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ガウリサンカール・メンルンツェ・ツォーロルパへ (1) [ロールワリンヒマールに]

一つの夢であった西ヒマラヤ・アッピのトレッキングを断念せざるを得なくなった。ネパール国内の混乱が一気に解決するとは思えないし、仮に物資がインドから入り始めたとしても西ヒマラヤ方面に行き届くのに時間がかかりそう。さらにインド系部族の不穏な動きも簡単には収まりそうにない。

ガイドも西ヒマラヤは本人自身にとって処女地で、不測の事態への対応に確信がないようだ。そんな背景があって断念して欲しいとの要請があった。代替案としてマナスルとロールワリンヒマールを検討していたが、最終的にロールワリンヒマールに決定。

ロールワリンヒマールは東にエベレストに代表されるクンブヒマールと西にガネシュヒマールに囲まれたエリアだ。8000M級の山がなく、エアポケットのように残されたツーリストずれしていない山群と聞く。チベットとの国境に屹立する双耳峰ガウリサンカール(7134M)、マンルン・ラから望むことができるメンルンツェ(7023M)そしてツォー・ロルパからの素晴らしい眺望が楽しみだ。

理想は、さらに先に進みテシラプチャ(5705M)を越えてターメからナムチェ、ルクラという周回ルートも可能だ。しかし残念ながら私の力量、日程からは限界を超すことになるので夢想の世界として残しておこう。

以前、ゴキョに向かった際にターメでテシラプチャから降りてきたトレッカーと出会ったことが思い出される。そういえば彼らの出で立ちから本格的なクライミング仕立てだったのを思い出した。

現地での準備が順調に進むのかが気がかりだが。
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ガウリサンカール・メンルンツェ・ツォーロルパへ (2) [ロールワリンヒマールに]

今日の深夜、不安を抱えてKTMに向かう。現地のガイドからシンガティまでの燃料、ミニバスを用意出来たと連絡が入った。とりあえずトレッキングは実現の可能性を高めているようだ。楽観的かも知れないが。荷造りがようやく終わりつつある。慣れてしまうと油断が恐ろしい。手抜かりがないつもりだが、最悪はKTMで再度チェックして補充という手もある。

ついさっきのネットでヒマラヤの天気が荒れているとの情報があった。マナン、ナムチェバザールで雪が降っているらしい。おそらくヒマラヤ全域が悪天候なのだろうか。気がかりが増えた。

ガウリサンカール・メンルンツェ・ツォーロルパへ (閑暇休題 [ロールワリンヒマールに]

ネパール事情をちょっと。
11月にたまたまヒマラヤ山行を計画していていざとなったらあれこれ問題が山積していることが判明しました。
まずは地震のダメージですが、これは幸いにして計画中止とか変更になるほどではありませんでした。
実はそれ以上に深刻だったのはインドとの対立です。歴史的に政治、経済はインド抜きでは考えられないのですが、そのインドとの関係が拗れて国境が封鎖され物資不足に陥っています。インドに依存している石油、米、小麦粉等々生活必需品が極端に欠乏しています。当然バス、タクシーという交通手段が稼働できず、さらに人や物資の移動が阻害されています。現象としてはゼネスト同様の現象を呈しています。
背景を現地市民に聞くのですが、なかなか正確なところは分かりません。
ただ、この度長年の政治的課題だった新憲法制定実現がインド政府を逆撫でしたのが起因のようです。そしてタライ平原を併合して国境の変更を企んでいるのが本音だと市民は怒っていました。
この間隙をぬってヒマラヤを越して中国もちょっかいを出しています。
弱小国ネパールの運命はいかに隣国である両国を天秤にかけてフリーハンドを確保出来る有能な政治体制が確立出来るかどうかに将来がかかっています。
しかし市民は政治にはほとんど覚めきっていて絶望しています。
開発途上国に共通するバリア、なかなか解を見つけられない課題を改めて実感した今回のネパール入国でした。
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ガウリサンカール・メンルンツェ・ツォーロルパへ(3) [ロールワリンヒマールに]

10月30日~11月2日  HND~KTM~JAGAT(1150M)

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いつものようにHNDの深夜便、BKKトランジットでKTMへ向かう。今回は久しぶりに友人と一緒のトレッキングだ。同じ便をブッキングしたつもりだったのに、顔を見合わせずにBKKに着く。まさか搭乗出来ずじまいとは思わなかったが多少の不安がよぎった。それが杞憂だったのを確認できたのはBKKのKTM搭乗口で。理由はHND・BKK便はタイ航空とANAのコードシェア便でほとんど同タイムでそれぞれが飛び立つので、私はタイ航空、相棒はANAだったということだった。。事前の打ち合わせに不備があったわけだ。

BKK・KTMでは隣席に日本人で震災支援のためにネパール入りをするチームの一員が座った。私も医療には少なかれず興味がある分野だったので3時間余のフライトはあっという間に過ぎた。

ネパールは長年の課題であった新憲法を制定して新時代を迎えるのかと思っていた矢先に国境封鎖という事態になっていた。出発前から懸念したことだったが、現地入りしてからどうなるのか不安がよぎる。ガイドからの忠告でリスクの少ないエリアといわれるガウリサンカールに変更しているので大丈夫とは思うのだが。

地震、そして国内での騒乱で入国者が少ないと予想していたが、思いのほか搭乗客の减少はみられない。ただ、さすがにトレキング目的の人は少なく、震災支援絡みの入国が多いようだった。

トリブヴァン空港ではガイドのダワさんとコックのドルジさんが待っていた。空港構内で待機するタクシーも目立って少ないという感じもなく特段の変化は感じなかった。ダワさんの手配したタクシーでタメルに向かう。走りだして気がかりが杞憂ではなく事実であることを実感させられた。

飛行場を出ると一気に渋滞に巻き込まれるのが通例だったのに、なんと走っている車がまばらだ。日本での報道通りの様相に先行きが不安になった。

道も整備されていつもなら通る道ではないルートを経由してあっという間にタメルに着く。今回はいつもの定宿にしていたサムサラリゾートをやめて、フジホテルに変更した。サムサラは建物はそれなりだが、ソフトが最低。インド系の客が多くなり、トラブルが絶えないことが理由だ。フジホテルは過去に一度泊まったことのあるが、名前からして日本びいきのオーナーだし、その当時はちょっとシャビーな雰囲気だったが、増設もしてバスタブ付きの部屋が増えて快適になったとの情報だった。

