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ゴンドゴロ・ラからK2①(20100728) [ゴンドゴロ・ラからK2へ]

7月28日出発でフシェ村からゴンドゴロ・ラを経由してカンコリア(コンコルディア)へ、その後バルトロ氷河を下ってアスコーリに向かうルートで計画している。ほぼ準備も終えて、不安と興奮が交錯する日曜日だ。

以前往路復路ともバルトロ氷河で目指したK2だったが、その際に行き交ったトレッカーにはバルトロ氷河からゴンドゴロ・ラ経由で下山する人がいた。その時までそのようなルートは思いも及ばなかったので、機会があったら挑戦してみたいとの夢を描いていた。今回ようやく実現する運びとなった。

このルートの最大の課題は私にとって経験していない高度への挑戦になることだ。ゴンドゴロ・ラは5940Mの標高にある。そしてその前後でクレパスが隠された雪上を歩くということだ。今まではピッケル、アイゼンには全く無用なトレッキングであったが、さすがに今回は非常時に備えて用意した。使わなくて済んで欲しいが。

復路のバルトロ下りも難儀だ。特にパイユから下の歩行は40度を超す熱射と岩砂に反射した照り返しは地獄そのものだ。

今回もシルクロード・キャラバンのお世話になって、シムシャール出の屈強なガイドと日本語ガイドを用意してもらっているので安心だ。

帰国後にトレッキングの様子を記述することにする。

ゴンドゴロ・ラからK2② イスラマバードへ(20100728) [ゴンドゴロ・ラからK2へ]

一路イスラマバードへ(2010 07 28)

成田11時発のタイ航空に定刻で搭乗したのだが、なかなかボーディングブリッジから離れない。しばらくすると機内放送があり、メカトラブルで1時間程度のデレイをするとのことだった。幸先に一抹の不安が過ぎる。2流、3流のエアラインならいざ知らず、タイ航空でしかも搭乗後のトラブルというのは想像出来なかった。幸い、バンコクでのトランジットにはかなりの余裕があったので焦ることではなかったが。
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1時間後には無事離陸。しばらくは快晴のなか静かなフライトだったが、関西あたりから厚い雲の中をかなりの揺れを感じながらの飛行になる。最初の食事は搭乗前に予約した鰻の入ったコース。土曜の丑の日に鰻を食べ損なったので楽しみにしていた。そんな事もあり機内食とはいえ食事を満喫した。

1時間遅れでバンコクに着く。何度もトランジットした飛行場なので困惑はないが、何しろ巨大なハブ空港で次の飛行機の搭乗口によってはかなりの時間を要する。まずはトランジットの手続きを終えて、ラウンジで一息入れる。さすがホームのエアラインなので広々とした余裕のあるラウンジだ。

バンコクはすでにイスラム文化と東南アジアの文化の接点になっている。プレイルームもあり、ショールや僅かだがブルカ姿の女性も見かける。民族的にも白人から中央、西アジア系の人も混在している。地球の広さを実感する場所だ。

復路ではバンコクでのトランジットが1時間しかないので必要な土産はこの際とモールに向かう。以前の経験ではショッピングのあとに、あまりにも広く全てが対称的な作りの飛行場なので点在しているラウンジのうちどこなのかを見失って焦ったことがあった。見失わないためにはラウンジの前後左右にある表示をしっかり頭に入れておかなければならない。今回は同じエリアからイスラマバード行きも出るので助かった。

バンコクからイスラマバードのフライトは予定通り。パキスタン時間で22時10分着の予定だったが、早めの到着になった。飛行場には前回の受け入れをしてくれたサドルさん、日本語ガイド・ファイサルさんが待ち構えていた。サドルさんがいれば全て安心だ。今晩は私の注文で市内中央部にあるホテルを頼んだので、ヒルビューホテルになった。新設のホテルのようだ。綺麗ではあったが、サービス面では不慣れな部分が散見された。

ゴンドゴロ・ラからK2③ 連日のフライトキャンセル(20100729) [ゴンドゴロ・ラからK2へ]

フシェへ(20100730)

29日はブリーフィングの手続きがあるので一日イスラマバードに待機だ。朝6時に3年前ナンガパルバッドに行った際お世話になったイルファンさんと久しぶりの再会の約束をしていた。外は土砂降りの雨だ。予定の時間を大きく超えて彼は現れた。再会に時間の経過を忘れて握手をする。しかし、彼の目は寝不足で血走っていた。
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すぐに事情が分かった。一昨日、ブルーエアという国内線の飛行機がイスラマバード北部にあるそれほど高くない丘に激突して炎上、150人近い搭乗者が死亡したと聞いていたが、その中にイルファンさんの会社のボスが居たそうだ。現地に出向いて本人確認をしているが、死体が丸焦げでなかなか見つからないので、今日も天候が回復したら現地に向かうとのことだった。そんな取り込み中なのに再会の機会を作ってくれたことに申し訳ない気持ちにもなった。朝ご飯を一緒するつもりだったが、それどころではないので、コーヒーを飲みながら帰国までに時間が取れたら改めて再会を約して別れる。

雨は激しくなったり小降りになったり。ブリーフィングまでの時間を使ってラワルピンディ(ピンディと現地の人は略す)のバザールに行く。途中の道路は川のように水が溢れ、まるで水上自動車のようにして水をはじき飛ばしながら走っていく。
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2時からのブリーフィングで競技場下にあるアルパインクラブに出向き、形通りの質問に答えトレッキング計画について説明し、最後に「健闘を祈る」と励ましを貰って再びホテルに戻る。

7時、2年前にK2トレッキングで世話になったシェールさんも含めて夕飯を一緒することにしていた。雨はますます激しく降り続き、市内の足(タクシー)が止まった状態になって一時は食事を一緒することが困難と思われたが、シェールさんはなんとかホテルまで来てくれた。本当に有り難う。

その後分かったことだがなんとガイドのファイサルさんとシェールさん、そして朝方再会したイルファンさんは知り合いだった。聞いてみるとフンザの出身だと云うことだ。
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近くにあるアフガニスタン料理で有名な店「カブール」に行く。雨にもかかわらず店内は意外と賑わっていた。前回にも寄った店で確かに美味しい。シシカカブーを何本も口にした。日本からの土産として風鈴を送ったが、喜んでもらえたのか。激しい雨の中をタクシーを拾ってホテルに帰る。

ゴンドゴロ・ラからK2④ スカルドへ(20100730~0801) [ゴンドゴロ・ラからK2へ]

朝方の天候が気になったが、幸い高曇りで少なくともイスラマバードにはフライトキャンセルの理由はなさそう。10時半発のスカルド行きは順調にチェックインが始まる。しかし定刻になっても搭乗の気配もなく不安が過ぎった。
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そんな時間が経たないうちに突然キャンセルという放送に期待を裏切られた。スカルド行きはキャンセル率が非常に高い路線であると聞いていたのでやっぱりという気持ちだったが、現実になるとは。でも明日には飛んでくれるのではとの一縷の望みに託してホテルに戻る。

午後は以前にも行ったたことのあるタキシーラ遺跡を尋ねた。アレキサンダー大王侵攻の遺跡、ガンダーラ芸術などなど。日本の仏像の原点でもあるので、博物館や遺跡巡りは何度見ても圧倒される。
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政情不安が絶えないパキスタンで、ムシャラフ前大統領人気が底流では根強く残っているようだ。その背景にはスタグフレーションに見舞われているパキスタンだからやむを得ないのかもしれない。しかも国家予算の過半を国防費につぎ込んでいる状態では国民が疲弊するのは当然至極と言うことだろう。1ドルが80台ルピーだから、1ルピーがほぼ1円になる。確かに2年前の換算に比べると強烈な円高になっていた。現体制への不満のはけ口なのかもしれないが、訴追されている事件の時効待ちで現在イギリスに亡命しているムシャラフが、近いうちに復帰するとの待望論まで囁かれていた。

今日のホテルはアンバシーホテルに変更。以前にも使った事のあるホテル。イスラマバードの高級住宅街の一角にある閑静なプチ・ホテルだ。

このホテルのある一角は現大統領の側近が住んでいると言うことで厳重な警戒体勢になっていた。鉄条網を螺旋状にして道路を封鎖している。その先にホテルがある。ホテルに戻ると二人組の日本人トレッカーが来ていた。彼らはマッシャーブルムBCのトレッキングに行くそうだ。夕方には彼らがバザールに行きたいと云うことになって再度出かける。
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バザールは昨日とは違って天気が回復していたので、多くの人々で賑わっていた。行き違う人からチャイニーズか、と声を掛けられる。パキスタンは親中国で太い交流関係を結んでいるので、多数の中国人が入国しビジネスをしている。彼らにはチャイニーズの方が馴染んでいるからだだろう。いや、ジャパニーズと答えると急に親しみを持った表情に変わった。ガイドに言わせれば確かに中国には巨額の援助をもらっているけど、ずるい、騙す、made in chinaは偽物、壊れやすい、と言うイメージが定着しているようだ。それに対し、made in japanは高級品、日本人は誠実で礼儀正しい、と言う評判になっている。そんなイメージは昔の日本だよ、と言いたいぐらいで赤面しそうになった。

