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バルトロ氷河とK2①2008/07/25 [バルトロ氷河からK2へ]

7月25日から8月16日まで、先送りしてきたK2へのトレッキングに出かけます。K2に隣り合わせするようにガッシャ-ブルムⅠ、Ⅱとブロードピークと8000m級の山が一度に4座見えるのは、当地とエベレスト、ローチェ、マカルーそしてチョーオユーを眺望できるゴーキョの2カ所だけです。

インダス川に沿ってスッカルドまで遡上し、そこからバルトロ氷河をコンコルディア(カンコリア)へ、そしてK2BCを目指します。ネパールとは違って途中には一切のロッジも、バッティーも無いトレッキング。自然との対話が楽しみです。

この一帯はパキスタンでは珍しいチベット系の民族の世界。ついこないだまでチベット教が信仰されていた地方です。すっかりイスラムへ改宗したとはいえ隠れ仏教徒も多くいるとか。インドのラダック地方とも類似する文化圏。ナンガパルバットでの異質な民族色にはびっくりしましたが、k2ではまた違った趣を楽しめることと期待しています。

帰国後にぼちぼち紀行をアップします。半年がかりの仕事になりそうですが・・・・。

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バルトロ氷河とK2③帰国報告 [バルトロ氷河からK2へ]

灼熱地獄のアプローチから始まり、今まで経験したこともないバルトロ氷河のトレッキング、全てが新鮮な経験でした。幸い天候にはまさにこの時というベストタイミングに恵まれて8000M超の4座、K2,ガッシャーブルムⅠ、Ⅱ、ブロードピークを見ることが出来、それにとどまらずムスタングタワー、マッシャーブルム、チョゴリザなど有名なピークは言うまでもなくそれ以外にも無数の名山がバルトロ氷河の両側に展開していました。

出発時は17名のガイド、ポーターを引き連れた大所帯だったが、実際には自分はガイドと山岳ポーターの二人との行動になりますので、そんな実感は湧きません。パイユでのレスト・デーを返上してウルドゥガスまでの一日行程を途中コブルジェ一泊、翌日にウルドゥガスに計画変更は正解でした。コンコルディア(現地ではカンコリアと云っていた)からK2BC行きをやめて、ヒドゥンピークと言われるガッシャーブルムⅠ(GⅠ)を見るためにBCの手前までいったのも好判断でした。

下山3日目の午後に3時間だったでしょうか、雨にあいましたが、むしろ恵みの雨、灼熱地獄を避けることが出来ました。

ただ、その雨が原因で氷河の融水と合体して下山のジープ道が寸断されてしまったのは誤算。

3日間の日程短縮だ実現できましたので、フンジャラーブ峠までのドライブとペシャワール(ガンダハールの遺跡)に行けたことは幸いでした。

トレッキングの手記は追々掲載させて頂くつもりです。相当先にはなると思いますが(笑)。

追記:滞在中もあちことでテロの話は聞いていましたが、全くそのような危険には遭遇することもなく、快適な毎日でした。ちょうど8月14日がパキスタンの建国記念日でその喧噪もいい思い出です。
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バルトロ氷河とK2④  一路スッカルドへ [バルトロ氷河からK2へ]

7月25日(金)~26日(土)成田からスッカルドへ  アッサラーム アライクム(こんにちは)!

昨年のパキスタン航空には辟易としたので、今年はバンコック経由のタイ航空を使うことにした。NRT11時発に塔乗する。バンコックに15時16分(日本時間17時30分)に到着。トランジットでBKKで3時間20分の滞在後、同じタイ航空でイスラマバードに21時40分(日本時間翌日の0時40分)予定より若干早く到着する。パキスタンは夏時間が適用されているので、所要時間は14時間の移動となる。

イスラマバード空港には現地の責任者サドルさんが待っているはず。顔を知らないが名前を書いた紙を持って目立つようにしていてくれるはずだ。荷物受け取りコーナーで荷物を待っていたら、直ぐに彼を見つけることが出来た。彼は特別の鑑札を持っているらしく構内に入ってきてくれた。手際よく私の荷物をカートに載せて、車乗り場に案内してくれる。そこで待っていた運転手は昨年お世話になったその人だった。「久し振り」と挨拶を交わしてハイエースに乗り込む。

去年と変わらない雰囲気なので一人旅でも不安はない。一路イスラマバードの市内に向かう。今年は市内の中心ににある「CROWN PLAZA」が宿泊場所。ごく平均的なシティーホテル。9月に起きたマリオットのテロ事件を考えると外人客の泊まるホテルはハイリスク、そういう意味ではここは心配ない。

今回出発直前にトラブルがあった。予定していたガイドが家族の不幸で突然来られなくなったとかで、別のガイドに変更になった。ところがこの時点では未到着。本当に来るのか、そして日本語の話せるガイドが来てくれるのか不安になった。サドルさんによれば急遽フンザから呼び寄せているので遅れているだけで、もう直着くから心配いらないとのこと、だった。任せるしかない。

予約していた衛星電話を預かる。操作方法を聞いて表に出て試してみる。衛星がどこにあるのか、受信状況を確認しながら携帯電話の向きを変えてみる。大きくレベルが上がる方向を確認し、試しに電話を架けてみた。全てOKだ。これで何かあった時に日本との交信は出来る。一本の糸が繋がった安心感で胸をなで下ろす。

ホテルのロビーで明日以降のスケジュールの打ち合わせ、そして今回の費用精算を行う。すでに時間は深夜、日本時間では3時になろうということだから当然眠気が襲ってくる。そのうちにようやく日本語の話せるガイドが登場した。彼の日本語能力に多少は不安があったが、一言二言交わすだけで彼の日本語能力の高いことを知り安堵した。シェールという青年はフンザ出身で直前までバングラデェッシュで日本のJICAの手伝いをしていたそうだ。なるほどと納得した。

本来なら到着翌日は一日潰して観光省に出向き、規制地域への入山許可を取らなければならない。今回は特段の配慮ですでに許可証を取得していたので、翌朝早い飛行機に搭乗することが可能になった。お陰で行程を一日短縮することが出来る。天候不順とか体調不良とかの不測の事態に対応できる余裕が出来て大変ありがたい。
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早朝の出発に備えてイスラマバードに残す帰路での着衣を別保管の荷物に一纏めにして準備万端、、あとはしばらく入れないだろうバスタブにつかり、長時間のフライトの疲れを癒す。

26日はスッカルドへの直行便とギルギッド便(ギルギッドから車で移動してスッカルド)の両便を押さえてもらっていた。スッカルド便は天候次第でしばしば欠航すると聞いていた。最悪でも安定運行のギルギッド便に搭乗して当日中にはスッカルドに入りたい。情報ではギルギッド便は確実に飛ぶことが判明したのでギルギッドから長時間車移動は避けられないが、安全を期して運行が確定していいないスッカルド便をキャンセルしてギルギッド便に塔乗する。飛行場に日本人(?)のトレッカーがいた。最初のうちはこんな時どうも尻込みして話しかける気持ちになれない。彼にお供しているガイドに声をかけてみた。なんと彼も流暢な日本語を話す。という事でトレッカーが日本人であることが分かったので日本人トレッカーに近づき、トレッキングの予定を聞きながら、お互い幸先の良いスタートになることを祈った。

定刻通り6時45分に離陸になる。8時には視界不良の中無事ギルギッドに着く。残念ながら雲の中の飛行になったので楽しみしていた上空からのナンガパルバットなどの山岳風景を楽しむことは出来なかった。降り立つと意外にも涼しい。ちょっと肌寒さを感じるぐらいだ。昨年の猛暑のイメージとは全く違った。当地では陽が差すか差さないかで極端に温度に差が出るそうだ。

タクシーで最寄りのホテルに移動し、軽食で一息入れる。一緒になったトレッカーとはここで別れて私はガイドの手配したチャーター車でスッカルドに向かう。ギルギッドの市内を通過してカラコルム街道に合流し、しばらくイスラマバード方面に進む。ここからイスラマバードまで583KMとの表示があった(少し下流に向かうとインダス川とギルギッド川の合流地点があり、そこがヒマラヤ山脈、カラコルム山脈そしてヒンドゥークシュ山脈のぶつかりあっている地点になる)。丁度東京、大阪間の距離に当たる。直ぐに左手に分岐して10時40分いよいよスッカルドへ進路をとり、ギルギッド川にかかる木製の吊り橋を対岸に渡る。吊り橋には一台の車しか入れないため、対向車とのタイミングを計るのに絶妙な判断が求められる。よくぞ争いにならないものだと関心した。

右手にインダス川が流れている。いよいよインダス川に沿って遡上開始だ。11時過ぎにはハラモシュ村に入る。左手には一条の美しい滝が落ちている。
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振り返るとハラモシュ(7406M)が見えるはずだが、雲の中だ。人だかりが目に入る。何事かと聞くと、穀物価格の暴騰の救済として政府から2週間に一度(?)の頻度で相対的に安い価格の小麦が支給される、それに村人が集まっている。石油価格暴騰を切っ掛けに穀物相場が狂乱し、その影響がこのような貧しい地方にまで及んでいるのには心が痛んだ。小麦に限らず20~30%のインフレは開発途上国の悩ましい課題だろう。12時半ウルトの集落を通過。山から引いた水を使って棚田が広がっている。どこもかしこも岩と瓦礫の世界に忽然と現れた緑は目に強烈に刺し込んでくる。
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天然の芸術作品、奇岩奇勝の連続に目を奪われる景色。山肌には綺麗な白い帯状の断層が走っている。所々に穴が開いている。実はこの穴は宝石を採掘している(あるいは採掘した)場所だそうだ。当地方にはたくさんの宝石、半貴石が埋蔵されていて、命がけでそそり立つ岸壁をよじ登り掘り出すそうだ。そういえば、カラコルムでは水晶とかガーネット、トルマリンなどの石を持ち歩いている人が多く、我々のようなよそ者が来ると近づいてきて売り込みが始まる。

