
賛成、反対の声が聞こえてくる。総じて大学側には反対意見が、市中病院側からは賛成意見
が聞こえる。その裏には医師確保での勝ち負けが左右していることが影響していそうだ。しかし、
意見は分かれているが、賛成派も反対派も臨床教育をどうするべきか、での議論だから大変な
前進だ。
少なくとも制度スタートする以前には本気で臨床教育を真剣に取り組んでいたのは沖縄中部
病院、佐久総合病院、虎ノ門病院、聖路加など数病院に限られていた。今ではどこもかしこも
内容は別として教育を無視した意見は誰もしなくなったし、方法論の違いの世界になったこと
は嬉しい。
プライマリー、そして診断をマスターする為にどこで、どんなカリキュラムがいいのか、そこに
競争が始まった。大学も必死になって今までの専門医や医学者の育成だけではなく、勝れた
臨床医の育成を目指し始めた。市中病院でも一部には医師確保的な動きはあるものの大学に
医師供給を依存する体質から研修を通じて本来の自らの管理リスクである"医師確保”を図る動
きが出てきている。その結果医局ごとにまとまってヒエラルキーが出来た時代とは違って、教育
の交差が医療上のいろいろな情報、知識、方法がシャッフルされて標準化に貢献するはずだ。
そして被害者側にあると言われている大学も医学教育を支えるためにも新しい血を受け入れて、
医学“教育”の府としての自覚が高まったことは嬉しい。
ただ、この制度がベストであるかどうかは別問題だ。ポリクリと一体になった初期研修の充実と
卒後研修制度の成熟が必要だ。
既に一部の大学ではポリクリの充実、最後の2年間での教育を座学から実践にウエイトを移して
いる。それが出来れば卒後研修もある程度の専門性をイメージした内容に充実させることが出来、益々質の高い研修になるはずだ。
いずれにしても1年や2年で軽率な判断をするのではなく、臨床教育に目が向いた大変革の
この時期をいかに生かすかが大事だ。あの米国ですら研修制度の確立には数十年の時間と資
金がかかったことを思い出して欲しい。


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医師不足(2)研修制度が原因ではない [医療]

首都圏甲信越でしたがNHKで「命が危ない、医師不足・・・」と言う特番がありました。たまたま私もパネリストの一人として呼ばれたのですが、医師免許を持たないのは私だけでした。私以外は全国医学部代表の教授、医師会の理事、自治体病院の代表そして現役の外科医がパネリスト。
民放とは違ってさすがにいいストーリーでしたが、やはり立場立場で発言には違いがありました。特に医師不足の直接的引き金を引いた大学側からは研修制度が全ての原因、大学に教育責任を持たせれば済むとの発言にはいささか驚きを禁じ得ませんでした。そこで肝心なことは何故医学生が母校を離れて勉強をしたいと思ったか、否、何故大学を去らなければならなかったのか、です。魅力ある臨床研修が大学で可能であったら誰もそこを去らなかったはずです。それを受け止めず、単に力ずくで大学に残せれば問題解決とするには余りにも暴論です。
今日医師不足の原因が研修制度のスタートにありとする発言を聞くのですが、これは誤った見方です。研修の義務化が原因とすれば既に一期生の研修医は医療現場に戻っているはずですし、あと一年待てば元の鞘に戻るはず。ところがそれにも係わらず医師不足は解消するようには見えません。
医師不足の背景には絶対的に医師が不足している現実があるからです。先進国で国民あたりの医師数は最低です。同時に日本の誇るべき国民皆保険制度があるために医療が過剰消費されているのも事実ですからなおさら医師不足に拍車がかかっています。3時間待ちの3分診療と非難の声を聞きますが、決して医師が早く帰ったりさぼっている訳ではありません。患者さんの要望に応えるだけの十分な医師がいないと言うことです。
さらに医師不足の深刻な問題は地方から医師がいなくなると言う現象です。折角各県に最低一校医学部を設置したにも係わらずその地域医療を支える医師育成にならなかったことです。他県からの流入学生が過半を占めれば当然の帰結です。自治医科大学の卒業生が出身県で地域医療をしっかり支えていることに学ぶ必要があるはずです。すでにかなりの大学では地元枠を作りその地方に残る可能性の高い制度に変更する動きが見られます。6年以上の時間を要しますが一つの解決策です。
当面の対応としては一朝一夕には難しいでしょうが、「魅力ある研修カリキュラム」を作ることでしょう。ところがどこでも自分の大学のカリキュラムに自信があるというのです。そこが問題なのでしょう。米国では決してNYやロスに集中するのではなく、アイオワやメイヨーが日本で言う田舎にも係わらず医師を目指す者にとってのメッカになっています。日本でも何故沖縄にあれだけの研修医が集まるのか、それは中部病院の伝統や宮城征四郎先生のような強烈に熱い指導者がいるからです。
目先の問題回避のためにまさか大学の主張する研修制度廃止になるとは思いませんが、むしろ研修制度のスタートによって芽生えた「患者のための医師育成」を熟成するための努力と改善をしていくことが世界に誇るべき国民皆保険制度を守り、国民が希求する安心できる医療を実現するためには通過しなければならない産みの苦しみ(現象面としての医師不足)だと考えるべきです。さらに、与えられることに慣れてしまった医療を国民が自らの問題として取り組み、医療者と手をつないで望ましい医療を実現していく責任を負わされた時代になったことを理解しなければなりません。素晴らしい国民皆保険制度を守るのは国民の責任であり、問題です。