31日は一日フリーなので、震災の影響も気にかかるパタンに行ってみた。確かに跡形もなくなった建物や傾きかけた建物を支え棒で支えていたり、非難テントがあるのは事実だが、全損ではと気がかりだったがそれほどの被害ではなかったので安堵した。報道の癖は受け入れ側に強烈なインパクトを与える限定的な報道になりがちで、その報道が一部であるということを忘れさせてしまうことだ。報道の不正確性に嵌らないよう留意する必要がある。
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パタンからの帰路ではボダナートに寄った。ブッディストの最大の聖地のシュツーパが上部の飾りがなく、痛々しかった。震災の影響でこんな被害が、と聞いてみたら一番上にある飾りだけが崩落したらしい。その修復も含めて全体の改修をしているのが事実のようだ。いつもなら時計回りで信者が歩いているのだが、たまたまなのかいつも程の賑わいではなかった。

以前に食したテントゥク(チベット料理で平麺)の煮込みうどんを食べる。薄汚い店で、客は現地人、といってもチベタン、シェルパなど山岳地方の部族が主だ。腹をこわすのではと不安になるが、以前同様無事であることを祈りながら頬張った。

11月1日(日)

いつもなら現地でポーターと合流してスタートだが、今回は交通手段に不安があるので、KTMからチャーターしたバスに全員乗って出発だ。タメルの北側の広い道にバスが待機していた。すでにドルジさんたちは荷揚げの作業をしていた。車内には納まらない荷物を屋根上にも積み上げてなんとか乗り込む。
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今回のチームは14名、ガイド、サブガイド、コック、キッチンボーイ3人、ポーターが8名で構成されている。いつもと違ったことがあった。震災で多くのポーターたちは故郷の災害復旧に帰ってしまっている。ガイドは苦労してドゥンチェ(ランタンヒマール)から呼び寄せたそうだ。キッチンボーイもマカルーから呼び寄せた。チーム編成にはかなり手こずったらしい。サブガイドはオンチュさん、ガイドの奥さんの親戚。彼はクライミング・ガイドの資格を持った強者だ。

7時40分出発。乗ってから告げられたのが、当初計画ではシガティ(950M)まで2日がかりだったが、道路事情が分かったので一日に短縮されたということ。これは吉報だ。願わくば、話で聞くダム建設現場まで道路が整備されたとも聞くのでシガティより先まで行けることを祈った。まずはシガティを目指す。

バクタプルのそばを通り、チベットに通じる幹線道路はネパールでは珍しい真っ直ぐで4車線もある国道を走る。途中でチベット国境にあるコダリへの道と別れてヘアピンの上りをチャリコットに向かう。途中2000Mを越す高地から再び下り、直進すれば古くはエベレストへの基地でもあるジリへの道と離れてチャリコットから北上する。タマ・コシ・ナディ(川)に向かって急速に高度を下げる。コシ沿いにシンガティに向かう。

2時半、タイアがバーストしために修理のために工場に立ち寄って1時間は潰しただろうか。その間、驟雨が襲い先行きの不安がよぎる。

4時15分、シガティの街につく。シガティはこのルートで最後の大きな街で鉄筋のビルもある。しかし、多くの建物は震災の影響を色濃くもっていて、痛々しい光景はこの度の震災の惨劇をリアルに露わにしていた。
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先に進めるかどうか悩んでいた矢先に、上流から下りてくるバスが来たので、ガイドに可能な限り先に進むよう運転手と交渉して欲しいと依頼する。橋の袂でしばらく停ったままのやり取りが始まった。運転手からはこの先まで行くと帰る燃料がなくなるので無理だとのことになり、止む無くシガティで幕営することになった。タマコシナディの河原にちょうど幕営適地があったので今日のキャプサイトになった。幕営中にふたたび雨が振り、深夜には雷も鳴る。明日からの天気が気がかりだ。

11月2日(月)
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昨晩の悪天候がウソのような快晴だ。路線バスだろう上に向かって上っていった。いまさらどうのこうのではないので、腹をくくって自動車道を歩く。8時20分に出発する。9時30分2つのコーラの出会いを左手のタマコシナディに沿って上流に向かう。10時20分ポシャリでザムネ橋を右岸から左岸に渡る。タルチョーがはためき、ブッディストの世界に入った証だ。ここで初めてガウリサンカール(7135M)を見ることが出来た。
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11時前にランチ。気になるのはポーターたちの歩みが遅いことだ。我々より先に目的地に着いて段取りよく作業をするのが普通なのに、我々のほうが早く着く。その時はこれが後々問題の原因になるとは想像できなかった。相変わらず整備された道を黙々と歩く。
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UNと記載された車が追い越していった。目的は震災救援に関わる食料配給についての地元への説明らしい。14時右岸に美しい滝が落ちている。温泉もあるらしいのだが、日本人にとっては魅力あるものではない。マンタリ(1070M)で左岸から右岸にJagat橋を渡りしばらく歩くとジャガッドのガオン(村)がある。、ロッジの庭先が今日のキャンプ地になる。対岸には発電所があった。
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相変わらずポーターたちの歩みは遅く、汗をかいて着替えをしたいのに待たなければならない。憤りと本格的に山間部に入ってからのことが心配になる。

今日も夕刻から雨が降り出して、先行きの不安がもたげる。
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ガウリサンカール・メンルンツェ・ツォーロルパへ(4) [ロールワリンヒマールに]

11月3日(火) シミガオン(2036M)へ

6時にモーニングティー、7時半にスタート。しばらくは整備された自動車道を進む。7時45分、前方に山間部の建物とは思われないしっかりした建物が視界に入る。近づくと厳重な警備がされていて、物々しい印象だ。ここはチベット国境近くに建設中のダム建設の基地になっている。中国が請け負っているので中国語の記載された重機があちこちに留置されている。その警備のためだろう、軍隊の基地もある。車はここまでは通行しているようだ。
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さらにしばらく進み8時20分左手から大きなコーラが合流する。そこがコンガルだ。橋もあるがトレイルはショートカットになる大きな石を縫って河原に降り丸太橋を渡って対岸に渡る。その先には資材置き場とバッティーがあるが、地震による落石でほとんどの建物が崩壊していて痛々しい。しかもゴミと崩壊した残滓がまるでスラムの様相になっていた。
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その先は自動車道も落石で埋めつくされてよじ登るような状況になっていた。この先は整備された道と落石が積み上がっていたり、崩落したりの状況になる。前方に重機とジープが視界に入る。9時40分そこはタマン族のチェチェット(1377M)だ。車両はパンクをしたり、傷んで稼働出来る状況ではない。自動車道が開通したあとに自動車道崩壊でそのままここに閉じ込められてしまったわけだ。