1時過ぎにバスタックの村を通過。ここは日本流で言えば「道の駅」だろう。いろいろの店が軒を並べている。ギルギッドではシナ語が現地語として使われているが、これからはバルティ語が現地語になる。バルティスタン地方は昔はチベットの一部であった。民族的にはチベット系の人が多いと言われているが、私にとっては区別はつきにくい。当地は歴史的にはインド、パキスタン間で凄惨な戦いが繰り広げられたカシュミール地方だ。今でこそカラコルムのトレッキングが可能になっているが、今でも紛争の火種が残っている緊張したエリアであることには変わりない。

両側に迫る岩壁を縫って流れるインダス川とその渓谷はとても美しい。1時40分ヘアピンカーブが続き、一気に高度を上げていく。対岸にはポアルという集落が断崖絶壁の上にあり、緑に囲まれて美しい。1時50分ダンボダーズという大きな町に入る。品揃えの豊富なバザールで電気屋、靴屋、食器屋などがあるバザールだ。そして病院もあった。
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途中でタイヤがパンクして交換することになる。この悪路では日常的なことだろう。あちこちでタイヤ交換をしている車に出会った。運転手は集落ごとにタイア修理の店を探し求めたが、あっても留守だったりして見つからない。ようやく2時過ぎにロンドゥというこの一帯の中心の町で修理屋が見つかって30分ほど休むことになる。この先スッカルドまでで一番大きい町だ。カメラを持ってうろうろしていると、地元民から好奇心の目で観察されているのが分かる。中には写真を撮ってくれ、と言われて撮ると、液晶画面の自分たちの画像に感嘆し、喜んでくれた。

2時50分バーケチャを通過。珍しく木が繁茂してしている村だ。それが村名の由来にもなっている。だんだんV字渓谷から平坦な地形に変化していく。3時50分突然前方に大集団の人垣が目に入る。先頭の人は黒地の旗を掲げ、なにやらマイクで歌なのかお祈りなのか、流している。実はこれはシーア派の大事なお祭り、アシュラの一隊だと分かり、邪魔をしないよう脇道に車を移動させて、通り過ぎるのを待たざるを得なくなった。アシュラは予言者フサインの殉教を悼み自分の肉体を傷つけることで哀悼を示す強烈な行事だ。背景にはスンニ派との対抗意識もあると聞いた。だんだん近づくにつれてお祭りの激しさが目に飛び込んできた。上半身裸にした男もいて、自分の手で思いっきり胸を叩いている。中には胸が腫れあがって内出血している者もいた。時には手に金属を持って激しく血を流すこともあるそうだ。宗教的行事なのでカメラを向けるのを躊躇していたが、現地の人も記念撮影なんだろう、カメラを向けていたので私も遠慮無く撮影をさせて貰うことにする。行きすぎるのに数十分はかかっただろうか。時間のロスが気にならないほど興奮した出逢いだった。
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4時ちょっと前にアユプルで木製の吊り橋をインダス川の対岸に渡る。しばらく行くとインダス川は急に広がりのあるまるで湖のような景観に変わる。いくつもの中洲があり、ほとんど流れを感じさせないような景観に変化している。
あと15KMでスッカルドとの標識があった。左手の河川敷なのだろう、飛行場の滑走路が見える。カシュミールを控えたエリアだからパキスタン軍の施設にもなっている。こんなオープンな地形なのに何故しばしばスッカルド便がキャンセルになるのか不可解だ。後で分かったのだが、不幸中の幸いというかチケットをキャンセルしたスッカルド便は予定通り(?)飛ばなかったそうだ。

5時にはホテルに着く。カンコーリア(ガイドブックではコンコルディアと書いてあるが、現地人の発音ではカンコリアと聞こえてきた)モテルだ。インダス川を眼下に望む素晴らしい景観で街から外れているので静寂な環境は最高だ。部屋に荷物を置いて現地でのアレンジをしている人と今回のトレッキング資材の買い出しに出かける。バザールは車で10分のところだ。バザールの賑わいはどこでも同じ。当地でも当然男だけが街を歩いているのも変わらない風景だ。もう少しチベット的香りがある町と想像していたが、顔つきに多少の違いを感じるだけで風習、環境には特段の変化は感じられなかった。

野菜、果物を中心に2週間の食材を山のように買い込む。店では持ち歩けるように板の箱に手際よく詰め込み釘を打ち付けてくれる。多少の荷が上に重なっても大丈夫だ。キャンプサイトで寛ぐためのサンダルを買い込む。ガイドはトレッキングシューズを買っていた。彼は急遽フンザから呼び寄せられたので、十分な準備もせずにイスラマバードに来たそうだ。その準備不足をここで補給していた。
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準備が整って、ホテルでしばらくはありつけない夕ご飯を食べて部屋に戻る。シャワーを浴びたら一気に睡魔が襲ってきた。   シャブ バヘイル!

バルトロ氷河とK2⑤・・・アスコーリへ [バルトロ氷河からK2へ]

7月27日(日) スッカルド~アスコーリ(3050M)へ

昨晩はホットシャワーを浴びて網戸があるので窓を開け放して,冷房も扇風機も使わずにとても快適な環境に熟睡した。
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いよいよ今日は山岳地帯への第一歩そしてトレッキングを開始する地アスコーリへ向かってジープでの移動になる。興奮に朝早く目が覚める。天気は快晴。眼下に広がるインダス川が蕩々と流れる。ほとんど流れを感じさせないほどだ。対岸までは気が遠くなるくらい離れている。そしてその先にはこれから遡上するシガール川が合流している。カラコルムの奥地とは思えない広大さだ。6時半の出発なのでちょっと慌ただしい。庭先にはチャーターしたジープがすでに来ていた。旧式のトヨタのジープはパキスタンの山岳では貴重な移動手段になっている。昨日買い込んだ食料やテントで満載になり、その隙間にここから合流した山岳ガイドのミールさんとクッキングポーター4人が乗り込む。

*ミールさんは56歳、外見では私より老けて見えるがオーラのあるガイド、彼はフンザの北部に住んでいるが、トレッキングシーズンだけスッカルドに滞在してガイドをしている。バルトロ・エリアでの経験が50回以上とのこと。ナビさんはラホールのホテルで調理人をしている。現地料理以外に中華系もこなせるコック。私が食事についてかなり神経質な要望を出していたからの配慮で選ばれたようだ。

町なかを抜けるところで検問があった。普通なら簡単に通過できるのに今回は捗らない。どうしたことか、とガイドに質すと、どうも荷物の中に闇取引の商品が隠されていると疑われているらしい。実はラマダンが始まっているので資金稼ぎに取り締まりを厳しくすることがあるそうだ。その理由はラマダン明けがイスラム教の新年に当たり休暇になる。目的はそれに備えた資金稼ぎとか。結局、運転手が幾ばくかの金をそっと渡すことで決着した。いらいらするような時間のロスと不愉快さで出足から足下をすくわれた気分になった。ガイドによればこれからも同じようなことが起こりますよ、とも予告された。

しばらく行くと道が分岐している。まっすぐ行くとインダス川に沿ってインド国境を越えてカシュミール方面に向かうのだろうか。我々は左折してインダス川に掛かる吊り橋を渡る。渡りきると徐々に高度を上げて峠越えになる。左手には見事に微細な砂の平坦な空間が続く。砂漠のようなエリアが続く。まるで鳴沙山の砂漠のように肌理が細かく美しい。
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さらにヘアピンカーブを縫って高度を上げていく。7時半峠を越えると前方の景色が一変した。ゆったりと流れるシガール川がいくつかの中州を抱きかかえるようにしてゆったりと流れている。河川敷には繁茂した緑と耕作地が広がっている。この先には避暑地として有名なシガ-ルの街がある。シガ-ルは小さな王国であった。今でもフォートが残されていて見ることが出来る。
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シガ-ル(2340M)でコックはトレッキング中の食材として生きた鶏を調達しているようだ。何軒かの店を訪ねていたが、良い鶏が見つからなかったのか、断念して先に進むことになる。左右緑の豊かな一帯を走る。道の舗装もだんだん整備不良になり、舗装工事をしているからなおさらだ。ますます乗り心地も悪くなり、ミネラルウオーターも思うように飲めないほど左右前後に揺られはじめた。
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遠くにハラモシュの北部を源として流れてくるバシャー川とブラルドゥ川が合流する地点(合流してからがシガ-ル川になる)を通過して、いよいよブラルドゥ川に沿って遡上を始める。川幅を狭めその河岸沿いに走る。ところどころ道路幅が流れに削られて車幅ぎりぎりになったりもする。緊張する場面だが、それは私だけのようだ。9時ブラルドゥ川を対岸に吊り橋を渡る。ようやく遠くに雪を頂いた美しい山が視野に入った。地元の人から見るとその山の名前にはほとんど興味がないようで直ぐには答えが出てこない。結局は無名だと言われれてあっさり終わった。日本人の感覚からは名無しなんて考えられないことではあるが、当地では普通のようだ。
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ここはダッソーという集落。道はますます悪路になり、むち打ち症にもなりそうな連続だ。左手に一段高くなったところに「ヒルトップホテル」(2480M)という看板を掲げた店がある。ここでお茶を飲んで一息入れることになる。三台のジープが駐車していたので3組のトレッカーがここで休んでいる事が分かる。ダッソーは数年前まではジープの終着点で、ここからトレッキングの開始になったそうだ。今ではアスコーリから2週間の行程でK2を見ることが出来るが、その当時だと3週間の日程になったそうだ。だからK2はそう簡単に入山出来るルートではなかった。

