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シッキムからカンチェンジュンガを目指す①2009/04/28 [カンチェンジュンガ2]

一度は目指したカンチェンジュンガ。ネパールからのトレッキングでは辛い思い出しかない。なにしろ低い標高でのアップダウンの連続、先に進んでも高度を稼げない重圧は気持ちを萎えさせ、疲労感が深まるばかりだった。しかも、遠望出来た本峰も最後の最後で完全に拝むことは出来なかった。

今回はそのカンチェンジュンガを西ベンガル州経由でシッキム・ガントクから目指す。本来ならモンスーン後の11月以降がベストであるが、仕事の関係もありセカンドベストと言われる春先のスケジュールになった。

4月28日関空発の深夜便でバンコクでの一泊を節約してカトマンドゥに向かう。その日の現地昼過ぎには到着。現地ではガイドのテンジが待っている。彼をガイドに雇うのは初めてだが、数年前にアンナプルナをアラウンドした時行き違ったパーティーのガイドをしていた青年だ。

その時に達者な日本語と清々しい青年ぶりに好感を持っていたし、その後頻繁なメールのやり取りからも第一印象通りだし、さらに紹介した日本人トレッカーからの評判もよかった。そんなことで以前から使っていたガイドとの縁もあったのだが、今回はテンジに頼むことにした。

カトマンドゥから国内線でビラトナガールに、そこから車でインドとの国境を越えてシッキムの州都ガントクに向かい、そこからトレッキングの開始になる。このルートでは一気に高度を稼ぐのでゴチェラ(5000m)へもあっという間に辿り着く。

帰路、ダージリンに立ち寄り帰国する予定。

シッキムからカンチェンジュンガを目指す② [カンチェンジュンガ2]

カトマンドゥからガントクへ(4月27日~4月29日)

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バンコクでの一泊を節約するため、関空0時30分発のタイ航空に乗り込む。バンコク4時20分着、10時25分カトマンドゥに向けて搭乗する。連休前というのに日本人のトレッカー、観光客は少ない。不景気風はここにも及んでいるようだ。たまたま出会った唯一の日本人トレッカーと隣り合わせになったので、お互い、どこのルートに行くのか、今までのトレッキング経験談などに花が咲く。お陰様でバンコクからカトマンドゥの3時間半はあっという間にトリブバン空港にラウンディングする。

春のネパールは初めての経験。冬の乾燥期とは違って空気がクリーンのように思えた。政治的に新しい体制に移行して何が変化したのか興味津々だったが、少なくとも入国までは特段の変化はなかった。唯一ロイヤルネパールの機材のネーミングからロイヤルが消されたことぐらいか。

4年前に一回だけしか会っていないガイド、テンジ君とはメールでは頻繁にやり取りをしているので旧知の印象だが、正直言って顔を正確には記憶していない。当時会った時の写真を反芻しながら、それでも4年間の経過は青年を大きく変化させるに十分な時間経過だろう。

飛行場出口では大勢の人々が待ち受けていた。ガラス越しに間違いない彼を発見。久しぶりにしっかりと握手を交わして再会を喜ぶ。さすがに彼も20代後半から30代にのって大人びていた。人なつっこい笑顔は私の不安をすぐに払拭。彼と出会いさえすれば今回のトレッキングは最大のリスクを解消したことになる。

さっそく彼が用意したタクシーで中心地タメルに向かう。カトマンドゥでの宿泊はチベット・ゲスト・ハウスだ。タメルの中心地から若干南側の外れ。セカンドクラスだがバスタブ付きのなかなかな立派なホテルだ。テンジへの支払いを終えて、一風呂浴びてからシッキムの地図やサンダルを求めに町に出る。

遅れていた昼飯を日本料理屋というより定食屋と言った方がぴったりの馴染みの「一太」に入る。食事をしていると二人の日本人が入ってきた。その一人はバンコクからの飛行機で隣り合わせになった方だった。挨拶を交わしてお互いの幸運を祈って、私はそこを辞す。

明朝は7時半発のイエッティ航空でビラトナガールに向かう。カトマンドゥに残す荷物を仕分けして、トレッキングの準備も終えてそうそうに就寝だ。
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天候は問題ない。30人乗りの小さな飛行機で予定通りビラトナガールに向かう。国内線は数社あるが、テンジはイエッティ派らしい。理由はサービスが良いことと、シェルパ族と関係があることが理由のようだ。確かに短い搭乗時間だが、その間に飲み物のサービスがあった。

1時間弱のフライトはあっという間。ビラトナガールに着くと現地エージェントの手配した車でネパール国境の町カラビタに向かう。ここから120KMのドライブだ。気がつくと町中の細い道を縫うように走っているのに気がつく。テンジに聞くとインドからネパールに移住した部族が政府に反旗を翻し、反政府運動を始めたそうだ。それが原因でインドへ通じる幹線道路が封鎖され裏道を走らざるを得ないと言うことだった。
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紅茶産地として有名なイラム地方へ分岐する町の手前でようやく幹線道路に合流し、カラビタに向かって快適な走行となる。12時ちょっと前にカラビタに着く。カラビタの空気はまだ4月末というのに亜熱帯らしく蒸していた。長い間車の背あてに接していたので背中はすっかり汗ばんでいてベタベタで気持ちが悪い。

国境の町らしくなにげに動きが慌ただしい。リキシャがぶつかりそうになりながら行き交う。エージェントの事務所でインド側のエージェントとの連絡を確認して国境にかかるメチ橋を歩いて渡る。その前にネパール側での出国の手続きをする。ここではパスポートとインドのビザ確認程度の簡単な手続きで済んだ。
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インド側のエージェントが迎えに来てくれていたので、大きな荷物は運んでくれたが、残った荷物は背負って両手に持って長い橋を歩いて渡りきる。今度はインド側での入国手続きだ。ここでは単にパスポート、ビザのチェックにとどまらず、厳重な荷物の検査が待っていた。テンジによると国政選挙前でとりわけ厳しいそうだ。平常時ならあっという間の入国と聞いた。

引っかき回すようにした荷物の検査が無事終わり、手配済みの車に向かって汗だくで歩く。インド側の町はウイッシュバンガール。国境を越えたとはいえ、目に入る姿にはほとんど変化がない。民族的にも言語的にも同じなのに無理矢理政治的に線引きしているのだから当然か。ウイッシュバンガールは西ベンガル州の町だが、ネパールからの移住した人々が圧倒的に多いので当然でもある。西ベンガル州はインドの東端に位置する。何故それなのに西かというと、イギリス統治時代ガンジスデルタを挟んでベンガル州があったが、インド、パキスタン独立時に東ベンガルはパキスタン(今日のバングラデシュ)の統治になったので、西と東で国が異なることになった。

西ベンガル州にネパール人が多い背景には、イギリス統治時にお茶のプランテーションを開発した際に勤勉な労働力としてネパール人を使ったことに起源がある。シッキムでも同じ現象があってネパール語が標準語になっているほどだ。
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ここからシッキムの州都ガントクには170KM、3時間半はかかるらしい。道は明らかにネパールよりは整備されているので楽だ。珍しく踏みきりで足止めを食う。ネパールには鉄道がないのでとても奇異に写る景色だ。通り過ぎる列車をカメラを向けて待つ。このレールはこれから私たちも通過するシリガルまで通じている。その先は世界遺産に認定されている鉄道がダージリンまで敷設されている。
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3時にシッキム州に入って最初の町ロンプーでチェックを受ける。インドへの入国許可はもらっているのに何故なんだぁ。これには歴史を遡る必要がある。シッキムは1975年まで王国として存在していたが、その後外交・防衛・通信をインドに委ねた自治州としてインドに併合された。そのためにインドでも特別のエリアとなっていることに由来する(シッキムについては後で語ることにしよう)。