チェチェットには多くのトレッカーや震災支援のために来た人々、入れ替わりで帰る人々でごった返していた。自動車道から右に離れて樹林帯を抜けてコーラに架る吊橋を渡ったところでランチとなる。
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出発は1時過ぎになった。ここからは急登が始まる。整備された石段がそそり立つ壁にそってジグザグの登リだ。シムガオンの住民にとっては生活道路なので当然とはいえよく整備されている。傾斜もゆるくなり石段も終わるとようやく普通のトレイルになるとシムガオンの集落に近い。ホッとした瞬間だ。
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13時20分、突然前方が開放的になってチョルテンがある。シェルパ族のシミガオン集落の外れだ。ホッとして一息入れる。ところが水をちょっと口にした途端に胸にこみ上げるものがあって突然の嘔吐に襲われる。朝ごはんも消化されずに吐き出した。過去に嘔吐の記憶はなく、多分初めての経験だ。何度も繰り返して胃の中が完全に空になるまで続いた。その後は意識混濁、ガイドに支えられて近くにあったバッティーで横になる。
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ある程度気分が収まったのでガイドとキャンプ地まで歩き始めた。他の仲間は全員先に行っているので、マイペースでの前進だが、遅々として先に進むことが出来ない。5歩歩いては一息入れる。ガオンの中とはいえ斜面に作られた棚田の間をぬってトレイルがあるので平坦ではない。

何時に着いたのか意識も薄く、キャンプ地についてテントに入らずそこにあるロッジの一室に横たわった。そのまま何も食べることもなく、結局翌朝まで眠り込んだ。
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ガウリサンカール・メンルンツェ・ツォーロルパへ(5) [ロールワリンヒマールに]

11月4日(水) ギャルチェへ

昨日の不快感はなくなってなんとかなりそう。部屋から出てガイドに挨拶をする。とりあえず良かったね、と励まされる。歩けますか?と聞かれたので、大丈夫、頑張れそう!と言ったものの自信はなかった。
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昨日はあたりの景色も確認していないので、ちょっと散策をする。ロッジの左に行くとゴンパがあるはず。屋根が見えるので近づいてみた。近づいてみて仰天。屋根の下が完全に崩壊してペシャンコになっていた。そこまで行くと右手稜線越にガウリサンカールが浮き立って見えた。
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その先は5M程度か下がっていてそこでは大勢の人がコンクリートを打っている。そこには学校があったのだが崩壊してしまって、堅牢な学校を再建しようとしていた。イギリスの支援だ。
ロッジに戻ろうとしたら作業場に向かう人と出会った。行き違う際にナマステ!と声をかけたらなんとおはようございます、との返事。片言の日本語を話せる人だった。当地は日本との接点があるだろうか。後で分かったことだが、JICAが当地に来ていたことがあるらしい。

ロッジの前には桜が咲いている。日本の桜とは違って花が小振りだ。日本的に言えば寒桜ということか。

シミガオンからはチベットに向かって北上する道路がタマコシナディ沿いに見えて、右手前方にはこれから進むトレイル沿いにはロールワリンコーラが眼下に流れている。

11月5日(木)
朝食は口に入りそうもないのでお粥を頼む。コックは日本料理の達人。材料も日本からの輸入品を使ってくれる。お米も醤油、味噌、梅干しもカトマンドゥで買えるらしい。食事はトレッキングでは重要な要素なのでドルジさんは命綱だ。

梅干しとお粥で朝ごはん。卵を入れましょう、と言われたのだが今朝は無理そうなので断った。

8時20分スタート。ここはシミガオンの一番奥地なのですぐにトレイルになる。なだらかなトラバース気味の登リからちょっと急登になり、右手に折れる。そこでシムガオンの景観とのお別れだ。

2000M超とはいえ亜熱帯なので日差しを受けると汗だくになる。トレイルはが樹林帯のなかでしかも北斜面になるので快適な登りになる。8時50分一旦稜線に隠れたガウリサンカールがふたたび望める。
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10時過ぎにトレイル右手に橋がかかっていて別のトレッキングルートになっている。10時過ぎに丸太橋を渡り、久しぶりの急登が終わると左岸から右岸にわたる。しばらく行くとスルムチェ(2467M)だ。カルカでロッジもある。
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ヒマラヤでは声のさえずりを聞くことが少ないのだが、この辺りでは囀りが静粛な空気を通すように響き渡る。14時過ぎにふたたび右岸から左岸に移る。穏やかなアップダウンが続き、16時に今日のキャンプサイト、ギャルチェに着く。後半多少の小雨にあうが濡れるほどではなく気にならなかった。
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体調の悪い状況で穏やかなトレイルは助かった。
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ガウリサンカール・メンルンツェ・ツォーロルパへ(6) [ロールワリンヒマールに]

11月5日(木)  タンディング・カルカへ

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8時15分に出発する。今日も快晴。ガムチェンがガウリサンカールの右手に見える。ここまで来るとようやく高山の雰囲気を醸しだす。珍しくベトナム人のトレッカーと行き違うが、違和感を感じる人達だった。
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ドンガンのガオンを通過し、8時50分には美しい滝が視界に入る。その後急降下して支流を2本渡り眼前には9時ガンルーシが視界(標高2815M)に入り、ロールワリンコーラが白濁した氷河からの水を集めて蕩々と流れている。
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9時50分コーラを渡り、その後急登の高巻きをする。この一帯は湿度が高いので苔むしている。10時20分高巻きが終わるところで屋根付きの木橋を渡り、下降する。右岸には見事な滝が流れ落ちている。

10時50分には吊り橋があってが、現在はクローズになっている。以前は吊橋を右岸に渡ったのだが、その先でトレイルが崩落したため、今では新道がそのまままっすぐ左岸に出来た。11時20分標高は3145M、ふたたびガウリサンカールを眺めることが出来た。
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11時30分吊橋の手前ブーチでランチになる。ただ、そこは日陰になるので我々は吊橋の先でシートを敷いてもらって日向でのランチ。その後はのんびりと昼寝をする。なにしろ多勢のサポーターの食事を準備するだけで時間がかかるためだ。

ここで椿事が起きる。ポーター二人が来ない。食事も終わり出かける準備を始めなければならないので、二人のために袋に食事を入れて木にぶらさげて出かけることにする。ガイドは状況確認のために下に下っていった。
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チェキゴ(6357M)が視界に入る。その後はコーラにそってなだらかなトレイルが続く。途中でラングール(猿)の大群と出会った。ヒマラヤでは決して珍しい動物ではないが、大型の猿で美しい毛並みなのでとても印象に残る。
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14時30分タンディング・カルカに着く。ここでキャンプになる。
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ガイドが戻ってきた。二人のポーターも戻ってきたと錯覚した。ガイドの報告では遅れていたポーターは手前のロッジで酒を浴びて酩酊したらしい。ガイドはその場で彼らを解雇して新しいポーターを現地で雇用して連れてきた。さらに後日分かったことは運んでいた荷物の一部が持ち逃げされていた。