10時50分ビアノで吊り橋を渡って対岸(左岸)に移る。地図には渡らずに真っ直ぐ行く道もあるが、前方の橋が崩落して進入禁止になっているそうだ。正面に吊り橋の橋脚だけが目に入ったが、流れる川をジープはいとも簡単に徒渉していく。しばらく行くと平坦な場所に出る。11時10分そこはアパリグン、山奥にしては立派なレストランがある。すでに多くのトレッカーが食事をとっていた。食堂の奥には庭があり、撓わに実のなったリンゴや杏子の木の下で日陰を求めて食事を取る。のんびりと12時半まで寛ぐ。食堂のボーイがポケットからなにやら徐に取り出した。ティッシューパーの中には彼らが山で見つけてきたのだろうか、水晶やトルマリン、ガーネットなどの宝石を広げる。といっても商品として市場で流通するほど見事なものではない、掘り出したままの形状だから私のようなトレッカーにしか商品価値がないと思われた。折角なのでガイドを通じて値段交渉をしたらほんの数百円というので、彼のお小遣いにでもという気持ちで買い求めた。

急なヘアピンを登り、登り切ると直ぐにヘアピンの道をブラルドゥ川の水面に向かって下る。1時だっただろうか、この先は1ヶ月半前に道が崩壊して進めない、と車から下ろされる。道路に沿って行けないのか、と確認したら道路沿いはまだ崩落が続いているので危険だ、ということで結局高巻きをすることになる。僅かな距離だが、高巻きとなると負担がかかる。ポーター達はすたすたと先に進むが、灼熱と突然の急登だから体がついていかない。汗だくになりながら小一時間歩いただろう。ジープ道に戻ったのだが、別のジープが待機しているはずだったがその気配はない。
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改めて我がチームを確認したところなんと17人の大所帯になっていた。どこでこんなに増えたんだろうとガイドに質したら下の集落で時々車が止まっていたでしょ、その時、地元のポーターをピックアップしたんですと言われる。後ろの荷台に乗り込んでいるので気がつかなかったわけだ。
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ジープは直ぐに来た。再び荷物と17人のポーターが乗り込んで出発。ところが20分ほど走ったら再び壊れた橋に前進を阻まれる。橋が40度近く傾いてしまっている。1週間前の出来事だそうだ。歩くにも足場が滑るので橋の欄干を頼りに渡る。さして危険があるわけではないが気を遣った移動になった。

ふと冷静になって考えると、こんなに道が寸断されているのに何故それぞれの区間でジープが用意されているのか今でも理解が出来ない。おそらくこの一帯では道の寸断が日常的でその危険を想定してジープが配置されているのだろうか。両側を遮断された道にジープがあるのはどう考えても不思議でしょうがない。
このような事態になると寸断された区間を走るジープのチャーター料が一気に跳ね上がると言うことだ。チャーター料の交渉はガイドの仕事だが、トレッカーを預かっていると言う弱みがあるので、ついつい負け戦になってしまう。さっきほんの20分走っただけなのに1500ルピーも要求されたと憤っていた。ここは2800Mの高度になる。

数台待機している中の一台に乗り込んで2時半に出発したが、しばらく行くと運転手がブレーキの調子が悪いので他の車に乗り換えて欲しいという事になる。結局3時、荷物を再度積み直して出発する。あと1時間で今日の目的地アスコーリにつく予定だ。3時10分ブラルドゥ川を対岸に渡る。3時過ぎに前方遙か彼方に緑の豊かな集落が見える。そこが今日のキャンプサイト・アスコーリだ。水面近くで荒々しい川の流れが道路に押し寄せて今にも道を破壊しそうな迫力だ。3時45分川から離れて一気の登りになる。運転手がポーター達に下りて歩くよう指示した。余りにも急な登りなので軽量化する必要があった。重いエンジン音が唸りを上げて登っていく。座っていても反っくり返るような感じになる。周囲に家並みが見えたところが終着点。ゲートを開けて中に入る。そこが有料のキャンプサイトになっている。塀に囲まれているので、自然との触れ合いとかは実感できない。ホースで水は供給されている。夕ご飯前にコック達は手を洗って庭の奥に歩いていった。ガイドによればお祈りの時間とのこと。ところでガイドのシェールは?と問いただすと、私はイスマイリア派なんでしません、と答えてきた。そういえば去年のガイドさんもラマダンの断食もした振り、アルコールも密かに飲むこともあると言っていたのを思い出した。

バルトロ氷河とK2⑥ アスコーリ~ジョラへ [バルトロ氷河からK2へ]

7月28日(月) アスコーリ~ジョラ(3180M)へ

集落に囲まれたキャンプサイトなので荷物には気をつけるよう指示されていた。子供なら安心だが、大人も来たりする。彼らにしてみればトレッカーは滅多にない世界への窓みたいなものだ。珍しそうに覗き込んでいく。身体に障害を持っているが故なのだろうホームレスも食べ物を強請りに来たりする。夜の気温は適当に涼しく、熟睡は出来た。ただ、出発前に引いた風邪が完治せず、薬を飲み続けているので体調が完璧ではない。それと車の長旅で三半規管が未だ正常に戻ってないのかもしれない。

5時半のモーニングコールを頼んでいたが、興奮していたのだろうそれよりも早く起きた。ナビさんの作ったスープなどの朝ご飯を終えて出発したのは7時だった。しばらくは平坦な両側に小麦畑が広がっている中をのんびりと進む。ブラルドゥ川の流れは音から見当はつくが視界には入らない。遙か遠く川の対岸には別の集落ピヒテが見える。入り込んでいる谷に沿って灌漑用水路が導かれていて、その水路に沿って緑が繁茂している。そこは人が住む最奥の集落だ。その谷を先に進むと峠越えで昨日通過した緑の美しい街シガールにつながっている。
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山がだんだん川に迫り道が険しくなる。8時にブラルドゥ川の河岸に近づき、そこからは高巻きになる。しっかりした岩なので足場には問題ないが、かなりの急登だ。足下は急峻な崖になっている。高巻きを下りると岸壁を削って作られたトレイルになる。日差しはますます強くなる。昨年のトレッキングで余りの日焼けに懲りて、今年は庇のある帽子、長袖のシャツそして当地では当然の長ズボン。顔には日焼け止めクリームを塗りたくっているので、何とか凌いでいるが、まともに受ける太陽はペースを掴んでない初日にはとても辛い。
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ブラルドゥ川とビアフォ氷河の合流地点上部を目指して徐々に下降すると、左手から白濁した川が流れてくる。後頭部の暑さは特別だ。首筋に氷が欲しい気分だ。後頭部を覆う帽子を被った砂漠のキャラバン隊の姿を思い出し、その必然性をなるほどと納得した。次回、カラコルムに来る機会があればそんな装備も検討しなければと。ビアフォ氷河はこの合流地点では気が遠くなるくらい対岸は広く遠い。さきにはモレーンが盛り上がっている。ビアフォを上流に向かうとヒスパルを経由してフンザに抜けるルートがあるそうだ。ガイドのシェールはフンザ出身なのでこのまま真っ直ぐ行きたい、と冗談を言っていた。

8時半トラフォンの吊り橋をわたる。橋のたもとで一休み。川幅は狭く、流れと流れがぶつかりあうように激しく渦を巻いている。この橋は有料(外人は200ルピー)と聞いていたが、特に徴収があったわけではない。その先はきめ細かい砂地の平坦なところ。足を蹴ると半歩は後退してしまうのではと思うほど先に進むのが大変だ。暑いうえだからいらいらする。

単調なトレイルを黙々と先に進む。モレーンの上、しかもほとんどフラットな地形なので退屈この上ない。ビアフォ氷河の先には雪を頂いた山が見えている。平坦な河川敷をしばらく進むとコラフォンだ。10時20分に到着。瓦礫、岩しかないカラコルム(黒い山という意味)でも氷河の伏流水があるところでは木が繁茂する。コラフォンはまさにカラコルムのオアシスという感じになっている。モレーンから水が流れ出し、滝をつくって川が流れている。ここは今晩のキャンプサイト・ジョラとは違って素晴らしいキャンプ地だよ、とミールさんから聞く。それを後で実感することになる。ここで昼食だ。昨晩コックさんにおにぎりの作り方を伝授しておいたので、早速今日の昼飯はおにぎりとチーズ、チャイそれと日本から持ってきたアミノバイタル。ちょっと水っぽいおにぎりには笑ってしまったが、でも嬉しいことだ。
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11時には出発。氷河の雪を頂いた山が目に入る。それはラトック(7151M)だ。岩と瓦礫一色の無彩色の世界にとても印象的だったのだが、彼らにとってはただの山に過ぎない。岩場のアップダウンが続き、眼下遙か下にはブラルドゥ川の激流が流れている。12時覆い被さるような岩下で辛うじて直射日光を避けて休憩だ。ここでドモルド川がブラルドゥ川に合流している。我々はブラルドゥ川を遡上してバルトロ氷河を目指すわけだから、目前にあるこの川をどこで渡るのかが気がかりだ。どう見てもこの先当分は対岸に渡れそうな地形にはない。ガイドに聞くと、このままドモルド川を上流に向かい、吊り橋を渡って再びこの目の前にある対岸に下ってくるそうだ。ちょっと気が遠くなる話。
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ドモルド川をずっと上流に詰めるとシムシャール、ヒスパール、中国方面へのルートがある。岩場からだんだん広い河川敷へ足を進める。日差しが堪らない。地元ではこの渓谷をジョラナラ=ジョラ渓谷と呼んでいる。12時40分に小休止。水筒を逆さにして飲もうとしたら二口でなんと空になってしまった。この暑さのなかこの先どのくらい歩くのだろうか。シェールはあと1時間程度だよ、と言った。何しろ我慢するしかない。頑張ろう!