夕ご飯はパキスタン料理に舌鼓。ジャンギラという有名な店だそうだ。

悪いことがあると続くものだ。以前は快適に泊まれたホテルが酷いことになっていた。風呂に入ろうにも何度文句を言ってもお湯が出ない、朝飯はトーストだけ、あまりにも酷い変化にガイドに文句を言った。彼からの答えはコックも従業員3人を残して辞めてしまったとか。あまりに酷さに怒り心頭だ。

翌日31日再び昨日と同様に飛行場に向かい、チェックインも済ませて待機している。今日は2人の日本人も一緒なので時間の経つのはそれほど苦にならないが、キャンセルのリスクは相変わらずだ。何度かのデレイの放送のあと、11時過ぎにキャンセルの一言で今日もホテルに逆戻り。持て余しそうな午後であったが、ホテルでTVを見たり、洗濯をしたり、昼寝をしたりしているうちにあっという間に夕方となった。今晩は再びカブールでアフガニスタン料理。シシカカブーやマントゥー(餃子に類似)を食べる。

8月1日(日)今日こそは飛んでもらわないと予定の変更が不可避となる。3度目の正直と願を掛けて飛行場に向かう。搭乗手続きはいつものように順調に進むが、今日もデレイになって不安が一杯だ。1時間半遅れの12時に出発と言うことでひとまず安堵した。今日は搭乗出来たので安心と思っていた矢先に滑走路でエンジンを吹かす様子がない。だんだん機内は蒸し暑くなるし、大声を上げて騒ぎ出す乗客も出て不穏な空気にキャビンは包まれた。しばらくすると現地語でなにやら放送があって、そのままなんと飛行機は逆戻りをし始めたのだ。後で分かったことはメカトラブルで部品交換が必要になったと言うことだった。1時間は経っただろうか。再び出発体勢に。今度は無事に離陸してくれた。

実は飛行機は飛んだが、肝心の日本語ガイドが同乗出来なかった。その理由は現地での段取りが悪く、彼のチケットが空席待ちだったようだ。チェックインの際に、乗れない場合を想定してスカルドでの手順を伝えられた。トレッキングの現地での手配を委されているイザークさんが飛行場で待機しているはずなので、彼に必要書類と現地通貨を渡すようにとのことだった。
少なくとも現地での山岳ガイドは英語が話せるとのことだったので、最悪事態は避けられるものの、事前に日本語ガイドを手配することを条件に段取りを取ったにしてはあまりの不手際に憤りさえ感じた。

スカルドは7000M級の山岳の渓谷を縫って飛行していく。難しい飛行ルートであることは素人でも推測がつく。機体はボーイング737だからかなりの高度から、インダス川の中州とはいえ狭い空間を円を描いて高度を下げてラウンディングするサーカスだ。。今日は快晴とは言えなかったが、無事にスカルドの飛行場に降り立った。中州の中央なのでまるで砂漠のまっただ中という環境で、そこからバスでチェックアウトするのビルに移動する。

前回スカルド入りには陸路で2日がかりで辿り着いた事を思うとあっという間の1時間だった。でも、もし前回の陸路での経験がなければ一度は大変だけど陸路での移動の価値はある。なにごおとでも楽をして得られたものの価値は下がってしまうことを忘れてはならない。
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飛行場の事務所は小さな建物、乗客でごった返すことになる。カートの取り合いで一戦交えながらようやくの思いでカートを手にしれて混雑する手続きを終えて外に出るとイザークさんらしき人が看板を掲げて待っていた。一見怖そうなサングラスの厳つい男だった。他の日本人2人と一緒におんぼろのカローラで市内に向かう。ホテルは以前に泊まったモテル・カンコリアだ。眼下にはインダスの川面が広がって美しい。
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いよいよ明日から山岳へ第一歩を進める。楽しみだ。
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ゴンドゴロ・ラからK2⑤ フシェへ(20100802) [ゴンドゴロ・ラからK2へ]

5時半に起床。天気は快晴では無いが晴れだ。食堂で3人の日本人パーティーと出会った。彼らはビアフォー氷河のトレッキングからの帰路。これからイスラマバードに向かうそうだ。昨日のフライトに乗れなかったので今日再チャレンジと言っていた。みんな真っ黒な顔に達成した満足感が表れていた。
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昨晩、今回の山岳ガイドアミンさんと顔を合わせた。イラクのフセイン前大統領をお人好しにしたような顔立ちだ。彼はシムシャール(フンザからフンジュラーブ峠へ向かう途中から右に入る)の出身。山岳ガイドを数多送り出しているエリアだそうだ。メインの仕事はカリマバードでホテルを共同経営しているとか。

7時過ぎになってジープが到着、それに乗り込む。一昨年の時には荷物、ガイド、ポーター全てを満載して向かったのだが、今回は山岳ガイドだけ。荷物も含めポーター達とはフシェで合流する。ということで前回は半身になりながらの窮屈な搭乗であったが、今回はゆったりと乗っていける。

しばらくはインダス川に沿って遡上ししばらく行くと、左折するとアスコーリに向かう分岐点を直進して行く。道は舗装されていて快適だ。

8時20分チャンチェ地区へのチェックポイントで入山証やパスポートの確認があって先に進む。インダスは時には峡谷をなし激流になって流れ、時には広大なゆったりとした流れになり、それを繰り返しながら蕩々と流れている。10時にはカプルーの街に入る。大きな街としては最奥だ。今回、イスラマバード飛行場で搭乗時に出会ったグラム・アリ君は当地の出身だ。彼はイスラマバードの大学で勉強をしている。なかなかの好青年だ。待機している時に彼から声を掛けられて片言の英語で(彼は達者だったが)やり取りをする。その後アドレスを交換していたので今でも連絡をしている関係になった。
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この先では食事を取れる場所がないので、早昼飯となる。右手に坂を上がるとカプルーの市街地、バザールだ。人の行き来で賑わっている。我々は直進してPTDC(Pakistan Tourist Development Company )の経営する小綺麗なホテルでとることになる。道を挟んでインダス川が広く広がったまるで湖のような河岸に面し、傾斜地を利用した瀟洒なホテルだ。高級感のあるホテルだったが、さすがに食事はカレーしか用意出来ないと言うことでちょっと拍子抜けな気分だ。他には客は居ない。
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11時40分昼ご飯を終えてに先に進む。しばらく行くとT字路があって、このまま先に進むとカシミール地域を警戒しているパキスタン軍のキャンプがあり、その先に住む現地人以外は通行出来ないエリアになっている。そのT字路を左折して、いよいよフシェに道をとる。中州にある小さな橋をいくつか渡って、インダスに合流する川の右岸に移り、先に進む。道は徐々に悪路に変わって行く。
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街道筋はパキスタンには珍しく緑が繁茂し、それなりの農業が成り立っている。12時45分マルジェゴンの集落を通過、周りには杏子の木々が繁茂し、そこには橙色の杏子がたわわに実っている。手を伸ばせばいつらでも食べられるのに、当地の人々にとっては珍しくもなく、珍味でもないのだろうか。決して豊かな地方とは思えないのだが。

1時15分カニの集落を通過。対岸にゴンパがあったとつい錯覚したのだが、実はそれはモスクだった。この地方は以前はチベタンがチベット教を信仰していたエリアだったが、現在ほとんどの住民はイスラムに改宗している。その歴史がチベット的な文化(建物)にイスラム教が相乗りしている姿だと分かった。

1時40分眼下にカンデの集落が見える。かなり大きい街だ。さらに右岸から左岸に渡りしばらく行くといよいよフシェの集落に入る。2時20分フシェのキャンプサイトに着く。集落の一角にある空き地が今晩のテント場になる。すでにそこにはキッチンボーイ、ポーター、カメラポーターそして必要な荷物は全て到着済みになっていた。

