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ダウラギリ・サーキット(1) [ダウラギリサーキット]

突然悲しい連絡が入る。ガイドのダワさんから当局に申請について確認に行ったところ、ドルパ地方は一人では許可が取れないとのことだった。

すでに飛行機の手配も終わり、地図との睨めっこで心はすでにドルパに飛んでいた。

代案として以前から何度も思案していたダウラギリ・サーキットに予定を変更する。

ダウラギリは8167M、世界で7番目の高峰だ。現地語で「白い山」という意味らしい。

サーキットはベニをスタートし、3日間はイタリアンキャンプ、ダウラギリキャンプなど5000M以上の高度での移動、雪山での山行になるので、他のトレッキングルートに比べるとハードだと言われている約3週間弱のトレッキングになる。マルファからジョムソンに上がり飛行機を乗り継いでカトマンドゥに帰る。

遠い夢になってしまったドルパ地方のトレッキングをどんな条件が整えば行けるのか、現地入りしてしっかりと確認してきたい。

ダウラギリ・サーキット(2) [ダウラギリサーキット]

ガイドのダワさんと最終的打ち合わせも終わり、出発までのカウントダウンが始まった。

昨日はカメラのチェックで新宿にあるニコンサービスセンターに出向く。知り合いのプロカメラマンの助言もあり、事前にボディー、レンズのチェックを頼む。1時間半でクリーニングとチェックが終わると言うことで、新しく買ったP7100の液晶ガード用のフィルム、ケースを買い求めるためにビックカメラに向かう。カメラ本体をヤマダで買ったが、アクセサリーはほとんど無かったためだ。さすがにカメラ関係はビックかヨドバシが品揃いがいい。

南口に移り、ビクトリアで無くしてしまったヘッドランプ、背中に背負う水筒(ハイドレーションシステム)を購入する。久しぶりにビクトリアに行ったが、以前の面影とは一新して一棟はアウトドア専門店になっていて使い勝手がよかった。

3時過ぎにニコンサービスセンターに戻って、チェック結果を確認したところ、ズームの一本(17~55mm)の電気系統に不具合があるとのことだった。現時点では機能的に問題が起きていないが、どこで起きるか分からない不安を抱えていくより、ということで修理を依頼する。25,000円の出費はちょっと痛いけどやむを得ない。

帰路では食材の買い出しもある程度終えて家路に。

E-チケット、ビザ、薬の準備などほとんどの準備は整ったように思う。来週の週末を使って最終チェックをしなければならない。

そういえばシューズは前回カラコルムのポーターに帰路あげてしまったので、新しいのを購入したままお蔵入りしていた。行く前に試しに履いてみなければ。そして防水スプレーを噴霧しておかないと。

不安と期待が交錯する毎日になった。

ダウラギリ・サーキット(3) [ダウラギリサーキット]

知り合いのネパール人ラリート君(原宿でカレー店を経営)の店に寄ってキーマカレーを食べる。カトマンドゥではモンスーン明けというのに数週間前に珍しく大雨だったそうだ。地球規模での気象異変は相変わらず。昨年の二の舞にならなければと祈るばかりだ。

ネパール東部、インド・シッキム地方では大地震があってかなりの被害があったようだ。カトマンドゥのイギリス大使館でも従業員が数人死亡したとか。

行く前に起きているいろいろの現象は先日飛行機の墜落も含めて気掛かりになる。特に大雨が長くなると、道路の崩壊やトレッキングルートの崩落など計画通りの遂行が困難になるので気が重い。

カメラの修理も本日完了し、薬の調達、食料の調達等々大凡の準備は完了し、行く準備だけは完璧なのだが。

久しぶりのネパール、ヒマラヤにそして3年ぶりに会えるガイドのダワさんとの再会も楽しみだ。羽田利用の最初のBKK行きだ。今までは羽田から関空に飛んで、出国したことに比較すれば便利になったものだ。ただ、復路は羽田着の便だと、BKKで一泊になるので、成田着となった。

そうだ、ネパールは丁度ダサインの時期だ。日本の正月といっても昔の正月だが、それに似た最大のお祭りで、労働者は生まれ故郷に帰郷してしまい、食べるのにも困った記憶がある。今回はどうなるやら。

ダウラギリ・サーキット(4) 出発 [ダウラギリサーキット]

2011年10月14日(金)
出発
(クリックすると大きい画面になります)
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(入山許可証)
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ガイドからも今回のルートは「difficult」とも言われ、ガイドブックでも同じ表現があったので、ちょっとびびりながら待ちかねた出発だ。羽田からのBKK出発は初めて。便利になったものだ。いつもの通りタイ航空を使う。KTMに入るには機材、食事、アメニティーから見てベストだろう。コスト的には中国のエアラインを使って安く行けるとの話も聞いたが躊躇した。
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0時20分発のTG661は出発が1時間ディレイした。幸いBKKでのトランジットに余裕があるので大歓迎だ。現地時間4時半(日本時間6時半)の到着が一時間遅れて到着しても、KTM便TG319は10時15分発なので、全く問題はない。むしろラウンジでの時間消化が楽になった。

BKKは洪水が深刻で水が南下して市内中心部に向かっていると聞いていたので、飛行場への影響も気にしたのだが、それは全く影響なかった。

BKKに着く前から雨脚が激しく、この問題はそう簡単に解決するとは思われない深刻な状況であることを察した。しかしスワンナブーム国際空港は強大なハブ空港として、まるで国内の混乱とは全く関係ないように銀座の中央通りを歩いているのではと錯覚するほど絢爛豪華な様子。

荷物をラウンジにおいて空港内をウインドショッピングで時間をつぶし、余った時間はラウンジでウオークマンを聴きながら時間の経つのを待った。
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TG319KTM便は10時15分定刻で離陸し、12時25分(日本時間で15時40分)に到着。途中ではベンガル湾上空を通過し、バングラデシュ、インド上空を経由する。BKKからしばらくは雲の中を揺れながらの飛行だったが、ベンガル湾上空では雲間から美しいコバルトの海を望むことが出来た。すぐに雲間の入り視界はほとんど無い。KTMに近づいてようやく雲が切れて遙か遠方に久しぶりのヒマラヤの山々が雲を突き抜けて見えた。ガネッシュ・ヒマールとマナスルレンジだろう。

モンスーン明けの10月だからKTMはいつものように靄っているけど日差しはある。王政が崩壊して数年になるので多少の変化を想像したが、表向きは何も変わっていないようだ。でもリムジンバスが世界水準になっていたのが一つの変化か。

荷物を引き取るために数少ないカートをようやく探し求め、ターンテーブルの前で待機する。ドバイからのフライトと重なったので荷物受け取り場は大混乱。ザックは早めに出てきたのだが、スティックとカメラスタンドをまとめた荷物が出てこない。ほとんどの乗客は荷物を持って去り始めたので、タイ航空のクレームカウンターに向かい、写真に示されたカテゴリーを見ながら類似した荷物の形態を指さし書類を作ってもらう。この先はガイドにこの書類を見せてタイ航空と掛け合ってもらうつもりだ。

いつもの通りの出国手続きは何の変わりもなく、簡単に出国できた。出口にはあまりにも私が出てこないので、きっとハラハラしていたことだろう。ダワさんが首を長くして待っていてくれた。ネパール流の花輪の首飾りを掛けてくれた。マリーゴールドの香りが鼻をつくほどに強い。これもネパール入りを実感する瞬間だ。
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用意されたタクシーでタメルにある「サムサラ・リゾート」に向かう。ダサインの祭り明けという事だろうか、カトマンドゥの街は大混乱、車、自転車、オートバイ、人々、それに加えて牛や犬、鶏が入り乱れて行き交っている。経済活動が活発化したこともあるのかもしれない。いつもと違った道を辿るのだが、一寸刻みの移動になる。今までにない時間を掛けてようやくタメルにあるホテルに着く。サムサラ・リーゾトは数年前に造られた新しいホテル。以前良く泊まったバイシャリという高級ホテルの北側にある。4階の部屋だったが、上り下がりはウオーミングアップだ。エレベーターが無い上にここで言う4階は英国流の表示で実質的には5階になるのだ。

ダワさんは明日からの出発の準備で事務所に戻っていった。私がタメルを知っているということだろう。近くになる「桃太郎」で昼飯をと出かけたが、うっかり探し損なって「ふるさと」で生姜焼き定食を注文する。入り口に近い席に日本人らしい人が食事をしていた。通り過ぎて席を取ったが、気になったので日本語で声を掛けた。

なんと彼はハワイ在住の韓国人だった。さすがに日本語での会話は出来無かったので、片言の英語(当然相手は流暢な英語で)でやり取りをした。彼はアンナプルナのトレッキングからの帰りと言っていた。アドレスを交換して彼は先に席を立っていった。ハワイ在住と言うこともあるのだろう、いわゆるコリアという嫌みが感じられなかった。

夕方にダワさんと落ち合い、広島の眼科医のためにドルパ、ムスタングの地図を購入、着かなかったスティックとサンダルを買わなければならなくなった。ダワさんと夕食を一緒して買い物に付き合ってもらう積もりにしていたが、ダワさんからスティックとサンダルは家にあるので貸してくれることになったので助かった。

タメルは相変わらずの喧噪と濁った空気には参ったが、同時に久し振りのネパールを肌で実感しホットもしている自分がいた。
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ダウラギリ・サーキット(5) カトマンドゥ~ポカラ [ダウラギリサーキット]

10月15日(土)
カトマンドゥ~ポカラ(800M)

昨夕は今年の春東京でカメラマンの紹介で出会ったミンマ君と再会した。彼も日本語が達者でナイスガイだ。たまたまヒマラヤ行きを夢見ていた老医師から現地の話を聞きたい、とのこともあり、彼と引き合わせたシェルパ族のガイドだ。彼は父親が亡くなって母親をカトマンドゥに呼んで、しかも最近結婚もしたとのことだった。彼はすでに30代のはずだからネパリーとしては晩婚といえる。ダワさんとも引き合わせて近くのバッティーでお茶をした。

今日はポカラに向かうだけ。8時20分のフライトだったので6時には一階のビュッフェで朝ご飯を済ませる。早々にダワさんが向かえに来た。国内線の出発ゲートには多くのトレッカーが出発を待ち構えていた。先日遊覧飛行の飛行機が墜落した事件があったばかりだが、相変わらずエベレストへの遊覧飛行を待つ観光客でごった返していた。

フライトはどうも定期便より観光優先らしく、エベレスト観光の受付が始まり、嬉々として搭乗していく姿を見送った。AGNIの8時20分発は一向に搭乗手続きが始まらない。そのうちにがっかりした顔の面々が搭乗口から帰ってきた。観光フライトがキャンセルになったようだ。確かにいつものことだが、霞がかかった天候だし、きっとルクラの方も天候不順なのだろう。

あてのない出発を待っている間にダワさんがシェルパ族とおぼしきガイドと親しげに話しかけていた。何となく記憶にある顔つきだ、「彼から元気ですか」と声を掛けられた。思い出した、彼は昨年スカルドの飛行場で足止めにあった際に何気なく話したガイドだった。そして一緒にC130でイスラマバードに救出された仲間だった。しかも彼がダワさんの親戚筋に当たると聞いてまたびっくりした。
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10時前にようやく搭乗し、ポカラに向かう。右手にはマナスル・レンジ、アンナプルナ山群が見える。10時半にはポカラに着き、ホテルに向かう。ポカラは標高がカトマンドゥより低いので一層温暖な気候で半ズボン、半袖で丁度良い感じだ。街並みもカトマンドゥとは全く違い、白人社会を想起させるような佇まいだ。街を歩いているのは白人ばかり、その白人を目当てにしたショップが並んでいる。現地人はダウンタウンに集中ししているので、商売人以外にネパリーは数少ない。
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ノーブルインが今日の宿だ。以前アンナプルナ周回をした帰りに泊まったことがある。きっとダワさんが贔屓にしているのだろう。部屋は立派だけど、風呂はなくホッとシャワー。ソーラーで温水をつくっているので早く使わないと冷たい水になってしまうのが欠点だ。
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午後はホテル・フィッシュテイルでお茶をしたり、散策をしてのんびりする。明日からのトレッキングに備えて体力温存だ。
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ダウラギリ・サーキット(6) ポカラ~ベニ [ダウラギリサーキット]