何度か川面から尾根を目指してヘアピン道を上り、尾根伝いに走り、また谷に一気に下る。それを繰り返しした後に急坂を喘ぎ喘ぎ登って4時過ぎには遙か遠くにガントクの街並みが視界に入る。ガントクの町は意外にも大きな広がりを持っている。何しろ山の斜面に沿って作られた街並みだから、どこに行くにも坂道を避けるわけにはいかない。くねった道に沿って見事な家並みが続く。

町の中心地から数分外れのホテルに泊まる。今日は朝方から雲行きが怪しい。垂れ込めた雲(霧)が今にも雨になりそうな気配だ。ガントクは1800Mに位置するのでガスがかかりやすい。目の前を霧が走っていく。一息入れてから町の中心地に出向く。なんとそこは美しい歩行者天国があって緑地帯を中心に左右に店が続いている。ベンチにはのんびりくつろぐ若者カップルが、そして年老いた老人も座っていた。
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ここの街並みはいわゆる観光地によくある店構えと言うより地元住民を対象とした店ばかり。スーベニールショップは数件を数えるだけだ。ゴミが落ちていない。インド、ネパールから連想されるゴミゴミ感は全くない。しかも公共スペースでは禁煙になっている。日本よりも進んだ対応にはびっくりした。

シッキムからカンチェンジュンガを目指す③ [カンチェンジュンガ2]

ガントクからユクサムへ(4月30日、5月1日)

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ガントクは急斜面に張り付くように作られた街だ。チャーターしたタクシーで急坂を登ってエンチェイ・ゴンパに向かう。エンチェイ・ゴンパはニンマ派の中心的ゴンパだ。ゴンパからラマ教そしてその連想としてダライ・ラマを思い浮かべるが、一言でラマ教といっても日本の仏教と同様宗派があり、大別して4つあるそうだ。ニンマ派は一番歴史のある宗派だが、チベットを支配していたダライ・ラマ率いるゲルク派とは対立的関係にある。ネパールのボダナートがその中心的存在になっている。ガイドのテンジはニンマ派の信者で、彼に時折ダライ・ラマの話を投げても私の期待した反応がない(冷ややか)理由が理解できた。
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タルチョがはためく坂道を進むと修行中の若いラマ僧が談笑したり、忙しげに行き来している。靴を脱いでゴンパ内に入る。まさに寄宿舎付きの学校という趣。敬虔なラマ僧をイメージしていたが、かなり世俗的な雰囲気が支配している。ガムを噛む、雑談はする、まるで日本の学校と何も違わない。もう少しストイックな雰囲気例えば永平寺の修行僧を連想したのに思い違いのようだ。
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尾根沿いに少し下ると、コロニアル風の白亜の建物が目に入る。イギリス統治時代の建物で、統治のシンボル的存在だったそうだ。その入り口に向かって長い行列が出来ていた。今日は国会議員選挙の投票日で、この白亜の建物も投票所になっているためだ。その前には植物園がある。外郭の公園には入れたが、蘭を育成している建物は投票日という理由で休館となっていた。
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さらに先に進むとかつてシッキム王国時代の王宮がある。王宮は遠くから外観を見ることしかできないが、その中にあるツクラカン・ゴンパを間近に見ることが出来た。信者が右手でマニを回しながら、左手の数珠玉を一つ一つ掌の中で先に送り出してお祈りをしている。
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王宮から遠くないところにドドゥル・チョルテンがある。歴史は古くないが、そこにもラマ僧と修行僧が敬虔な祈りをあげていた。
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市の中心地に戻り谷を隔てた遠くに見える山奥にあるルムテク・ゴンパに向かう。ヘアピンの山道を一気に下り、今度は丘に向かって登っていく。後ろを振り返ればガントクの街並みがかすんで見える。
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ルムテク・ゴンパはカギュー派の中心的ゴンパで活仏カルマパを崇めている。今日の17世カルマパは中国への政治的配慮からインド政府としても正当な立場として認知することが出来ず、しかもカルマパを名乗る分派の僧がいてややこしくしているようだ。
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いずれにしてもカルマパはダライ・ラマに次ぐ高僧であり、信者には大きな影響力を持っている。長い坂道を登ってゴンパに入る。現地のガイドがゴンパの僧侶となにやら話をしていた。彼が呼び寄せるので行ってみると、カルマパほどの高僧ではないが、若い活仏がこのゴンパに来ている、その僧が我々を祝福してくれるとのことだ。彼らは慌てて門前に出て数珠と首にかける紐を買い求めに出て行った。

私も肖って後に続きゴンパの奥にある一室に入る。彼らは恭しく頭を下げて活仏の祝福を受ける。このような若い活仏を写真では見た記憶があるが、10歳には届かない子供だ。その世界にいない私から見るとあまりにも滑稽な景色だったが、最後に私も恭しく彼からの祝福を受ける。確かにそこら辺にいる子供とは明らかに違う、神々しいという感じはしないが、賢そうなその童顔に今日のダライ・ラマの若い頃を重ねて想像してみた。

ゴンパの奥に学校と並んでゴールデン仏陀がある。16世カルマパを祀るために作られた金や宝石をちりばめた仏像だ。それ故に厳重な管理下に置かれている。このゴンパに入るに当たって警察(?)の厳しいチェックを2度も受けた理由が今となって理解できた。

テンジの知り合いと夕ご飯を一緒することになった。予想通り雨が降り出した。チベット料理店に入る。雨脚が強くなり、雨宿りに丁度の時間稼ぎにもなった。しかし帰る時にも雨が上がらず、傘を買うか悩みつつも結局店もなかったので、すでに閉店している店の軒先を縫いながら、雨に濡れてホテルに戻った。

翌日、町中にあるターミナルともいえるところでチャーターしたジープにトレッキング中の食材、装備を乗せ11時過ぎいよいよ出発だ。
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一日がかりでトレッキング出発地であるユクサムに向かう。まずは往路と同じ道をシンタムまで下る。ここは交通の要所としてバザールになっている。露店が立ち並び、店も軒を並べている。ここで昼ご飯を摂り、いよいよ幹線から分岐してユクサムへ。街を過ぎて左に曲がり、東シッキムから吊り橋を渡って南シッキム地区に入る。
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ガントクは標高1700Mだが、シンタムは500Mまで下っていた。再び川沿いに上流を目指す。徐々に人家もない山道になり、谷底を眼下に見ながらひたすら高度を上げていく。雲が垂れ込め、時々小雨も降ってきた。これからの天候が気掛かりだ。遠くから雷の音もしてきた。ここはラボンラ、一息入れるために食堂に立ち寄る。ここは2000Mの標高になる。天候も悪いので肌寒くなってきた。天候がよければここからカンチェンジュンガを眺望することが出来るそうだが、今日は残念ながら視界不良で山影さえ見えない。
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キュージンの集落を通過すると、今までの山岳道路から丘陵地帯ののどかな道になる。再び急なヘアピンを一気に川面に向かって下る。ダムがあり人工湖への貯水が始まっている。橋を渡るといよいよユクサムのある西シッキム地区に入る。再び急坂を登り、斜面をうねるようにして走る。谷底から数百メートルはあるだろう、まるで小型飛行機で谷間を飛翔している気分だ。
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久しぶりに大きな集落タシリンを通過。眼下に広がる棚田は見事だ。棚田は米やトーモロコシなどが植え込まれる前なのでわずかに生えている雑草だろうか辛うじて緑色に染まっている。日本の棚田より遙かにスケールが大きい。