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医師不足の今日的視点 [医療]

医師不足は二つの意味を持っていると思います。一つはOECD諸国の中で国民当たりの医師数の問題と国内的に見た医師の偏在という2面があります。前者はここに来て顕在化したわけではなく、むしろ今日的課題としては後者が俎上に上っているのではないでしょうか。とりわけ初期研修導入後に顕在化した医師不足は地域医療を支えてきた大学医局の持つ人事権の後退(地域医療の崩壊)と勤務医が他の領域(開業)に移動している(勤務医の不足)ことだと思います。
大学医局の後退は魅力ある医学(臨床)教育が果たせてないという宿命に対し答えを出し切れていない大学自体の問題です。しばしば大学当局からは初期研修制度導入に問題ありと片付けていますが、その姿勢にこそ大学の限界を示しています。他方、小松先生(虎ノ門)がご指摘のように勤務医の環境が益々悪化して挫折の結果として開業に向かっていることが大きく作用していると考えます。
さらに、勤務医に過大な負担をかけている背景には日本における家庭医(総合医)教育の不在があると思います。その帰結が患者から見た信頼を持てない開業医を無視して何でも病院に行くことになって、勤務医の負担を必要以上に大きくしていることもあると考えます。これは診療報酬の改定と家庭医を米国のようにしっかり認知して専門医制度を確立する、そして大学でも家庭医コースを作るべきだと考えます。
ご意見がございましたら交換させてください。


医師不足・・・新しい観点 [医療]

九大のN教授によれば医師不足の現象はネットワークの欠如にもあるという話を伺った。例えば奈良県で起きた出産のたらい回し事件をデータで分析すれば、県内の産科医数と正常出産数は決して医師不足にはなっていない、大学病院がもっと異常出産への対応拠点として明確な責任自覚することでここまで深刻な問題にならなくて済んだはず、との見解だ。確かに大学から医局員が散っていくまではこれほど医師不足が叫ばれることもなく、相対的に穏やかな中に医療が機能していた。だとすれば絶対数での不足はあったにしても今よりは問題を小さくできる可能性を示している。
絶対的な医師不足は今から頑張っても十年以上先にしか解決できないのだから、それまでの時間をどのように乗り越えていくのかが問われている今日、N教授の指摘から学ぶできものがあるのではないか。
地域ではいろいろ工夫されているようだ。基幹病院と地元医師会が一体となってネットワーク地域医療を支えているケース、大学病院並の医療の提供をモットーとしているクリニックの登場など、象徴的に医師不足の現象が起きている基幹病院の勤務医の負担を軽減する試みもされている。医師不足だけを声高に叫ぶばかりではなく、現状での医療資源を前提にして医師不足解決の道を早急に探らなければならない。

医師不足問題の解決には [医療]

医師数が統計上OECD諸国と比べて少ないことは事実だが、それを声高に主張するだけでは当面の医師不足への解決にはならない。そのためにはミクロからとマクロからの方法論が必要だ。