フシェは3050Mの高地にある人が定住する村としては最奥にある。以前K2トレッキングの際のキッチンボーイがここの出身だった。彼から是非フシェに寄って欲しいと言われていたことを思い出した。とても美しい村だとのことだった。確かにカラコルム特有の乾いた岩と砂の景色とはまるで違う、緑に恵まれたそしてここから8000M弱の美しいマッシャーブルムが見えるのが嬉しい。マッシャーブルムはK1とも言われ、現地語で「美しい山」ということらしい。
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天気も良いので、進行方向前方にそのマッシャーブルムが見える。すでに2人の日本人トレッカーは到着済みで、彼らのガイドとも挨拶をする。達者な日本語を話すガイドだった。高地とはいえ強い日差しに日陰を求めて休みの場所探しに忙しい。
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彼らのポーターも一緒になっているので誰が自分のグループなのか区別が付かなかったが、キッチンボーイとカメラポーターはすぐに紹介されて挨拶を済ませる。キッチンボーイはカプルーからフシェに向かって途中にある集落の出身だそうだ。とてもシャイな穏やかな人だ。3人の子供がいる、稼ぎを求めて今回の参加になったようだ。カメラポーターはフンザの北部にあるススト出身の22才の青年だ。

ゴンドゴロ・ラからK2⑥ サイチョウーへ(20100803) [ゴンドゴロ・ラからK2へ]

5時20分に起床。半月の月が残っていた。天気は快晴。今日はマッシャーブルムがさらに鮮明に浮き立って見える。
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バルトロへの出発点になるアスコーリに比べるとフシェは遙かに凌ぎやすい気候だ。冷やっとする張り詰めた空気がなんとも心地よい。7時20分いよいよトレッキングのスタート。村道を行くとスパニッシュ・プロジェクトという表示のある瀟洒な建物の前を左にとり、一気に河原に向かって下る。左右には畑が広がっている。さらに進むと登りになって一旦平坦な部分に出る。

眼下には吊り橋が見える。橋を渡るとその先はマッシャーブルムBCに向かうルートだ。しばらくするとマッシャーブルムからの川とゴンドゴロ・ラからの川が合流している。マッシャーブルムは視野から消えて、前方には針状の山リラピーク(6000M級)が視野に入ってくる。

9時40分小休止。天候が良いので強烈な日射に疲労感が漂うが、木陰を求めて一息入れる。トレイルの両側にはすでに盛りを過ぎた野バラが最後の栄華を誇っていた。キッチンボーイのムディーンさんとここで合流する。
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先ほど10人程度のチームと行き交った。明らかに韓国人であることを所作に表現しながら下っていく。何となく違和感を感じながら見送った。白人のチームではそう言う違和感を感じることがなかったのだが、自己顕示的な仕草がそうさせているのだろう。どこのピークを攻めたのか不明だが、エクスペディションからの帰路であることは間違いない。
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11時15分左岸から右岸に橋を渡る。しばらく進むと今日のキャンプサイト・サイチョウ-(32000M)に着く。サイチョウーは二つの川の合流地点、水の豊富なフラットな幕営最適地だ。すぐその後ろにはモレーンが迫っている。ここには最後の山小屋があって、小屋番も駐在している。この小屋は村の共同経営で運営されているそうだ。ここではコカコーラ、ファンタなども売られていた。
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緑に恵まれたテント・サイトでのんびりと明日に備える。小屋裏に迫っているモレーンに向かって行くと明日のトレイル、ゴンドゴロに向かい、目の前の流れているサイチョー川に沿って先に目をやるとK7が見える。その右手にはK6があるのだが、稜線に隠れてここからは見ることが出来ない。ゾキョが数頭草を食みながら思いに任せて移動していた。今日はそれほど高度も稼いだわけでもなく、時間的にも楽な行程だったので、のんびりした一日だった。
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ゴンドゴロ・ラからK2⑦ ダルザンパへ(20100804) [ゴンドゴロ・ラからK2へ]

5時過ぎに起床。毎日のことだが、順番を考えながらの荷造りをする。夜中に雨音を立てて降っていたし、今も霧雨が降っているので、雨に備えた準備になる。そろそろ食欲が後退するタイミングだ。何をおいても下痢を避けたい、という思いが強くなるので、これを口にして大丈夫か、神経質になりすぎてしまう。それが食欲後退にもなっているのかもしれない。いつもなら大好きなものもなかなか意欲が沸いてこない。
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6時40分いよいよ出発だ。幸い天気は回復して雨の心配は無くなった。まずはモレーンの上を目指して先に進む。左手に氷河の先端というか最後が眼下に見える。右手には川が流れているが、上流があるわけではなくモレーンから湧き出した氷河からの伏流水のようだ。
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9時過ぎ気がついてみたらモレーンが消えていつの間にか右手の山の斜面に移っていた。後ろを振り返るとビッカーという山が聳えている。すでに3700Mを越えている。しばらく進むとモレーンと山に囲まれた平坦な広がりを通過する。小川が流れている。再びモレーンの上を歩く。この一帯はたくさんの高山植物が咲き誇っている。
右手から流れ込んでいる川を渡るのにちょっと神経を使った。足場になる石が少なく、僅かに頭を擡げている不安定な石伝いの歩行に、ストックでバランスを取りながら渡る。
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10時に先発のポーター、キッチンボーイ達と合流する。モハマダリーさんがポーターリーダー。20人弱のポーターをコントロールするのは大変な仕事だ。今回は二つの集落からの混成部隊で、その上一人一人の個性がぶつかったり、時には荷物が重い、人によっては気に入られて最後まで雇用されたいという思惑などなど、お互いを牽制するような雰囲気もある。それをコントロールするわけだから強いリーダーシップと信頼を持っていないと務まらない。
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ここで昼ご飯だ。キッチンボーイ達が早速ホットオレンジを用意してくれて差し出す。戦後の懐かしい粉末ジュース、普段なら口にしたいとは思えないジュースが美味しく感じられる。

11時過ぎに出発。ここからキャンプまで2時間程度と聞いた。さいわい天気は高曇りで、強い日差しを受けることなく快適な登りを堪能出来る。後方には針状の山マビカが見える。遠くから動物らしき声がもの悲しく聞こえてくる。ガイドはゴートの子供が親を探しているんだよ、と言っていた。
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モレーンから下って氷河に移動する。しばらくは氷河上を歩いたり、モレーンに移動したりのタフな歩きになる。12時半氷河をトラバースして対岸に移る。氷河の上は足跡が残らない、日に日に状況が変化する、それを間違いなく歩くのは現地を熟知していないととても難しい。いつも思うことだが、厳しいトレイルほど道を失うことはないが、特色のない広い場所でトレイルを探すのがどれだけ困難なことか。1時15分キャンプ・サイトのダルザンパ(4150M)に着く。
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しばらく昼寝でゆっくり過ごしていると、聞き慣れた声が耳に入ってきた。テントから出てびっくり。日本語ガイドのファイサルさんがアミンさんと話している。イスラマバードに取り残されて、それから4日目だ。100%彼は来られないものと思い込んでいたので、仰天するやらホッするやら。

このキャンプサイトは二つに分かれている。我々は左手のモレーンの間にある。右手のモレーンの裏側にもキャンプサイトがあり、そこには白人のパーティーがテントを張っている。一組は目の前にあるピークのエクスペディション、もう一組はゴンドゴロラからの下山組がいた。
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カメラポーターのカリームを連れて左手のモレーンに登って写真を撮りに行く。ここはマッシャーブルムからの氷河とゴンドゴロからの氷河が合流している。下からは見えない美しい景観を期待して上がったものの、それほどの景観もなくがっかりだ。カリームには単にポーターとしてカメラを持ってもらうだけでなく、彼にも写真を撮ってもらおうと思った。、それは彼が撮影することに興味を持っていたのと、興味があるだけに撮ってもらうとなかなか良い腕前だった。

ゴンドゴロ・ラからK2⑧ キュスパング=ゴンドゴロBCへそして高度順応(20100805・06) [ゴンドゴロ・ラからK2へ]