5時過ぎ遠くにユクサムの集落が辛うじて視界に入る。ユクサムはシッキム王国の中心地として以前は栄えた街。ユクサムを含む近隣の4つの小国が統一されてシッキムになったあとは、ガントクに中心が移ってしまいユクサムは寂れ果ててしまった。
ユクサムの標高はガントクと同じ1700M。500Mから2000Mを上り下りの長旅も終わって、いよいよここからはトレッキングの開始だ。

ホテルはユクサムのほぼ入り口近くにある。すでに日が落ちかけていたが、シッキムの王宮跡に行ってみる。ほとんど跡形もなく廃墟に古のロマンを重ねることしかできなかった。
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ホテルでは食事が出ないので外食となる。さすがにここまで来ると今まで目につかなかった白人トレッカーが目に入る。しかも食事が出来る店も数軒しかないので、店は世界各国からのトレッカーのたまり場にもなる。相変わらず天候は不順で遠雷がなっていた。明日からがますます心配になる。




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シッキムからカンチェンジュンガを目指す④ [カンチェンジュンガ2]

ユクサムからチョカへ (5月2日)

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夜を通じて犬の争うけたたましい声に恨みもあったし、遠雷と雨に不安が襲ってきたが、6時には起床。何とか高曇りの天気の朝を迎えた。ここでは食事がとれないので、昨晩行ったバッティーで朝食をする。ホテルに戻ると庭先が騒然となっていた。3頭のゴーキョがつながれているし、ブルーのシート上に一面トレッキングに持って行く食料、燃料そしてテントなどが並べられている。それをゾーキョの背中に設えられた鞍の上に載せていく。
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ガントクからユクサムまで案内してきたガイド達はここで現地のガイドと交代する。23歳の青年が山岳ガイドだ。我々のキャラバンはコックとキッチンボーイの2人、ゾーキョ使いだ。私を入れて総計7人そして3頭のゴーキョだ。
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ユクサムの集落の中心地を通り過ぎ、右手にポカリを見ながら、先に進む。左手にあるチェックポストで入山手続きをする。そこからは細い村道になり、ようやくトレッキングの気分になる。耕作地が続き、人家が点在している。日本の農村風景とそう違わない景色だ。

さらにちょっと登ったところで再びチェックポストがあり確認を受ける。ガイドの手違いで若干トラブったが、問題なくいよいよ集落を離れてトレッキングムードにシフトする。郭公や鶯、そして蝉の声、日本の初夏そのものだ。鶯のさえずりには方言があるのだろうか、日本とは違ったメロディーにちょっと戸惑ったが。
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集落から一気の登りを詰めると、左手に深い渓谷が視界に入る。朝から垂れ込めていた雲は期待を裏切って雨に変わる。急遽オーバージャケットとオーバーズボンを出して身につける。それほど激しい雨ではないので歩行には支障はないが、身体はジットリと汗ばんできた。吊り橋を二つ越えてからだろうか、気がつくと雨も上がったので雨具を脱ぐ。
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12時雨をしのげるところで昼ご飯。汗が体温を奪うのでちょっと肌寒い。カルカッタから来たという典型的なインド人3人がまるで街を歩く恰好でびしょ濡れになっていたが、何もないかのようにしているのにはびっくりした。

天気が悪いので景色を楽しむという余裕もなくひたすら足を進める。日本の山岳風景と何も違わない。唯一の違いはテンジが手に摘んでヒルがいたよ、と言われたことぐらいだろうか。まだ血を吸う前だったので数センチだったけど、ヒマラヤのヒルは話題になる話。これからの雨期には避けて通れない吸血鬼だ。

再び雨が降り出して仕舞った雨具を着る。3時バッキムに着く。ここには政府が作った国立公園の管理棟があり、場合によっては宿泊も可能だそうだ。雨宿りの出来るところで一休み。ここでも何パーティーかのトレッキンググループが休んでいた。グループは違ってもガイド達は地元同志の仲間。結局は他のパーティーのガイドからマサラティーの差し入れをもらって一息入れる。
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視界の聞く一瞬があった。前方にはパンリン(6708M)が右手にはアルルンチュク(4835M)の稜線が見える。

前方に開けた放牧場が視界に入る。そこがチョカ(3000M)だ。十軒程度の集落で、テントサイトもあったが、天候も気掛かりなので、右手にあるロッジに入る。体中が濡れていたのでテントよりは助かる。思いっきり身体を伸ばして濡れた下着を新しいのに着替えてさっぱりした。

インド政府は自然環境保護の観点から当地の住民を将来はトレイルから離れたところに移住させるそうだ。確かにトレイル中ゴミはほとんど無く、環境への配慮はネパールやパキスタンとは明らかに違う。

強風と雷、そして雨に明日からの不安を感じながらもうとうとしていたら、テンジから天気がよくなったですよ、と声をかけられる。外に出てみると小屋の前方は谷沿いに開け遠くの稜線上にわずかに確認できる明かりがぼんやりと見える。ペリンという街だそうだ。そこはユクサムから車で数時間もかかるところだ。ここでは場所によるが携帯が使えるようで、携帯の呼び出し音が聞こえてきた。
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夜遅くには月明かりがあったので見事というわけにはいかないが、満天の星になっていた。明日の天気はどうなるだろう、という不安が一時は解消したのだが。

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シッキムからカンチェンジュンガを目指す⑤ [カンチェンジュンガ2]

チョカからゾングリへ (5月3日、4日)


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今日はゾングリ(4020M)まで高度差約1000Mを一気に登る。しばらくは整備されたトレイルを着実に高度を稼いでいく。ヒマラヤ特有のシャクナゲが点在するようになる。残念ながらすでに花は咲き終わっていて色褪せた花びらが残っているだけだ。これから高度を上げていくと丁度開花中のシャクナゲが見られるらしい。これからが楽しみだ。

何度も来たヒマラヤだが、いつも冬期に来たのでシャクナゲの葉を見ながら、咲き乱れた美しい光景を想像するだけだった。今回は花が美しいヒマラヤを堪能できるはず。

日本の山と錯覚しそうな中を淡々と進む。出発時は青空ものぞく好天だったが、空を見上げたら高曇りになっていた。1時間半も歩いただろうかフラットな場所ピラン(3600M)に出る。そこには多くのトレッカーが一息入れている。ティーを飲むもの、ビスケットでお腹を満たしているもの。この先の登りは今までとは違って急登になるそうだ。
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復路では今日目指すゾングリを経由せずにコクチュンから直接ピランにトラバースし下山することになっている。周辺に目を向けるとシャクナゲの木が増えている。いよいよ群生地に入ってきたようだ。今が見所というシャクナゲの花も増えてきた。一息入れてからゾングリを目指す。
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遠雷の音が聞こえてくる。雲もだんだん重く垂れ込めてきて、嫌な予感が頭を過ぎる。出発して間もない頃から雨が降り始め、あっという間にみぞれ、そして雪に変わって行った。まさかの雪に冬用の手袋はザックの中で出すのが大変だ。それを取り出す手間をサボって今まで着用している軍手で歩行し続ける。5月といっても雪となれば手は凍てつき指先の感覚が麻痺してくる。どうしようか、あれこれ悩んでいるうちに昼過ぎゾングリ(4020M)に到着した。
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冷え切った身体と天候のこともあるので山小屋に泊まることにする。天気が良いとテント生活は快適だが、悪天の時には山小屋があると助かる。早速濡れた着衣を着替えてシュラフを出して中に潜り込む。なかなか身体が温まらなかったが、いつの間にか一眠りしていた。