ミクロからの解決策は地域社会(住民)との一体化を実現することだ。兵庫県柏原での住民運動が医師のそして医療の実態を理解し、市民が医療サービスの過剰消費を抑制しようとしたそうだ。その結果、住民と医師(医療機関)のいい関係が構築されて、去ろうとした医師も留まり、さらに新しい医師も加わったと聞く。大分県中津市でも同様に市民の医療への理解が深まるなかで地域と医療機関が協調出来るシステムが立ち上がったと聞く。宮城県栗原市や岩手県藤沢町でも市民(地域)と病院が連携を強化するなかで健全で安定した医療サービスが提供されている。市民にとって医療が自分たちの必需であり、自分たちも関わって作っていくという状況を誰かが先導していく事が出来れば最悪を回避する一つの可能性を示している。まさにかつて市民運動を元気づけた「草の根運動」が医療改革においても肝要だと言うことだ。

と同時にマクロからの解決の努力も必要だ。奈良県での妊婦たらい回し事件に絡んで言われていることは、奈良県内での産科医数は正常出産数を十分引き受けることが出来る水準らしい。そして難度の高い出産に対応するべき奈良医大がその役割を自覚し、そのための体勢、対応を意図していたかについて疑問を感じる。もし県内で大学病院を頂点にした産科医がネットワーク化されていればそのような事態を招かずにすんだ可能性は高い。これは奈良県特有の問題ではなくどこの県にも該当する課題だし、救急医療についても同様な対応が望まれる。しかし全く無策と言われてもやむを得ないのが現実だ。

医師不足問題の解決は短期的課題と中長期的課題をしっかり見極めて、出来るところから社会として取り組んで行くことだし、それを先導する行政の自覚が前提になるだろう。しかし道路特定財源の確保には全員一致で賛成する知事達ではお先真っ暗かもしれない。それを変えられるのは我々市民の一人一人が医療の本質を理解し、行動に移すことが喫緊の課題だ。

(医師)初期研修制度への反動の動き [医療]

2004年に義務化がスタートした研修制度は医療制度根幹に関わる問題提起をしてきた。まずは研修医をしっかり誰が教えられるのか、が問われたことだった。義務化以前から研修病院として活躍してきた機関は別としてほとんどの機関で起きていることは研修医をどのように教育したらいいのかという機関側の悩みだった。それはほとんど狼狽と言っていいほどだ。しかし、一部にはその現実を真摯に受け止めて新しい研修制度はどうあるべきかを問い、模索している動きもあって、著しい改善ぶりも目立っている。

日本医学教育学会での報告にもあった研修制度の実態調査によれば、地域格差といわれている現象は質的には生じていないということ、大学と市中病院では明らかに市中病院が先行し、都市と地方の大学と病院という分類になると、民間では都市と地方の格差はほとんど見られず、他方、大学では都市部のアウトカムより地方のそれが上回っているとの結果だった。

山形大学の嘉山教授を中心に研修制度の廃止という極論は別としてマッチングが思うようにいかないという理由を制度に押しつけている動きは研修医が来ない理由を「教育側に魅力が無い」という事を棚に上げしてひたすら責任回避をしているようにしか思えない。

さらに、研修制度の義務化は単に研修医の医育に止まらず、医学教育のありよう、そしてそもそも医療とは何か、という医療の本質に係わる問題意識を高めたことは素晴らしい結果だ。

これからさらに研修制度を熟成させていくことが出来れば、その帰結は新しい医療をそして医療制度につながるはずだ。後退ではなく、前進のために関係者が一団となって議論して欲しいのは一市民としての切実な願いだ。

臨床研修制度見直しの声に反論 [医療]

山形大学の嘉山教授や岩手医大の小川教授を中心にそして医師不足問題への緊急対応含みでその流れに乗ろうとしている舛添大臣は研修期間の短縮、場合によっては廃止を目論んでいる。その背景には地方での医師不足の原因が研修制度導入にあると言うことらしい。ところが現実には研修制度義務化前と義務化後では研修医の分布は東京都で激減し、ほとんどの県で増えている。研修医が都会に集中した結果が地方医師の不足の原因という彼らの主張は事実を歪曲した自己目的的な主張に他ならない。(彼らの主張の背景には大学での研修受講者が激減したと言うことだ。)