夜半、雨音が夢うつつのなかで耳に残っていたが、やはり朝方も天候は回復していなかった。5時半に起床。雨対応の服装を準備してパッキングをする。8時ちょっと前に出発する。9時には再びゴンドゴロ氷河に移動する。幸い霧雨も上がり空には青空も覗くようになる。
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眼前にはマッシャーブルム山群からの氷河が迫ってくる。大きな岩、小さな岩、足元を確認しながら歩いているうちに、気がついたら氷河が剥き出しになった上に移っていた。氷河には大小クレバスが縦というより横に走っている。恐怖を感じるほどではないが、青みを帯びた亀裂の下を覗くと不気味さを覚えた。ブリッジの上を渡ったり、誰が渡してくれたのか丸太を利用してクレバスを越える。
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ガイドやポーター達は氷河上に転がっている小さな石を盛んに割ったりして何かを探している。彼らに言わせると、トルマリン、水晶、ガーネットなどを見つけることがあるらしい。みんなの無邪気さにびっくりしたが、これが彼らにとっては副業にもなるらしい。いい石を見つければトレッカーに売ることができる。残念ながらこの日は大きな収穫はなさそうだった。
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氷河の上は凹凸が少なく一見歩きやすいように思えるが、実は凹凸がないと言うことで気を許していると、うっかり小さな浮き石に乗ってしまうと足元を奪われてスリップしてしまう。時には氷河に食い込んでいる岩の突起につま先を引っかけたり、意外にもイライラする歩行になってしまう。
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時々雷のような音と地響きが谷間に轟く。最初は遠雷かと思ったが、それは雪崩が雪崩を呼んで音とたてているのが分かった。それは時には地響きにもなって足元を揺さぶる様な迫力がある。無名の山かもしれないが、この雪崩を避けながらピークハントする登山家がいたが、本当に恐ろしいチャレンジになる。エベレストやK2と言わず、この一帯の山でさえ近づきがたい恐怖が身近にあることを実感する。目の前の針状のピークから滝のように雪崩が落ちているのを目撃した。
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11時前方にゴンドゴロのピークが見える。氷河は右に向かってカーブを描いて、先端は右手からの稜線の陰に遮られている。12時半前方遠くにキャンプサイト、キュスパング(4680m)が視界に入る。1時過ぎにキュスパングに到着。
キュスパングは谷間の左手にあって、キャンプ・サイトからはリラピークがナイフの刃を天に突き刺すように聳え立っている。サイトの前には池があって、リラピークが逆さに映し出されていて美しい。
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6日は高度順応日になっている。この一帯は高山植物の宝庫らしい。近場の小高い所へ行って散策をする。確かに美しい花が咲き誇っていた。黄色の花、紫色の花、ピンクの花、群生しているわけではないが、美しさに心が和む。曇っていた天気も夕方には晴れて明日への希望を与えてくれた。
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ゴンドゴロ・ラからK2⑨ ゴンドゴロ・ハイキャンプへ(20100807) [ゴンドゴロ・ラからK2へ]

計画ではゴンドゴロ・ラを越えてカンコリアに向かい、バルトロ氷河を下る事にしていたが、天候が芳しくない日が続き、ポーター達が交換している情報ではアスコーリからスカルドまでの道が随所で崩壊しているとの噂も飛んでいた。結局帰国の日程へのリスクを避けるため、ゴンドゴロ・ラ(5700m)だけを目指し、そこから引き返す計画に変更せざるを得なくなる。

その結果、ほとんどの荷物を上げる必要が無くなり、ゴンドゴロ・ラ往復に要する食料だけを上げれば良くなった。ポーターは避難所があるキュスパングに止まり、数人のポーターが我々の食料とテントを荷揚げするために往復することになる。
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私と同行するガイド、カメラポーター、キッチンボーイ、ポーターリーダーだけでゴンドゴロ・ハイキャンプに向かう。
今日の行程は3時間程度のトレッキングなので、ゆっくりした出発になった。
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10時に出発。この先には新雪が積もっていたり、氷河が剥き出しになっているところもある。そして岩砂で表面を覆われている氷河があったりだ。
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新雪のエリアではブーツが埋まってしまような場所もあって、雪が靴の中で溶けて靴下が濡れて気持ち悪い。左手前方にはゴンドゴロがあり、正面から右手にはチョゴリザ山群が見えている。正面の稜線背後は3年前に行ったカンコリアからバルトロ・カンリに向かった氷河になる。

近くに見えたハイキャンプだが、氷河の上を何度もアップダウンを繰り返さなければならない。12時半に到着。天気は不安定で昼前には青空があったのにキャンプ地に着く頃には雲が垂れ込めていた。今にも雨が降りそうな模様だ。キャンプサイトの手前左に氷河湖がある。それが我々の生活を支える水になる。
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午後はゆっくりだが、明日目指すゴンドゴロ・ラには雪が締まっている夜間に着く必要がある。そのためには夜中の12時にハイキャンプを出発しなければならない。明日に備えてテントで昼寝をする。表が賑やかになったので出てみると、ガイドと思しき屈強な男が、今朝アリキャンプを出て今日中にフシェまで行くと言っていた。私なら数日かかる距離を、一日で行ってしまうとは、いくら下りで小さい時からポーターで鍛えているとはいえ、あまりの強脚ぶりにびっくりだ。
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ゴンドゴロ・ラへのトレッキングにはレスキュー(ハイ・ポーター)を雇用しなければならない。その理由は深夜の移動でもあり、一部に50度弱の傾斜地をロープ伝いに登るとか、特別な手技と状況判断を要するからだそうだ。我々のレスキューが下から上がってきて合流した。

早めの夕ご飯で早い出発に備える。いつものことだが、いつもなら美味しい料理も喉を通らない。

ゴンドゴロ・ラからK2⑩ ゴンドゴロ・ラ 挫折(20100808) [ゴンドゴロ・ラからK2へ]

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12時に出発。深夜なのに生暖かい。これは明らかに不吉な予感だ。真っ暗なので何も見ること出来ないが、重く雲が垂れ込めているのは分かる。その上寒くないと言うことは雨が降るリスクにつながる。ヘッドライトにダウンジャケット、スパッツ着用という高度登山向けの出で立ちで湿雪を踏みしめて先に進む。まずは稜線上を一気に高度を上げていく。しばらくすると後ろからかすかな声が聞こえてきた。「水を忘れているよ」との声だった。慌ててレスキューが折り返し、走るようにして声のある方に向かった。
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取りあえずはリスクもないので、レスキューなしで前進する。レスキューはあっという間に水を手にして戻ってきた。傾斜の緩い、雪が積もった氷河の上を歩いているようだ。湿雪で時には膝まで踏み込むこともある。前を歩くガイドの足跡をたどる方が踏み固められた上で歩きやすかったり、時には絶える限界にあった踏み跡だとズボッと潜ってしまうこともある。大した登りではないが、足場をどこに置くか予測するのが大変。しばしば予測違いがあってイライラしてしまう。
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12時45分一息入れる。レスキューが先行してルートの確認に行った。戻ってきて早速前進だ。足元に時々クレバスが口を開けているが、日中の印象とは違ってそれほどの恐怖感を感じない。視界が悪いと言うことは見えなくて恐怖を感じてしまう事もあるが、見えなくて恐怖を実感しなくて済むというメリットもある。ガイドから足元に注意するよう言われて慎重に前進する。
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1時半標高4900Mを超える場所で一息いれる。霧雨がしとしとと降り始める。空を見上げると雪が反射して灰色の世界を作っていて多少の明るさを提供してくれる。ゴンドゴロ・ラはどこだろう、と聞くと、左手だと言われた。キャンプからほとんど直進してきたとすればそうなる。2時には標高5000M地点を通過。

ルートを左に切り、凹凸のある急斜面を登り始める。ストックに体重を預けて急峻な登りを喘ぎ喘ぎ一歩一歩前進。2時半、数メートルある岩の陰で一休み。すでに標高は5200M地点に届いている。ところが、レスキューがいつもと様子が違うのでルート確認で上を見てくると早足に登っていった。

しばらく無音の静寂のなか、ガイドが持ってきてくれたテルモスを開けてコーヒーを差し出してくれた。こんな時には温かい飲み物が最高だ。ぐうっと一飲みで飲みたい気持ちを抑えてちびりちびりと大事に味わう。

数十分はたっただろうか、ガイド達が大声でレスキューに声を掛け続けるが何の反応もない。ただの休養かと思っていた私にも異常事態のリスク、不安が過ぎり始めた。「何か起きたのか」とガイドに聞くと、いつもなら補助ロープがあるはずなのに見つからない、もしかしたら誰かが外したのか、とても不思議だと言ってレスキューが様子を見てくる、と言っていたそうだ。

無音の時間がしばらく続き、突然雪を踏みしめる音が上から聞こえレスキューが戻ってきた。待ち構えていた全員が大声で”どうだった”と詰問している風だ。ところが悪びることもなく「ルートを間違えたらしい」と一言。ガイド達も呆れて私にこのまま待ってて下さい、と言って再びルート探しに出て行った。しかし真っ暗な中で見つかるはずがない。