外から異常に明るい日差しを感じて目を向けると、さっきまでの雪が嘘のように快晴になっている。水たまりに鮮やかな水色のおおるりが数羽飛来している。濡れた土の中をつついたり、枯れ葉の中を啄んだりしている。慌ててカメラに望遠を付けて撮影した。小さな木の下ではピンクが入った一寸小振りの鳥もいた。インターネットで確認したが、おおるりの雌らしい。
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すっかり天気も回復したので、待機しているトレッカーも動きが出てきた。正面の稜線上をピークに向かって登るもの、近場で散策する者などなど。私はガイドとカンチェンジュンガが眺望できるゾングリ・ピークを目指すことにする。
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雨上がりの快晴は水蒸気が上がるまでなら空気がクリーンで山の眺望には最高だ。目の前の稜線を登っていくと谷を挟んだ向こうにラトン、カブールが見える。懐かしい山だ。3年前にはその山を反対側から望んでいた。そして「あのパスを越すとインドに通じている」と聞いたことを思い出した。まさにそのインドを今歩いているのだ。さらに目を右手に向けるとカンチェンジュンガがくっきりと屹立してる。
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スンパティというお線香の原料になる木が繁茂しているので、強烈な香りを発散している。歩いているだけで抹香臭い世界に浸潤する。さらにヅピー(檜のような葉でそれを祈祷時に火にくべる)も繁茂している。ラマ教の世界の道具立てはこのような自然と密接に関連しているのだろう。
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ゾングリ・ピークで色調の変化した山を撮影しようと小一時間はのんびりしただろうか。結局この時間帯では夕日には間もあり、大きな変化は期待できない、それまで待つにはあまりにも長い、しかも少しずつ雲の流れも多くなってきたので、左手眼下に見える(まるで草千里みたいな)草原を経由して山小屋に戻ることにする。

下り始めるころには予想通り雲が厚くなり、眺望できた見事なカンチェンジュンガもカブールも視界から消えていった。山は本当に運次第。もう少しゆっくりしていたらこんな眺望も楽しめなかった。山小屋に着く頃にこれから登って、というトレッカーも何人かいたが、無念な思いをすることになるだろう。

翌日は高度順応の日なので近場をトレッキングすることになっていたが、天候も悪いので午前中は小屋でだらだらとシュラフの中に入り、ウオークマンでシューマンのピアノに耳を傾ける。天候は一向に回復する気配がないので、午後になって高度順応のためだけの近場の散策をすることになる。結局往復3時間弱のポカリ(湖)まで足を伸ばすことにする。
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明日向かうタクシンへのトレイルをしばらく進み、途中で左手に曲がってガレ場を登る。ガスがかかっているので景色を楽しむという状況ではないが、墨絵の世界、一寸幻想的な気分になる。なにしろ誰一人いない世界だ。もし自分一人だけでこの場にいたなら、と想像すると不安と恐怖が襲ってきそうな雰囲気。なにしろトレイルも明確ではないし、と言って険しさがないのでどこでも歩けてしまう。山登りで遭難しやすい条件は揃っている。ポカリを一回りして山小屋に向かう。
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耳たぶをほんの僅かな風が過ぎるだけでヒューヒューと耳奥に響く。全く無風と言っても良く、普通なら無音の世界なのに、一寸した空気の移動が音になって伝わってくる。それだけ静寂だということだ。

地元のガイドに寄れば、今年の春先の天候は異常続きだったらしい。普段なら3月は雪が降るのにほとんど降らず、例年なら5月は安定した天候になるのに今年は珍しく雪が降るという、異常続きと言っていた。氷河の後退など様々な異常気象の痕跡を実感するヒマラヤだが、ここでも同様な話を聞くことになった。

明日以降が今回の一番のお目当て。天候の安定を願う。
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シッキムからカンチェンジュンガを目指す⑥ [カンチェンジュンガ2]

ゾングリからタンシンへ (5月5日)

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晴れ渡る天気にもう一度カンチェンジュンガを拝んでおこう。朝ご飯前にもう一度チャレンジだ。昨日と同じ稜線を眺望が出来る高度まで足を進める。ゾングリ・ピークと同じというわけにはいかないが素晴らしい姿を目に焼き付けて小屋に戻る。

朝ご飯が用意されていたが、口に合わないと言うだけでなく体調がおかしい。頭が痛いわけではないが、食欲が全くなく、水分補給とアミノバイタルを飲み込んで7時半出発する。しばらくは小屋前を流れている川に沿って登っていく。ゾングリ・ピークから右に伸びた稜線を越えると眼下には長閑な草地が広がり、眼下には豆粒ぐらい小さくなった数頭のゾキョが先を進んでいく。
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トレイルはいよいよ本格的な下りに移る。低木から背の高い木に交代し、急な下りになる。気がつくとシャクナゲの花が目に入る。丁度真っ盛りのようだ。赤い花、黄色そして白。一言でシャクナゲといってもこれほどの種類があるとは知らなかった。シャクナゲの木も想像以上に大木になっているのにもびっくりだ。
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このトレイルを登り返すとすればかなりの負担になりそうだが、幸いというか復路ではこのトレイルは登らずに沢沿いにピラン(3600M)に下る。眼下にはこれから進むトレイルが沢沿いに左に向かって続いているのが見える。ゾングリを出て3時間でコクチュンの小屋(3625M)に着く。このトレイルはまさにシャクナゲ群生地のまっただ中にあり、見事な赤、黄色、白の花が疲れを流し落としてくれる。
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コクチュンでは何組かの白人パーティーが昼ご飯を食べていた。フランス人ご夫婦、イスラエル、イギリス、ドイツ人の混成パーティーなどなど。
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一息入れてタンシンを目指す。目の前を流れる沢を渡り、対岸(左岸)をゆっくりと先に進む。傾斜は緩く、負担にはならない。正面にはパンリム(6708M)が雲を従えて見える。しばらくなだらかな登りを続けるうちにあっという間にタンシン(3800M)に着く。今日はここがキャンプサイトだ。平坦な空間、草木もほとんど無い絶好の条件だ。ネパール風に言えばまるでカルカ(放牧地)と言える。

気がつくと三毛色の中型犬が我々の前後を歩いているのに気がつく。最初は我々から何かをねだって後を追っているのかとも思ったが、近づいてせびることもない。まるで一緒にトレッキングを楽しんでいる風に見える。

今日初めてテントを張ることになる。張って分かったことは小さな二人用テントでテンジと一緒にしかも荷物を格納することも出来ない。結局テンジはガイド仲間のテントに潜り込んで私一人で独占することになる。

シッキムからカンチェンジュンガを目指す⑦ [カンチェンジュンガ2]

タンシンからラムニそしてゴチェラへ(→復路コクチュンへ) (5月6日,7日)

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ラムニまではあっという間の行程。草地を縫って登っていく。左手にはカンチェンジュンガからのレンジに展開するカブール、ラトンなどが見えるし、前方にはパンリンが右手にはテンジンガが視界に入る。多くのガイドブックではラムニの先にあるサミティ・レイクがキャンプサイトになっているが、現在では環境保護のためにサミティ・レイクでのキャンプが禁止になっていて、手前のラムニがキャンプ地だ。2時間でラムニ(4100M)のテント・サイトに到着する。
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午後はのんびりと休養日になる。時間もたっぷりあるのでマーラーの復活でも聞こうか。