博士志向から、臨床医としての力量アップが昨今の医学生の願望になっている。国民から期待される医師を考える時、それは本道に戻ろうとする明るい話。その彼らが居心地がいいはずの卒業大学を捨てて市中の病院を選ぶのは何故だろう。教える意欲のない大学人、受け入れ体制の欠如、サブ・スペシャリティーだけが関心事、そして症例経験も少ないとなれば当然に市中の病院を選ぶのは必然ではないか。

大学人が自分の足元の脆弱性を自覚することなく、大学に若者を吸引できない理由を制度に押しつけているようでは大学医学部は世の中から無用扱いされかねない。どこの大学も東大、慶應、京都と同じでありたい、という金太郎飴志向だから世の中の期待に応えられないし、良い臨床医を送り出すことは当然力及ばずと言うことになる。

しかし大学でも多くの研修医を集めているところもあり、そこに共通するのは若者を受け入れて熱心に教育しようというファカルティーがある。それが出来ない大学人が事実を歪曲して、折角スタートした医療改革にブレーキをかけているのは如何なことか。

医師不足って本当? [医療]

医療崩壊の声に押されて医師不足を解消ー医学生の定員増、そして民主党では医師を1.5倍に増やすと主張している。確かに医師数が十分とは思えないが、軽率に単純に増加することで医療崩壊が止められると思うのは早計だ。

まずは現行の医療システムに問題がないのか、その点がほとんど議論がされていない。医師(勤務医)が医師でなければ出来ない行為に集中しているのだろうか。医師免許が前提としない行為に忙殺されていないのだろうか。看護師に任せられることを医師がさせられている、あるいはそれを敢えて医師の権威として拘っている。看護師は精神看護という美名のもとで限りなくその行為を制限的に縛っている、それぞれが従来の立場に拘泥して変革を求めない。

法改正無くしても、NP,MAを育成すれば今では医師の領域と云われている部分もカバーできるはずだ。チーム医療と言う言葉はあちこちで聞こえてくるが、それを真剣に受け止めているとは思えない。表現とは裏腹に過去のパターリズムという権威や、リスク回避と思われる看護領域を限定する声、そんな体制を擁護しているのは誰なんだろうか。

世の中の常識から見ても時給に見合った仕事の分担があって然るべきだ。医療界の常識という価値観をリセットして良い医療実現のために何が必要なのか、小異を捨てて大同についてもらいたい。

さらに日本の医療機関の柱になっている公立病院、公的病院には行政からの不必要な介入と無関心、無理解がどれだけ医療をむしばんでいるのか問われなければならない。ある地方自治体病院では定員法があるから7対1看護を実現しようとしても増員が拒否され、独法化を控えて建て替え費用を抑制しようとしても、地方の建設業者との談合で倍の建設コストを他人事のように押しつけてくる、こんな税金泥棒行為を許しているのでは、言語道断だ。無能な官からの呪縛から解放すべきだ。

同時に海外比較からも明かな異常な数の外来患者が押し寄せる現実をどのように見ればいいのか。患者側のコンビニ診療を抑制する手段を講じることでも医師必要数が減るはずだ。柏原市で起きたような極限が起きて初めて市民が医療を守る意識が醸成される例に習えでは落ちるところまで行かなければダメという話になる。その手前で食い止めなければならない。

このように今すぐに手を打つことでいくらでも医師不足を解決する手段が残されている。さらに開業医が果たすべきかかりつけ医としての機能がスキルに裏付けられれば安心して地域住民はまずは開業医を訪れるはずだ。開業医のスキルを裏打ちするような制度=取りあえず開業条件として地域医療に何年か携わる=を設けることで漸次前進して行ける筈だ。

総合医 [医療]

総合医育成を目指してNPO法人JAMEPを運営しているが、ようやく総合医の必要性、今日の医学教育の問題が一般社会にも意識されるようになってきた。NHKで「ドクターG」という番組が放映されているが、いいことだ。