10月16日(日)
ポカラ~ベニ(850M)

今日はベニまで車での移動。ベニは数年前にアンナプルナからの帰りに疲労困憊でたどり着いた大きな街。当時はベニが終着ターミナルでバスが発着していた。ようやく全ての行程を消化したという安堵感とぐったり感がついこないだように思い出される。

8時半にタクシーが向かえに来る。昼過ぎにはベニに着くだろう、とのことだった。今までならスズキがタクシーの代名詞だったのに、ヒュンダイのタクシーだった。形はマークを見なければスズキと見紛うばかりの作りだ。

運転手にこの車の調子はどうだ、と聞けば、goodと返ってきた。カトマンドゥではあまり見かけなかったが、ポカラでは目立つ。確実に韓国車がアジア市場に進出している現実を目の当たりにした。ダワさんに言わせれば引き続き性能では日本車が評判ですよ、でもちょっと高いですから、とのことだった。
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小気味よく走ってくれる。朝霧がかかっていたがサランコットへの分岐点近くになって朝日が差してマチャプチャレそしてアンナプルナ・レンジが見えてきた。マチャプチャレはポカラの象徴的な山だが、神聖な山として崇められているために今日までピークに立ったクライマーはいない。マチャプチャレは魚の尻尾を意味する。
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いくつものアップダウンを繰り返していき、一気にヘアピンの下りに入る。10時ナヤプールに着く。ここはショートトレッキングの基地として多くのトレッカーが行き来するところ。プーンヒルからのアンナプルナ、マチャプチャレ、ダウラギリの眺望出来るヒマラヤでも簡単に実現できるお手軽ルートだし、その行き来でヒマラヤの伝統ある文化を堪能できるので有名だ。多くの外人トレッカーが出発の準備でごった返していた。ここで一休み。

ここがベニとの中間点あたりだろう。モディ・コーラに沿って進む。カリガンダキ(ムスタングからベニを経由して南部に向かう大河)に向かって流れているのでしばらくは下りになる。流域の両岸には広い耕作地が広がっていて、日本の昔の農村風景を思い出す。収穫期を間近にした稲の穂が黄金色になって頭を垂れている。

10時45分右手から下ってくるカリガンダキと合流する。ここからはカリガンダキの上流に向かって遡上する。ポカラを中心としたエリアはインド系の部族、チキリ族が多い。宗教的にもヒンドゥー教の世界だ。ヒマラヤはラマ教の世界だから、こちらのトレッキングは雰囲気が全く違う。タルチョーもない、マニ・ウオールもない、ましてやゴンパもない。
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11時パンで右折して最後のベニへの道を辿る。曲がらずに直進するとバグルンに向かう。悪路になり運転も慎重に先を進む。11時10分カリガンダキの上流にダウラギリ・レンジが山稜の上に覗いていた。今回のトレッキングはそのダウラギリの左手から時計回りで周回するコースになる。

カリガンダキに沿ってしばらくはほぼ水平に移動し、棚田が稲穂に色づいて美しい。能登にある棚田とは比較にならない大きなスケールで展開している。

悪路に揺さぶられて12時、遠くにベニの街並みが見えてあっという間に到着する。以前はベニの街が自動車でたどれる終着地であったが、今ではジョムソンまでバスが通じているのにびっくり。バスターミナルには数え切れないバス、タクシーが待機していた。

ここが大きな街としては最後になる。ベニからはジョムソン街道経由でチベットに向かう道と、我々が明日進むタトパニまで道が続き、奥地への玄関口になっている。

バスターミナルから右手の坂を登るとダウンタウンに入る。すぐ右手に入ったところにあるロッジNAMASTEが今日の宿だ。ここで初めて私の食事を作ってくれるコックさん、カメラポーターと合流する。早速昼ご飯から用意されていた。ポーター達は別のところで待機しているようだ。
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午後は足慣らしもかねてカリガンダキの対岸にある山を登る。山といってもその奥地には集落があるので住民にとっては生活道路、ところがすぐに40度近いつづら折れの道を喘ぎ喘ぎ登る。ベニは800Mをちょっと超えるエリアなので直射日光は肌に射し込んでくる。サンダル履きの住民は手に荷物を持ちながらも身軽に登っているのを見ると羨ましい。周囲は大きな木々が立っているので眺望を楽しむことは出来無い。どこまで行けばベニの街を見下ろせるのか、額に汗が落ちてちょっと苛々する。古老と行き違ったので一緒しているオンリさんに聞いてもらう。もう少し上に登れば見下ろせると云われ、もう一頑張り。足慣らしにしてはちょっとタフだったが一汗かいて身体の順応を終える。
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カリガンダキは急流でしかも冷たいはずだが、真っ裸の子供たちが吊り橋から飛び込んだり、岩の上で釣りをしている。どこでも変わらない風景だ。

明日の行程だが、タトパニまで車で移動してトレッキングを始めることになっていたが、地図を見るとタトパニから先に道が伸びているようだ。ダワさんに再確認をしてもらったら、結局バスが2日目の目的地であるダルバンまで行っていることが判明した。ラッキー。
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ダウラギリ・サーキット(7) ベニ~ダルバン [ダウラギリサーキット]

10月17日(月)
ベニ~ダルバン(1030M)

ベニの街はマガール族が多い。グルン族に近いそうだが私には区別はつかない。

バスの出発時間がよく分からない。ダワさんによれば乗客次第で出発するらしいとのこと。ポカラ方面に行くバスターミナルとは違ってミャグディ・コーラの橋のたもとにある。8時には出発との情報で停留所に向かう。ここで初めて私のチーム全員が集合することになる。ガイドのダワさん、片言の日本語を話すコックのドルチさん、カメラポーターのオンリさん、あとはポーター5人計8人となる。ポーターはグルン族の40才、20代の青年、チキリ族の屈強な20代の所帯持ち、タマン族の50才と青年だ。結果的にはグルン族の40才のポーターが実質的にはポーター頭的な役割をしてくれた。
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8時を大きく過ぎてようやく中型のバスが到着、屋根に荷物を載せて席に着く。しばらくは空席もあっていつ出発なのかと待ち構えていたが、なかなか出発しない。そうこうしているうちにぼつぼつと乗客が乗り込んで来て空席が無いどころか重なるようにして座る状態になった。身動きが出来ない。膝が前の席の背中にあたり辛いけど我慢だ。9時20分頃か、出発の條件が何なのか分からないままに突然動き出した。
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10時10分タトパニを通過。タトパニとは温かい水、という意味で温泉があることを意味する。乗客が乗ったり下りたり、ドアを閉めることが出来ないほどに満員となり、ドアからはみ出して乗っている人もいる始末。11時30分ダルバンに着いて窮屈なバスの移動も終わる。
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今日は当地がキャンプ地になる。キャンプサイトを探しているようだが、適地が見つからないようだ。バッティーの2階の部屋にテントを張るとの意見も出ていたが、結果的には学校の校庭を借りることになった。ボーディングスクールと称している英語学校のことらしい。ネパールでは英語教育に熱心でお金があればそこに通うのが夢になっている。こんな田舎でもという感じだった。

学校は授業が無かったので、人っ気が無く問題なかった。テントを張り出したらどこからとなく子供たちが集まってきてテントを覗いたりちょっかいを出してくる。これは今までも経験したことなのでびっくりはしなかったが、お付き合いするのに疲れてしまった(笑。
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標高1000Mを超す谷間にある緑豊かな集落だ。明日からいよいよトレッキングの開始でちょっと緊張が張り詰める。
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ダウラギリ・サーキット(8) ダルバン~シバン [ダウラギリサーキット]

10月18日(火)
ダルバン~シバン(1720M)

6時起床で8時に出発する。鶏が餌を啄んでいるのを避けながら集落を抜けてルートに出る。といってもここでは自動車がかろうじてだが通れるような立派な道だ。実は我々が目指すムリの先にあるナウラに向かうトレイルが二つある。一つは新しくできた道でミャグディ・コーラに沿って遡上するトレイルともうひとつはシバンを経由して尾根沿いを経由するトレイルだ。時間的にも体力的にも前者のトレイルがはるかに楽なトレイルなのだが、その間川沿いの谷間を歩くのでダウラギリ・レンジを全く見ることが出来無い。私たちは当然ながら山容を堪能出来る後者のトレイルを選んだ。
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直行するトレイルから離れて我々はすぐに吊り橋を渡って対岸に移る。このあたりではトレイルは生活道路でもあり、綺麗に整備されているので歩きやすい。その上しばらくは川に沿って遡上するのでウオームアップに丁度良い。
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30分も歩いていないだろうか対岸に連滝が見事な景観を作っている。これだけでも日本の滝と比較できないほど雄大なのだが、ダワさんに言わせるとこれから先にはもっと雄大な滝がありますとのことだった。ヒマラヤの緑と水は草木のないカラコルムとは対称的な景色だ。未だ気温が高いので短パンに半袖の出で立ち。子供を背負った男性が下って来た。まだまだ生活臭が感じられるので、トレッキングという実感がなかなか湧かない。
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1時間半歩いただろうか、フェディ(1100M)だ。ここまでは対岸にもう一つのトレイルが平行して走っている。水平と錯覚するほどなだらかな上りだ。左から入ってくる沢に架かる吊り橋を渡るといよいよ尾根に向かっての登りになる。道は針葉樹に囲まれ、未だ生活道路の様相でとれも整備されている。高度を上げていくと遠くの山並みの奥にグルジャ・ヒマール(7193M)やダウラギリ・レンジが見えてきた。これこそ辛く、時間がかかるトレイルを選んだ理由だ。もし、天気が悪く見ることが出来無かったら徒労に終わるところだったが、天が運を与えてくれている。幸先良い。ひとまずは安堵した。