夕方になってテンジから「ヤクがいますよ」と声がかかる。この高度ならヤクは普通にいる話だが、当地のヤクは野生だというのだ。理由を尋ねるとこの一帯では放牧等の行為が自然破壊と言うことで禁止されていて、野生しか存在しえないとのことだ。インドでは自然保護に対しきわめて誠実に対応していることが分かる。隣国のネパールやパキスタンとは大違いだ。

明日は早朝にゴチェラを目指すので早早に就寝する。

真っ暗な闇のなか、ヘッドライトをつけて軽食と飲料だけを入れて、防寒着を着て4時には出発する。平坦なトレイルからガレ場に移り、傾斜も徐々にきつくなる。身体も温まり、防寒着を脱ぎ、長袖の上着になる。あっという間にサミティ・レイクの湖畔に着く。まだ暗闇なので水の存在しか見えない。
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すでに稜線を越して朝日が差し込んできたので、ヘッドライトは必要なくなる。気がつけば例の犬も後をついて登ってきている。ガレ場では犬の歩幅では登るのに苦労だろうと想像するのだが、ヒョイヒョイと身軽に登る。羨ましいなぁ、私は息絶え絶えなのに。それにしても何で我々のペースと全く同一に移動するのだろうか。
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途中で一足先に登頂を目指したインド人(二日前に下の方で出会った3人)が行き違った。満足そうな顔に素晴らしい景観を満喫してきたのが分かる。
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ゴチェラには3つのピークがある。最初のピークに5時半到着。雲一つ無い快晴で、左前方にはカンチェンジュンが迫ってくる。ここでしっかりカメラに記録しておこう。この先2つのピークがあるが、ガイドによれば景観的には全く変わらないのでここで十分という。体調もあるのでその助言を受け入れて下山することになった。
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行きは真っ暗闇の中を進んだのでサミティレイクを薄ぼんやりと確認しただけだったが、帰路ではコバルトブルーの水をたたえた湖をはっきり確認できた。湖畔を歩いていると昨夕テント場に現れただろうヤクが湖岸の反対斜面で草を食んでいた。
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相変わらず俄仲間になった犬が前後を抜きつ抜かれつで付いてくる。後ろを振り返るとすでにカンチェンジュンガとそのレンジは雲間に隠れていた。一瞬の違いが大げさだけど運命を分けてしまう。
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テントでは朝ご飯が用意されていたが口に入らない。日本から持ってきたジェリーとスポーツドリンクで栄養補給する。9時前に出発してコクチュンに向かう。なだらかな下りで緊張することもない。後ろを振り返ればカンチェンジュンガのピークが再び覗いていた。
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10時10分タンシンに着く。木々の背丈も高くなり、沢の水量も多くなってきた。11時20分にはコクチュンに。今晩はこの小屋で一泊になる。だだっ広い小屋の奥にシートを敷き、横になる。小屋の反対側の部屋ではコック達が調理に忙しくしていて、バーナーのけたたましい吹き出す音とガス特有の臭いがこちらまで漂ってくる。不快と言えば不快だが、山での息吹を感じる一こまでそれはそれで心地よいものもある。
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午後に入ると三々五々何組かのトレッカーが小屋に入ってきて、微睡みかけた睡眠を中断されてしまう。こちらは一人、私以外のトレッカーは複数なので、当然のことではあるが興奮もしているのだろう、なにやら大声を上げて話している。

私はウオークマンで耳を塞ぎ音楽を楽しもう。こんなゆっくりクラシックを聴けるのは日常生活では味わえない贅沢だ。
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小屋の周りにはトレッカーの運搬を担っているゾキョが数頭単位で繋がれている。そしてゾキョ使いが藁を与えていた。周りはシャクナゲの群生であちこちに見事な花を咲かせている。川面に近づいてみたら小さな紫色の花が群生していた。

シッキムからカンチェンジュンガを目指す⑧ [カンチェンジュンガ2]

クチュルンからチョカへそしてユクサムへ (5月8,9日)

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シャクナゲに囲まれたクチュルンの小屋からは往路で経由したゾングリには登らず、目の前の谷に沿って下山する。この先のトレイルはゾキョが歩くには危険があり通過できない場所があるのでゾキョとは、ここで別行動になる。ゾングリ経由での下山になる。君たちご苦労さん!と声をかけたくなる。

7時半出発。シャクナゲの群生は相変わらず、ヒマラヤスギも高く茂って木漏れ日が時々差し込んでくる。足元を見ると苔むした緑の絨毯になっている。トレイルはほとんど水平、快適そのもの散歩と言っても良い。2時間ほど森林浴を満喫し、色とりどりのシャクナゲを目に焼き付ける。
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急降下が始まった。沢が入り込んでいて水場まで下り、そしてその先は再び急登、その先は水平トレイルに変わる。風もない、我々の歩く足音以外には鳥のさえずりが美しく聞こえてくるだけ。鳥のさえずりにウットリする。時には目と鼻先にある枝に止まっていることさえあった。
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我々より先に出たフランス人ご夫婦とは何度か抜きつ抜かれつで移動する。彼らはシッキムの森林の植生に関心があるようだ。珍しい宿り木や花、こけを見つけるとビデオとデジカメに納めている。

何回か切り込んだ沢に下りては登るを繰り返し、再び水平のトレイルになる。

左右の風景が気がついてみると平坦な森林になっている。もうすぐ往路のトレイルと合流するピランだ。ピランではこれからゾングリに向かう数パーティーの白人達が登りに備えて一息入れていた。ふと気がついてみるとゴチェラのピークまで一緒した犬が再び登場だ。どこにいたのだろう。偶然にしてはあまりにも偶然すぎる。
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腰を下ろして一息入れているとガイドがマサラティーを持ってきた。それはガイド仲間からの差し入れだった。

クチュルンでは朝日が差し込んでいたのに、雲が垂れ込めてきた。静かにしていると一寸肌寒さを感じる。ここからチョカまでは1時間程度の行程になる。

ここから先のトレイルは広く、木で作られた階段で整備されている。この一帯の土質は粘土質なのか雨上がりでぬかるんで歩きにくい。そのためにこのような整備が進んでいるとガイドが言っていた。遙かかなたにユクサムの集落が霞んで見えた。
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トレイルが急な下りになって下を見るとチョカの集落が見えた。風に乗って家畜の臭いが漂ってくる。いよいよ人里だ。ホットすると同時に何となく心惜しい気持ちになる。

駆け下りるように下るとトレイルの左右に山小屋がある。行きでは左手にあった小屋に泊まったが、テンジが聞きこんだ情報で多少グレードが高いと思われる右手にある小屋に入る。トレイルを挟んで反対側の小高いところには5張りのテントが張られていた。そこにはこれからゴチェラを目指すトレッカー達が右に左にと動いて忙しげにしている。

雲行きが怪しい。遠雷の音が聞こえてくる。チョカはチベット系の住民だ。ネパールから一緒したテンジもシェルパ族ではあるが、元を言えばチベットからの移民だから、チョカの住民とルーツは同じ筈だ。しかし、感覚的な印象にとどまるが明らかに相違を感じる。フレンドリーな雰囲気にはほど遠く人を寄せ付けない堅い印象だ。シェルパ族の人なつっこさとは大違い。

夕方には遠雷が激しい雨脚と頭上の雷に変わる。部屋から食堂までは庇のない外を走って移動しなければならない。部屋は真っ暗だった。ヘッドライトをつけて机に向かう。しばらくしたらコックがローソクを持ってきて火をつけてくれる。今晩は久しぶりに食欲が戻ってきている。