ここまで来ると川幅は一気に狭くなり吊り橋がありそうな気配濃厚だ。対岸遠くに不思議な銀色の建物がいくつも見える。小さな四角い銀色の建物だ。そこがジョラのキャンプ・サイトだと聞いた。そこから30分ほど登っただろうか。待ちに待った吊り橋ジョラ・ブリッジ。ここまで来ればジョラはもうすぐだ。足を速めて前進。

2時20分ジョラ(3180M)に着く。鉄条網で囲まれたキャンプサイトはパキスタン軍の有力な軍人の奥さんの寄付で作られたそうだ。さっき見えた不思議な建物はトイレだった。どう見てもこの自然環境にはそぐわない異様な建物には異議を申し立てたいぐらいだ。しかも、かえって不潔な使用状況なので使用する気にならない。

一時間前から飲まずで我慢してきたので、何しろ喉を潤したい。管理小屋に冷たいミネラルウオーターがないのかガイドに聞いて貰った。残念ながらここにはコーラしかなかった。普段は全く炭酸系飲料は飲まないのだが、ここでは贅沢も言えない。コーラでも構わないので買い求める。ガイドは300ルピー(都会では2桁の値段とか)という法外な料金はけしからんと言っていたが、私にとっては命の水。この際「高いの安い」のという余裕はない。大瓶だったのでガイドやポーターとも分けてあっという間に飲み干してしまった。
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テントを張ってくれたのでそこに入って一眠りと中に潜り込んだが、炎天下ではテント内は猛烈に暑い温室状態だ。とてもじっと寝ているわけにはいかない。汗だらだらとなったので、表に出て管理小屋の前にあるいすに腰掛けてうとうとする。夕刻になってナビさんの作った鶏とコーンのスープ、チャパティーとカレー、マンゴーと珈琲の夕飯を食べる。日が落ちるまでは暑さが気になったが、日が落ちた途端に肌寒くなってきた。これなら今晩も熟睡が出来そう。

バルトロ氷河とK2⑦  ジョラ~パイユへ [バルトロ氷河からK2へ]

7月29日(火) ジョラ~パイユ(3600M)へ

今日も快晴だ。この一帯では炎天下の移動より曇って貰いたいのに、そんな願望とは裏腹な天気になってしまった。ポーターを引き連れての移動では朝一番の荷物配分の作業が結構手間どる。パキスタンではきわめて厳密に重量を量って25KGの攻防が始まる。少しの超過でも文句を付けるポーターもいる。ガイドにとってこの仕分けはポータ-の数に影響するので厳しい攻防になる。ガイドは当地ではよそ者のフンザ人、ポーター達は全てが現地人なので部族間の違和感もあるだろう、その上シェールはK2では未経験なこともあってポーター達から甘く見られているのかもしれない。その未熟さをそっと陰ながらサポートしているのがミールさんだ。経験の差もあるし、出身がお互いフンザだと言うこともあるのだろう気遣っていた。
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6時半に出発する。今日は7時間の行程と聞いているので灼熱との戦いは厳しそうだ。河川敷にあるほとんど平坦なトレイルをしばらく進むと再びブラルドゥ川沿いのトレイルになり、バルトロ氷河へ直進する。徐々に山が川に迫り、トレイルも川面に沿って遡上する。河岸の土の濡れ具合から観察すると水量は減少しているようだ。ミールさんから、昼過ぎまでは水量が減少しその後夜半まで増水すると聞いた。なるほど日中の日射で氷河が溶け出して水量が増える、午後過ぎると下流で増水するわけだ。
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朝方なので水際ぎりぎりをしぶきを浴びながら遡上する。トレイルは当然アップダウンの少ない方が楽に決まっている。だから水面に近いルートが望ましい。しかし現実には水量が多くなったり、あるいは岩がせり出して先を阻まれると高巻きをせざるを得ない。水際を行くか、高巻きをするのか、その選択は難しい。その点、経験豊富なミールさんは的確な判断をしてくれるので安心だ。時にはそんな水際に突っ込んで先は大丈夫かと思う時にも、引き戻すことにはならない。用心して高巻きするのと比べたらどれだけ負担が少ないことか。大変助かるし、信頼感が疲れを軽減もしてくれる。
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勢いのある川音はゴウゴウという轟きだけでなく、水の勢いに直径数メールもあろう巨岩が押し流される音も含まれている。凄まじい流れだ。9時には右手前方にマッシャーブルム山群が視界に入る。本峰はその陰で未だ見えない。この一帯では河川敷も広くなっている。前方にパキスタンの国旗が数本翻っている。そこはパキスタン軍の中継基地なのだろう。のんびりと何人かの兵隊が行き交っていた。K2方面はカシミールという紛争地区でもあり、今でも軍隊が常駐し警備に当たっている。朝方にはヘリが飛来し物資を国境警備隊へ送っているのを見送った。
10時40分、一段と河川敷が広がったところにあるバルティマルのキャンプサイトに着く。岩小屋があって小屋番もいるようだ。ナビさんが作ってくれたチキン・ローストと濃いめのチャイ、ゆで卵そしてパンというメニュー。日を遮るものもない場所で少しでも日陰を探そうと大きな岩陰にシートを引いて貰って横になる。あっという間に睡魔に引き込まれてウトウトしてしまった。あと2時間の行程なのでゆっくり、のんびりとした。
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川面に沿って、時々は高巻きをしながら先に進む。3時前に左手前方に一点、緑が繁茂しているエリアが視界に入る。そこが今日のキャンプサイト地パイユだ。その先にはバルトロ氷河の末端が見えてきた。もうすぐかと気を許したが、その後の高巻きは結構なアルバイトになった。とりわけ最後のキャンプ地までの登りでは強烈な暑さに息も上がった。3時15分パイユ(3600M)に到着。陽が未だ高いのでポーター達は最後の豊富な水源と言うこともあって洗濯をしていた。
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不思議にこのキャンプサイトには柳の木に似た木々が繁茂している。伏流水が豊富なのと土壌もいいのだろう。そのお陰で日陰もふんだんにある。ここもパジュと同様、トイレなどの施設が用意されている。5時過ぎには食事も終わり、のんびりと寛ぐ。予定では明日はレスト・デイだ。

ふとこれからの行程の予習をしようと、地図、ガイドブックなどと睨めっこをする。レスト・デイの翌日にウルドゥカスまで一気に登る事になっているが、ちょっとタフな行程に見えた。そうであるなら明日のレスト・デイを返上して中間地点にあるコブルジェで一泊してウルドゥカスを目指す方がその後の負担を軽減できそうに思えてきた。

早速、シェールとミールさんに計画の変更可能性を確かめにテントを出た。しかし、彼らはポーター達に明日がレスト・デイとすでに告げているのでこの段階で計画変更は難しい、という。しかし確かにその方が貴方にとっては望ましい行程になるだろう、何とか検討してみましょう、ということになる。

結論はポーター達はこのまま当地に滞留して貰い、明日一日分の食材とテントだけを持って私とガイド2人そしてコックさん4人で先発することで決着となった。先のリスクを考えると良い結論になってホッとした。

バルトロ氷河とK2⑧ パイユ~コブルジェ [バルトロ氷河からK2へ]

7月30日(水) パイユ~コブルジェ(4000m)

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急遽計画変更もあったので出発の段取りに手間取り、まぁ半日行程を一日で登ればいい事もあり、ゆっくりの出発になった。シェールは残るポーターへの指示もあるので、後から来ることになった。私とミールさんと一人のポーターと一緒に9時に出発する。ミールさんとのコミュニケーションが心配だったが、山の名前とか確認できれば十分だ。彼は片言の英単語が分かるので何とかなるだろう。
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眼下にブラルドゥ川を見ながら水平のトレイルを進む。左手から流れてくるいくつもの川が深い溝を作って合流している。そのたびに急降下しては丸太橋を渡り、対岸を急登する、それを何回か繰り返す。前方にはいよいよバルトロ氷河の末端が視界に入ってくる。川を覆い被さるようにモレーンが突きだしている。ブラルドゥ川はモレーンの右側を迂回するように流れている。足下は気がついたらいつの間にか砂地から岩場に変わっていた。大きな岩が無秩序に転がっている。いよいよバルトロ氷河の末端を登り始めたのだ。