両岸には猫の額程度の耕作地しかないような狭い谷間の右岸を高度を稼いでいく。左から入り込む沢に架かる吊り橋を渡ろうとしたらロバ隊がこちらに向かってくるのが分かった。途中で彼らが譲ってくれるはずがないので、手前でじっと待つしかない。
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吊り橋を渡るとつづら折れの急登が待っているので待機はいい休憩にもなった。対岸には大きな棚田が広がっている。だんだんと対岸との距離が広がり、斜面も緩やかになってきた。こちら側にも耕作地が展開する。11時過ぎに久し振りの大きな集落、ダトパニ(1260M)に着く。マガール族の集落だ。一軒のバッティーに入る。
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コックのドルチさんはしばしば日本人のガイドもするので日本人をよく知り尽くしている人だった。確かにダワさんには日本人の食生活を分かっているコックを探して欲しいと頼んではいたが、これほどまでに熟知しているとは想像外だ。日本製の食材もカトマンドゥで買い込んできてくれていた。キッコーマンの醤油、味噌、お米などなど。茄子を揚げて醤油味に仕上げたてくれたり、玉子を巻いた海苔巻き、あとには醤油味のおにぎりとなると驚きを越えた。
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彼はダワさんの親戚筋でマカルーの故郷ではいつも顔を合わせる親しい関係だそうだ。それなのに今まではトレッキングを一緒したことがなかったとか。今回が初めてのペアリングになった。またカメラポーターのオンリさんはダワさんの奥さんの親戚筋。彼はダワさんも感嘆するほど屈強なポーターで、ダワさんのエベレスト・エクスペディションでポーターをつとめた人だ。このようなチーム作りにダワさんを信頼する理由がある。
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ダトパニからは天候もよかったので最大の目的であるダウラギリの眺望ができた。辛いけどこちらのトレイルを選んでよかったとほくそ笑んだ。ダトパニで昼ご飯を食べ、一息入れて12時過ぎに出発する。
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この先は緩やかな上りで耕作地が広がって農作業に勤しんでいる人々が昔の日本の懐かしく昔を思い出させてくれる。次の集落へ登っていくと小さな池というか水たまりがあった。何頭かの水牛が水浴びをしている。短毛で肌がつやつやしていて、牛やゾキョ、当然ヤクとも異質な家畜だ。
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チョータラがある。これは生活道路の象徴。荷物を持つボッカが一息入れるに丁度いい高さで石が積まれている。ヒマラヤ特有の風景だ。棚田があちこちに見事に広がっていて、ここでも実りを控えた穀物が黄金色に輝いていた。この一帯は水田耕作地だ。収穫の終わった田んぼには水が満たされていた。
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2時過ぎにチェックポストがあった。ダワさんがザックから私の関係書類を出して事務所に向かった。ダワさんから先に行くようにとの指示で止まることなく前進する。

途中の集落ではピンク色した米のうどんを作っていた。試食してみたかったがそのようなチャンスもなく、物珍しい景色を写真に残した。4時過ぎにシバンに着く。ここでは学校の隣にある草地に幕営だ。ここでも幕営し始めるとすぐにどこからとも無く子供たちが砂糖を見つけた蟻のように我々の周りを埋め尽くしてしまった。そして隣の学校の校庭では青年たちが集まってバレーボールが始まった。テントの前にはそば畑があって花が咲き誇っていた。
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ダウラギリ・サーキット(9) シバン~ムリ [ダウラギリサーキット]

10月19日(水)
シバン~ムリ(1850M)

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6時に起床。テントには夜露がついて出る時に服が濡れた。今日も良い天気だ。蕎麦畑の向こうに目をやるとダウラギリ主峰がくっきりと見えた。見事な雄姿だ。ムクティナートから見た金色に輝いたダウラギリとは違った形だが、存在感のある山だ。
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まだ早いというのに早々に子供たちが集まってくる。見慣れた子供たちばかりだ。頼みもしないのにまめにテントの撤収を手伝ったり、残されたものを探して持ってくる、何か役立ちたい、大人の仲間入りをしたい、とでも言いたそうな感じだ。さすがにそれを見ていた私はやってはいけない事と思いながらザックからチョコレートを出して渡す。ちょっとだけニコッとしたが、そのまま去っていった。
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8時に出発。この先ものどかな農村風景が続き、トレイルもゆっくりした上りなので、体力を温存できるのは嬉しい。今日は高度差が100M程度なので上りの負担はほとんど無い。
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ファリア・ガオンで右手にトレイルを移す。このトレイルはドライシーズンだけ使えるトレイルだ。まっすぐ進むよりかなりの時間短縮になる。コーラを渡ってしばらく行くとムリ(1850M)の集落だ。12時前には集落入り口近くのバッティーに入る。この庭先が今日のキャンプ地だ。
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午後は自由な時間になるので、ポーター達にとってもいい休養日になる。ポーター達が濡れたテントを持ち出して日干しをしてくれる。私も湿ったシュラフを出して日干しだ。ドルチさんはすぐに昼ご飯の準備に入った。
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ゆっくりした昼ご飯が終わると、全員三々五々思いのままに行動を取る。ポーター達は集落の中心地に向かった。ドルチさんは鶏を買いに行くというので暇潰しに付いていく。商店とおぼしく構えの家が何軒かあった。
暗い店の中を覗くとさっき出ていったポーター達が胡座をかいて何やら口にしている。まさか水(パニ)ではないでしょ、とニヤッと笑う。そうか、ロキシーだね、と言ったら頷いた。ネパール固有の米で作った蒸留酒だ。ネパールでは少年時代から呑んでいるとか。水代わりなのだろうか。彼らから呑まないかとボディーランゲッジで意思表示があったけど、下戸なのでと断った。
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鶏を専門に扱っている店があって、篭の中に茶色の肉付きのいい鶏が何羽も鳴き声を上げていた。名古屋コーチンそっくりの鶏だ。ドルチさんが大声を上げて店主を捜したが何の反応もない。やむを得ずその店を去って集落を一周して戻る。後で分かったことは一羽1100ルピーが相場らしい。ドルチさんに言わせるととても高い相場だと云っていた。

ミャグディ・コーラの対岸には大きな集落が見える。ショートカットのトレイルが通過するキバンの集落だ。キバンでは成人男性がいない集落だそうだ。ほとんどの男性はヨーロッパに出稼ぎに出てしまっている。その理由はヨーロッパでの出稼ぎに成功した人に導かれているのか、その後を追って次から次へと出ていったからだ。貧しいネパールでは豊かさを求める数少ない手段なのだろう。

シェルパ族がガイドとして特別な地位を確立しているのと類似している。

明日合流するトレイルも見えている。ムリ集落の先には学校があって、校舎が半壊していた。先日の大地震で被害を受けたらしい。校庭ではバレーに興じる青年達がいた。狭いので打ち損なうとボールが急傾斜地を転がり落ちて回収に手間がかかる。
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ここでもトレッカーは物珍しいのだろう、子供達が近寄ってくる。さすがにバッティーの庭先なので接近することはなかったが、カメラに目がいくと撮って欲しいと要求されて、私は待ってましたとばかりにレンズを向ける。

ここではクツワムシが鳴き競っている。今晩のメニューはコロッケとサヤエンドウを醤油味で煮込んだもので、彼の腕前には感服する。
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ダウラギリ・サーキット(10) ムリ~ボカラ [ダウラギリサーキット]

10月20日(木)
ムリ~ボカラ(2080M)
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朝はいつもと変わらないスケジュール。一つだけ変わったことと言えば昨日までは雲一つ無い朝を迎えていたのに筋雲が走っている。それがちょっと気掛かりだ。

ダウラギリ主峰は望める。手前右手にはジルバン(6062M)マナパティ(6380M)が控えている。食事が終わっていよいよ出発の準備も終えて、出かけようという矢先に訪問客があった。いかにもまじめそうな中年の男だ。片言の英語とダワさんの現地語での通訳を入れてやり取りをする。明らかに彼の目的は私だった。
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彼の話は前方に見えている学校の再建に関わる事らしい。是非、ドネーションをお願いできないかと言うことだった。彼がその当事者として適格で相応しい御仁なら多少なら協力は吝かではないけど、それが本来の目的に使われる保証がないことが不安だった。脇に抱えた奉加帳覚しき大学ノートを差し出した。そこには今までに協力した人々の署名があった。

ダワさんに彼が学校関係者かどうか分からないかと尋ねたが、彼も確信が持てないらしい。あとは私の個人的判断だ。結局10ドルのドネーションを約した。最終的には彼の立ち姿、振る舞いに何となく教師の臭いを感じたから、そして昨日確かに学校が一部崩壊しているのを見ていたのが理由だ。それとお金の価値に違いはないが、自分にとって負担にはならない程度ならどんな結末になろうが無視できる範囲に止めることで決めた金額だ。さわやか気分をもらうには安いことだと言うこともあった。
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集落を通り、一部崩壊している学校の校庭脇からトレイルが続く。木橋を渡るとここからは先はジュガパニ(ナウラ)まで高度を下げる。雲行きが怪しい。空を覆うほどではないが薄雲がだんだん増えていく。ダウラギリのピークにも雲が傘をさすように覆い始めていた。
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ダワさんの話では数年前に来た時は木橋の手前から左手にトレイルを取り、大きく左に振られてしかも高度を稼がないとボカラに辿り着けなかったという。新道が出来たことでこのルートが楽になったそうだ。今でも決して楽なルートではないからその時だったら私にとっては大きな障壁になっていたことだろう。

ミャグディ・コーラに向かって高度をどんどん下げていく。ダワさんが綺麗な蛇ですよ、と声を上げた。緑色の1M弱の外見はとても綺麗な蛇だ。ところが外見とは裏腹に猛毒を持っている蛇らしい。原住民にとっては免疫があるので少々のことでは大事に至らないが、あなたたちにとっては命に関わりますよ、と脅かされた。
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9時45分コーラ沿いの水平道路(1450M)になる。深山幽谷の世界。10時にはジュガパニ(ナウラ)に着く。ここでダルバンで分岐したミャグディ・コーラ沿いのトレイルと合流する。掘っ立て小屋風のバッティーが一軒ある。しかし、商売をする風でもなく、板が打ち付けてあり、一つ開いているドアから少女が顔を出した。でも怪訝そうな顔に「ナマステ」と声を掛けても反応がない。こんな時はだいたいニコッと笑ってギブミースイート、あるいはペンと返ってくるはずなので戸惑った。そのうちに少女は家の中に引っ込んでいった。
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トレイルは山が川に迫ると高巻き、山が遠ざかると川面に近づき、猫の額のような耕作地の脇を通り抜ける。細々と農業が営まれ、2,3軒の家が点在している。家畜臭が強烈に臭うと人家が近い、人里の先触れとなる。10時55分ジゲカム(1651M)に着く。ここでランチになる。バッティーには女性ばかりがいる。男性はカタールとかアブダビに出稼ぎに行っているそうだ。

昼飯を終えて12時50分出発する。急登後に水平道路に移る。

本格的なトレッキングの雰囲気になった。ミャグディ・コーラには両岸から山が迫り、生活が出来るような環境にはない。岩場には蜂の巣がいくつもぶら下がっていた。ヒマラヤ特有の蜂の巣でその密は高価だそうだ。ただ、それを取りに行くには垂直の岩を登るのか上から下りるのかになるので命がけだ。ここでは手を付けられない場所にあるからだろうか見事に残っている。
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(20KG以上の荷を担いでくれる屈強なポーターの意外な足)
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曇っているけど肌寒いほどではない。2時頃には両岸が切り立った深い渓谷に囲まれ、突然厳しい景観に変わる。なるほどダワさんの「以前は左に迂回して大変でした」、といっていたが、この岩場の道作りが困難を極めたという事で理解出来た。そそり立つ岩をくりぬいて、あるいは削ってトレイルを作ってある。場所によるが二人が行き違うのがやっとという緊張するトレイルが続いた。
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3時頃厳しいトレイルも終わろうとしているところにバッティーがある。すっかり空を覆ってしまった雲のせいもあり、周囲は色を失った淡い世界に変わっていった。遠くから見えていた滝が眼前に迫ってきた。対岸とはいえその迫力は凄い。以前に見た滝は糸状であったが、ここでは太さを感じる。見とれていると谷底に落ちそうな緊迫感のなかを先に進む。ダウラギリレンジはクリアではないが見ることが出来た。2000Mを再び超している。

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厳しい岩壁はいつの間にか影を潜め森林に囲まれたトレイルになっていた。最後の坂を上り詰めて下りに入るとしとしと小雨が降り始める。ボカラ(2080M)の集落の入り口に3時半に着く。ボカラは集落のある最奥地でこの先には定住する住民はいない。このバッティーの周辺には人家はないが、山の裏側に集落があり、学校もあるとか。トレイルの先に進んでもあるのは夏村としてのカルカがあるだけ、それとてこのような地形では多くの家畜を上げるほどの牧草地もない。