食事前にポップコーンが出た。実はポップコーンには今まで興味を覚えたことがない、野放図なアメリカ人が連想されて嫌悪感があった。理由はないのだが、歩きながら頬張って食べる、いわゆるお行儀の悪い象徴だったからだろうか。それと好きになれないヤンキーの所行とダブルからかもしれない。なのに空腹感が戻った今ではそんな理屈はどこかに。結局は生まれて初めてポップコーンを頬張りながら塩のきいた食感を味わった。
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ドアが開いて小屋の主人とその後を白人の女性が入ってきた。30前後の秀麗で知的な女性だ。これからゾングリを目指すらしい。お一人ですか、と尋ねると、2人で計画したのだが、相棒が体調を崩したため1人になったそうだ。確か、シッキムのトレッキングは単独は許可されないので、彼女が一人である理由が理解できた。彼女はボストンでバイオ関係のロイヤーだそうだ。なるほど秀麗で知的なはずだ。東京にも数回来たことがあるとか。でもどう見ても信じられない。こんな知的で上品は若き女性が単独でトレッキングとは・・・・・。

激しい雨と雷が通り過ぎていったようだ。表には月明かりが射していた。

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ここからユクサムまではたやすいハイキングに近い。小屋前ではゾキョ使いが3頭のゾキョの背中に鞍を丁寧に載せている。ゾキョは昨晩の雨の中でも野外で野宿をしていた。ゾキョ使いが泥の付いた背中を手で丁寧に払っている。単なる家畜ではなく、愛情で繋がった家族なのだろう。

チョカからの展望は限りなく広がっている。遠くに見える山塊の稜線近くに見えるペリンの街、さらに視界のきく夜なら遠くにダージリンの明かりまで見えるそうだ。残念ながらそんな視界ではないが、頭の中にある地図にインプットされた。
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7時過ぎには小屋を出る。再び数十メートルはあるだろう木々の中をゆっくりを高度を下げながら先に進む。トレイルは十分すぎるほど広く整備されている。昨日まで何気なく我々と行動をともにしていた三毛の犬の姿は見えないが、真っ黒な犬が入れ替わって前後を共にしている。

美しい建物があった。FOREST BED HOUSE BAKKIHMと表示がある。政府機関の建物。ここは9000フィート。風もなく静かな空気を劈くように突然鳥の声が轟いた。近くで鳴いているように思えたが、姿形はない。再び聞こえてきた。ようやく鳴き声の場所を確認。遠くなのに目で確認できたのでかなり大きい鳥であることが分かる。
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ここは鳥の天国ではと思うほどいろいろな鳥のさえずりが聞こえてくる。ヒマラヤのあちこちをトレッキングした経験とは違った世界が広がっている。季節の違いが理由かもしれないが。

右手の谷はますます深く、遠ざかっている。鼻歌交じりでの下山は疲れた身体には助かる。8時半吊り橋を渡る。途中大木が倒れてトレイルを塞いでいた。腰ほどの高さの幹をよじ登り先に進む。ゾキョ達はさすがに先に進めないので右手の藪の中を進んで回避していた。

十頭のゾキョが立ち往生していた。どうしたのかとテンジに聞いた。彼も状況がすぐには分からなかったのだが、一頭のゾキョが歩けない状態になってしまったようだ。病んだゾキョの荷物を下ろし、他のゾキョに分散させる作業をしていた。
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食べてはいけない草を口にしたらしい。そんな淺知恵なのかと不思議に思ったが、きちんとしっかりした餌を与えていれば体力も付き、多少のトラブルも絶えられるし、そんな草を口にしないよ、きっと飼い主がゾキョを大事にしていないからだ、とガイドは言っていた。そんなこともあるのかと半分は信じるもののさてさて・・・・。
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大きな沢に吊り橋が架かっている。上部には滝が落ち、橋下は滑になっていて見るのも恐ろしい。ここで一息入れる。沢で食事をしているグループもいた。一息入れるには恰好の場所になっている。ところがそれも原因の一つだろう、何人もの人が渓谷に滑落して死亡しているそうだ。滑伝いに下を覗きに行ったインド人が滑落、それと写真を撮ろうとした人・・・・。下を覗きたくなる魔力が潜んでいる場所ではある。

10時過ぎには霞んだ先にユクサムの集落が視界に入る。いよいよトレッキングの終着が近い。あと1時間半ぐらいでユクサムに着く。
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12時前にはユクサムの集落の外れに着く。トレイルの両側は耕作地になり、人里の香りも漂っている。右手には私のゾキョ使いの家があり、すでに荷物は到着済みになっていた。あとでロッジまで届けてくれるそうだ。道の両側には白い幟がはためいている。幟はこの地方を治めていた旧王族の一人が亡くなったその霊に対する弔意を表しているそうだ。いつまでかと聞くと、幟が傷むまでと言っていた。
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往路で泊まったロッジで久しぶりのシャワーを浴びてすっきりとなる。昼ご飯をこの集落一のホテルでとることにする。ホテルはあまりにも当地では突出した景観だ。見方によっては一寸浮いている感じもあるが、2年前に出来たばかりのリゾートタイプ。そこで食べたカレーは久しぶりに口にあった味付けで食欲も一気に回復してきた。ロッジに帰ってベッドに横になるとあっという間に夢の世界に入った。

現地のガイド、コック、ゾキョ使いとは今晩が最後なので夕食を一緒して感謝の意を表することにしたが、コックからはそんなことはどうでもいいのでチップさえ貰えればいい、と言うことになった。確かにネパールでのトレッキングの時とは違ってキッチンボーイとも話すこともなく、近くで存在を実感することもなかったので、こちらもドライな気持ちになってチップを手渡して別れる。

夕方になると強烈な風と雨が襲ってきた。突然停電だ。夕方の停電はネパールでは日常茶飯事だが、インドもそうなのかと諦めて天候の回復を待つ。コックを除いて現地ガイド、ゾキョ使いとは連絡が付いていないので予定通り来るのか不安になったが取りあえず待ち合わせを約束したバティーに向かう。その時には雨も上がってくれた。ところがバティーに向かう途中で先ほどの夕立で大木が倒れて、電線を切断していた。これが停電の原因だったことが分かった。今晩の復旧は難しい。

バティーにはすでにみんな来ていた。地ビールで乾杯し、感謝の意を伝える。しかし、どうも落ち着かない。一緒に生活した実感がない仲間なので、親近感も沸かないし彼らから見ても単なる仕事発注人でしかないことが分かった。それと私と彼らを仲介してくれたテンジがすべの窓口であったからかもしれない。

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シッキムからカンチェンジュンガを目指す⑨ [カンチェンジュンガ2]

ユクサムからナムチそしてダージリンへ (5月10日)

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穏やかな朝だ。朝ご飯を昨日のランチをとったユクサム一のホテルですます。ウエイター達の気取った立ち振る舞いだけは一流擬きだが、どこか鄙びたというか田舎っぽいところが残っているのが愛らしい。すでにチャーターしたジープが来ている。
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ユクサムから一気に下っていく。見事な棚田が足元に広がっている。日本とは比較にならないスケールだ。谷を挟んで前方の稜線上にはペリンの街の集落が見える。ペリンは地図には記載されてない新興都市だ。ガルツインから遠くないところにある。ここ数年で急成長している街だが、その理由は避暑地的環境とそこからの眺望が素晴らしいことらしい。天気がよければカンチェンジュンガが望める。
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ペリンに立ち寄るかナムチに立ち寄るか悩んだが、巨大な仏塔があるナムチ経由でダージリンに向かうことにする。決定的な理由はないが、ガイドのテンジも行ったことがないと聞いたので。