この問題の背景には日本の医学教育では臨床教育の観点が不足していることと、卒後教育が総合性を軽視して専門分野に一気に入り込んでしまうことだ。一言でいえば患者本位の教育がされていないということ。その最大の原因は「大学医局制度」にある。医局は総合性より専門性を追求する集団であり、論文への傾斜が強いため、ゼネラルな視点から病気を診る教育を疎かにしているということだ。

患者が診断を受ける際にどこの疾病かわからないわけだから、全人的視点から患者を診なければならない。しかし、部分的な専門家として育成された医師には自分の専門にかかわるところしか見られないために、一人の患者で何人もの専門医(学会上の専門医ということではなく)が関わるか、検査漬にして結果を見て診断することになる。

多くの欧米諸国では家庭医(かかりつけ医=総合医)がまずは診断し、場合によっては専門医へのコンサルを求める、という流れになっている。さらに高度な治療が必要な時にも家庭医療学専門医を経由しなければならないシステムになっている。制度的に総合医であることが認知されているわけだ。

他方、日本では総合医の役割は多くは開業医が担うことになるが、残念ながら総合医としてのキャリアを全く経験していないといっても過言ではなく、極論をすれば医師免許を持った偽医者と言われても言い逃れできないようなケースもある。なぜなら、それを誰も教えることもせず、検査漬けでその場しのぎをしているケースが多いのが実態だ。

その結果起きていることの一番大きな問題は医師不足に拍車をかけているということだ。専門しか知らない医師は狭い分野しか対応できないので時には複数の専門性を持った医師によって一人の患者を診察することになるから、それだけ多くの医師が必要になる。今日医師不足が社会問題として騒がれているが、実は医師の絶対数ではなく、システムの問題になっている部分もある。

今日治療は病院でも診療所でも初診料さえ払えば自由に選択できるが、この制度を続ける限りは地域医療を守る役割を担うはずの診療所が地域に根ずくはずがない。多くの欧米諸国のように家庭医を経由することが制度化されればおのずから総合医を志向する医師が増え、地域医療ネットワークの中で医療を支える診療所が登場するはずだ。そのような役割分担が出来れば、医療の無駄遣いも減少するし、医師不足を緩和させることにもなるはずだ。

また同時に医師不足解消のためにも主治医制からチーム医療に変えなければならない。今日ICT時代を迎え患者情報が手軽に取り出せるようになったので、主治医だけが患者情報を占有しているわけではないので、誰でもが治療の継続性を持ちながら患者を診ることが出来るようになった。多くの医師に病態を診てもらえるメリットもあり、今やチーム医療時代を迎える条件が整ったといえる。しかし日本では患者が主治医制を望む傾向が強いが、一人の医師ではなく病院に治療を預ける感覚が必要ではないだろうか。その方がむしろ属人的な医療ではなく、システムとしての医療を受けられる可能性が高まり、また有限な医療サービスを多くの患者が享受できる時代にしなければならないと思う。

健康食品の規制改革の危うさ [医療]

健康食品の規制改革が安倍内閣で議論されている。どうも魂胆は経済至上主義的発想での業界支援のようだ。ファンケルとかDHCとか喜ぶことだろう。私は大変疑問に感じている。そもそも健康を維持するために薬に依存して守ることに甚だ疑問を感じるし、不健康さを感じるからだ。本来の人間としての原則に立ち返って規則正しい食事、歩いて移動する、十分な睡眠と言う自己規律がしっかり出来れば自然と健康を維持できるはずだ。過度な活動で一時的にビタミンを摂取するぐらいなら許されるけど、合成された将来のリスクが定かでない怪しい薬擬きが誇大宣伝で健康への不安と効果を煽り、まるでマルチ商法に近い世論操作には危うさを感じる。この世界、米国ではすでに先進国らしいが、昨今暗の部分が問題視されているそうだ。仄聞だが、命に関わる薬でさえ功罪があり、飲み続けることで起きる副作用は避ける事が出来ないそうだ。そうであるなら健康食品(食品だとは思えないが)を飲み続けることで起きるリスクはないのだろうか。なんでも闇雲に新しいことをやることが俺の政治だという発想は危険極まりない。政治の究極の目標は国民の健康と安寧を目指すこと、それを忘れて欲しくない。
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