一軒の家の前庭が2段になって作られていた。そこの上段に幕営する。このトレッキングでは行き違うトレッカーはほとんどいない。一つはこのルートは上りには利用されるが逆ルートにはほとんど使われないと言うことが一つの理由だ。またそれ以前にこのエリアは秘境でもあるということだ。我々とほぼ同じペースでチェコ人の7人が追いつ追われつで一緒になっていた。ここでも彼らと一緒になる。幕営は我々が先だったので彼らはバッティーの土間に寝るようだ。このチェコ人は7人が一チームではなく、2人のペアが3組と単独が一人の混成だ。

彼らは一ペアに二人のガイドとポーターが付いているが、他の連中はガイドも付けずたまたまフライトが一緒だったという関係でしかないそうだ。ただ、同国人同志なので何かとやり取りはしていた。男女のペアもいるが、その女性も男性とかわりなく同量の荷物を担いている。30KGを超える荷物を背負ってすいすいと登ってくる。みんな体格が良いこともあるが、大股でぐいぐい登っていく姿に日本人の非力さを見せつけられて悲しくなってしまった。ところが後でこれが災いするとはその時には考えもつかなかった。

夕方には山に日が差して赤く焼けていたので多少はホッとした。
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ダウラギリ・サーキット(11) ボカラ~ドバン [ダウラギリサーキット]

10月21日(金)
ボカラ~ドバン(2520M)

夜中にしとしとと雨が降っているのを耳にしたが朝方には幸い曇りになっていた。今日は高度差500Mのトレッキングだ。すでにチェコ人のトレッカーも慌ただしく動き出して、朝ご飯を作っている。彼らは自炊が前提だが昨晩はバッティーのダルバートを頼んでいた。
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先に出発する。ボカラは定住する集落の最奥だが、という事はある程度の農業が成り立っていると言うことだ。猫の額だが稗が実を付けて収穫期も間近だ。稗と言えば今の日本では決して安い穀物でなくなっているが、戦後の主食代わりに空き地に植えられていたのを思い出す。
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8時20分チョータラで一息入れる。眼下にはボカラの集落が見える。しばらく下降気味に歩くと、対岸に再び見事な滝がミャグディ・コーラに落ち込んでいる。何段にも連なって150Mを超える長さだ。見事と言うほかに言葉がない。ここはジャルダン(1850M)。河原まで下降し対岸に渡るとその奥地にも集落があるそうだ。
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トレイルは整備はされて歩きやすい。左手に絶壁が屏風状に屹立している。そこには蜂の巣がかなりの数ぶら下がっていて、前に見た蜂の巣より遙かに数は多い。

滝の落ち込んだすぐ上流の河原に掘っ立て小屋がある。ドルチさんの話では温泉があるそうだ。彼はこの一帯を中心にトレッキングのガイドをしているのでダワさんより情報通だ。さらにドルチさんに「ところで温泉に入ったことあるのですか」と聞いたが、無いとの返事だった。試しに入るには河原に下りる厳しい体力ロス、時間ロスになってしまうので断念する。
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10時半過ぎに左手に掘っ立て小屋のバッティーがあった。ここでは泊まるような規模ではない。ここで一休みする。チャイを作ってもらう。すぐに出発して先に進む。雲は一向に切れそうにもなく、むしろますます厚くなって、早々にしとしとと雨が降り始めたが、歩くのに苦痛を感じるほどになならなかったのは幸いだ。
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12時にはラプチェ・カルカ(2310M)に着く。ここの小屋も掘っ立て小屋だ。左手には数頭の水牛が繋がれている。一頭は今年生まれた子供だ。親は警戒しているようだが、子供はあどけない眼を珍しそうに我々に向けている。

この先は両岸に滝が続く。気掛かりだった小雨が降り始めた。身体が濡れるほどではないので雨具を付けずに先に進む。ヒマラヤスギの林が広がって平坦になった瞬間、そこがドバン(2520M)だ。壁のあるそれなりの小屋があり。反対側には屋根があるけど壁のない小屋があった。
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取りあえず屋根だけがある小屋の中で雨宿りをする。ダワさんはここにテントを張りましょうか、と言ったので天候を見て雨が止まないようだったらそうしましょう、という事にした。シートを引いてもらってそこで横になって一休みする。うとうとしていたら遅れてチェコ人達が三々五々到着して一組を残して小屋の中に入っていった。一組は男女のカップル。どうも彼らは離れたところでテントを張ってゆっくりするような気配。それは当然といえば当然。
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ダワさんから声がかかった。雲は時々切れ間が出来て山が見えていますよ、と。ここからはダウラギリⅣ、Ⅵが見えるはずだが、雲に隠れて完全ではない。ここからは本峰は全く見えない。幸い夕方には雨が上がり、濡れそうもなくなったので、外に幕営する。

夜に明日の天気がふと気になってテントを出てきたら満天の星になっていた。明日の好天を祈ろう。
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ダウラギリ・サーキット(12)  ドバン~チャルターレ [ダウラギリサーキット]

10月22日(土)
ドバン~チャルターレ(2820M)

昨晩の天候回復がそのまま朝につながった。雲一つない快晴だ。そして標高も高くなったので朝方はさすがに冷え込んできた。まずはダウラギリ・レンジを写真に納めよう。
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ポーター達はあちこちから枯れた枝や根をかき集めて焚き火をしている。そこにチェコ人のトレッカーも集まってそこでに暖を取っている。
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朝ご飯を食べていると目の前に30kgはありそうな黒い犬が手を並べて私の食事をじっと見つめているではないか。決して一線を越えない節度に感心しながら食事を続ける。そのうちにじりじりと接近してくるいじらしさについついチャパティーを少しだけ分けてやった。結局は全部あげてしまったのだが。ダワさんに聞くとこの犬はこの小屋で飼っているのではないとか。
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どこから来たのか不思議だ。これだけ元気なのだから、そして人の食事にちょっかいを出すこともないのでそれなりに空腹は克服できているはずだから野良ではないのだろう。
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8時に出発する。急降下してすぐにクナバン・コーラに掛かる木橋を渡る。その後急登があり身体も温まったので長袖を脱いで半袖になる。小高い木々がこんもりと覆っている。つづら折れの登り、そして水平トレイルの繰り返し。9時に木橋を渡る。このあたりは竹林とシャクナゲが群生している。プレモンスーンの時ならシャクナゲの花が美しいことだろう。
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視界に入る山に雲がかかり始めた。左手の岩盤を縫ってあちこちに滝が流れている。 一つ一つは糸のように繊細だが、二本の滝が出発点は違うが同じ目的地を目指して落ちていく姿が美しい。ミャグディ・コーラでは美しい滝が目を奪い辛いトレッキングに安らぎを与えてくれる。楽しいコースだ。
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10時半ミャグディ・コーラの河原に出て、石を乗せて安定させている木橋を対岸に渡る。前方にはダウラギリ・レンジが望め、対岸には美しい滝が白糸を流すように落ちている。11時標高2825Mこんもりした森から開けたところにでた。そこにはタリテレのバッティーがある。ここで昼ご飯だ。ここではびっくりした。なんと海苔巻きが出てきた。具には玉子焼きが入っている。ご飯も日本米で粘りがあり、マヨネーズの味付けも日本のコンビニを思い出すほどだ。醤油を付けて久し振りの日本の味を堪能した。
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見かけない青年が3人掘っ立て小屋裏から出てきた。一人は銃を立てて持っている。あわやマオイストの再来かと一瞬以前の思い出が呼び覚まされたが、マオイストが政権についた今でもそんなことあるのかと疑問を感じた。すぐに疑問は解かれた。彼らは猟をするために持っているらしい。彼に写真を撮らせて欲しいとダワさんを通じて頼むと、ノーといわれる。
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(彼はすぐに銃を隠した)
それはそうだ、ヒマラヤでは猟は禁止行為になっているらしく、彼は法律違反の証拠を撮られては困るはずだ。すぐに仲間と森の中に消えていった。
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チャトラーレはもうすぐ。のんびりとした昼飯になる。1時過ぎに出て特別辛いとは言えないトレイルを先に進む。ミャグディ・コーラはここでは小さな流れに細っていた。

2時半にチャトラーレ(3110M)に着く。10個のテントがすでに幕営していた。ここでもチェコ人達と一緒になる。まだ日差しがあるので、ポーター達がテントを広げ、マットも乾燥させ始めた。夕ご飯ではムリで仕入れた水牛肉をさばいてカリーを作ってくれる。生肉の保存もそろそろ限界になることもあるのだろう、彼らにとっては最高のご馳走だ。ネパールでは肉を食べることは大ご馳走になるので。
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夕方になると雲が掛かり始める。ほとんど青空が失われた。明日からいよいよ高度との戦いが始まるので気掛かりだ。天気男の本分を発揮しろ、と自分を激励した。
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ダウラギリ・サーキット(13) チャルターレ~イタリアンキャンプ [ダウラギリサーキット]

10月23日(日)、24日(月)

チャルターレ~イタリアンキャンプ(3660M)そして高度順応
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深夜の満天の星に希望を託した結果か雲一つ無い快晴になった。7時50分キャンプサイトを後にした。しばらくは森の中をいく。まだ太陽は東の稜線の裏にあり陽が差してこないので薄暗い。そろそろ短パンに半袖から長ズボンと長袖に代えるかどうか悩んだが、天気も良いので取りあえず上着だけを長袖に代えその上にベストを羽織って7時50分に出発。しばらく平坦なトレイルを進む。どこからともなく人の声がする。

ガイドブックによれば「サラガリにキャンプをする」と見たことがあった。ここがそのサラガリなのだろう。男女のカップルの白人がのんびりと横になっていた。右手の小高いところがキャンプサイトのようだ。チャトラーレよりもっと自然に恵まれた環境だ。「ナマステ」と声を掛けて通り過ぎる。

すぐに凍った木橋を滑らないように気を使って渡る。ダウラギリのサウスフェースと前方には真っ白に雪を被ったシタツヅラ(6611M)が見える。8時半左手にダウラギリⅡが望める。8時50分3300M地点を通過、一気に高山の様相に変化した。
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ミャグディ・コーラの左岸を1時間も歩いただろうかだんだんと視界が広がって太陽の日差しが身体を温めてくれる。9時20分には急登が始まり、息も上がったが、幸いその後はややくだり気味の水平トレイルになる。10時には3458M地点、なだらかな空間が広がっている。ここがアメリカンBCらしい。一息入れて出発。しばらく行くと左手に滝が見える。ここまで来ると高度差も小さく、水量も減っているので今まで見てきた滝ほどではなく感動も少ない。さらに岩のトレイルを登ると周囲は森から草地に変わっていった。ようやく高山の雰囲気が醸し出されてきた。左手ミャグディ・コーラの向こうにはダウラギリ・レンジがそそり立っている。
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11時にはイタリアンキャンプ(3660M)に着く。ここには小屋があって男勝りの女性(管理人らしき人)がいる。ガイド達と盛んにやり取りをしていた。白いプラスチックの椅子があったのを、ダワさんが持ってきて座りなさい、と言ってくれた。胡座をかいて座るより楽なので有り難く受け入れる。

ドルチさんの手作りのランチを食べる。今日は彼の定番ランチの一つチーズと玉子のサンドイッチ。それにコンビーフとピーマンを和えたものなどなど。食パンはポカラで仕入れたはずだが、まだ美味しい。いつものトレッキングなら日程が進んだこのタイミングで食欲不振と下痢に悩まされるころだが、今回のトレッキングで体調が良いのはドルチさんの食事のお陰かもしれない。それと私のことを知っているダワさんだから気を使ってくれて飲み水はミネラルウオーターを下から上げてくれていた。
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イタリアンBCは広がりのある平坦な草地で最高のキャンプサイトになっている。ここで高度順応のために今日、明日はゆっくりした滞在になる。午後は我がチームそれぞれが思いのままの休養だ。高度順応の必要のないポーター達は洗濯をしたり、日だまりで昼寝をして休養している。若いポーターは他のチームのポーターとトランプの賭け事に夢中になっていた。