私としてはここに至って何が起きてしまったのか、ようやく現実が理解出来、同時に強烈な怒りと落胆が襲ってきた。日本を出る時の最大の目標であるゴンドゴロ・ラ越え、しかも今まで経験していない5700Mの高度体験を達成するために全ての準備と体調維持をぎりぎりで追い詰めてきたのに。
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いずれにしてもこの場で解決出来ないのは確かなので、下山するしかない。下山はクレパスだけに気をつければそれほどの負担にはならない。気がつくと霧雨が雪交じりに変わっていた。ダウンもじっとりと濡れてきた。

この天候具合とこのいい加減なレスキューで明日再チャレンジすることへの逡巡が頭を過ぎり、この先どうしようかと反芻していたからか、あっという間にキャンプに戻っていた。

テント内ではルートを見失ったことでガイド達とレスキューで激しい口論が始まっている。日本語ガイドは私の気持ちを代理してひときわ激しく追求してる。やり取りの内容は全く理解出来ない。何が事実かは不明だったが、ガイドの説明ではレスキューが偽者で現地事情に精通していないとのことだった。しかもその背景にはこのレスキューを手配したポーターリーダーが仕組んだ詐欺ではないかとまでいいだした。その理由はレスキューには高額の料金を支払うことになっているのだが、それを狙ったポーターリーダーが偽レスキューとつるんでシェアする、そんなやり取りがあったという疑いがあると言うことになった。事実は最後まで分からなかったが、そう考えることで割り切ることでこの憤りを落ち着けるしかなかった。

どのような経緯があったとしても、プロとして雇用したのだからそれにはしっかり答えてくれないと。そんなことで私の目標をこんな形で断念させられるとしたらなにをか況んやだ。

私としては同じレスキューで再チャレンジは出来ない、なんとか別のレスキューを探してくれるよう頼んだ。また今日のレスキューには対価を払わないで欲しい、と伝えた。すぐにガイドは新しいレスキューを探しに下のキャンプに下りていった。

夕方には新しいレスキューを連れて戻ってきた。新しいレスキューは服装からしていかにも登山経験豊富という出で立ちだ。昨日のレスキューとは存在感が違う。

しかし新しいレスキューはなんとか雇えたものの天候は相変わらずで雨が激しくなるわけではないが、雲はますます厚くなり、再チャレンジには悪条件になっている。
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テント内でガイドと状況判断を話し合った。確かに5700Mという標高踏破も目的ではあるけど、そこでの眺望が出来ず写真も撮れないようでは行く事の意義はない、しかしここで断念すると二度とチャレンジできない、そんな狭間で難しい判断になった。ガイドからはこの天候では100%視界が回復する目処はない、と断言されたので最終的には断腸の思いで中止を決意した。明日には下山する決断をする。
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何度も「何が理由でこのような事態に至ったのか、原因究明しなければ」、「スタッフィングをコーディネートした信頼していたエージェントにも責任追及をしなければ、」あれこれ考えの堂々巡りをしているうちに、いつの間にか寝入っていった。

ゴンドゴロ・ラからK2⑪ ダルザンパへ戻る(201008009) [ゴンドゴロ・ラからK2へ]

下山するという安堵感と無念さを抱えながら今日はダルザンパのキャンプを目指す。計画断念で予定はすっかり余裕が出来たので、単に下山するか、マッシャーブルムBC経由で下山するのか昨晩話し合ったが、荒れたトレイルの状況がつかめないので、下の状況が分かってから判断する事になる。
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氷河湖を見ながら8時半に出発する。厚い雲に覆われて今にも雨が降りそうな気配だ。9時半にはキュスパングのキャンプサイトに着く。10人近い白人のトレッカーが賑やかに右往左往している。彼らはスペイン人たちだ。彼らの目的はハンググライダーでゴンドゴロ・ラを越えてバルトロ氷河を下ることらしい。それはそれでチャレンジではあるが、何もこのような自然豊かな奥深くでエンジンの轟音を谷間にこだますことは如何なことだろう、と言うのが正直な気持ちだ。
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別のパーティーのポーターから暖かいコーヒーを差し出される。本当に有り難う。こんな時の温かい飲み物は最高だ。一息入れているとしとしと雨が降り始め、そのうちに雨音が激しくなる。慌てて雨具の準備をして出発だ。
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定かな目印もない氷河を黙々とガイドに従って先に進める。雨が降るだけでなく、低く雲が垂れ込めて足元以外に確認するものがない。11時40分氷河からモレーンの上に移り、一息入れる。

再び氷河に移る。順調に確実に下山していると信じていたところ、ガイドのアミンさんが不安そうな顔でここで待っていて欲しい、と言い出した。何事が起きたのか、と日本語ガイドのファイサルさんに尋ねると、ルートを間違えたらしいとのこと。そう言えば往路でもこんなことがあった。その時は視界が利いていて、ポーター達が登っているのを確認出来て事なきを得た。ここにいたって山岳ガイドに対する信頼が少しずつ壊れ始めている自分に気がついた。
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アミンさんが戻ってきてファイサルさんやカリームとなにやら話をしている。明らかに見通しが立っていないと言うことだ。再び彼らは右に左に手分けしてルート探しに散っていった。視界から彼らは消えて、しばらく私一人で氷河の上で待機することになる。この天気で、しかも荷物は全てポーターが持って下山している、と言う状況ではここでのビバークがどんな状況かが想像される。そう思うと、さすがに心中穏やかではない。

目の前にある川の向こう側からアミンさんがこちらに来るようにと声が掛かった。でも目の前の川を渡るって手がかりもなく、かなりの広さがある。どこからそちらに渡るのか、と大声で叫ぶ。上部に登れば飛び石があって徒渉出来るよ、と答えが返ってきた。

まずは一安心。氷河上を歩いていた時、右から左から落石の轟音が響いてこだましていた。雨が続いて地盤がゆるんでいるからだろう。しばらくして氷河の左岸に移動し、岩を縫って先に進む。左手にいくつかの沢が入り込んでいるが、そのたびに厳しい急降下、そして徒渉、急登を繰り返す。しかも、さっき聞いた落石の爪痕が残っているトレイルを歩くことにもなる。さすがにひやひやの連続。ガイドからは危険地帯と言われても防ぎようがない。幸い足場の悪い危険地帯を何事もなく通過してモレーン上に移る。
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ここまで来ればダルザンパは近い。ダルザンパのキャンプサイトは真ん中を尾根が走っていて分断されているが、往路と同じ右側の谷間にあるサイトにすでにテントが張られていた。2時半に到着。

ゴンドゴロ・ラからK2⑫ マッシャーブルムも断念 サイチョーへ(201008011) [ゴンドゴロ・ラからK2へ]

昨晩は満天の星だったけど、今日は高曇り。
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6時起床したが、アミンさんとポータ-リーダーは5時に先発していた。天候不順で川の水量が増えている、その結果トレイルに危険な状態が起きていないかを点検するためだ。
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8時20分に出発する。なだらかな下りを進む。9時ここから先は一気に氷河に向かって降下する。氷河近くではスノーブリッジをはらはらしながら渡り、氷河に移動する。再び左手の山の斜面に移り、アップダウンを繰り返す。9時50分テラス状のところで一息入れる。その先はモレーンと山に囲まれたキャンプ適地だ。2匹の馬がお互いじゃれ合って戯れていた。

立て看板があり、ホースライド可能と書いてあった。そのような需要があるのだろうが、馬に乗った経験から決して快適でないことは想像出来る。看板の表示のスペルに間違いがあったが、カメラポーターのカリームが自慢そうに指摘する。確かな指摘だ。
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草地を進み、眼下には左手から沢が流れ込んでいた。10時20分、そこに近づくと往路では目立たなかった水量が明らかに変化している。徒渉するのに恐怖感を感じなかったところが、様相を変えている。たまたまそこには見知らぬ現地人が立っていた。ファイサルさんが彼の背中に背負ってもらいなさい、という。見ず知らずの人の背中に乗るのに躊躇があったが、さすが激流を徒渉する勇気もなく、背負って貰うことにする。
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彼は決してマッチョでもなく、私より体重も少なく、背丈も小さい。私に足が水に浸からないよう膝を曲げなさい、と言って、山で拾った枝を片手に私を背負って足場を捜しながら多少ぐらつきながらだったけど対岸に渡る。乗っている本人は不安一杯だったが、彼は自信満々のようだった。

彼には感謝の気持ちとして5ドルをチップで渡す。後で分かったことだが、彼は自分の雇ったポーターの一人だった。先発したアミンさんから私が来たら背負うように指示されて、ここで待機していた事が分かった。