このような経験は滅多にあるわけではない。今回はガイドのリレーションのないポーターを雇用しなければならない背景があったために起きた椿事だ。ヒマラヤでは決して珍しいことではないと言われているが、幸い私は今までに一度も経験しなかったことだった。
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ガウリサンカール・メンルンツェ・ツォーロルパへ(7) [ロールワリンヒマールに]

11月6日(金) べディン(3740M)へ

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相変わらず腹の具合がすぐれない。エネルギーの補給を考えて今朝から卵入りのおじやにしてもらう。日頃から蓄えた栄養源(贅肉)で行動にはそれほど支障は起きていないのでほっとしている。
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8時15分、出発する。今日は最後の定住村になるべディンに向かう。トレイルはロールワリンコーラ沿いにアップダウンはあるもののなだらかな登リだ。体調不良の私にとっては幸いした。8時50分コーラを渡って川面に近づき遡上する。9時過ぎ河岸に祭場があって、タルチョーが掛けられている。仏教徒の神聖な場所でもあり、ヒンドゥー教徒の巡礼地にもなっているそうだ。その先には橋が架かりそれを渡るとタルティンガに向かうトレッキングルートになっている。
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我々はそのまま直進する。9時30分ショートレスト。そこからはチェキゴの全貌が視界に入る。徐々に川面から離れて狭い渓谷からゆったりした斜面が続く。10時半には久しぶりのガオンに入る。ニマレの小さな集落を通り過ぎ、10時35分大きな石が転がっているコーラを渡渉し、その先にはラムディン(3660M)のガオンが続く。建物は地震の影響で傾いたり、損壊しているものもある。ここでも地震の傷跡は痛々しい。
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地形は徐々にカルカ適地になっていく。主たる飼育はヤク(雄)ナック(雌)、そしてその子供、そして牛との交配種であるゾッキョ(オス)、ゾモ(雌)でのんびりと草を食んでいる。ヤクやゾッキョを見ることはヒマラヤでは普通だが、そのこどもに巡り合うことは珍しい。この一帯はゾッキョの生産地として牧畜が営まれているのだろう。
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前方河岸にに大きな集落が展開している。ベディン(3740M)だ。下りながら先に進むと左手高台にゴンパが立っている。ゴンパへのお参りは下山時にしよう。見送って先に進む。11時35分ベディンのキャンプサイトに着く。ロッジに付設されているテント場だ。主がマカルーの出身とか。コックのドルジ(マカルー出身)さんの知り合いだ。午後はゆっくり休憩となる。ポーターたちは洗濯やら髭剃り、洗髪などのんびりとくつろいでいる。一段落すると彼らの楽しみであるトランプが始まる。どんなルールかわからないが、札が右に左へと動いている。まさに賭博だ。なかには持参した金が底をつき、ガイドに前借をせびっているポーターもいた。ガイドもポーター代の範囲であればリスクがないので苦笑しながら渡していた。山には雲もかかることもあったが、穏やかな一日になる。
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ガウリサンカール・メンルンツェ・ツォーロルパへ(8) [ロールワリンヒマールに]

11月7日(土)、8日(日) レストデーのあとマンルン・ラ(5616M)へ向かうハイキャンプへ

11月7日(土)
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今日はレストデーなので、左手中腹にあるゴンパまでのショートトレッキング。かなり急峻な登りが続く。ジグザクのトレイルは複雑に入り組み、獣道がいくつも交差する。どれということもなく、視界にあるゴンパを目指す。11時半断崖絶壁に建てられたゴンパにたどり着く。ちょっと足元を覗くと緊張する景観だ。標高は3945M。しばしばゴンパは山奥深く、しかも険しい地形に建てられることが多い。ドルパでもそうだったし、タンボチェも何故こんなところにという感じになる。密教とも共通する思想なのだろうか。
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ゴンパからは右手にヤンルン・リ(5630M)そしてその右にドルジェ・パモ(5618M)が見える。そこから右に目を移すと、ゴンパの真正面にタバヤブム(5546M)がある。

午後はのんびりと明日からのメインエベントに備える。

マンルン・ラからは別のトレイルを下ってベディンからのメインルートに戻りナ(4180M)に向かうので、その間必要とする食材とテントを除いた荷物をポーターたちはナまで荷揚げして戻ってきた。

荷物もかなり少なくなったので途中で雇用したポーターはお役御免となり、二人は下って行った。

ベディンでは各家庭で明かりが灯り、場合によっては不必要と思われる明かりも点灯している。ソーラシステムの恩恵だ。カトマンズで長時間の停電でろうそくが必需品になっていることを考えると彼我の差を実感する。

11月8日(日)
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さすがにここまで来ると朝方は寒い。このガオンには女性しかいないのではと錯覚するほど、女性が活躍している。竹籠を背負って枯れ木を集めて冬支度に勤しむ。水汲みしたペットタンクを背負って帰ってくる、決して苦痛とか不快を露わにするというより日常化された行為の営みだ。
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いよいよ今回のメインエベントのマンルン・ラ(5616M)に向かい、国境越えチベット側にあるメンルンツェ(7181M)を望むのが目的だ。トレイルは踏み跡も明確でない。今日はまずハイキャンプを目指す。そこでキャンプをして翌朝マンルン・ラへ。ハイキャンプからしばらく行くと雪に覆われたトレイルになり、クレパスを避けて登ることになる。そのためにザイル、クランポンを持参している。決して難しいトレイルとは言えないが、慎重を期して歩かなければならない。
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マンルン・ラはバリエーションルートでトレッカーが多く入ることはないらしい。8時10分に出発してしばらくはナへのなだらかなメインルートを進む。20分ほど歩いただろうか、メインルートから左へ分岐していよいよハイキャンプへのトレイルに移動する。枯れ草が残っている夏場のカルカで明確なトレイルというより獣道を歩く感じだ。
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左手にはガウリサンカールのレンジが覗く。3914M地点、フラットなところでレストを取る。左手にガウリサンカールのピークが見える。ガウリサンカールはルクラに行く飛行機からよく見える双耳峰でとても象徴的な姿だが、実際は複数のピークから構成されている。ここからはメインピークは隠れていて見えない。
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左手に大きな岩盤が屹立してそこを滝が落ちている。氷が溶けて氷の間を縫ってかろうじて水が落ちている。10時10分ナに向かうトレイルの踏み跡がある。下山時にはそこを下ることになる。
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単調な枯れ草を踏み分けどんどん高度を稼ぐ。10時40分フラットなところでレスト。ここからは左手にトラバース気味に高度を上げていく。
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お粥と梅干し中心の食事なので体力は明らかに低下して気力だけが頼りだ。べディンまでと違ってタフなトレイルだから肉体的には消耗する。11時10分フラットなところでレスト。4280M地点だ。
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11時40分、4400M地点ふたたびフラットな地点でランチになる。当然、ここではクッキングできる状態ではないので持参したおにぎりになる。久しぶりの固形食に不安はあるもののそれしか選択出来ないので思い切って口にする。さすがに早食いの私も口の中でゆっくり咀嚼して喉に送り込む。この地点は広い展望が出来る。
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チェキゴが雄大に聳え立っている。そこから目を左に移し白いピークが僅かに覗いている稜線方面に目指すマンルン・ラがある。