私にとってはこれから先の行程で高山病を克服するための大事な二日間になる。毎年5000Mを超すトレッキングを経験しているが、肉体の学習効果があるらしく、年々歳々順応力は高まっている。初めてタンボジェまでの簡単なトレッキングの時にはナムチェ・バザールではっきり自覚出来るほどの高山病を経験している。その後も食欲不振程度の経験はしたが、もしかしたらという程度の自覚症状にとどまっていた。今回もそうあって欲しい。ただ、足かけ3日間の5000M超は初めてなのでどうなるか不安一杯だ。
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一息入れてから2時に高度順応のためにBCの先にある小高いところまで上がる。つづら折りのトレイルを進む。ここでは緑も少なくなっているので花が美しく、目立つように咲いている。高山では花の存在がひときわ心を和ませてくれる。

高度を上げていくと太陽に反射して光っているのが目に入る。ダワさんからダウラギリに挑戦した登山家が、事故で無念の死を遂げた慰霊碑だと聞かされた。その数が夥しいほどにある。セルビア、スイス、ネパール、フランス、中国そして日本人のもあった。お国柄を反映するのだろう、西欧人のは墓に似せている地味なプレートだ。日本人のも同様。ところが中国人のは金色でサイズも大きい、一番目立たせる事が狙いと思われても仕方がない作りになっている。お国柄がここにも現れているようだ。
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それにしても凄い数のプレートにダウラギリのエクスペディションの厳しさ、そうさせてしまうダウラギリの魅力を実感した。非業の死と見える事故も本人にとってはどうなんだろう。たまたま夢枕獏の「神々の山嶺」を読んだ直後なので、クライマーの心境が少しは分かる気がした。
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5頭のロバ隊が登ってきた。50前後だろうかドイツ人の夫婦が上がってきた。荷物は彼らのものらしい。彼もニコンをぶら下げている。私もニコン。自然に近づいて一言二言言葉を交わす。不思議だが白人と十把一絡げとして考えてしまいがちだけど、ドイツ人は今回に限らず理由無くシンパシーを感じてしまう。日本人を認めてくれているという実感をもてるのはどうしてだろうか。彼らはダンパス・ピークへのエクスペディションを目指してそのまま先に進んでいった。その他にも小屋前には今まで見かけなかった白人が6,7人いた。

戻ってみるとドルチさんが水牛の肉を切り裂いていた。あれぇ、肉は終わったのではと言うと「大事に取っておきました、まだ大丈夫ですから」と言われた。今晩は水牛丼と天ぷら擬きだった。ドルチさんの憎いばかりの心遣いに敬服した。

明日は休養日なので天気はどうでも良いと思いながら、幸い明日も良さそうな雰囲気だ。

さすがにこの高度になると息苦しさを感じることがある。不思議なことだが、活動をしているときには一所懸命に呼吸をするからだろう、それを感じることはないが、横になって寛いでいるときに息苦しさを感じて目を覚ますことがある。そういえば以前にもそんな経験をしたことが思い出される。身体が活動を低下させて、それに合わせて呼吸活動も低下するために起きる現象なのだろう。

翌日も快晴の朝を迎えた。こんな良い天気は肝心なときに取っておきたいぐらいだ。10時には再び高度順応もかねて上部にあるケルンまで登る。3700Mを少し超えた高度だ。そこからは明日の行程にあるスイスBCの小屋が見える。

明日向かうトレイルを観察しに左手の深く広く落ち込んでいる谷を上からのぞきに行ってみた。つづら折れになったジグザクの急降下して正面には急登するトレイルが見えた。

昼飯後は陽の当たるところで昼寝をしていたが、急に雲が増えて寒くなってきたのでテントの中に入った。しばらくするとぱらぱら雨の音がしてきた。キッチンテントに行って蜂蜜入りの珈琲を作ってもらう。過去のトレッキングではチャイを飲むことが多かったのだが、今回は毎回蜂蜜入りの珈琲に嗜好が変わっていた。

イタリアンキャンプは高度順応をするので滞在日数も重なるし、エクスペディションの基地としても使われるので、どこのキャンプサイトよりも大勢のトレッカー、クライマーがいる。

今までのトレッキングでは30代前後の人が多いのは共通していたが、ダウラギリでは50才以上の壮年、老人とは全く出会うことがなかった。

夕ご飯は水牛肉入りのカリーだ。最初は食欲が低下して口にするのにちょっと抵抗があったが何とか食べることが出来た。しとしと降っていた雨も夜半には上がって星空が広がっていた。明日も天気は良さそうだ。
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ダウラギリ・サーキット(14)イタリアンキャンプ~ジャパニーズキャンプ [ダウラギリサーキット]

10月25日(火)

イタリアンキャンプ~ジャパニーズキャンプ(3810M)
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昨晩は予防的にダイアナモックスを飲んだため夜中に4回もトイレに行く羽目になる。幸い今日も天気は良い。毎朝お粥に味噌汁のメニューになっている。さすがに高度順応の軽度の障害だろうか、胃がむかつき元気よく口にするという状況ではなくなった。そして少しだけ腹の具合に異常が出てきていた。

8時10分に出発する。トレイルは左手の深い、切り込んだ谷に一気に降下する。右手にはダウラギリ・レンジの人を阻むような岩壁がそそり立ち、その左手から白い雪なのか氷なのかミャグディ・コーラに落ち込んでいる。つづら折れの急降下はちょっと緊張する。足場も悪く、うっかりすると滑落しかねない。
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底部で対岸に渡り、前方に見えた衝立のようにそそり立つ壁を今度は一気に登らなければならない。あとで疑問に思ったのだが、橋もなく渡渉もしていないのにいつの間にか対岸に渡っていたことだ。土砂が堆積して沢の流れがその下をくぐっていたらしい。対岸の方が下りより遙かにそそり立っている壁だ。細かくつづら折れを繰り返しながら登る。高度の緊張感が要求される。ガイドとポーターが私の前後でまるで子供を労るように何か不測な事が起きたらとすぐにでも手を差しだそうとして構えているのが伝わってくる。トレッキングを終えて振り返るとこの谷越えが一番の緊張場面だったことが思い出される。余裕が出て後ろを振り返るとダウラギリ・レンジが屹立していた。
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登り切ると穏やかなトレイルになり、草地を先に進む。ミャグディ・コーラは両岸から迫る岩壁で狭い谷状に変わる。前方に雪を被って白い山が見える。このあたりがパカボンらしい。提示されていた行程表ではここがキャンプ地として記載されていた。バカボンはガイドによってはイタリアンBCの別名という人もいるので正確なところは不明だ。
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この先はなだらかなトレイルが続く。左手前方に黄色の掘っ立て小屋が視界に入る。9時50分スイスBC(3730M)に着く。小屋があるのはここが最後だ。この先には避難小屋はヤクカルカまでない。

ダウラギリの初登はスイス隊だった。彼らが未踏の難攻不落であったこの山を1960年ここから攻めたのかと思うと感無量だ。

早いけどこの先では料理を作る場所がないのでランチとなる。小屋の携帯ラジオが現地の流行歌だろう流しているのがうざかったが我慢するしかない。そうこうしているうちに後発で出発したチェコ人達が到着してさらに賑やかになってしまった。私は腹が空いていないこともあり、またこれからの体調を考えてビスケットと蜂蜜入りの珈琲だけで済ませる。

今日は天候が不順で雲間から陽が差している時は汗ばむし、すぐに隠れて急速に寒くなり、体温の調整が難しい。

11時40分ゆっくりしたランチを終えて出発する。スイスBCからは河原に沿って登り、時には高巻くこともあるが、厳しい登りではない。徐々にガレ場、岩場のトレイルになり、様相はますます高山の雰囲気を増す。
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気掛かりなのは雲が出てきたことだ。未だ青空は残っているが、徐々に雲の占める割合が増えてきている。そろそろ富士山の山頂の高度に達しているはずだから、ここで天候が崩れると雨というより雪になる可能性が高い。しばらく平坦な河原を進む。地図にはフレンチBCがあるはずだが、明確な痕跡はない。キャンプ地として相応しそうな平坦な河原があったが、ひょっとしたらこのあたりなのだろうか。その時にダワさんにそれを確認するのを忘れていた。
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左手の岸壁から滝が落ちている。ミャグディ・コーラに左手から入り込んでいる沢は切り立った岩に囲まれて光を遮られているが、その上流からは不吉な先触れだろうかガスが下りてきていた。2時過ぎには日差しは全く閉ざされて足元はガレに覆われるようになる。あるガイドブックにはこの一帯は「雪崩に注意」とあったが、積雪もなく今はそんな気配は微塵もない。きっとそれはプレモンスーンの時期の警告なのだろう。
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1時半ごろ氷河の下に着く。いよいよこれから先は氷河の上を登攀することになる。氷河と言ってもここでは周囲から落ちてきた岩や、土砂で覆われているのでしっかり観察しないと氷河には見えない。最先端だけは氷が露出して氷河である事が確認される。狭い渓谷では午後には下から吹き上げてくる風に押される感じになる。今日はまさにその風を背中に受けて歩いている。体感温度を奪っていく。
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氷河の上に登り、今日のキャンプサイト、ジャパニーズ・BCはそう遠くないはず。ところが危惧した天候が悪化して霰混じりの雨になってきた。慌ててウインド・ブレ-カーをザックから取り出して羽織る。これ以上に天候が悪化したらどうなるのだろうか。これからが5000Mを超える難関が控えているし、最大の目的であるダウラギリ本峰を見ることが出来無い最悪を危惧する気持ちがもたげてきた。

2時20分ダワさんからここがジャパニーズBC(3810M)ですが、私たちは設営條件のいいもう少し上にテントを張ります、とのことだった。さらに2時50分もう一つのキャンプサイト(3900M)に着く。岩や瓦礫に埋め尽くされた氷河でうっすらと白い雪が隙間を埋めている。ここにテントを張ることになる。天候も悪化してきたのでポーター達が慌ただしく石ころの少ない場所を探し、目立つ石を取り除いて急いでテントを張ってくれた。

水場が氷河の下10分ぐらい下ったところだからポーター達がポリタンを肩に担いで上げてくれる。

時間的にはそう長く無かった行程だったが高度もありタフな登りだったので、昨日までとは違った疲労感が体を覆っている。脹ら脛が鉛のように重く感じられた。私は冷え切った体を温めるためにシュラフを出してすぐにその中に入り込む。シュラフも冷え切っているので入った瞬間は冷やっとしたが、しばらくすると自分の体温で確実にシュラフ内が暖かくなってくれる。

ここではダワさん達のテントを張る余地がないので私のテントにダワさんも一緒することになった。夕飯を終えて寛ぎ始める頃には風も強くなって、猛吹雪となり霰混じりの雪がテントを叩きつけるように揺さぶる。今晩はテント内に二人の体温があるので暖かくなるし、インナーシュラフとシュラフカバーを使ったのでぽかぽかしてきた。

相変わらずテントが右に左に揺さぶられてひょっとしたら飛ばされるのではと錯覚するほどだった。ダワさんから「大丈夫、心配はいりません」といわれてホットはしたものの生きた心地がしなかった。それでも疲れているせいか、いつの間にか睡魔がその恐怖を忘れさせてくれた。
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ダウラギリ・サーキット(15)ジャパニーズキャンプ~ダウラギリキャンプ [ダウラギリサーキット]