10時50分、再び草地が広がっているキャンプサイトに着く。ゴンドゴロ・キャンプサイトだ。ここで昼ご飯になる。草地の反対側に小さな仮設テントがあり、人気があった。なにやら大声を上げて我々を呼んでいるようだ。ガイドが私に山羊のヨーグルトを食べますか、と声を掛けた。こんなところでヨーグルト、ってどんな代物なんだろう。確かに喉も渇き乳製品には心惹かれたが、先のことを考えて断る。ポーター達は先を争うようにそこへ向かって行った。ポーターリーダーから許可が下りたようだ。

ファイサルさんとアミンさん、そして何人かのポーター達がひそひそ話をしている。あとで確認したところ、コックのムディーンさんが住んでいる集落が土砂崩れで200人近い村民が生き埋めになったとの事だった。この情報は行き交うポーター達から得た情報で確かではないが、ムディーンさんの家族が被災者がどうかは別として、大事件が起きていることだけは確かそうだ。

なんでみんなが噂をしているのにムディーンさんの耳に入っていないのか不思議でしょうがなかった。実は彼は耳が遠く、仲間とのやり取りが簡単ではないことだった。それともし彼の家族が巻き込まれていたら、辛すぎる話なので、気遣いで彼に何も伝えないように配慮していたようだ。

マッシャーブルムBCのルートはここから分岐して氷河をトラバースし、対岸の斜面をトレースするらしい。そのトレイルは想像したとおりかなりの崩壊があって進むことが出来ないとのことだ。11時30分、気温が上がり水量が増えると徒渉が困難になることも予想されるので、早早に出発する。沢の水量は確実に増水していて、再びポーターの背中に背負われる羽目になる。
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ここまで下りてくると神経を使わずのんびりと歩ける。野バラがあちこちに見られる。久しぶりに暖かい日差しを正面に浴びて右手眼下にはマッシャーブルム氷河を見ながら緩やかな下りが続く。一気の降下がはじまるとすぐにサイチョウのテントサイトだ。
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1時半。久しぶりに高額(笑)なファンタで喉を潤す。今晩は今回のトレッキング最後になるので、羊を一匹丸焼きにして祝杯をあげる予定になっていた。アミンさん達が先発した理由にはその羊を手配することでもあった。ところが、サイチョウーまでで山羊を入手することが出来なかった。理由は全ての山羊は山の上に上がっていて入手が出来なかったそうだ。。

目の前で殺して、皮をはぎ、切断する情景はとても見られない、そんな気分でいたので、買えなかったのは幸いだ。ただ、心の片隅ではマトンカレーが食べたいという欲望があったのも正直な気持ち。それを楽しみにしていたポーター達はさぞかしがっかりしているだろうと心配したが、その分をチップとして支給されてかえって喜んでいるようであった。

幸い日差しがあるので、汗まみれになった下着やシャツを洗濯したり、日向ぼっこで時間をつぶす。
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ポーター達は小屋にある太鼓を持ち出し、歌声に会わせて打ち鳴らす。なかには踊る者もいる。一緒に歌おうと誘われ、輪に加わったが、ただただ手拍子を合わせるだけだ。明日は家族の元に帰れると言う喜びもあるのだろう、彼らにとっては一時のくつろぎの時間になった。

ムディーンさんがなにやら大事そうにしていた紙を持ち出した。ガイドを通じてこの紙はどういう意味なのか教えて欲しい、ということだった。小さな表彰状に日本語が書いてあった。
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彼のお父さんはポーターをしていて日本人のガッシャーブルムⅣ登頂隊に参加したらしい。その時に事故にあって亡くなったそうだ。この表彰状はその際もらったものだと言うことが分かった。ムディーンさんにとっては父親の数少ない思い出の一つであることは察する事が出来る。今回、日本人トレッカーのコックをすると言うことで家から持ち出して機会があれば聞いてみたいと思っていたのだろう。記載内容とか書き方にどれだけの思い入れがあったかというと、それほどの思いが込められていたとは思えなかったが、ガイドに通訳して貰いながら説明してあげた。ふと父親を思い出したのだろう、その表彰状を凝視していた。

ゴンドゴロ・ラからK2⑬ カプルーへ(201008010) [ゴンドゴロ・ラからK2へ]

山岳中心部から遠ざかっていることもあるのだろうが、皮肉なことにここまで下りてきたら天気が安定している。
朝日を背中に浴びながら6時過ぎに出発する。本来ならゆっくり、のんびり下山と言うことだろうが、これからのトレイルの状況が不安であること、さらに往路ではジープで一気にあがれたフシェからスカルドまでの道も寸断されている、との噂も耳に入っているので早出となる。
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10分ほどで右岸から左岸に移る。橋をくぐる水の勢いはこれ以上の激しさはあるのか、と言うほどにいきり立つように下っていく。下を見るとぞっとしてしまう。その先では左手から流れ込んでいる沢を何度か徒渉する。水量が増えているが飛び石沿いになんとか濡れずに渡る。
徒渉も経験するうちに恐怖感も薄れ、度胸がついてくる。ガイド達が手を差し出してくれるが、自力で徒渉出来るようになった。
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右手眼下には吊り橋が見る。マッシャーブルムにつながるトレイルだ。ここまで来ればフシェはすぐだ。8時10分前方に視界に入る。フシェの街と同じレベルから一気に河原に下ると、そこには豊かな畑が広がっている。雨が降り続けたこともあり、トレイルは水たまりというか水没していたりして、迂回しながら先に進む。枯れた大木を数人で担いで行き違った村人がいた。彼らは流された橋を補修するために登っていくとのことだった。フシェの集落への急登、そして家畜臭の漂う人里を感じながら、安堵感と一気に吹き出す疲労感が襲ってくる。
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往路で使ったキャンプサイトにはすでに全てのポーターが着いて寛いでいた。9時一寸前に着く。まずはそこの先の状況確認とジープの確保が出来るかだ。最初に分かったことは道が寸断されているのが間違いない事実だということ。袋小路になってしまったフシェには2台のジープがあるらしいが、問題はその燃料があるのかどうか。
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寸断されていると言うことは相当の距離を歩かなければならないということ。そのためにもここを早く出発したいのだが、ジープの手配が遅々として進まない。焦燥感が襲ってくる。燃料がないと言って足元を見ているようだ。なかなか手配が思うようにいかない。ようやくのことで交渉成立して、荷物をジープに積み込む。往路と違って荷物だけでなく、ポーター隊も全員乗っての移動になる。
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後部のドアを半開きで溢れた荷物をロープで縛って納めようとするが、なかなか納まらない。そうこうしていると、二人の白人を連れたガイドが来て、ポーターに話しかけている。これから上がるので来て欲しい、と言う誘いだった。結局、二つの集落から参加した一方の集落のポーター達はそこに加わることになって荷物の問題は解決する。

離隊するポーターへの支払いをこの場で急遽しなければならなくなって、ガイド、ポーターリーダーとポーターとの厳しい精算交渉が始まった。誰も満足気な顔をしていない。激しい剣幕で要求を突きつけてくる。それも一段落してようやく出発だ。11時に出発。
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路肩が崩壊して狭くなっている場所では全員車から降ろされ、歩いて先に進む。また車に乗って前進したが、11時40分には道路が完全崩壊していて、車を捨てざるを得なくなる。広い河原、ゴロゴロした岩を縫って丸太橋を渡って先に見える集落に向かって登る。
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12時に着いた集落はカンリ、建物も集落の人も明らかにチベタン系だ。埃にまみれた茶店があったが、こんな時でなければ入ることを躊躇するしろもの。ここで多少でも腹を満たしておかなければ次がない状況なので、チャイとビスケットで一息入れる。

ここでの課題はこの先の足確保だ。残念ながらここにはジープはなく、辛うじて農耕用のトラクターがあるだけらしい。ポーターリーダーが交渉をしている。ここでも燃料不足を理由に足元を見られて、高額の料金をふっかけているようだ。

ガイドがブウーブウー言っていた。ここまでのジープが4000ルピー、トラクターも4000ルピー、普段ならスカルドからフシェまでの料金に匹敵するらしい。でも他に選択肢がない無いからやむを得ない。また、彼らには現金収入の道が限られているので、責めるわけにも行かない。
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背丈ほどはあるタイヤが付いたトラクターの荷台に乗って出発。低速で空気を肌で感じながら360度の景色を堪能しながら進む。荷物の上に我々は乗っている。しかもぎちぎちに立錐の余地がない体勢だ。足の上に足が乗り、揺れるたびに膝と膝がぶつかり、決して乗り心地が良いわけがない。

トラクターに乗る時にはこの先15KMは歩き、その先で再びジープに乗ってスカルドに向かえるとの話だった。しかしどれもこれも噂の域を超えていない。先に進んでその場で確認をするしかないので、相変わらず不安は解消しない。