12時40分出発する。トレイルは草地からガレ場と変わり、足場が不安定になる。この先どこで幕営するのか探さなければならない。

14時半、レスト。一息入れていてふと不安がよぎった。相変わらずポーターたちが遅れていることだ。休憩地ならポーターが来なくても問題は起きないが、幕営地でも遅れるようなら設営が出来ない。寒いなか待たされると体温を奪われる。我々はポーターを待たずに4750M地点を通過、ハイキャンプ目指して高度を上げる。

14時20分4800Mのキャンプ地に到着。予想通りポーターたちは視界に入らない。防寒具と云っても歩行時に備える程度なのでウインドブレーカーを着込んで待機する。幸い風はそれほど強くないので体感温度は極端に寒くはないが、背中を丸めて寒さを凌ぐ。ガイド、コックたちはできるだけ平坦な地形を探し、石ころを移動させて平坦な地形を作る。さすがにここでは完全に平坦は無理だし広さも十分確保出来るわけではない。

テントの到着が遅れ、幕営もかなり時間がかかったので、その間寒さと付き合わなかればならなかった。今まではさして支障はなかったものの、ここに至ってポーターの力量不足に不満が爆発することになる。いまさらガイドに文句を言っても始まらないが、嫌味の一言二言を吐くことになる。全員が揃ったのはなんと17時だった。

環境悪いなかの夕飯と就寝となる。就寝前にガイドと明日の行程について打ち合わせをする。一番心配なのは雪のスロープが震災でどんな形状になっているのかだ。計画では明日一日でマンルン・ラまで往復し、このハイキャンプに戻るということだ。しかし、万が一状態が悪い場合には途中でのビバーク装備は持参していないので断念せざるを得ない。

結論は、早朝ガイドとサブガイドが斥候に出て、状況確認をして行動を決めることにした。

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ガウリサンカール・メンルンツェ・ツォーロルパへ(9) マンルン・ラを断念 [ロールワリンヒマールに]

11月9日  マンルン・ラを断念

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マンルン・ラへのアプローチは出発前から震災の影響が気がかりだった。そこでガイドのダワさんとサブガイドのオンチュさんが連れ立ってマンルン・ラへのトレイル確認に7時出発する。我々は朝食をとって彼らの戻りを待つ。2時間後に彼らが戻ってきた。報告では雪渓上にあるトレイルに数多くのクレパスが走り、、マンルン・ラに向かうにはかなりのリスクがあるとのこと。見せてもらったビデオからもその状況が納得できた。
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残念ながら計画を断念し、ナに下山してツォ・ロルパに向かうことにする。キャンプサイトからの視界は右端に見えるタバヤブム(5546M)、その左の三角錐の山がドルジェパグモ(5618M)、ヤンルンリ(5630M)、さらに離れて左にはツォ・ロルパ南側にあるチェキマゴ(6258M)だ。ハイキャンプから稜線に向かって右手前方にはチェキゴ(6157M)。
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情報収集で時間がかかったので出発は12時になる。足場の悪いガレを足元を確認しながら下る。後ろ髪を引かれる思いだ。昨年、マカルーBCからシェルパニ越えに続く中断になる。マイナーなトレッキングを選択すればある程度やむを得ないことだろう。
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1時フラットな場所でランチになる。ここまで下りてくるとガウリサンカールのピークが見えてくる。ここからは枯れ草が残り、夏場にはカルカとして多くの家畜、ヤクやゾキョが草を喰んでいるのだろう。トレイルも今までの道なき道からしっかりしたトレイルが続く。低木で桧木のような葉を持った木が増えてお香のような香りが漂ってくる。これはブッディストにとって貴重品らしい。仏壇の前で木の葉を焚べて祈りをする。ドルジさんは手当り次第ちぎって家に持ち帰るそうだ。
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眼下に流れるロールワリンコーラ対岸にヤンルン・リが聳え立っている。支流を幾つか越えて下る。2時前に右手後方にベディンのガオンが視界に入る。2時20分登リで歩いたトレイルから左手に分かれる。この先はトラバース気味の下りになる。

3時には大きな支流を下って上ったあとは穏やかなトラバースが続く。人がそれほど入っていないので左右からの枝をかき分けて先に進む。突然強烈な痛みが指先に走る。赤い枝先に棘がある。それが肌を刺したのだ。相棒はそれを掌に刺してしまった。その場では取り除くことが出来ないのでキャンプ地まで治療はお預けだ。ザレ場があってその先しばらくいくとコーラに近づき、べディンからナに向かうメインルートに合流する。踏み固めた整備されたトレイルになる。

先を焦ることはないので、ナから1時間ほどのところでキャンプになる。
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ガウリサンカール・メンルンツェ・ツォーロルパへ(10) [ロールワリンヒマールに]

11月10日(火)、11日(水) ツォー・ロルパ(4820M)へ

11月10日 ナ(4180M)へ
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今日はナ(4180M)まで1時間ほどの移動。実質的にはレストデイになる。トレイルもなだらかな道だ。谷間はどんどん広がってカルカの適地となっていく。夏場には放牧のため家畜が草を食んでいるのだろう。牧歌的な雰囲気がホットさせてくれる。この時期には多くの家畜は冬支度で下に降りている。
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ナは以前には人家もなく夏村としての小屋があっただけだったのだが、今では十数件の家(数軒のロッジ)とゴンパも建っている。ここでのキャンプもロッジ前にある広場になる。
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ナを囲む山々が右手にヤンルン・リ(5630M)前方に向かってチュキマゴ(6285M)、左手にはチェキゴ(6157M)、カングナチュゴ(6720M)があってのどかな放牧地になっている。
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11月11日 ツォ・ロルパのキャンプサイト・カブへ
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8時20分出発する。しばらくは平坦なトレイル。しばらくすると橋をわたって左岸に移る。写真を撮ろうと電源を入れようとしたらキャップがないことに気づく。キャップがないことにはレンズを傷めるので探しにそう遠くないキャンプサイトまで戻ることにする。あとから続いてきたポーターと出会ったら、声がかかった。なんと手からキャップが差し出されたのだ。安堵するとともに彼に表しようのない感謝の気持ちでいっぱいだ。それには値しないのは分かっていたが、ザックからチョコレートをだして、手渡す。まだまだ先があるので記録できない状態を回避できてホットもした。