ペリンにはすぐに右手に折れて進むが、私たちはタシリンの街を経由して往路と同じ道を南シッキムに向かう。ヘアピンの道を一気に川面まで下り、吊り橋を渡る。しばらくは往路と同じ道だがしばらくしてガントクに向かう道と分かれて先に進む。ランギッド川の川面に沿って下っていくと9時20分リクシップの街に。久しぶりに大きい街だ。

ここではペリンに向かう道とガントクに向かう道が交差している。リクシップは今までより明らかにヒンズー教の色が濃くなってきた。左手に川を見ながら下流に向かう。
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9時40分ナヤバザールの街を通過。ここでダージリンへの道と分かれて左に折れて吊り橋を渡るとそこは南シッキムに入る。いよいよナムチへの道だ。ここからはヘアピンの連続、その周りは棚田が続き、時折集落が軒を寄り添うようにある。10時半にはナムチの街に着く。稜線上に広がった大きな街だ。山の上に大きな仏像らしきものが見える。それがナムチの一番の見せ場になっているグル・パドマ・サンババ(ラマ教ニンマ派の開祖)の像だ。
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ここで昼ご飯をとり一息入れる。ナムチの街のセンターは歩行者天国になって、その中心には金魚や熱帯魚が泳ぐ大きな水槽があった。その周りを市民や子供達が木陰で寛いでいる。さっきの吊り橋が標高500M、ここはすでに2000Mだから空気も締まって清澄な気分なると期待したけど、あまりにもたくさんの車が行き交っているので砂埃が舞いあがっている。
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まずはサムドルプチェにあるグル・パドマ・サンババの像を拝観しよう。バザールを横目に見ながら丘に登る。確かに像の迫力はあるが、作りたてと言うこともあり、日本人にとっては神々しさは実感できない。像の台座になる広大な石壇に靴を脱いで上る。台座の石は太陽に暖められて焼け付くように熱くなっていた。一応は掃除はしているらしいが、足裏に小石やゴミが刺すように当たって痛い。

像の中に入り最上段まで登るとナムチの街全体が眺望できる。ガイドはラマ教信者なので厳かに敬意を表しているので露わに出来なかったが、正直言ってこの仏像からは何の感動も生まれなかった。ナムチにはもう一つの象徴がある。稜線の先にはヒンズー教の塔が競い合って建立されている。そこには立ち寄らずタマン族の信仰対象になっているゴンパに立ち寄ってナムチを離れる。
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ダージリンはここから大凡60KM距離、約1時間半の道のりだ。一気に川面まで下り、バリバザール(530M)で吊り橋を渡りしばらく進むと、シッキムからダージリン(西ベンガル州)へのチェックポイントがある。パスポートの提示と差し出されたノートに著名をして通過。ここから37KM、標高2000Mを越えるダージリンに向けて高度を上げていく。
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ダージリンのある西ベンガル州は別名ゴルカランドと呼ぶ人達もいる。その背景にはお茶の生産という職を求めて大勢のネパール人が入植して、ネパール人=ゴルカの国としての独立運動もあった。それ以来ゴルカランド実現を託して水面下での運動が今でも続いている。インド入国前にネパールではインド人入植者の独立運動で道路封鎖に遭遇したが、改めて地続きの世界での国境そして民族問題の抜き差しならない現実を目の当たりにした。
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道は細く、ヘアピンの急坂になり、しかも悪路になる。道の両側にはダージリン特産のお茶畑が広がってきた。雲行きが怪しくなり、突然驟雨が襲ってきた。道はぬかるみ視界も不良になる。対向車とのすれ違いにも神経を使わなかればならない。行き違うためにしばしば後退を余儀なくされる。
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驟雨と思っていたら、そのあとは雷だ。しばらくは天候の回復は無理だろう。お茶の工場もあった。運転手が一休みしたいということになってバッティーに寄る。神経を使うドライブも終わり、3時40分にはダージリンの街に着く。ところが運転手からこの先には行けない、地元のタクシーに乗り換えてくれ、とのことだった。町中には地元ナンバー以外の走行が出来ないルールになっているそうだ。やむなく大きな荷物を下ろし、テンジが必至になってタクシーを探す。ここはターミナルになっているのだろう。車は溢れるほどあるのだが、なかなかOKがでない。ようやくスズキのタクシーに乗り込んで、ホテルに向かう。

ダージリンは山の急斜面に張り付くように発展した大都市。その中をヘアピンの道がぬって繋がっている。ホテルはジープを降りたところよりはるか高い場所にある。駐車している車、行き交う車そして歩いている人々その間を走り抜けるには日本で言う軽自動車は最適だ。ホテルに着いたが、看板があるけどレセプションは?なんと建物の4階にあった。急傾斜地に建てられた建物で一階は食堂、2階はレストランがあってホテルは4階になる。重い荷物を持って上がるのに息が上がった。でもこの作りは火事や地震があったら逃げ場がないね、とテンジと笑う。

西向きの窓からは夕日を背負った雲が赤く染まっているのが見えた。このホテルで2泊する。
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シッキムからカンチェンジュンガを目指す⑩完 [カンチェンジュンガ2]

ダージリンからビラトモドそしてカトマンドゥへ(5月11,12,13、14,15日)

(11日)
今日のお目当てはダージリンヒマラヤ鉄道に乗ることだ。世界遺産として1999年2番目に登録された。1879年に当時英国の植民地下にあったインドでダージリンは紅茶の産地として開発が進められ、紅茶の運搬手段として敷設された。シリグリの近くのニュー・ジャルパーイーグリーを起点としてダージリンまで88KM、標高差約2000mをスイッチバックやループで登っていく登山鉄道。全区間を載ると4時間はかかるという。
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不思議なことだが、この鉄道についてホテルのフロントに聞いても詳細は分からない、レストランで聞いても的確な状況判断が出来ない。地元の人にはたいして興味はないようだ。やむを得ずダージリンの駅まで出向くことにする。15分もかからないところにあった。駅には人だかりはあるものの手続きとかダイヤを確認する手がかりが見あたらない。右往左往していると、現地の人から声をかけられ、どこでチケットを買えばいいのか、何時にその観光列車が出発するのか等々言葉の分かるはずのガイドのテンジがやり取りするが訛りがあるせいか理解するのに苦労していたようだ。

観光列車は最高地点を経由しグムまでの往復1時間半のツアーになる。この鉄道を完走するには8時間近い時間を要する。とてもそんな長閑な時間を使う余裕は現代人にはない。
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午後一番の列車の切符が予約できた。それまで時間があるのでテンジの提案で動物園に行って時間つぶしをすることになる。動物園はヒマラヤに生息するレッサーパンダや珍鳥、鹿がみられたが、それより興味のあったのはそこに隣接してエベレスト初登攀したヒラリーとテンジンの記念館だ。当地はヒラリー(意外や彼はニュージーランド人だった)がエベレスト登頂の企画を練った記念すべき街だと言うことが分かった。