1時間は乗っただろうか。大きな河原の手前で道路は跡形もなくなった。ここで下車する。沢の水量も多く、水で深く抉られた川を徒渉。ここでは徒渉より、そこへの急峻な下り、登りで足場が悪く少し神経を使ったがなんとか対岸に渡る。
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ここから先は道路を歩くので特別の神経を使うこともなく、先に進む。行き交った現地人からはこの先ジープはあるけど、燃料切れだから乗れないだろう、との話もあって不安はますます深まるが、運を天に任せるしかない。

周囲には畑が広がり、カラコルムにしては零細というより恵まれた環境で農業が営まれている感じだ。道ばたには撓わに実を付けた杏子が橙色の実を付けている。手を伸ばせばいくらでも手にすることが出来た。

十分な昼飯を取っていないこともあり、もぎ取ってタオルで拭いて口にする。熟した杏子独特の味が舌に染み入る。私にとってはカラコルムと言えば杏子のイメージだ。歩いていると気がつかなかった事が目に入る。左手にお墓があった。当地では家族単位ではなく、一人一人の墓を作る。日本でも欧米でも墓所らしい雰囲気があるのだが、ここでは道ばたに何気なく存在している。そう言えば日本でも地方に行くとそんな光景もあった事を思い出した。
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2時50分マルチゴーンの集落を通過。アーガー・ハーンが寄贈した水力発電所がある。アガ・カーンとも呼ばれるイマーム(指導者)だ。北部では圧倒的な支持を得ているイスマイリア派分派ニザール派の指導者。女性の地位向上などイスラームの近代化を志向するイスラーム改革主義者で、スンニとかシーアの原理主義とは全く違った教義を持っている。パキスタン北部での彼の影響力は強大だ。

4時にタレッシーという集落に入る。ここがキッチンボーイのムディーンさんの故郷。まずは彼の家族がどうなっているのか、確認だ。本人はすでに故郷の村が土砂崩れで大変な被害を受けたことを知っている。彼の心中を思うとそうでないことを祈っているのだが。集落に入って坂を登っていくと上に行くほどに破壊されている家々が目に入る。その先に右手から流れている沢が氾濫して土砂が家を襲っていた。近づくと瓦礫が家の中にあるいは土台を奪って傾いた家、被災の現場を目の当たりにしたのは初めてだ。
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男達は慌ただしく、行き来をしている。被害を受けた家では家族ぐるみでスコップで土砂を掘っている。ガイドが声を掛ける。家族が2人生き埋めになっているので掘っている、でもなかなか見つけることが出来ない、と悲嘆に暮れていた。おそらく数日続けての作業なのだろう。力が入らないスコップを必至に動かしていた。この家族にとっては迷惑になるけどムディーンさん家族の様子を確認した。さいわい彼の家は災害を免れて全員無事であることを確認出来て安堵した。

ムディーンさんは未だ後方にいるのでこのことを知らない。いずれは分かること。ホットはしたものの目の前にいる被災者家族に何も出来ない気持ちを引き摺りながら先に進む。日程に余裕があればここで多少の手伝いがしたいが、先のことを考えるとそうはいかない。

氾濫した川の先に行くと、パキスタン軍のジープが止まっている。日本語ガイドがなにやら軍人と会話をしていたが、たまたまその責任者がフンザの出身者でガイドと同郷、日本人トレッカーのためなら是非このジープに乗っていくように、とのありがたい助けを貰った。このジープは被災状況の確認と現地への小麦粉の支給に来ていたようだ。

私だけがジープ前方にある座席に座らせて貰う。ガイド達は後ろの幌内にあるベンチに座った。3時には出発する。責任者が盛んに私に話しかけてくる。たまたま乗ったジープがMITSUBISHI製だったし、日本への尊敬の気持ちを盛んに話してくれる。嬉しいことだ。でもこのような尊敬は今後いつまで持ち続けられるのだろうか、と一寸不安になる。睡魔が襲ってくるが、折角乗せて貰っているのでうとうとも出来ない。必至になって話に付き合う。

集落のあちこちで車を止めては事情聴取をしているようだ。被災地から離れると車は砂埃を上げながら速度を上げて走る。そのうちに整備された道路になり、ますます速度を上げていく。気がつくとインダス川の合流地点の中州を走っていた。いくつも小さな流れを渡り、インダス川にかかる吊り橋を渡ると直ぐにT字路になる。カプルーに向かうのは右折だが、パキスタン軍の基地が左手にあるので、左折してあっという間にキャンプのゲートにつく。検札があるが当然素通りして官舎の前で、「お茶でも飲んでいって下さい」ということになった。
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食堂の前にしつらえた椅子に座っていたらさすがに日が暮れてちょっと肌寒くなっていた。「何にしましょう」と言われたので遠慮無く温かい紅茶を所望した。軍人が行き来している。彼らの服装は軍服もいるが、多くは普段着の姿なのでここが軍事基地かと疑問を感じるぐらいだった。なかなかカプルーへの車の手配の気配もなく気掛かりだった。そんな雰囲気を察したのか、「ご心配なく、ホテルまで送りますから」と声を掛けられてホッとした。

すでに夕日が稜線の上に近づき、夕闇が迫っている。再びジープに乗ってカプルーへ。ここからは舗装された道路で100KM近いスピードでクラクションを鳴らしながらあっという間にPTDCのホテルに着く。
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右手にあるレセプション兼食堂、そこで受付を済ませて階段を上がった右手の部屋に入って着替えやら久しぶりのホットシャワーで身体を洗い流した。なんと気持ちの良いことだろう。ザックの奥から下山後用に用意した綺麗な下着、上着に着替えて食堂に向かう。

明日はもう近くになったスカルドに行くだけ。予定より早く着いたのと相変わらずの不安定なフライトと言うことを考えるとそう簡単にはイスラマバードに帰れるのかどうか、不安ではあったが。

ゴンドゴロ・ラからK2⑭ カプルーからの帰路(201008011~19)完 [ゴンドゴロ・ラからK2へ]

ファイサルさんがようやくの思いをして車を調達してくれた。なにしろ車はあれど燃料が枯渇しているので、交渉が大変だ。相当足元を見られているようだった。カプルーからスカルドまでは快適な道を約3時間走る。窓からは水害の足跡があちこちで目に入る。河岸にある樹木は本来なら陸地にあるはずだが、まるでマングローブのように水の中に突っ立っている。吊り橋の手間で検問を受けてインダス川を渡り、右折する。左に行くとカルマンそして方角的にはラダックに繋がっているそうだ。
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市内に入るとガソリンスタンドは開店休業、店前を障害物で塞いでいる。確かに行き来する車の量も以前と比べたら半減はしているように思える。まずはモテル・カンコリアに向かう。本来のスケジュールでは17日スカルド発の予定だから、フライトを取るにしてもキャンセル待ちは覚悟しなければならない。今晩はスカルドに泊まり、イスラマバードへの交通手段について情報を集める。
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今までの情報を要約すると、飛行機が使えない場合の方法として陸路での移動はKKHがギルギッドからチラスまでが不通、さらにスカルドからギルギッドまでも不通になっている、もう一つの可能性はダオサイ峠経由でアストールに出てからチラスに向かいKKH経由で行くルートもあるらしいが、この道もどんな状況になっているのか。飛行機以外はどうも袋小路になっているようだ。

丁度ラマザーンの真っ最中なので、ホテルでは食事が出ない事もあり、夜はスカルドのバザールに向かって手前左手奥にあるレストランに行って食事をする。往路でも寄ったレストランだ。味はこの地にしてはすこぶる美味しかったことを記憶している。その店に着いたのは7時半頃だった。日没後には食事が取れると言うことで、人でごった返ししていた。空席を見つけて座り、注文をする。

普通の日のような段取りなので注文したらすぐ出てくると待ち構えていたがなかなか出て来ない。周りを見回してもテーブルには何も置かれていない。どうも20時が断食明けの目安になっているらしい。20時を過ぎた頃からぼちぼち皿が運ばれ始めた。げんきんなもので山岳地方から戻ると、胃袋もすっかり復調して食欲がわいてくる。

隣にあるモスクからは引き続きコーランが拡声器に乗って町中に響き渡っている。それもあちこちにあるモスクが同時に流すので騒々しいことこの上ない。町中が気のせいか明かりを落とし、店も休業していたりする。