ツォー・ロルパは氷河湖だ。ロールワリン・コーラの源流になるロールワリン氷河が押し出したモレーンによって堰き止められて出来た。9時半前方には台形のや山が見える。手前にはモレーンがいよいよ視界に入る。このトレイルはテシ・ラプチャ越でタメに至る難易度の高いルートだ。行き交った白人トレッカーはほとんどがそこを目指している。

この一帯は6000M級の山々でヒマラヤでは決して高山帯ではないのだが、氷河が多く残っている。
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ふたたび左岸から右岸に移り、モレーンの急登が始まる。無造作に並んだガレを縫って九十九折のトレイルを登る。目前に建物が見える。いよいよ湖の末端だ。11時に到着。ここからテシ・ラプチャへのトレイルは両岸にあったのだが、左手のトレイルは崩落して通行不可となり、右手のトレイルだけが使われている。我々はそのトレイルにそって今日のキャンプサイトになるカブ(4571M)に向かう。

トレイルはモレーンの右手に下りながら先に進む。モレーンの右手にはヒマラヤでは珍しい透明なせせらぎが流れ、草地になっている。どこでもキャンプ地として適地だ。せせらぎまで降りてそれにそって上流に向かう。幕営しているグループもいた。先に進む。

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11時半岩屋があってその先に数個のテントがすでに張られていた。そこがカブだ。日差しもあるのでのんびりと午後を過ごす。せせらぎを飲料に使うので上部の方が安全だということもある。この先ではせせらぎは伏流水になっている。
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夕刻になってモレーンの上部に登る。太陽が傾き、山の上部にしか日差しがなく、湖面に夕日を浴びた山が逆さに映しだされて美しい。湖の前方にあるのはパルチェムチェ(6273M)だ。その手前を左に折れてロールワリン氷河に入ったところからテシ・ラプチャ越のトレイルが続く。
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ガウリサンカール・メンルンツェ・ツォーロルパへ(11) [ロールワリンヒマールに]

11月12日(木) レストデー

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今日はレストデーなのでテシラプチャへのトレイルに沿って氷河に下るピークまで往復する。8時半に出発する。今日も天候には恵まれている。しばらくはモレーンを左手に、右手にせせらぎの間を縫って高度を上げていく。暫く行くと右手のせせらぎは地表下に潜り伏流水になる。
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そのあともなだらかな登リが続き、トレイルは徐々にモレーンのガレのなかに、登リもきつくなる。気を許すと岩を覆う氷に足を滑らしてしまう。岩陰には雪も積もっている。朝方は風もなく指先が少々痛くなる程度の耐えられる寒さだ。左手眼下にはロルパ湖が視界に入る。進行方向前方ではロールワリン氷河が左手に向きを変えていく。テシラプチャ越のトレイルは左手に方向を変えたあとに氷河から離れて右手に進む。
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10時にはトレイルのほぼ最高地点(4900M)に着く。この先は氷河に向かって下降になるので景観に変化がないのでここでゆっくりすることにする。
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テシラプチャからターメまでのトレイルはトレッキングの難しさではシェルパニ越と並ぶ最難の一つと言われている。出来ればテシラプチャのトレイルを望みたかったのだが、今回は叶わなかったし、それを望むにはかなりの時間を要するということだった。
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テルモスに入れた紅茶を飲む。思いっきり湯気が立ち上り熱いのに慌てて口に入れてしまう。嬉しい一瞬だ。

13時前にはキャンプに戻りランチをする。食欲も少しは戻ったようだ。お粥に餠を入れてもらう。

11月13日(金)  オマイツォを経てナに
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今日はバリエーションルートになっているオマイツォを経由してナに下る行程だ。オマイツォへはナからは整備されたトレイルがあるが、ツォー・ロルパからはほとんど歩いた痕跡がない。ガイドはじめ全員が未経験のトレイルなので手探りの移動になる。
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ガイドがガレの小屋でトレイルの確認をしに行った。そこには若い女性がいて、たまたまナに帰る予定だった。気立てのいい彼女が言うにはアブレーションバレーを3ヶ所越えるのでトレイルを探すのは難しい、と言われる。私が案内しましょう、ということになった。理由を尋ねるとアブレーションバレーを囲むモレーンは時時刻刻変化して歩きやすい場所が変わるとの事だった。
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彼女は小屋の後始末もあるのであとから追いかけるよ、とのことで我々だけが先行する。ツォー・ロルパの湖尻までは登リのトレイルを下り、9時半湖尻から別れて対岸側に渡り、左手に下る。すでにガレ場の連続だ。最初は踏み跡らしき痕跡があってさほどの困難なく進める。その先は白っぽいガレの荒野然とした広大なアブレーションバレーを仕切るように幾つかのモレーンが見える。一つ目のアブレーションバレーはそれほど深くえぐれていないのでさほどの困難はなかった。反対側のモレーンをよじ登り、稜線上を上部に向かう。10時45分モレーンの上に立つ。
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踏み跡もなくなり歩きやすいと思われるルートを選んで次のアブレーションバレーのトラバースルートを探る。
そこまでは全員三々五々好きなルートを選んで登っているのでばらばらになる。突然彼女から声がかかり、登りすぎているのでモレーンへの下り、登リの足場が脆く不安定なので戻るように警告される。
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ここで彼女の歩くあとを追って続く。ところが彼女の足の早いこと、カモシカのごとく。軽々と跳ねるように谷底に向かって降り始めた。10時30分にモレーンの上に着く。
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二つ目のアブレーションバレーを越えるにはさほどの苦労はなかったが、3つ目のアブレーションバレーには手こずった。モレーからの下りと反対側のモレーンへの登リは足を踏むたびにずり落ちて不安定だ。辛うじて手がかりになる石や枯れ草を頼りに四つん這いになってよじ登る。V字というよりU字状になっているからだ。
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ここまでは道なき道を歩くトレイルでタフだったが、ここからはモレーンの上をナからの整備されたトレイルに沿って先を進めばいいので彼女の使命は終わった。
三々五々先に進む。後方にはヤンルンリが見える。左手にはチェキゴ、カン・ナチュゴ(6737M),右手前方にはドラナグ・リ(6802M)そこから右手にランダク(6240M)、パマルカ(6344M)、ラグムチェ(6552M)、アンゴレ(6938M)などが連なる。
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稜線上を穏やかなトレイルを登る。1時過ぎに前方にタルチョーが翩翻とはばたきオマイツォの近づいた気配だ。さらに進むと小さなゴンパの先にオマイツォが視界に入る。
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オマイツォの先すぐそばがチベット国境になる。稜線に囲まれた湖なので風の通り道になっていて午後でもあるので、冷たい風が吹き抜けていく。体感温度は強度に寒い。ここでランチとなる。冷えきったおにぎりとゆで卵。テルモスのコーヒーが冷えきった体の芯を温めてくれる。
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湖岸に小さなゴンパがあってタルチョーが強風に煽られてバタバタとはためいている。オマイツォはブッディストにとって神聖な聖地であるだけでなく、ヒンズー教徒にとっても巡礼地として崇められている。ポーターはほとんどヒンズーだが、ガイドはじめリーダー格の人たちはブッディストなので、湖の先に進んで何やらお祈りをしてるようだ。体が清められたと言っていた。
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じっとしていると寒さが堪えるので食事が終わったら早々に下山を開始する。小一時間は居ただろうか。ここからは整備されたトレイルの下山なので楽勝だ。一気呵成の下りは惰性で下るので、肉体的には負荷がかかる。膝に多少の痛みを感じて不安になる。3時にはロールワリンコーラの右岸に出る。広い川原状を渡渉をしたり、泥状になったぬかるみを先に進む。
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往路で渡った橋の手前でメイントレイルに合流し、しばらくしてナに着く。ここでキャンプになる。
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ガウリサンカール・メンルンツェ・ツォーロルパへ(12) [ロールワリンヒマールに]