街に戻るタクシー探しには悩まされる。結局相乗りのバス代わりのスズキに定員オーバーではないかというぐらい詰め込まれて乗る。

ホテルの一階にある食堂に入る。ここはチベット料理の店。トゥクパといううどんとキノコや野菜、オプションで肉が入った料理。これが美味しい。脂っこくなく私の舌にぴったりだ。テントゥックも美味しい。テンジが食べていたので分けてもらう。それはトゥクパと同じ作りだが、麺がきしめんのように平べったい。
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余裕を持ってダ-ジリン駅に向かう。駅頭には所在なく座り込んでいる人やラマ僧が行き来したり、数人が寄り合って談笑したりしている。駅には客車があったが、それは所定の汽車ではなかった。駅側の機関区では蒸気機関車が整備だろうか、蒸気と煙を吐いて待機している。
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定刻10分前に遠くから汽笛の音が聞こえてきた。けたたましくまるで「どけどけ」と言わんばかりの感じだ。しかし音は聞こえど汽車の姿はなかなか視界に入らない。ようやく道の外れをゴトゴトと極めてゆっくりこちらに向かって来る機関車が視界に入った。まるで遊園地の機関車だ。軌道敷のサイズがいわゆる狭軌だから当然だが。

高さが20CM程度しかないプラットフォームに観光客が続々と下りてくる。この列車は一便前の観光者向けの列車だ。
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客車はさすがに観光用に豪華に設えられている。2人と一人の3人掛けのシート、満席になっている。定刻にそろりそろりと滑り出す。速度が出ないので穏やかな滑り出し。まさに江ノ電と同じ、道路の片隅を軒先の下をのろのろと走る。煙の臭いも何となく懐かしく、受け入れてしまう。時々粉塵も飛んでくる。
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道をしばしば横切るため(踏切なんてない)そのたびに警告の汽笛で自動車は停車して行き汽車の行きすぎるのを待つ。だから道は大渋滞になる。タンクローリーみたいに大きい車が止まっていると、汽車に接触しそうになって汽車も止まらざるを得ない。走る空間が出来るまで多くの車が順繰りに移動していく。
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そもそも速度が遅い上に道を譲ってもらいながらの走行だから市内は大変だ。けたたましい汽笛の連続になる。
市内を過ぎるとようやく快適な走行になる。最高地点2300Mに向かって高度を上げていく。ループを通り丁度一周した上部で一息入れるために停車(バタシアループ)だ。花畑を囲むような停車場になっている。下を覗くとさっき登ってきた軌道が見える。
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ここからは下りだ。グムのステーションに着く。ここから折り返しダージリンにまた戻る。この駅には博物館が付設されている。ダージリンヒマラヤ鉄道の歴史、鉄道部品などが陳列されている。霧に覆われたグムからダージリンに向かうと、次第に陽が差し込んできた。右手にダージリン一のゴンパが軌道に接して建っている。相変わらず長閑な走行に時間のたつのを忘れてしまった。
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降り立ってからバザールがあったので覗いてみたが、日用品が中心で土産物は見つからなかった。

ダージリンティーの土産を探しに街に出るが、良い店が見つからない。結局、大きな本屋の一角にあったティーコーナーで主にティーについて質問をしてみた。どこまでその説明に信憑性があるのか分からなかったが、それを信じて購入することにする。その後夕ご飯をどこで食べるか探索したが、なかなか見つからず、町外れにあったホテルでバイキングにする。さすがに立派なホテルなので味はそれなりだった。

ダージリンは夕方になると雨が降ってくる。それだけではない。必ず雷が激しく鳴る。標高2100Mだから英国人にとって恰好な避暑地だったが、山岳気象特有の冷気が雲を作り乱気流が発生し、雷が頻繁になることになる。ガイドの話では、「ダージリン」はチベット語で雷の国を意味すると聞いた。なるほどと首肯してしまった。
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(12日)
翌朝起きて外を眺めると雨が降っている。今日の道のりは国境を越えてネパール入国だが、昼過ぎにここを出ればいいようだ。ホテルの2階にあるレストランでドウサを食べる。ドウサはジャガイモが入ったパンケーキ様の食べ物。シンプルな味だがとても美味しい。昼前に昨日動物園に行く時に乗ったタクシーが迎えに来てくれる。彼の車は新しいススキのワゴンRだ。
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汽車で通り過ぎたサンガ・ゴンパに立ち寄る。ゴンパの中は施錠されていてガラス越しにしか見ることが出来なかった。ドイツ人のカップルがやはり見に来ていた。ここからダージリンヒマラヤ鉄道の軌道に沿って下っていく。
右手にはお茶畑が延々と続く。ダージリンまでの急斜面に広がる北側とは違った穏やかな斜面に広がる光景は迫力がある。
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ハッサンの街で軌道から離れて一路国境の町に向かう。ヘアピンの連続だ。マカイバリの農園、工場前を通る。ここは有機栽培を目指し、日本の有機栽培農法を導入して紅茶栽培を目指している歴史ある農園(創業1835年)だ。門を入ると売店があり、私を日本人と確認したのだろう、日本茶の製造を学習し有機栽培で作っている高級茶であると説明される。日本語の新聞を持ち出し、マカイバリの農園の報道記事も見せられる。
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何点か土産に購入する。確かにダージリンで買ったお茶より比べものにならないほど高かった。さらに一気に高度を下げていく。眼下には平坦なお茶畑が視界に入るバッティーで一息入れる。そこからは集落が続き、平地に出るとお茶畑のなかを走り続ける。
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ここからは熱帯地方の農村という雰囲気に変わる。だんだん集落が増えていよいよネパールへの国境の街だ。リキシャが溢れている。喧噪の街に一変する。車は出国事務所までなので、大きな荷物を担いでメチ橋を渡らなければならない。出国事務所では事務的な手続きで簡単に出国する。
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テンジがようやくリキシャを呼んできて膝の上に荷物を置いて移動が始まる。リキシャが揺れるたびに何度も荷物が落ちそうになりながら橋を渡し始めると、今度は待ち受けた兵隊(?)が荷物の検査をするので下に降ろすように指示される。荷物を引っかき回すようにあら探しが始まった。かなりひっつこく探したが当然何もない。無事に越境してネパールの入国事務、こちらはいとも簡単に済んでエージェントの事務所に向かう。
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カラビタには冷房のあるホテルがないので、ビラトモドに向かう。カラビタからは30分ぐらいの街だ。チャーターした車に国境にある河原まで寄り道を頼んで写真を撮らせてもらう。

ネパールはインド側とはうって違って集落の連続だ。イラムへの分岐を過ぎてすぐにビラトモドの街に入る。ここは外人が全く泊まらないエリアなのでネイティブ街だ。とても一人では外出できそうもない。テンジと一緒に歩いたが、魅力的なシーンもなく、食事も考えていたが、それらしき店は全くなく、早早にホテルに戻り、ホテルのレストランでとることにする。

折角空調付きの部屋を確保したのになんと停電だ。当地は標高も低く熱帯気候なので堪らない。幸い、深夜には停電が解除になり最悪の事態は避けることが出来てホットした。
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(13日)
カトマンドゥに向かう。道路封鎖も解除されて国道を一路ビラトナガールに向かう。深紅の花(種類不明)が目に入る。そしてジャカランダの紫色の花が美しい。ビラトナガールからのフライトは14時予定通り。カトマンドゥには15時前に着く。
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(14日)
翌日はガイド・テンジ一族の家に招待される。テンジのオートバイの後ろに乗っての移動はほとんど経験したことのないことだったので緊張した。。シェルパ料理をお腹いっぱいご馳走になり、近くにあるカトマンドゥを代表するゴンパをいくつか巡ってホテルに帰る。
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バンコク行きのフライトは13時50分、余裕があると思っていたが結局準備にバタバタしてぎりぎりで飛行場に着く。
バンコクに18時25着、トランジット4時間半、22:40(TG622)で関空に飛び立つ。早朝には日本の地を踏んでいた。





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