12日にはキャンセル待ちで早めに飛行場に向かって並ぶことになった。情報では数日フライトキャンセルが続いていたので、空きはなさそうな雰囲気だが、いつになったら飛行機に乗れるのか確定出来ないので、出来ることは全て尽くそうと言うことだ。
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飛行場はモテルからは街を横断してその先にある。1時間近くはあるだろうか。たまたまギルギッドに帰る(道が不通で待機中の)同泊していたドライバーが送ってくれた。すでに飛行場前は人だかりだ。ガイドの指示で行列の後につく。列を乱す者もいたり、殺伐とした雰囲気になっている。
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結局その日は航空券を手にする以前にフライトキャンセルで、飛行場を後に、モテルに戻る。時間的余裕が出来たのでダオサイ峠に行く事にしたが、ドライバーもギルギッドに帰る燃料を確保しておきたい、その上道路状態も危険だと言うことで途中にある電力発電用に開発されたダム湖にまで上がり、午後はシガールフォートに行くことにする。

シガールも水害の被害を受けてあちこちに傷跡があった。しかも、フォートはラマザーンで従業員が一人もいないので入れない、当てにした食事もとれない羽目になった。そのまま引き返し途中でようやく見つけたバッティーでビスケットと飲料を仕入れ車中でランチとなる。

未だ当初のフライト日時まで余裕があるものの、飛ぶのかどうか天気次第だし、陸路でイスラマバード入りには道路の回復がいつになるのか、これもいつという当てがないので、ほとほと途方に暮れる。ガイドに陸路の状況確認を頼んでいるが、明日には開通するという話があったり、当分は無理だという話もある。

一つの明るい情報が耳に入った。スカルドはパキスタン軍の最前基地を支える飛行場で、軍用機が病人と外国人を優先して乗せてくれるらしい、と噂が流れていた。軍用機は民間機よりキャンセル率が低いので安心、ガイドにその可能性を質すと、親戚が今日行ったダム湖の現場責任者で軍関係者にも顔が利きそうなので確認して見ると言ってくれた。その夜彼は早速その家を訪ねてくれた。帰って来た彼に結果を尋ねたら、軍隊にあなたの名前を登録してきましたので明日の軍用機に乗れますよ、と言われた。それを聞いて驚喜したのは当然のこと。

13日も昨日と同じように早朝に飛行場に向かう。相変わらず飛行場はごった返して殺気立っている。今日は軍用機に乗るので右手にある軍人用のゲートに向かう。そこにも多くのパキスタン人が殺到して、自分はこんな理由があるので是非乗せてくれ、と叫んでいるようだ。ゲートになかなか近づけないのをかきわけて大声を上げて私は登録している日本人だ、とゲートの向こうにいる軍人に叫ぶ。何度かやり取りしてようやく一人だけ通れるような隙間をくぐり抜け、基地内に移る。

ここから先は世話をしてくれるガイドも居ない、軍隊のルールも知らない、周りをきょろきょろしながらこのチャンスを失わないよう必至に状況の行方を探る。点呼があって、呼ばれた者から軍用トラックに乗り込む。なかなか名前を呼ばれないので不安になったが、最後の方で名前を呼ばれ安堵した。一人で持たざるを得なくなったザックを3つ、しかもそのトラックの荷台は私の背丈よりも高いところをよじ登らなければならない。よろよろしながら人の手も借りてトラックに乗り込む。中は鈴なりだ。

砂漠のまっただ中にテントが張ってある。そこで下ろされて待機するように言われる。テントは小さく全員がそこに納まらないので砂漠に腰を下ろし、帽子やタオルでじりじりと肌を刺す日差しを躱しながら待つ。1時間も待っただろうか、ジープで軍人が来て一言、出発時にメカトラブルで遅れているのでしばらく待機して欲しい、とのことだった。

そのうちに遠くから爆音が響き、ようやく到着かと喜んでいたら、機体がはっきり見え始めて分かったのはそれが軍用機ではなく、民間機ボーイング737だった。なんと空喜び。おやおや不安定な運行と言われる民間機が来たのに軍用機はどうしたのだろう、と不安が過ぎる。こんなことなら最初からキャンセル待ちで民間機を待機すれば良かった、後悔の念に駆られる。

汗まみれになって待機していたら、ジープが来て私を呼ぶ。これに乗りなさい、ということだ。もしかしたらガイドの手配で民間機への段取りが取れたのではと淡い期待を持ってジープに乗り込む。軍人の配慮で民間機の搭乗窓口に下りると、ガイドが待ち構えていた。再び搭乗窓口でチャンスを待ったが、結局は今日も空しく空振りとなる。軍用機の最終結論が出ない前にこちらに移ったので、「二兎追う者は一兎も得ず」と言う諺を思い出していたが、幸か不幸か軍用機はトラブルでディレイではなく、最終的にキャンセルであることがすぐに分かってホットした。

陸路が寸断されているので、燃料だけでなく食料も底を突いてきたようだ。朝ご飯はトーストとジャムだけになる。スープも出来ない、バターもない状態になってきた。その上にラマザーンだから外食もままならない。

14,15、16、17日と毎日飛行場通いをするもののすごすごと帰ってくるだけ。さすがにこのままでは余裕があったはずの日程さえも超過してしまうのではないか、仕事への影響も気になり始めた。17日にはギルギッドへの道が不通で待機していたドライバーも道が開通したので今朝発っていった。山岳ガイドのアミンさんもその車に同乗して故郷に帰った。ここに残ったのは日本語ガイドのファイサルだけになってしまい、なんとなく心細い気分になる。

18日、今日の深夜日本に発つフライトを予約している。今日こそ乗れないと一大事だ。今日はこの宿に泊まっているフンザ人ビジネスマンが彼の車に乗せてくれて飛行場に向かう。彼も毎日飛行場に通った仲間だそうだ。日本語ガイドもフンザの出身だったことが幸いし気を使ってくれたようだ。

相変わらず飛行場は殺気立っている。先日登録済みと言うことで同様にゲートインする。その際先日渡したチケットを提示しろと言われてぎょっとした。そう言えば前回は私だけ離れたので、最後の段階で貰うべきチケットをもらっていなかったことが分かった。なんとか拙い英語で理解して貰えてまずはゲートインを果たせた。その後チケットを渡してくれた。

前回同様砂漠で待つこと何時間だっただろうか、11時ジェットとは違った重い爆音を響かせて遠くにある滑走路にランディングした。有名な運搬用軍用機4発のプロペラ機のC130だ。軍事用に運ばれてきた荷物を先ず下ろし、我々が搭乗する。輸送機なのでボディーの後ろから乗り込む。この飛行機には病人、外人のトレッカー以外にも多くの現地人も乗り込み、一睡の隙間もない詰め込みようだ。シートベルトは言うまでもなく座る場所が特にあるわけではなく床に腰を下ろす、隣の人とはスペースを作るため半身で座り、人の上を乗り越えて移動せざるを得ない。想像も出来ない様相に仰天した。

ゆっくりと離陸する。離陸時には激しく傾斜するので前方から後方に向かって全員が押しつけられる。ますます身動きが出来無いどころか傾いたまま、人の足の上に足を置かざるを得ない状態になる。でも全員文句を言うわけでもなく、苦笑いしながら堪え忍んでいる。窓も天井近くにいくつかある程度なので周りの状況も全く分からない。水平飛行に移り少しは楽になったが、押し込まれた状態を改善する余裕もなく、約1時間ほどでイスラマバードの飛行場に着く。着陸態勢に移った時天井にあるパイプから蒸気が噴出して機内が霧で視界が無くなり恐怖が襲ったが、結果的には無事ランディングしたのだから故障とかではなかったのだろう。
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一人旅、飛行場に着いたらどうなるのか不安にはなったかが、それよりもイスラマバードに着いた安堵感が大きかった。飛行場は軍専用のエリアに着いた。ゲートを出たところでサドルさんと運転手が待ち構えていてくれた。そうなるとは期待していたが、彼らの顔を見てこれで今晩の飛行機は大丈夫だと確信が持て胸をなで下ろした。

取りあえずディ・ブリーフィングにアルパインクラブに寄り、アンバサダーホテルに向かう。行く前に寄ったアンバサダーホテルもコックが雇用されてアメニティーを回復していた。たしかにランチもそれなり、部屋を用意して貰って洗濯、そして昼寝だ。23時35分イスラマバード発でBKKへ。6時20分着、慌ただしいトランジットで8時10分発のTG676に乗り込み8時間の行程で一路成田へ。16時に到着。
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振り返れば、スタート時の飛行機トラブルに始まり、現地でのフライトキャンセルの連続、ガイドがルートを再三間違える、復路ではスカルドにほぼ1週間缶詰、それよりも100年に一度と言われる2000万人の被災者が出た大災害、計画を途中で初めて断念せざるを得なかったトレッキング、今回はじめて自然との出会いの難しさを実感したのはいい経験だったと今となっては言えるようになった。


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