11月14日(土)~18日(水) カトマンドズへ

11月14日(土) べディンへ
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予定変更もあり、当初予定より捗ったのでこれからはゆっくり下山することになる。チェキゴやマンルンラなどに囲まれたナからべディンまでは途中で狭隘な谷になっているが、夏場の放牧に最適な環境になっている。8時半出発する。天候は快晴、今日も心配はない。今日のキャンプ地、べディンまでは大した距離もなくショートトレッキング。緩やかな下りの連続で軽やかな歩みだ。右手からのコーラがいくつかあって、そのたびにコーラを渡るためにアップダウンがある程度。
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9時過ぎ後ろを振り返ると快晴なのに上流の右手上部にレンズ雲が浮かんでいる。風もないのにレンズ雲、気象的にはしばしば天候悪化の前兆と言われている不吉な現象なのだが、この先どうなるのだろう。一抹の不安はあるのだが、どう見ても悪化するとは思えない雰囲気だ。レンズ雲はなかなか見るチャンスがないのでいい経験になった。
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9時半には久しぶりにガウリサンカールをふたたび望むことが出来た。往路でキャンプをしたところを通過、10時50分ハイキャンプから降りてきたトレイルの分岐点を通過する。
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10時過ぎにはべディンのガオンが視野に入る。午後はゆっくり休憩だ。
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11月15日(日) タンガンカルカへ

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東の空には巻雲が流れている。昨日のレンズ雲のこともあり、天候悪化が気がかりだ。コックのドルジさんはもしかしたら雪になるかもしれないと、本気なのか単に脅かしているのか。昨年の12月のマカルーでの大雪がダブってきて気がかりだ。ただ、ここからは単調な降りだし昨年ほどの不安は無い。
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そろそろ下山時の車のチャーターが気がかりだ。入山時から相当日数が立っているが、インド国境の問題如何では車の手配に支障があるかもしれない。最悪な事態を想定すると、手配に手こずり麓のつまらない場所で何日も待機するハメになるかもしれない。

しかも当地では通信のインフラが無いのでKTMとのやり取りが出来なかった。

結局、ダワさんに我々に先んじて下山してもらいKTMまでの車の手配を依頼する。そんなことでダワさんは早朝にベディンを発って下山した。

ここからの道は明確だし、サブガイドのオンチュウさん、強者のコック・ドルジさんもいるのでなんの不安は無い。
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キャンプサイトはガオンの奥だったので、集落を抜けてコーラ沿いに進む。すると右手小高いところにゴンパがあり、往路では立ち寄らなかったので参道を登る。震災の影響は多少あるが、外観的にはほとんど気にならない。ここのゴンパはこの地方としては立派な佇まいだ。
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ガオンの中心地を離れると数軒、時には1軒だけの小さな集落を通過する。まだべディンの一角になる。
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10時タゲディンマ、1軒の人家があってその調理場を借りて昼の準備が始まる。暖かい日差し、そして無風にビニールシートを広げて横たわるとあっという間にウトウト。なんときだっただろうか、大声に目を覚ます。ランチだ。

シャクナゲが少しずつ目に入ってくる。12時10分に右岸から左岸に渡る。往路でランチをしたところだ。橋を渡るとドルジさんが指を刺している先を見ると無残に引きちぎられたビニール袋がぶら下がっていた。そういえばポーターがとんずらした事件を思い出した。彼らが遅れてくると思って好意で残したランチが無残に中身の無くなった残骸だ。それに目をつけて鳥だろう。啄んで中身は空っぽになっていた。
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木立も高くなり、右手には轟々と流れるコーラの音、快適なトレイルだ。往路では高巻きしたところをコーラ沿いにコースを取り、渡渉をして先に進む。左岸に移動してからは樹林帯の中で日陰の中を歩くので快適なトレイルだ。そんな時に気を緩めると苔むしてた足元に、時には濡れた石に足元をすくわれる。
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1時にはタンガンのキャンプサイトに着く。ロールワリンコーラの河原沿いなので轟音が心地よい響きを伝えてくれる。午後はゆっくりだし、久しぶりにそれぞれ洗濯に勤しむ。私もじっとりしたシュラフやダウンを日干しにする。

11月16日(月) シムガオンへ
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8時に出発する。予想に反して天候は快適だ。すぐに高巻きをしてその後は穏やかなトレイルが続く。往路でキャンプしたギャルチェを通過。9時50分スルムチェに着く。傾斜地の棚に佇むバティーがある。今日も急ぐことはないということだろう、ドルジさんは昼飯の準備を始める。
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バティーのうえに上がるとガウリサンカールの眺望が出来るというので行ってみる。確かに見事な眺望だ。言われないと気が付かない眺望に感動した。日差しを受けてのんびりしていたら日本人のカップルが上がってきた。今回はじめての日本人との出会いだ。声をかけると、Hさんというご主人とフィアンセだった。彼らはこれからヤンルンリのピークハントに行くとのこと。Hさんは高野山大学の山岳部に所属していたことがあり、仏教のルーツでもある当地の仏教に関する学術調査のために何度かネパールには入国しているそうだ。フィアンセは彼ほどの山岳経験はないものの歩き慣れた経験豊富な方のようだ。彼らにもガウリサンカールの眺望を奬めたら、と奬めたら早速登っていった。