10月26日(水)
ジャパニーズキャンプ~ダウラギリキャンプ(4740M)

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昨夕は悪天でキャンプサイトの環境を見ることが出来無かった。天気が気になっていたのだろう、深夜にあの激しい吹き付ける音が消えているのに目が覚める。テントのチャックを開けようとしたら首筋に冷たいものを感じた。テントの内面に氷が張り付いていてそれが剥がれて落ちきたようだ。テント内は体温である程度の温かさを保っているが、外が冷え込んでいたたけに起きた現象だ。
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表は顔を刺すように冷え込んでいて雲間からパラパラと星が光っていた。温度計で確認したわけではないが、ガイドブックにはこの季節、温度は氷点下20℃はくだらないらしい。確かに私の体験からも想像出来るし、ダワさんからもそんな話を聞いていた。

ダウラギリは1970年日本隊が第2登に成功している。元気な時代の日本人はヒマラヤで大きな足跡を残しているが、これもその一つだろう。

6時に起床する。昨日とは打って変わった景色にびっくり。白銀の世界に変容していた。幸い数センチの積雪程度だったので歩行に困難が生じるほどではなかったのでホッとした。
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凍てつくなか水を汲んできたり、食べ終わった食器を洗ったり仕事とはいえポーター達は気の毒だ。彼らは厚着をするわけでもなく、若いポーターは昨今流行のずり下げたズボンからお尻を半分出して作業をしている。伊達の薄着というのだろうか(笑。よくぎっくり腰にならないものだ。

8時半には出発する。完全な快晴になって、天候への不安を与えるような雲はなく、安心して高度を上げていける。氷河の上に雪が降ったのでとても歩きやすい。クレパスも時にはあるが、恐怖を与えるほどではない。歩くのにはそれほどの不安は起きない。
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9時10分には目映いばかりに太陽が差し込んできた。10時15分標高4250M地点、右手に氷河湖が結氷して真っ平らな湖面を作っている。正面にはトゥクチェピーク(6920M)が鮮やかに聳え立っている。
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11時前に急登があり、息が上がりそうになる。トゥクチェピークの右手にはダウラギリの主峰があるが、手前の稜線に阻まれてまだその頂を見ることは出来無い。
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しばらくは谷底にある氷河を辿る。前方には真っ白に雪を被ったピークが見える。気がつくと空は高山特有の紺碧の空に満たされていた。カメラに納めると黒がかった深い紺碧色になるはず。人工衛星からの写真でもよく見る色合いだ。

11時左手にあるモレーンを上り詰めると敷き詰められた雪がまばらになってガレと雪のトレイルになった。ここでは急登は終わり、なだらかな登りになる。息が上がっていたのでホッとした。11時40分ここは4420M、モレーンの両側に氷河が広がっていて、その真ん中に立っているのが分かった。
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12時左手の氷河にトレイルは進む。しばらく先に進み、ゆっくり出来そうな平坦な場所でランチになる。今日はなんとおにぎりだ。ただ、ドルチさんからも断りがあったのだが、すでに日本米は底をついたのでネパール米で作ったので悪しからずとのこと。確かに口にすると形が崩れてばらばらになってしまうので、落ちる前に口にするのに一苦労する。ただ、日本風に醤油味で外側を焼いてくれているので日本のテイストだ。
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早々にランチを切り上げて氷河を進むと段差のある氷河に寄りかかるようにしてヘリコプターの残骸が横たわっていた。いつ頃の事件なのか分からないが、機体がそれほど色褪せてもいないのでそう昔の事件では無さそうだ。機体の中心部だけがここにあるが、周辺を見回すと近くには車輪や椅子、そして箱が広い範囲に散乱していた。

12時40分には前方にキッチンテントが張られているのが視界に入る。ダウラギリ主峰は相変わらずピークを望むことが出来無い。それはフレンチパスまでお預けになる。

タルチョーがはためいていた。そこがダウラギリBC(4740M)だ。1時に着く。
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体を休める十分な時間があるのでテントに入って一眠り。ポーター達も三々五々思いのままに時間を過ごしている。夕ご飯はキャンプサイトの条件もよくないのでコックさんの手間を省くために日本から持ってきた携帯食を作ってもらう。標高が高いので「作り方」に記載された時間より長め(沸騰点が低い)にしたのだが、それでも時間不足だった。ちょっと芯が残る出来合いになかなか箸が進まなかった。
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ダウラギリ・サーキット(16)ダウラギリキャンプ~ヒドゥンバレー [ダウラギリサーキット]

10月27日(木)
ダウラギリキャンプ~フレンチパス(5360M)~ヒドゥンバレー(5180M)

申し分ない快晴に今日のトレッキングも快適に進行できそうだ。
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昨晩ダワさんのところにチェコ人のトレッカーが緊張した形相で訪ねてきた。仲間の男が高山病になったので助言を欲しい、とのことだ。話によるとダイアナモックスを飲ませようとしても飲まない、水も口にしない、全くの無気力とのことだ。

名ガイドもそのような状況に名案があるはずはない。取りあえず安静にして状況を見るしかないですね、が彼の答えだった。それは当然で一番の治療法は高度を下げることしかないからだ。この先は5000Mを超えて数日歩かなければならないし、戻るには1週間もかかる。へりを呼ぶにしても通信手段がない。残念ながらダイアナモックスを上げることぐらいしか手伝えない立場なので、これ以上のコミットは出来ない無念さに心が痛んだ。山のリスクは究極の場面で共死にか、あるいは一人の命を捨てて一人の命を救う、という話が話題になるが、ここではそこまでの極限ではないにしても、対応は同じ事で無視して行くしかないわけだ。

さぁ、今日はダウラギリサーキットの最大の山場、5360Mのフレンチパス越えだ。さすがに今朝の緊張感は武者震いを起こさせるほどだ。肌を刺す寒さが気持ちをさらに高ぶらせた。

ダワさんから朝方「あなたの荷物は持ちますから空身で登りましょう」と云われた。さすがに私もプライドとの戦いがあってそう簡単には有り難うとは云えなかったが、万が一のことで迷惑も掛けたくないので従うことにした。彼らはザックを前後に背負うことを苦にしない。自分のザックを背中に背負いながら私のザックを前に抱えるように肩に掛ける。
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7時40分いよいよ出発。締まった雪をきしむ音を立てて一歩一歩踏みしめていく。小気味いい音だし、深くない雪は歩くには好都合だ。正面にトゥクチェピークを眺めながら、右手にはダウラギリ主峰とそこへのアプローチになる岩壁がそそり立ち、氷河に落ち込んでいるアイスフォールがクライマーの登頂を拒絶するように立ちはだかっている。クライマーはアイスフォールの左手からアタックするのが通常だそうだ。
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8時半モレーンの右手に移動していく。左手後方を振り返ると右からシタツヅラ(6611M)、ムクティ・ヒマール(6639M)、ダウラギリBCの真後ろになるダウラギリⅡ(7751M)とそのレンジが眺望できる。ここは4585M地点だ。右手のダウラギリ主峰からは遠ざかっていく。
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足元が雪からガレ場に変わっている。小さな瓦礫なので歩くのには快適だ。左手に沢が流れていた。12月になれば凍り付いて雪の中に消えていくのだろう。
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モレーンのエッジの先をビスターレ(ゆっくり)で一歩一歩足を進める。右手後方にようやくダウラギリ主峰が全容を見せてくれる。前方にはダンパスピーク(6034M)、シタツヅラが視界に入り、ダウラギリⅡはレンジの陰に入って見えなくなった。12時半フレンチパスの手前で腰を下ろせるフラットな場所を探してランチになる。炊事が出来無いので、今日もおにぎりだ。
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左手前方なだらかな登りを詰めたところがフレンチパス(5360M)だ。斜面はそれほど急でもなく、なだらかな登りの連続なので普通なら何という事もないのだが、さすがにこの高度なので脹ら脛はまるで鉛が入っているような感じになる。重い足をゆっくりと上げて高度を稼ぐ。
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20分ぐらいの登りだったか1時半夢に見たフレンチパスに着く。360°視界がきく素晴らしい景色だ。ダウラギリ主峰も見事だし、ダンパスピーク、シタツヅラ、ダウラギリ・レンジが圧倒するように聳え立っている。ダワさん、ドルチさん、オンリさんと肩を抱き合って喜びを分かち合う。といってもその喜びの意味は私にとっては格別の意味があったが、彼らにとっては私が無事にここまで上がってくれた安堵感だったのだろうか。
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ここからはヒドゥンバレーに向かって降下するだけ。パスから先は白銀の大海原。左流れの斜面を下りながらトラバースするトレイルだ。
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午後になるとパスを越した風が背中から押すように強くなってきた。この大斜面はスキーがあったらどんなに楽しい大滑降が出来るだろうと思いをはせながら、くたくたになって下りる悔しさを噛みしめていた。突出したところでは岩肌が露出して、窪んだところには腰まで潜るような深いところもある。ガイドの踏み跡を外さないように足を置いているつもりだが、時には目測を誤って硬いステップから滑って深みにもはまってしまう。そんな繰り返しを続けながら方角としてはドルパ地方(当初計画した)へ向かった谷を下っている。左手に向かって落ちる稜線を何度か越しながら3時には遙か彼方に色とりどりのテントが視界に入ってきた。だんだん斜度も緩やかに、さらに平坦になったところが今日のキャンプサイトになる。3時15分ヒドゥンバレー(5180M別名ヤクカルカ)に到着。

夏場にはここもヤクの牧場になるので、別名ヤクカルカとも呼ばれている。この先キャンプサイトに予定しているヤクカルカとは別のところだ。陽が差しているので風さえかわせば暖かみを感じるが、なにせ風が強く、体感温度が急速に下がってしまう。さすがに5000Mを超えた厳しさを実感する。

着いたときにはすでにテントが張られていたので、這々の体でテントに駆け込み、シュラフを出してまずはそのまま潜り込んで体を温める。

ダワさんからヒドゥンバレーは強風で厳しいとは聞いていたので、なるほどと納得した。8000M級の登攀で風との戦いの厳しさが記録の中にあるし、そのために多くのクライマーが凍死したり、吹き飛ばされて行方不明になると聞くが、その厳しさの一端をここの経験からでも想像される。

本来なら気力を振り絞って撮影をすべきなのだが、その気にもなれずにしばらくはシュラフに籠もったまま寒さと疲労に耐えていた。今晩もドルチさんの手間を考えて携帯食で済ます。今晩こそ出来損ないにならないよう、十分な時間を掛けて携帯食のチャックを開けた。でも結局は芯はなかったもののねっとりと出来上がってしまい平地のようには作れなかった。

夜半まではテントを揺さぶる強風にさらされていたが、深夜には風も収まり、満天の星が目映いばかりに光を放っていた。もう一日明日の天気さえ持ってくれれば申し分ないのだが、と天に祈る気持ちだった。
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ダウラギリ・サーキット(17)ヒドゥンバレー~ヤクカルカ [ダウラギリサーキット]

10月28日(金)
ヒドゥンバレー~ダンパスパス(5258M)~ヤクカルカ(3680M)

ここが何故ヒドゥンバレーと呼ばれるのか確認できないが、どちらからも5000Mを越すパスを越えないとたどりつけない谷で、谷が秘境と云われるアッパードルパに向かっていることから、どこからも隠れた存在だと云うことではないか。そんな想像を私なりにしてみた。