9時半、左手にパイユ・ピークが見える。ミールさんのパッキングがバランスを失ったのでし直す。終わると彼はコップを持って水面まで下りて水筒代わりにしているコーラのペット・ボトルを氷河に差し込んで白濁した水を満たしていた。白濁した水はしばらく立つと砂が沈殿するほどなのに、煮沸もせずに美味しそうに飲んでいる。冷たくて美味しいとは言われても、いくら喉が渇いても飲む気にはなれない。そうこうしていると後を追ってきたシェールが追いついた。
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11時バルトロ氷河のモレーンの上で小休止。ここは氷河のトラバースを始めて中間地点を過ぎたところだ。眼下にブラルドゥ川が囂々と音を立てて白濁した水が流れている。この先では氷河の下に川は潜ってしまうのでおさらば。アップダウンを繰り返ししながら氷河の対岸を目指す。氷河と言ってもほとんどが瓦礫と岩で覆われているので実感はない。実感できるのは、氷がむき出しになって熱射を浴びてポタポタと雫を落としていたり、溶けた水を集めて氷河湖になっているのを見た時だけだ。
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12時にはバルトロの左岸に移動し、一休み。今度は右手に迫っている山腹に沿って上を目指す。左手にはトランゴ・ピークとそのレンジが独特の形で存在感を示している。右手にはリリゴ・ピークが聳え立っている。岩場の中に白砂が広がった場所もある。そこに一輪だけ美しい花が咲いていた。左手後方にはパイユ・ピークが見える。
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右手から大きな氷河が合流している。リリゴ氷河だ。氷河が合流するところは厳しい下りと登りになる。合流した地点にちょっとした平坦地があって、そこがリリゴのキャンプ・サイトだ。2時頃だっただろう。ここでは側に水場がないので眼下にある氷河まで降りなければならない。ここでのキャンプを多くのトレッカーは避けている。我々も次のコブルジェを目指す理由にもなった。
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相変わらず強烈な日射を浴びながらの歩行は辛い。時々大きな岩陰を求めて一息入れる。4時には真正面にブロードピークが視界に入る。今回目標にしていた8000M超の一つだ。ブロードピークは扇を広げたように大きな山なので高さを実感できない。
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先に進むとブロードピークが右手の稜線の陰に隠れていく。5時には前方にコブルジェ(4000M)のキャンプ・サイトが目に入る。その後30分でコブルジェのキャンプ・サイトに到着。余裕があったのでゆっくり登ったにも係わらず決して楽勝ではなかった。パイユからウルドゥガスを一気に一日で登る計画を断念して正解だった。

バルトロ氷河とK2⑨ コブルジェ~ウルドゥガス [バルトロ氷河からK2へ]

7月31日(木) コブルジェ~ウルドゥガス(4200M)

よくよく調べてみると当初計画の「パイユから一気にウルドゥガス」はかなり強行軍であることが分かった。トレッキングガイドやブログを見るとコブルジェで一泊しているケースが多い。確かに昨日は一日行程を短縮したという気持ちでいたので甘く見ていたが、いやいや現実は相当タフな行程だったということ。しかも快晴に恵まれたので疲労感は想像以上だ。

その分、今日のウルドゥガスは楽な行程になるはずだ。日の出を待ち構えていたが、朝焼けの色付きが鮮明ではない。かすかに白いベールを被っている。昨夕もあかね色に染まらなかった。ネパールのハイシーズンとは違って夏場だという事なのだろうか。
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5時過ぎに起きたが、ポーター達は未だ眠りのなかだろうか。物音一つしない。石が積み上げられた囲いのなかでビニールのシートを被るだけで夜を明かしていた。しばらく経つとクッキングポーターが目を覚まして朝ご飯の用意を始める。昨日は氷河の溶けた水がたっぷり流れていたのに今はチョロチョロと流れるだけだ。顔を洗おうとしてもすくえない。冷え込んで凍っていることもあるが、ここまで来ると気温の高低に影響されて氷河から融け出す水量に直接影響与えているようだ。
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今朝はほとんどのポーターをパイユに残してきているので、用意される食事は軽い食事だ。7時40分には出発する。少しずつ氷河へ降りていく。重なり合うように岩が続くなかその合間を縫って進む。この先はまさに氷河の真上を歩くことになる。氷河は瓦礫や砂に覆われているが、ここに来ると時々氷が剥き出していたり、氷壁の縁を歩いたり、眼下には氷を溶かしてくり抜かれた大きな氷穴が見られる。所々で氷河上を溶け出した水がせせらぎを作って流れている。
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後方左手には朝日を浴びて岩肌を赤く染めているトランゴ・タワーとその山群が見事だ。右手前方はマッシャーブルム山群になるが、ここからは本峰は望めない。バルトロ氷河では岩や瓦礫に代わって小さな氷塔(セラック)が砂に汚れてはいるが目に入ってくる。前方にブロード・ピークの一部が見え始める。8時半にはブロード・ピークの全貌が視界に入り、右手にはマッシャーブルムの一部も見える。
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標高も稼いだので今までとは違って氷河上を流れるせせらぎが早朝の冷気を肌に感じる。身体への負担は昨日までとは全く違って身が引き締まる感じで気のせいか身が軽く感じられる。10時半には前方右手の小高いところにウルドゥガス(4200M)のキャンプサイトが見えた。右手に大きな氷河湖を足下に見ながらビルの屋上から見下ろすような迫力を感じるその氷河湖の氷壁の上を進む。いくつかのアップダウンを繰り返した後、パキスタン軍の銀色の円球兵舎の横を通り過ぎてさらに急な坂道を詰めると今日のキャンプサイトだ。到着は11時半だった。
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キャンプサイトは大きなそそり立つ岩場にへばりつくような地形になっている。何段かになっているテラスにテントを張るので、早い到着になった我々は水場に近い快適な場所を確保出来た。1時過ぎになってパイユから移動してきた残りのポーター達が全員到着する。各自思い思いのテラスに荷物をおいて一段落だ。彼らは朝5時にはパイユを出発して一気にここまで来たそうだ。ゆっくり時間があるのでシャンプーをしたり、郷土の歌に思いを込めて歌い始めたりしている。
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相変わらず日差しは強いので日中の居場所には困る。テント内は強烈に暑いので、岩陰を求めシートを持って移動する。ウトウトしているうちに日差しが移動するので再び強烈な日差しを避けるために移動しなければならないその繰り返しを何度したことだろうか。
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一段高いキャンプサイトから今日来たトレイルを振り返ると、さっき通り過ぎた氷河湖とその背景にある夕陽を背に受けたのこぎり状のシルエットになったトランゴ山群がとても美しい。日が落ちていくと水墨画の世界になる。無彩色の世界も美しいが、ここでも何故か夕陽特有の色づきがない。気分的に落ち着いていたのでウオークマンでベートーベンのクァルテットを聴きながら文藝春秋を読む、こんなゆとりも先にも後にもこの一瞬だった。
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バルトロ氷河とK2⑩ ウルドゥガス~ゴロⅡ [バルトロ氷河からK2へ]

8月1日(金) ウルドゥカス~ゴロ(ゴレ)Ⅱ(4500M)

夜の冷え込みが厳しくなると予想して着込んで正解だった。5時には目を覚ましテントから身をのりだしたが、今日も天気に問題はない。朝日を受けてトランゴ・タワーの山群が浮き立っている。キャンプ・サイト左手に谷が切り込んでいて、木々が繁茂している。そこをパキスタン軍が管理しているロバの一帯が餌場に誘導されて上がっていた。
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17人いたポーターも荷物が減って解雇していく。パイユ、コブルジェで2名ずつ解雇しているので、今は13人になっているはず。しかし、どこに誰がいるのか分からないので実感が湧かない。シェールの朝一番の仕事は荷物の配分とポーターの調整だ。彼にとってはぎりぎりでポーターの数をコントロールして採算を上げるというミッションを与えられている。目の前でポーターとの厳しいやり取りが始まった。解雇する人にはその場で精算をすることになる。中にはごねてトラブルにもなる。
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7時に出発する。これからは岩、瓦礫が少なくなって、氷が露出した氷河を体感できるトレイルになるはずだ。まるで砦とも言える様相のキャンプ・サイトからジグザグのトレイルを一気に駆け下りる。降りきるとなだらかな登りに変わる。8時半には真正面にガッシャーブルムⅣ(7925M)が視界に入る。ガッシャーブルムⅣはバルトロ氷河を詰める時には象徴的な山だ。これからは常に真正面に鎮座して目標になる。形もブロード・ピークとは違って尖端的な姿が美しいし、個性的だ。ブロード・ピークは山陰に隠れている。ガッシャーブルムⅣの右手にほんのちょっとだけ尖塔が覗いてきた。それはガッシャーブルムⅡのピークだと聞いた。8000M超の山の一つだが、ピークしか見えないのでそんな迫力は感じることは出来ない。
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右手にマッシャーブルム(7821M)の全貌がようやく見えた。逆光のなか、薄くベールが掛かったように白みがかっている。左手前方にムスターグ・タワーが見える。しかし、この角度からだとムスターグ・タワー(7284M)らしい特色ある姿にはなってない。せせらぎが氷河を削り小さなクレパスを作ったり、氷壁が出来たり、今までには経験したことのない美しい光景が展開する。
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目の前に白い小山状の氷塔(セラック)が忽然と現れる。10時、その前で一休みだ。どこを見ても瓦礫と岩、そして氷が露出している姿にはなれていたがセラックは美しい。だがこの真っ白なセラックがどのようにして作られたのか興味をそそられる。ガイドにその理由を聞いてみたが、自信のある返答は得られなかった。
足下はしばしば氷が露出し、気を抜くとスリップしそうになる。前を歩いていたミールさんも尻餅をついてしまった。彼は持っている守護神、長い棒を操ってちょっと苦笑いをしながら直ぐに立ち上がる。
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11時半ゴロⅠに着く。この一帯になると氷塔もサイズが大きくなり、それが林立している。なだらかな氷河上のトレイルを先に進む。2時半には今日のキャンプ地のゴロⅡ(4500M)に着く。のんびりした登りでもあり、右にマッシャーブルム、正面にはガッシャーブルムⅣ、左手にムスターグ・タワーの眺めを楽しみながら、足下には氷塔と溶け出した氷河水のせせらぎを見ていると、K2を目指しているという緊張感からすっかり解放されてしまう。
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のんびり微睡んでいると、足下でごろごろという地響きのような音や軋むような音が耳に入った。はじめは遠雷の音かとも錯覚した。何事だろうとガイドに聞くと、「氷河は少しずつ動いていて、岩と氷河が足下でぶつかり合っているからですよ」とのことだ。なるほど氷河は一見固定しているように見えるが、下流に向かって止まることなく移動しているわけだ。