シムガオンまではもうそう遠くない。穏やかなトラバースを下り、対岸にはチョラングラ、シェルパ族の集落が見える。だんだん開放的な雰囲気になって、タマコシナディが眼下に移り、右手前方にはチベットの山々が視界に入る。

車の手配のために先行したダワさんが清涼飲料を持って迎えに来てくれる。車の手配は完璧とのことで安堵した。

そろそろシムガオンかと思っていた矢先に、急登が始まる。気持ちに反するような展開に落胆はしたが、頑張るしかない。トレイルが左手に曲がる角にチョータラがある。そこで一休みをして最後の眺望となるだろう景観を堪能する。左前方にシムガオンの集落がかろうじて見える。尾根状の先端に崩壊したゴンパがあるのだろう。
そこからは急な下りのトラバースを一気にガオンに向かう。2時にシムガオンに着く。往路と同じキャンプサイトだ。私は往路では嘔吐で体調不良でロッジに泊まったのだが、今回はテントに。

往路時ほころびかけていた桜が満開になっている。日本の桜とは異種だが、寒桜の一種かもしれない。華やかさもなく、地味に咲いていた。

11月17日(火)マンタリへ
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しばらくはシムガオンの集落を下る。棚田の中にある急な石段を進む。往路では嘔吐後の最悪の状態で登った道なので記憶には全く無く、新鮮な印象だ。ガオンの出口にチョルテンがあるが、そういえばその前にある家があるが、往路で嘔吐に見舞われたときに世話になった家だ。中に入って挨拶をすると、老人がニコニコと”元気になりましたね”、と声をかけられた。迷惑をかけたお礼にと残っているチョコレートを手渡した。こころばかりで申し訳ない気持ちだったが。
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ここからは急斜度の下だりで、石段が整備されている。一気に高度を下げてタマコシナビの河原に着く。吊橋を渡るとチェチェックだ。バティーがあってバナナの木もあってここはすでに亜熱帯エリアに変わっている。
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さらに進むと今では崩落で自動車の通行ができない自動車道に出る。そこには数軒のバティーがあって大勢のトレッカーが登る準備をかねて待機していた。イギリス人の団体からシムガオンの状況を聞かれた。彼らはシムガオンの学校再建にボランティアで参加しているそうだ。
ここからはひたすら整備された道をマンタリに向かう。往路と同じロッジでキャンプになる。
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トレッキング最後の晩は打ち上げが恒例になっている。といっても焼き鳥、鶏肉の照り焼きそして鶏肉入りのカレーだ。仲間たちにとっては肉入りのカレーは日ごろ口にできないのでご馳走になるらしい。食べ終わるとチョコレート味のケーキに入刀だ。全員に一言お礼の挨拶をしてから口にする。

最後の晩に一番神経をつかうのがチップだ。今回はポーターの働きには不手際も多く、気持ちよく払う気にはならなかったので特段な配慮はしない、と事前にガイドのダワさんには断っておいた。手帳の紙を破ってそれぞれのお金を包んで相手を間違わないようにして手渡す。

11月18日(水) KTMへ
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6時過ぎにチャーターしたジープが来るはずだ。予定通り静寂の中をエンジン音を上げながらロッジ前に停車する。ポーターたちは早速装備を積み込みに入る。ポーター達は荷物から開放されて我々の出発した後にバスに乗ってそれぞれ故郷に向かう。久しぶりの故郷に帰れると言うことでそわそわしているように思えた。彼らの見送りを受けながらマンタリを去る。

復路では歩いた一日分もジープでの移動になるので楽勝だ。相変わらずガソリンの欠乏でスタンダには長蛇の列が続いていた。しかし往路とは違って走行する車の数はあきらかに増えているので多少は改善されてきたのだろう。

KTMのホテルで久しぶりのバスタブに全身を浸けて、気がついたらうたた寝をしていた。幸せなひとときだ。
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ガウリサンカール・メンルンツェ・ツォーロルパへ(13)  エピローグ [ロールワリンヒマールに]

2転3転で決まったガウリサンカールだった。振り返ると震災の後遺症そしてインド国境の封鎖、波乱含みのトレッキングになった。

震災の後遺症もあちこちで未解決のままになっていたが、結果的にはインド国境封鎖の方が深刻な影響を与えていた。生活物資の欠乏、その結果として物価の暴騰は庶民の生活を窮地に追いやるだけでなく、唯一の外貨獲得になるヒマラヤへの登山家、トレッカーの入国も激減している。アジアでの最貧国と言われるネパールだから致命的な悪影響を受けて意気消沈というイメージでいたのだが、生きる、という素晴らしさなのだろう、挫けることなく生きていこうとするひたむきさに接して安堵した。

ガウリサンカール、ツォロルパはルートとしてはメインルートに限ればアンナプルナ内院に次ぐ楽なコースではないだろうか。激しいアップダウンがあるわけでもなく、標高も5000M以下だから高山病のリスクも少ない。
ただ近づいてみてガウリサンカールが飛行機から眺望するほど目立つ山容ではなかったのが計算外だったし、それ以外にも目立った美形の山も少ない。

本来ならこのトレイルはテシラプチャ越のアプローチなのだろう。行き交ったトレッカーのほとんどがそのルートを選んでいる。しかしそのルートは多くの困難があり、多くの死者も出ている。私の感覚ではトレッキングというよりクライミングに近い。気持ち的にはトライしたい思いだが、無理の出来無い年でもあるので諦めざるを得なかった。

その中でメインルートから外れて目指したメンルンツェが残念ながらトレイルの崩壊がひどく断念せざるを得なかったのは無念と言わざるを得ない。

ただ当初予定になかったオマイツォに寄れたのは幸いだった。神秘的な湖はヒマラヤがしばしば「神々の棲む山嶺」と言われるその雰囲気をまさに醸し出している。

天候には恵まれてスタート時点で深夜の雨があっただけだった。

すでに次の計画がイメージされてきた。全回断念したApiをトライするのか、あるいはマナスルからティリチョレイク、メソカント峠(5025M)を経由してジョムソンそのどちらかになるだろう。

いつまで続けることが出来るのか、限界との挑戦がまだ続く。

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