最低気温は-25℃にはなったらしい。昨晩の荒れた天候とはうって変わって無風で雲一つ無い絶好の天気だ。今日のキャンプサイト、ヤクカルカまで下れればあとはマルファまで一気に下るだけ。この先は天気が悪かろうが良かろうが我慢出来る行程だ。これで今回のトレッキングも天候に恵まれる事になりそう。運の良い男だ。
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7時20分には出発する。ダウラギリⅠは稜線の上にピークを覗かせている程度になった。
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ダンパスパス越えのトレイルは従来はもっと厳しい登りを覚悟しなければならなかったが、新しいトレイルが出来て急ではない登りのトラバースで越えることが出来るようになったそうだ。さらにパスからヤクカルカに至るトレイルもなだらかなトラバースが続くらしい。ダワさんから今日はそれほどタフな行程にはならないですから、といわれた。
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しばらく大雪原を進む。7時40分ここからパスに向かって緩やかに高度を上げていく。周りを見回すと右手にはツクチェピーク、後方には稜線越しにダウラギリⅠ、その右手にダウラギリⅢが見える。一昨日の雪で純白な雪をきしむ音を聞きながら踏みして前進する。さいわい雪はそれほど深くないので歩くのには好都合だ。昨日の強風のことを考えるとおそらく雪が積もると云うより吹き飛ばされてしまったのだろう。

8時10分いよいよパスに向けての登りになる。傾斜はそれほどではないが、5000Mを超えている歩行だから楽々というわけにはいかない。鉛の入ったような脹ら脛を上げるのは大変だ。雪原をトラバースし、そして稜線を越すために急斜面を登る。その繰り返しが続く。9時半タルチョーがはためいているダンパスパス(5258M)に着く。
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パスでは新しい展望がひらける。パスからの展望はトレッキングでは初めてカリガンダキの谷を眼下に見ながら対岸にはアンナプルナレンジの山々、アンナプルナⅢやガンナプルナ(7,454)、そしてニルギルの連山(ノースは7061M)を望むことが出来る。快晴ならガンナプルナの後方にマナスルも見えるそうだが今日は残念ながら雲に隠れている。
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東方に見える山々は懐かしい。数年前アンナプルナ・アラウンドをした際に、今見えているアンナプルナの背面をトレッキングしてムクティナート、ジョムソンへと下ってきたことが思い出される。ニルギルはジョムソンで雲間から辛うじて見た山だったので、想像の世界になっていた山だ。右手にはツクチェピークが左手にはダンパスピーク(6035M)がある。

ダンパスピークはこのコースに入る多くのトレッカーがピークハントする山だと聞いた。出会ったチェコ人、ドイツ人はそれを口にしていた。そのピークハントがどのくらいタフなのかを尋ねたところ、決して難しいことはないとガイドは云っていた。今回の計画では当初からその考えがなかったというか、それについて知らなかったためピークハントの予定はしていなかった。

ヒマラヤはラマ教の世界。タルチョー、マニ、そしてゴンパが必ずあってそれを目印に、あるいはそれでヒマラヤ気分を味わう、それがヒマラヤのトレッキングと連想してしまうのだが、このトレイルではほとんどラマ教を実感させるようなものはなかった。ポラカは完全にヒンドゥ教の世界で、その延長にある今回のトレイルでも同様。標高が5000M近くになってからタルチョーがポイントポイントにあったぐらいだ。
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一息入れたらすぐに出発。パスを過ぎるとガレがむき出してになっていて歩きやすい。徐々に大きな岩が露出したり、積雪があったりのトレイルが続き、10時30分には5000Mを切る。右下がりの大斜面をトラバースする。ダワさんからは今日はトラバースで楽な行程です、といわれたのだが、現実はそうではなかった。その点を追求(笑)すると、最近降った新雪が積もり、量も多いだけでなく新雪なので踏み固められていない状態だし、無風快晴の天気で雪が腐って足下をすくう状態になっている、今日は悪い条件になっていますね、だから時間が3倍は掛かかるでしょう、と云っていた。確かにこのトラバースであれば凹凸のない、しかも深い雪がなければ何のことはないはずであることが分かる。残された足跡を辿ってもしばしば谷側に足を奪われてしまう、その繰り返しにさすがに苛立っている自分がいた。
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11時10分4938M地点でランチ。といっても雪の上での休憩なので大したランチにはならない。テルモスの珈琲だけが体を温めてくれて美味しかった。この日差しを受けて顔はひりひり日焼けしているのが分かる。鼻の下は触ることが出来無いほど荒れているようだ。髭ぼうぼうで真っ黒な顔になっていて今やネパリーと見分けがつかない状況かもしれない。

11時40分早々に出発する。右手の谷に向かっていくつかの稜線を乗越しては下り、それを何回も繰り返しながら徐々に高度を下げていく。前方には北からトロンピーク(6144M)、ティリチョピーク(7134M)、ニルギル、アンナプルナファン(7647M)、などなど見事な景観が楽しめる。眼下にあるカリガンダキ川の上流にはムスタン、そしてチベットに続くトレイルが、またジョムソンの先で右に上がるトレイルに入るとムクティナートに至る。
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アンナプルナアラウンドの際にはトロンパスを越えてムクティナートに下り、そこから見た黄金色に輝いていたダウラギリが迫力を持って浮き立っていたのを思い出すが、その時の印象が今回のダウラギリ・トレッキングの切っ掛けにもなったのだ。

滑ったり、深みにはまったり思うように歩けない、苛々がつのり体中に疲労感が充満している。膝の関節に微妙な痛みを感じるようにもなってしまった。足を痛めては残された行程が少ないとはいえ支障をきたすのでそれを意識するとなおさら疲労感が倍加してしまう。何でこんな新雪が降ったのだ、と自分に八つ当たりをしてしまう。
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3時20分稜線上に出て今まで悩みの種だった雪も急に消えて尾根上を一気に下る。辛い下りを最後の踏ん張りと気力を奮い立たせて足を運ぶ。さすがに風が冷たく強くなってきた。周りの景色もだんだんカルカ(牧場)らしくなり、遠くの稜線上を数頭のヤクが草を食むでいる姿が空に浮き立っていた。4時10分にヤクカルカに着く。ヤクを管理する小屋があるが、この時期には管理人は里に下りているので無人になっている。今晩はその庭先にテントを張って落ち着く。
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眼下に見えるマルファの街の光を見ながらこのトレッキングが明日で終わってしまうという安堵感と、同時にこれで終わってしまうという寂しさにおそわれた。

トレッカーによってはヤクカルカでは泊まらずに、一気にマルファまで下りてしまうこともあるらしい。とてもここからの下りはタフだ。明日は3時間の急降下だと聞いた。
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ダウラギリ・サーキット(18)ヤクカルカ~マルファ~ポカラ [ダウラギリサーキット]

10月29日(土)、30日(日)
ヤクカルカ~マルファ(2670M)~ポカラ(800M)
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カルカの番小屋庭先にテントを張って一夜を過ごす。ヤクの排泄物が散乱しているが、臭みはない。さすがにここまで下りると俗世界の臭いが伝わってくる。ヤクが放牧されている、目を眼下に向けるとジョムソン、マルファという大きな集落を従えたカリガンダキの川が流れている。
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ヤクカルカは標高3680M、富士山よりちょっと低い高さにある。さすがにここまで下りても朝方は冷え込んでいる。霧が掛かって視界が聞かない。

今日一日で里に下りられるというはやる気持ちと惜しむ気持ちが交錯する複雑な心境だ。今一番願うことは久しくご無沙汰しているホットシャワーを浴びたいことだ。そして美味しい食事を。

マルファで今回のチームは解散となる。頭の痛いのは彼らに渡すチップの額をいくらにするかと云うことだ。ダワさんとその点について率直に相談する。私の案はポーターには15$、とりわけ格別の世話になったコックのドルチさんとカメラポーターのオンリさんには50$だった。ダワさんからはそれで良いでしょう、の返事が返ってきた。ただ、ひとつ気に掛かったのはポーターの働きで明らかに貢献度が違っていたし、ダワさんもそれを認めていたので、貢献度の高かったポーターには上乗せをしてみたらどうか、と尋ねたのだが、それはしないで欲しいとのことだった。

隣国(パキスタン)のポーターは俺は貢献したのだから上乗せをして欲しい、と詰め寄られたことがしばしば。だからポーターへのチップも含めてガイドに一任したのだ。距離的には近くにありながらこの価値観の違いは何故だろう。宗教上の違いなのか、民族的な違いなのか。ネパール人(山岳民族だけの話だが)と日本人の感性的な共感を感じた。

8時に出発。ここからマルファまでの下りは一気だ。すでに足にはがたが来ている。いつにない関節の異変は気になる。急な下りだからなおさらだ。一歩一歩足をしっかり踏ん張るより、踏みしめる前に次の一歩を進めてまるで小走りで下るようにしたら足の負担が少ないように思えた。
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霧も晴れてカリガンダキの対岸に屹立しているトロンピーク、ニルギル、アンナプルナレンジが見える。2600Mから8000M弱の高度差のある立体感は迫力満点だ。

ダウラギリへのアプローチはベニから1週間以上掛けて攻めるよりマルファからだと一気に高度を稼げて一見楽に見えるのだが、現実には高度順応で障害が起きやすいことと、後半はダウラギリが後方になるのでこちらからのアプローチを選ぶトレッカーは少ないそうだ。
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ぐんぐん高度を下げていく。紅葉している稜線が右手に展開する。マルファのゴンパや街並みが識別できるようになり、10時40分には美しい街並みに入る。右手に折れすぐの左手にあるロッジが今日の宿だ。自炊が出来るロッジでなければならないのでどこでも良いところを選ぶわけにはいかない。炊事が出来るロッジはどうしてもシャビーになる。ただ、幸いホットシャワーが使えるが嬉しい。

ホットシャワールームは鍵が施錠されていて、厳しい管理下にある。まずは下見聞しておかないと。時々真っ裸になって勇んで駆け込んだみたら水しか出なかくて震えながら退散した苦い思いでもある。ここでは温かいお湯が出るのを確認して、着替えを持参して入る。2週間ぶりのシャワーはなんと気持ちいいことだろう。一滴一滴を大事に体に当てながら垢の落ちていく清涼感とシャワーが首筋に当たって体の芯が暖まる幸せを実感する。
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中庭ではポーター達が家に帰る準備をしていた。竈では砂を熱してその中に小麦を入れては出している。籾を取りやすくするための作業のようだ。庭先には赤く色づいたリンゴが鈴なりになっている。もぎ取ってもらって口にする。日本のリンゴみたいにはジュウシーではないが、自然な甘みが美味しい、そしてジュゥッと果汁が喉を潤してくれた。
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ドルチさんは明日日本人と合流して再び今日下りてきたヤクカルカ、ダンパスピークに向かう。日本人の固定客がいるようだ。確かに日本人にとっては素晴らしいガイドでもあり、コックさんだ。彼は登山靴の修理が必要だと云って近くにある靴屋に出向く。こんな街にと一瞬思ったが、登山基地の一つでもあるので需要はあるのだろう。400ルピーかかるとちょっと不満そうな顔をしていた。
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マルファは日本人にとっては縁の深い街だ。河口慧海が鎖国していたチベット潜入を企てるその準備をした街だ。今でも彼が世話になった家が記念館になっている。川口はマルファからジョムソンを経由して西に折れてドルパに向かう道を進み、さらに途中で北に進路を変えてクン・ラ越えでチベット入りをしたと云われている。謎の人間だ。
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マルファは石畳の美しい街だ。以前はベニまで数日掛けて歩かなければならなかったのに、今では自動車道が街の東側に開通して一日もあればポカラまで下ることが出来るようになった。数年前にマルファに逗留したときにはこの道をロバ隊が行き来して、ロバの糞が散乱していたのを思い出す。今では自動車こそ通らないがオートバイがけたたましい音を立てて通り過ぎていく。静かすぎるので普通の音でもそう聞こえるのだが。時代が移り変わっていくのを実感した。ロッジの女将さんに生活に影響がありますかと尋ねると、物価が安くなって助かっていると云っていた。ロバよりは車という大量物流手段の方が効率的なのは云うまでもない。