K2はクライマーにとって厳しい山と聞いていたが、それが現実となっていることを知る。テント前で寛いでいたら、ポーターがロバに乗せられて下山してきた。彼は韓国のクライマーをサポートするために登攀していが、その際吐血したため途中で断念しての下山だそうだ。山では行き交う人が唯一の情報源になる。彼からの情報でピークハントに向かった多くのクライマーが滑落、遭難しているらしいことが伝えられた。
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久し振りに雲が漂い始めた。ちぎれ雲が流れちょっと不安が走る。いよいよ明日には最大の目的であったK2(8611M)を拝む日だ。よりによってここに至って天気が下り坂だとしたらなんと運のない事になるだろう、そんなブルーな気持ちになりかけた。しかし、山の天気は気まぐれ、ガイド達の「この雲は一時的ですよ」に、励ましというか気休めに頼るしかない。明日の天気が良くなるよう天に祈ることにしよう。
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バルトロ氷河とK2⑪ ゴロⅡ~カンコリア(コンコルディア) [バルトロ氷河からK2へ]

8月2日(土) ゴロⅡ~カンコリア(コンコルディア)(4691M)

氷河上に張ったテントでの一晩は初めての経験だ。足下の怪しげな軋み音に慣れたが、一見瓦礫の上に張った何の変哲もない環境だが、実は瓦礫の直ぐ下は氷河だ。石で表面を削ると直ぐに氷が露出する。まさにアイスノンの上にテントを張っているようなものだ。寝込んで直ぐにそれに気付いた。背中に冷たさを感じたのだが、だからといって不快になるほどではなかった。それよりも瓦礫が背骨に当たるのを避けるのに必死だった。
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今日も一日無理のない行程と聞いている。ここまで来ると氷河を覆う岩も小さくなり、行く手を阻むことも少なくなる。なだらかな登りを楽しみながら、一歩一歩夢のK2を目指す。今日こそ対面が出来るはず。氷塔の数が一気に増えて美しい。氷河上を溶けた水がチョロチョロ流れている。緑色や琥珀色の石が転がっている。持ち帰りたい衝動もあったが、先のこともあり、可能なら帰路に拾っていこう。
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9時20分小休止、眼下には溶けた水で刻まれた氷河の亀裂があり、そこを緑色に映える川が流れている。なんと幻想的な景色だろう。水の色がこのように映えるのは初めての経験だ。左手にはムスターグ・タワー、正面にはガッシャーブルムⅣ、右手にはマッシャーブルムが見える。右手の斜面で砂煙と同時にダイナマイトの爆発音のような響き。落石だ!
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ちぎれ雲が全空を覆い始めた。嫌な予感だ。バルトロ氷河正面にあるガッシャーブルムⅣの手前に今回の終着目的地のカンコリア/4691M(コンコルディア)がある。氷河はそこで左右に分かれて左手に進めばブロード・ピークBCそしてK2・BCそしてK2へつながる。右に進めばガッシャーブルム・BCを経てガッシャーブルムⅠ、Ⅱ(8035M)に向かう。カンコリアの右手手前にはミットリ(メッテル)・ピークの針峰群がそびえる。その裏側になるアリ・キャンプを経由してゴンドゴロ・パスを越えてフーシュに下山することが出来る。
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10時過ぎる頃には突きだしている稜線に隠れていたブロード・ピークも見えるようになる。ピークには雲がかかっているが、懸念するほどではない。ガッシャーブルムはバルチスタンの言葉で「美しい山」、マッシャーブルムは「高い山」を意味するそうだ。そういえばマッシャーブルムはK1ともいわれたことを思い出した。今ではKを冠する呼称はK2だけに残っているが、この一帯がカラコルムの奥地、無名の山だった際の測量時に使われた名称らしい。

ガッシャーブルムⅣ(ガイドはG4と呼んでいた)の右手後ろにガッシャーブルムⅡ(G2)のピークも見ることが出来る。12時半カンコリアに着く。すでに何張りかのテントが張られている。ここは氷河が合流する地形なのでとても広いフラットな空間になっている。地図で想像していた山が迫った渓谷とは全く違っていた。フラットと言ってもアップダウンのうねりがあるので行き来するのは一仕事だ。

残念ながら究極の目的地に着いた今、K2は雲の中。見えていたブロード・ピーク、G4も雲に隠れてしまった。日差しはあるので椅子に座ってのんびりと雲の切れるのを待とう。ところがのんびり寛いでいる周りを囲むようにポーター達が集まり、大声を上げて盛り上がっている。おいおいちょっと静かにしてよ、私は自然に包まれた静かな場所探しに来たんだ、と叫びたかったが飲み込むことにした。風もなく、日差しもあったので肉体的には貴重な時間になったが、雲が切れない焦りは精神的には不安にもなる。時々聞く話だが、1週間待機してK2の眺望を待ち望んだのに無念な思いを残して去らざるを得なかった、そんな話が頭を過ぎった。もしかしたら自分もそんな不運に・・・。

しばらくするとポーランド人の一団が到着した。彼らとはゴロⅡでも一緒したグループだが、力量の差が見え見えで中には足下が覚束ない人もいた。屈強な一員というかリーダー格の男性が私のカメラに注目して近づいてきた。彼も日本のカメラを持っている、キャノンだ、と自慢そうに示す。言われて嬉しくないわけはない、日本製のカメラが異国人との交流の契機になるのだから誇りだ。隣り合わせに座って片言(私が)の英語でやり取りをする。EU入りで自国の様子が一変、市場の拡大で彼の仕事にはフォローになったようだ。製薬関係の仕事らしいが、医療に話を振っても話が弾むこともなかったので話題を変える。彼は世界中のあちこちをトレッキングしているようだ。彼からの推薦はキリマンジャロだった。
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夕刻にはようやくK2の上部が雲間からのぞいた。ガイドからは各国の登山家が登頂成功に至ったルートを説明してくれた。あれが日本隊の、あっちがスペイン隊の、そしてあそこがアメリカ隊と聞いたが、いずれもここから見るだけでも最も危険のある困難な登攀だっただろう事は想像できる。残念ながら今日の所は美しい全貌を見ることは無理だろう。いつでもシャッターを下ろす準備をしながら夕ご飯を摂る。
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ここ数日、日程的に余裕があったこともあって少しは食欲が戻ってきた。今晩はキーマ、これは日本でいうキーマカレーのルーに似ているが、パキスタンでのキーマはコンビーフをトマトソースで煮込み、塩、胡椒、ガーリックで味付けたカレーをマサラライスにのせて食べる。パキスタンではよく食べる料理だと聞いたが、保存食のコンビーフをミンチに代えているのか、コンビーフがそもそもの素材なのかは聞き損なった。いずれにしてもとても美味しかった。その上今晩はとっておきのデザートが出た。プリンにフルーツポンチの具材が入り、チョコレートが塗(まぶ)されていた。

さっき話をしたポーランド人はこの先、ゴンドゴロ経由でフーシュに向かうと聞いた。日本のガイドブックではほとんど触れられていないルートだ。ゴンドゴロ・パスからの氷河下山が難しいと聞いていたが、彼らでも行けるなら私でも行けないことはないはず。しかも、日程的に何日か短縮してスッカルドへ戻れると聞いた。次回があるかどうか分からないけど、そのルートを経験してみたい。情報収集に手抜かりがあったことを反省。
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バルトロ氷河とK2⑫ カンコリア、ガッシャーブルムⅠBC、カンコリア [バルトロ氷河からK2へ]

8月3日(日) ガッシャーブルムⅠを目指して(5000M)

5時過ぎに目が覚め気になる天候を確認しようとテントから顔を出した。目の前には見事なK2のピークが天を突き刺すようにそそり立っている。まだ運は味方していてくれる。アラーの神に感謝!
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今日はカンコリアからK2BCに行くか、ヒドゥンピークと言われるガッシャーブルムⅠ(G1、8068M)を見るためにガッシャーブルムBCに向かうか悩んだが、今回の目的の一つである8000M超の4座見ることもあったし、すでにK2の勇姿を拝むことが出来たのでガッシャーブルムBCに向かうことにする。

今日は往復になるので軽い軽食と飲料を持って出かける。同行はガイドのシェールとミールさん。荷物はミールさんが持ってくれるので助かる。

カンコリアではいくつかのパーティーがテントを張っているが、広大なスペースに散っているので喧噪感はない。昨日やり取りしたポーランド人達も視界にはない。それぞれに所属するポーター達は地元同志なのでなにやら情報交換を蜜にしている。そんな情報から悲しい話が伝わってきた。すでに何人かが登頂時の事故で遭難したという話は下山してきた人から聞いていたが、実はその話は数人にとどまらずなんと16人に及ぶ登山家とサポートが亡くなったことだ。