外人が三々五々歩いているのが目に入る他、土産物屋の前で座って編み物をしたり、通りがかる外人に声を掛けて商売をしている地元の人だけが目立つ。。

ポカラに戻ってしまえばありきたりの土産しか買えないので、いい買い物があればといくつかの店を覗いてい見る。マルファにもチベット難民キャンプがあって、絨毯、ショールなどを作りキャンプを支えている。ヤクの毛を原料にした織物が店の奥に飾ってあった。なかなか色合いもよく、ちょっと嵩張るけど買うことにした。50$ぐらいだったと記憶している。
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今晩の夕食は打ち上げなので、ビール、ロキシーで乾杯したあと、鶏肉入りのカリーとチャパティー、ポーター達には欠かせないダルバートが出される。そして最後にローソクを立てたパウンドケーキが出される。そこには「congratulation for Dhaulagiri trekking」とチョコレートで書いてあった。ローソクの火を消してみんなでシェアする。

私から彼らへの感謝の言葉を伝え、一人一人にチップを渡す。そして記念撮影をした。
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30日7時半ガサ行きのバスに乗るため6時起床、半に出発して町外れにあるバスストップに向かう。今日は朝飯抜きになった。トレッキングに向かうドルチさんも荷物を持って一緒してくれる。バスストップで彼とは再会を約してグッド・ラックと声を掛けて別れる。

本来ならジョムソンからフライトの予約をしていたのだが、予定日より数日早く着いたので、ダワさんに昨日ジョムソンまで行って予約の変更をトライしてもらった。何しろ少ない便数なので簡単には変更が出来ない。結局相当数のキャンセル待ちでとてもあてに出来無い事が分かって、やむを得ずバス移動に変更になった。
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マルファ始発なので席は問題ない。アンナプルナアラウンドの帰路で歩いたトレイルを懐かしく思い出しながらバスの車窓から目をやる。右手にダウラギリレンジが見える。ガサまではなだらかなカリガンダキの川面に沿っての移動だ。道は決して整地されているわけではないが、順調に下っていく。時には以前のトレイルとは離れて自動車道が作られている。この自動車道をトレッキングしている白人のパーティーが何組も行き交った。私にはこのような立派な自動車道を歩く気にはならないし、歩くとしたら何故旧道化したトレッキングトレイルを歩かないのだろうか不思議だ。

途中でショートレストしてガサに向かう。10時にはガサに着く。空にはジョムソンとポカラを繋ぐ飛行機が行き交っている。恨めしく空を仰ぐ。
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ガサ(2010M)はベニまでの中間点になる。バスターミナルには多くのバスが待機していた。何故ベニまでの直行便が無いのが不思議に思ったが、集落の利権が関係しているのだろう。乗り換えの段取りも無事に済ませてベニ行きのバスに乗り込む。バスの規格は少し小さくなって座ると前の座席の背あてに膝があたり、膝頭が痛くなるほどだ。乗客は多く満席になった。10時20分に出発。
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ガサから先はカリガンダキに急峻な山が迫った渓谷沿いに悪路を走る。スリリングな道になり、対向車が来ると行き違いに手間取ることもしばしば。集落ごとに数人の乗客があってぎゅうぎゅう詰めになって来た。

バスの中は安キャバレーのようなシャンデリア擬きの灯りがあり、けたたましい音量で流行歌が流される。走行の音も騒々しい上、乗客もそれに負けじと大声を上げて会話する、そしてBGM。喧噪の中で多少苛立った。しばらくは険しい岩の間を縫っていくが、ダナ(1440M)の集落を過ぎると平坦な道になり、耕作地も目に入るようになる。
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羊の群れを追い越す。自動車道が開通しても羊は旧来の自力での下山をしているようだ。クラクションを鳴らすと一斉に路肩に移動してくれる。

12時悪夢を思い出すタトパニ(1190M)だ。ここには温泉があって入ったことを思い出すが、その翌日マオイストに道を立ち塞がれて一悶着あったところだ。タトパニでショートレスト。後方にはニルギルの山が見えていた。ここで昼飯になるのだが、バッティーの食事は取らずにビスケットと珈琲で済ませる。
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ゆっくりした昼飯休憩をして出発する。集落ごとに乗客を拾っていくが、出発の合図はボディーを叩くことだ。行き違いの際の安全確認も同様。原始的ではあるがこれが最善なのが分かる。
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実はこのバスの車掌とはダワさんと一悶着。その理由は我々の荷物が多いので追加料金を払えと云うことだった。少年と云っても通じる年格好だが、なかなか強かだ。ダワさんがそれを拒否しても執拗に迫ってくる。ダワさんも聞いて聞かぬ振り。それはそうだろう、ガサまでのバスでは何も言われていなかったわけだから。ルールなしの世界は現地事情を知らないと戸惑うことばかり。ガイドさんの存在の有り難みが分かる。

車窓からの景色は亜熱帯地方の様相に変わっていた。ブーゲンビリアやハイビスカスが咲き誇っているし、社内も蒸し暑くなり、砂塵が入り込むのを覚悟で窓を開けないといたたまれない。さすがに疲れも頂点になり、安堵感も手伝ってそのあとはぐっすり寝込んでしまった。

気がつくと2時20分ベニのバスセンターに着いていた。砂埃の広場にいたたまれなくなりタオルを出して口を覆う。ダワさんは必死にタクシーを探しているようだ。しかし、この時間帯はタクシーが全くいない。結局路線バスに乗り込むことになる。ポカラ経由でタライに向かうバスだ。

3時30分に出発。ポーター達はカトマンドゥ直行便に乗り込むのでここでお別れだ。バスは多少デラックス仕様だが、途中での乗り降りが多く、しかも座席指定のはずなのに指定券を持っていない人が席を占拠して一悶着があったり、すでに超満員になっているので座席の上を移動してそれを確認をしている。車内はブーイングの嵐だ。

タライ方面に行くバスなのでほとんどがインド系の人たちばかり。ネパールと云っても私のイメージする人々とは全く違っている。こんな風景になれているダワさんから違ったルールの世界だと説明があった。混雑と混乱の中、途中での乗降に余計な時間が掛かって予定通りにはポカラには着きそうもない。そのうちに雨が降ってきた。

後ろから来た車にクラクションを鳴らされて急停車する。どうも屋根に載っていた荷物が落下したらしい。事なきを得て良かった。

そろそろポカラに近いらしいことは想像されたが、バスストップで突然ダワさんからここでおりましょう、と声が掛かった。慌てて人をかき分けて下車する。未だ雨は降っているがずぶ濡れになるほどではない。ここはサランコットへの登山口の近く。すぐにタクシーを捕まえてホテルに向かう。

トレッキングよりタフなバス旅行にくたくたになった。ポカラでは久し振りの中華料理屋で久し振りの本格的料理に舌鼓を打つ。
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ダウラギリサーキット(エピローグ) [ダウラギリサーキット]

10月31日~11月4日

ポカラ~ルンビニ~カトマンドゥ~成田

予定より早いスケジュール消化でダワさんと相談した結果、お釈迦様の生誕地、ルンビニを尋ねる事にする。ダワさんの奥さんも夢のルンビニ行きを聞きつけて急遽カトマンドゥからバスで来ることになった。丁度二人のお子さんを預けることが出来ることも幸いした。
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31日は見慣れたポカラの街を散策して一日を過ごす。街中に人だかりが出来ていた。中にはインド人の大道芸人が怪しげな仕草と道具を使って演じている。人だかりはどんどん大きな輪になっていく。一芸終わるたびに野次馬連中にドネーションをせびる。貧しい人々なのに気前よく札を差し出す。私にも格別の秋波が送られ、気がつかない振りをして無視したが、その要求は執拗以上だった。

そんなこんなの一日を過ごして疲れた身体を労り寛ぐ。部屋の前にあるベランダの椅子に座り久し振りにウオークマンを出して聞き入る。心地よい響きにうっとりしながらいつの間にか眠りに落ちていった。
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夜にはダワさんの奥さんも到着して一緒に日本食レストランに行く。店作りも日本風の竹があしらわれネパールにしては好感の持てる店だ。ダワさんから日本で食べたすき焼きが美味しかったと聞いたのでき焼きをメインに本当に久し振りの故国の味を堪能した。

11月1日ルンビニはほとんどインド国境に近い南国だ。前日交渉して9000ルピーで予約したタクシーが5時にはホテルに来た。ポカラは暖かいとはいえ早朝は肌寒い。今日はスズキだ。チキリ族の運転手だが、運転は上手いし、気遣いが出来る人だったので、今日一日一緒するのは苦痛にはならないだろう。
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途中でカリガンダキの美しい渓谷で朝ご飯を食べる。その先はインド平原に繋がる平坦な平野に移り、大きな街の連続になる。

ここまで南下するとすでに熱帯の陽気になり、社内も蒸し暑くなって窓を開けて走る。インド国境までもうちょっとというところで右折していよいよルンビニだ。
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ルンビニはお釈迦様の生誕地。不勉強でネパールを知るまではインド人と思い込んでいた。初めてネパールに来た時にそんな話をネパール人と会話して背筋が寒くなったことを思い出す。ルンビニはその当時の遺跡を中心に公園を作っている。ルンビニには大きな感動を期待して来たのだが、正直言って期待したほどではなかった。とはいえ一見は百聞にしかずだ。リキシャに載って園内を移動する。巨大なエリアに各国が国威を喧伝するためか競って寺院を建設中だ。日本はそのエリアから離れたところに妙法寺が作ったスツーパが見ることが出来るだけだ。この経緯には何かあるのだろうか。日ネ親善はどこの國よりも深い関係と自負していたので不可解だ。

後で調べて分かったことは国連がバックアップして、この地を世界遺産に指定した。そのマスタープランに丹下健三の案が採用されたそうだ。日本寺の造営計画があるそうだが、現在どんな進捗状況なのかダワさんも知らないし、リキシャの運転手も知らなかった。まだ未完成で見られる状態ではないようだ。

ルンビニからポカラに戻ったのは20時を過ぎた。トレッキングとは違った疲労感が走る。ドライシーズンでは珍しい雨が昨晩もそして今晩も雨が降った。

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翌日昼前に飛行機でカトマンドゥに向かう。ネパールで最後の晩はダワさんご夫婦から息子さん二人も一緒にタカリ族の料理をご馳走になる。とても美味しい料理に舌鼓、多くの日本人も来るらしい。ご主人は簡単な日本語を話せるし、日本の事情にも精通していた。
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11月3日午後には出発。市内の渋滞も気になるので10時にはホテルを出発して飛行場に向かう。13時50分発のTG320便に乗る。定刻でBKKに到着。ゆっくりしたトランジットなのでウインドショッピングで時間つぶしをしたが、まだまだ時間は余っていたのでラウンジでのんびりと時間が経つのを待つ。ふと気になってeチケットに目を通すと搭乗時間は21時半と記載されていた。おかしいと思い窓口に行って確認したところ思い違いをしていたことが分かった。成田行きが2本あって10時35分発のTG640便を予約してあった。すでにその便は全ての出発準備が終わって今からでは搭乗できない。

すぐにタイ航空の窓口に行って変更手続きをしなさいと云われた。幸い、TG642 23時50分は空席があった。変更手続きをして慌ててゲートに向かう。その便のゲートは離れているので汗をかきかきになって、無事に搭乗する。 7時30分NRT着。
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