山はロマンを実現する所だが、同時に非業の死に繋がる場所でもある。ほとんどの有名登山家は素晴らしい成功を達成していながら、結果的には「本望」と言うか、「無念」という死を迎えている。昨年、フンザに行った際にウルタール・ザーに挑戦した長谷川さんという極めて有名な登山家が死んだ事を知った。惨いそんな事故があの美しい山の懐で起きてしまった、その山を感動を持ってみている自分が極めて不自然に思えた。
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7時20分に出発する。今日はほとんど空身ではあるが、往復10時間以上の行程と聞いた。K2、ブロード・ピークが昨日よりすっきり見える。本当に運の良さを実感するが、さらに厚かましく願うとすればガッシャーブルムⅠを視界に納めることだ。氷河上のアップダウンを繰り返しながら徐々に高度を稼ぐ。後ろを振り返るとK2を際だたせるように右手にある針峰が遠近感を作り、K2の左手後方にある真っ白な三角錐のエンジェル・ピーク(6858M)を従えている。
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右手にはミッテル・ピークの左手をヴィーネ氷河が合流している。この氷河の右手を先に進むとアリ・キャンプを経てゴンドゴロへのトレイルがある。正面にはバルトロ・カンリ(7274M)が真っ白な雪をいただいて、行く手を阻む形で横たわっている。今日の目的地はその手前のシャガリン・カーブ、そこはG1,G2からのブルッツィ氷河とチョゴリザ(7654M)からのチョゴリザ氷河の合流点になる。
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日差しは厳しいものの、さすがに汗だくになることはない。10時にはチョゴリザが眼前に迫る。チョゴリザの名前は日本ではスポーツ・ショップにも冠されていたこともあり余りにも有名であるが、現地の人には特別の意味はない。単に雪に覆われている美しい山だ。
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左手には氷河上に箱庭のように渓谷が展開している。氷塔の間を縫って川が蛇行しながら流れている。川は幻想的な緑色に色づき、その色が氷河の壁に同じ緑色を映している。まさに芸術作品そのものだ。トレイルは特別アップダウンがあるわけではないので、歩くには困難はないが、すでに5000Mの高度なので多少は息苦しい。
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ちょっと心配なのは前方のバルトロ・カンリやチョゴリザ方面は雲も少なく視界良好であるのに、G1のある左手には雲がかかり始めたことだ。G1は左手稜線の後方にあるわけだからこのまま目的地についてもG1を拝めるのだろうか、一抹の不安が走る。
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この一帯は今でこそ一時の政治的安定を得ているが、パキスタンとインドそして中国が領有権争いをしたカシミールのまっただ中になる。バルトロ・カンリの裏側にあるシアチェン氷河はインドとの領有権争いで激しい戦闘が行われたところ。1980年代の話。外交的にはK2一帯もインドから言えばパキスタンと中国に占領されたエリアになっている。時が時ならここをトレッキング出来なかったわけだ。
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もうじき12時になろうとしているが、ヒドゥン・ピークのG1の姿を見ることが出来ない。氷河の合流地点は直ぐそこのように見えるが捗らない。今日は空身同然なのに足は重い。5000Mという高度のせいもあるし、この1週間歩き続けた疲労が溜まっていることもあるのだろう。

1時、晴れていればG1が望める氷河の合流地点の手前に着いたが、残念ながら雲の中だ。G2の眺望を求めるとなるとさらに2時間先に進まなければならない。今から折り返してもかなり遅い時間の帰還になるのでこれ以上の前進は無理だし、この雲模様では眺望すら望めない状況だ。

1時半、覚悟を決めて昼の軽食にする。眺望を期待していた気持ちが裏切られてブルーな気分に落ち込んでいたが、なんとかムリヤリ食事をとることにする。雲は走るように左から右へと移動している。時折雲の切れ間からG1の一部と覚しき黒い固まりが見え隠れしてきた。それがG1のどの部分なのか識別も出来ない。
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ところがなんと運の良いことか、突然雲が切れてピークの一部が覗き、稜線がくっきり見えてきた。そろそろ撮影の準備と目を離しているうちにG1の全貌が現れた。なんと幸運なんだろう。ここに来てもしっかりとピークを確認できた。

2時半ゆっくりしたい気持ちを抑えて帰路につく。G1は安定して全貌を見せてくれている。後ろにバルトロ・カンリ左手にチョゴリザを見ながら左手前方にはムスターグ・タワーが見える。なだらかな下りだから楽だ。あまり時間もないので思いっきり無理をして休まずに先に進む。気がついてみたら2時間弱歩き続けていた。さすがに一休み。
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5時頃にはアリ・キャンプへの氷河を左手に見ながら先を急いでいた。前方にはK2がくっきりと天を突くように堂々と屹立している。自分の陰が右手に長く伸び始めた。日差しが落ち始めると一気に冷え込んでくる。先を急ごう。
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何度か小休止をしながら7時10分ようやくキャンプ・サイトに戻る。カンコリアにとどまっていたコック達が夕ご飯を準備していてくれた。往路7時間、復路5時間あわせて12時間の行程はさすがに空身でも足に来る。でも天気に恵まれ、最後の最後でG1をしっかり見られたのは幸運としか言いようがない。改めて幸運をアラーの神に感謝、しかし運を使いすぎて帰路で何もトラブルがなければ良いのだが・・・・。
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バルトロ氷河とK2⑬ カンコリアからウルドゥカス(復路) [バルトロ氷河からK2へ]

8月4日(月) カンコリア~ウルドゥガス

今日も天気はいい。K2が朝日を浴びてほんのりと緋色に色づいている。ポーター達の話を総合すると遭難した登山家は中国人、スペイン人、イタリア人、ノルウェー人、韓国人それとポーターとして同行したネパール人、パキスタン人など。残酷な話だが、それでも登山家達にとっては底知れない魅力が彼らを挑発するのだろう。
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日程を短縮出来たので体力に余裕があれば、K2・BCに行く気になれば行けたのだが、さすがに心身ともに疲労の極致、一刻も早く下山したい気持ちに襲われる。悩んだ末、BCに行っても岩肌を間近に見ることが出来るだけだと屁理屈をつけて下山することにする。

7時過ぎにはテントをたたんで出発する。荷物が少なくなったので、ここでも2名のポーターが解雇された。解雇されたポーターは食い下がっていたが、いかんともしがたい。

出発時には雲が流れて、時々日差しを遮るようになったが、すでに目的は完遂しているので、天気はそこそこで結構。むしろ日差しから解放されたい気持ちでいっぱいだ。ウルドゥガスまでの行程だが、登りでは2日間かけた日程。なだらかな下りでもあり、ガイドは問題ないとのことだ。確かに瓦礫も歩行を邪魔するほどではなく、滑りさえしなければなんでもない足元になっている。

しばらく行くといつの間にか覆っていた雲が消えてかんかん照りの日差しとなってしまった。右手正面にはムスターグタワーが独特の様相で視界に入る。
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10時50分ゴロⅡに着く。耳を傾けると氷河が溶けてチョロチョロと水が流れる音が聞こえてくる。喉を潤して直ぐに出発。炎天下でかつ長時間の歩行の苦痛から解放できればとアミノバイタルの粉末とジェリーを持参したが、これは大正解だった。特にジェリー状のものは喉の渇きに有効だし、喉元を通る時の爽快感は最高だ。ここでも残り少なくなったジェリーを飲んで出発する。

斜面を見上げると大きな岩が不安定そうにならんでいる。突然ゴロゴロという音に見上げると、ふた抱えほどの岩が突然落下し始めた。慌てて躱そうとしているうちに、幸い直上にあった大きな岩で方向転換してくれたので直撃はさけられた。私の左手を一気に落下していった。事故はこんな風にして起きるのかと自然界の掟を目の当たりにした。
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後ろを振り返るとガッシャーブルムⅣが我々を見送るように全貌を見せてくれている。K2はカンコリアを離れると同時に稜線の陰になり視界から去った。カンコリアでは隠れていたマッシャーブルムが左手に見えるようになる。
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12時半ゴロⅠに着く。ここには何パーティーかのグループがすでに休んでいた。ここで昼ご飯だ。昼ご飯はナビさんの作ったバラタだ。小麦粉を丸く引き延ばしてバターを塗って焼いた物。焼きたてだと美味しいが、冷えてしまうと喉を通すのが辛い。一口二口で限界。フルーツポンチの缶詰を開けてもらって腹を満たす。
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1時過ぎに出発する。足下の状況が徐々に悪くなってくる。氷河上を流れている川も往路時よりも水量が多くなり、往路では簡単に渡れた川が、勢いと水量を増していて簡単に渡れなくなっている。ガイドが大きな石を渡してくれて不安定な石伝いに徒渉する。ところが固定されていると思った石が動いて一瞬足下を奪われるところだったが、ストックのお陰で片足を少しだけ川に突っ込む程度で最悪な状態を避けることが出来た。右足に水が入ってしまったが、大したことにはならなかった。トレイルはさした斜度もないので歩くには困難はないが、氷が剥き出しになっている所では用心が必要。一寸気が散漫になるとスリップしてしまう。
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強烈な日射は体力を一気に奪っていく。だんだんトレイルもアップダウンが大きくなり、氷河を覆っている岩も大きくなるのでトレイルは右に左に振られてしまう。

2時半前方左手の山肌にしがみつくようにして二カ所、緑が見えている。先にある緑がウルドゥガスのキャンプ地だ。視界に入ってもあと2時間以上はかかると聞く。心底うんざりの心境だ。

3時40分最後の休憩。目と鼻の先にあるキャンプサイトがなかなか到着しない。疲労困憊気味だ。足を先に進めるのがこんな苦痛とは。5000M超で空気が薄くって息が上がった経験はあったが、このような標高では初めてだ。ガイドが心配して、荷物を持ちましょう、と言ってくれた。

プライドがその誘いに抵抗したのだが、この疲労困憊にお願いすることにする。そこから斜面にへばりついているキャンプ地は砦みたいに高いところにある。ここから一気の急登だ。ストックを頼りに一歩一歩進み、4時35分ウルドゥガスのキャンプ地に着く。すでにポーター達は到着していて三々五々散って寛いでいた。コックのナビさんがホットジュースを用意して待っていてくれた。ホットジュースは戦後の貧しい時代の飲料水を連想、必ずしもいい印象ではなかったが、この渇きには最高の潤いとなった。何杯も何杯も飲み干した。
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遅い時間に到着したので、いい場所を確保が出来ない。テント場は隅っこ、何段かあるテラスの一番上になってしまった。到着してからそこまで登るのがなんと辛かったことか。
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トランゴ・ピーク、ビアフォー・ピークが夕陽を背にして黒くシルエットになって幻想的だ。まるで墨絵のよう。往路でも見た景色だが、何度見ても美しい景色だ。何十枚も写真を撮り続けた。
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標高がそれほど高いわけでもないのに今日の疲労は桁違いだ。1週間をかけての登りに加えて、昨日の12時間、そして今日も10時間の行程は肉体的に相当な負担をかけてからだろう。
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バルトロ氷河とK2⑭ ウルドゥガスからパイユ(復路) [バルトロ氷河からK2へ]

8月5日(火) ウルドゥガス~パイユ

ウルドゥガスはバルチスタン語で岩場にある亀裂のことを言うそうだ。今朝はこのトレッキングで初めての雨模様。一時は激しく降る音に先行きの不安を感じていたが、幸い朝ご飯時には小雨となり、行動には支障がなさそうだ。7時10分、当地に入って初めて雨具を付けての出発となる。足元に広がる氷河湖は白濁した緑色になっている。日々の日差しでどんどんと融けて変形していくのがリアルに分かる。

数ヶ月前までは氷河湖に流れ込んでいる左手の谷側を歩けたのだが、落石のためそのトレイルは塞がれて、氷河湖の右手上を登ることになる。氷河湖を囲む氷河の壁がそそり立つその際を歩くので反対側から見あげると今にも融け落ちそうな場所をポーター達が歩いている。そこを歩いてきた、そしてこれから歩く事を想像すると背筋が寒くなる思いだ。

パキスタン軍の駐留キャンプを通り過ぎ、一歩一歩登る。しばらく行くとウルドゥガスに流れ込んでいる谷の反対側に向けて下る。タパペティンと呼ばれる小さな紫色の花が咲き乱れている。瓦礫のなかの厳しい環境に耐えている姿がいじらしくさらに美しさを増している。氷河にあるクレパスが夏場の暑さに溶けてその深さを増し、表層のゴミを溶かし白い肌を剥き出しにしている。美しいという印象に加えて何か不気味さを感じる様相だ。あちこちで落石の音や氷河が移動する際の軋み音も聞こえてくるほどの静けさだ。
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ここでの天候不順はある意味熱暑から解放される快適さと、もしこのタイミングが一日でもずれていれば、肝心なK2を見ることが出来ないという悲嘆の底に落ち込まなければならなかったかもしれない。そういう意味でも幸運だった。往路では下に広がっている氷河モレーンの中を歩けたのだが、トレイルが落石で通れなくなったようだ。ミールさんは迷うことなく、斜面の上に向かって進む。彼がどこでその情報を得たのか知るよしもなかったが、さすがベテランガイドだ。大きな岩の合間を縫っての歩行となる。韓国人のパーティーがそれを知らずに下のトレイルを歩いている。片言の英語でやり取りしたものの、通じなかったのかあるいは助言を無視してなのか委細構わず先を進んでいった。
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8時半トランゴBCのちょうど対岸にいる。左手上の岩肌にボラという鶏大の鳥がいた。残念ながら一瞬の出来事だったので写真を撮る余裕もなかった。9時40分往路ではキャンプを張ったコブルジェに着く。岩小屋があって別のパーティーも一息入れていた。ココアを飲んだり、ジェリーを食べて10時過ぎに出発する。
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11時45分リリゴのキャンプサイトに着く。リリゴはバルトロ氷河に左右から氷河が流れ込んでいる十字状になった場所だ。バルトロ氷河も両側の山肌が迫って狭くなってきている。右手からはトランゴ氷河、左手からはリリゴ氷河が入り込んでいる。ここから先パイユまで休憩する場所もないのでここで昼ご飯となる。
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しばらく行くとバルトロ氷河のトラバースが始まる。アップダウンの連続、あがっていた雨が再びしとしとと降り始め、雲も厚く覆い被さってきた。小さな氷河湖を通り過ぎ先を進んでいくと、大柄なおそらく2Mに届かんと思われる登山家がおぼつかない足取りで下山していた。遠くの右手先に緑の塊が視野に入ってくる。そこがパイユだ。パイユはバルチスタン語で「塩」という意味だそうだ。
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1時10分ちょうどバルトロ氷河のど真ん中を歩いている。雨脚は上がるどころがますます激しくなってきた。さっき視野に入ったよろよろ歩きの登山家だが、視野から消えた。明らかにトレイルから外れているのは確か。気にしながら先を進む。1時半頃には眼下にブラルドゥ川のごうごうと白濁した流れを確認した。気掛かりになっていた足がふらついている登山家がバルトロ氷河がブラルドゥ川にまさに落ち込もうとしている方向に向かって進んでいるのを確認。シェールが必死に大声を懸けて戻るように叫んだが、委細構わず先に進んでいく。
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雨宿りが出来る大きな岩の陰で一休み。靴の中も温もりはあるが何となく濡れているのが分かる。ちょっと気持ちが悪いがどうしようもない。2時にはバルトロ氷河のトラバースが終わり、ブラルドゥ川に沿って先に進む。平坦なトレイルになったが、何本かの川を横切る際、雨量が増えたせいで往路では何事もなく渡った徒渉に難渋する。足元の不安定な岩伝いに徒渉したり、緊張した一瞬だった。
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3時過ぎにはパイユに着いた。幸い雨は上がり、テントを張り始めたが、水たまりがあっていかにも足元が悪い、寝床にするには心配だ。シェールが管理小屋の管理人と掛け合い、その部屋を使わせてもらうことにする。薄暗いので薄汚れた部屋でも気にならない。濡れた衣服を脱ぎ捨てて着替えた。なんと気持ちいいことだろう。

天気が急速に快方に向かい、日が射すまでになる。河原まで下りたり散策をするが、中途半端に作られたトイレが不自然に存在しているのが気にかかった。気になっていた登山家がパイユには立ち寄らずふらついたまままっしぐらに先に進んでいった。安堵し、あんな足元でも先に進む、その気持ちの強さが極限の登攀を支えているか、と感心する。
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日も落ちて夕ご飯も終えた頃、5人のセルビア人(後で分かったのだが)とポーター数人が、突然部屋に入り、傍若無人に私の荷物を椅子から下ろし、その椅子を持ち出していった。何事が起こったのか分からないままに時間がたった。普通ならすいませんが、と詫びてから始まるのに相手のことを全く無視だ。傍若無人ぶりにはあきれ果てた。

セルビアと聞けば、民族間の争乱が絶えないところ。こんな態度からも想像するに紛争が起きる土壌を感じた。分かったことは彼らはセルビアの相当高い地位の軍人とその取り巻きらしい。改めて白人の価値観の違いそしてアジア人に対する蔑視を肌で感じた一瞬だった。そういえばヒマラヤでも同じような体験を経験しているのを思い出した。白人の世界には日本人が及びもつかない教養を感じられる人々がいる反面このように利己的で自己中心のこれも日本人ではあり得ない人種が存在しているのを改めて実感した。
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バルトロ氷河とK2⑮ パイユ~コラフォン(復路) [バルトロ氷河からK2へ]

8月6日(水) パイユ~コラフォン

今日は再び快晴。出来れば曇って欲しかった。6時半にミールさんと二人で先行して出発する。ここからのトレイルはほとんど水際に沿って下山する。時々高巻きをしたり、土石のたまった中州に移ったり、穏やかな歩行の連続だったが、下流に行くに従って、増水した水がトレイルぎりぎりまで寄せることもあり高巻させられることが頻繁になる。7時過ぎに吊り橋が見えたが、軍の管理下にある橋でパイユキャンプサイトの対岸にあるヘリポートサイトに繋がっている。
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繰り返される高巻きに息が上がり始めた。しばらく進むと平坦なトレイルに変わり、その先にはバルディバルがある。9時過ぎに着く。往路では昼ご飯を食べたところ。水を飲んだりしてのんびりしていると、以前にあった恋人(夫?)を遭難で失ったノルウエー人の女性がロバに乗って追いつく。彼女は小屋で売っているコカを買い求めてぐいぐいと飲み干していた。さすがにちょっとだけ羨ましい気持ちになったのは正直な気持ち。高いとはいえ700円だからその気になれば負担ではないが、変なプライド、それって何?といわれると返答に窮するが、やせ我慢して水筒の湯冷ましで喉を潤す。
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平坦なトレイルが続き、遠くにパキスタンの国旗が翩翻と翻っていた。軍の中継基地だ。本当にシャビーな佇まい。ブラルドゥ川が昨日の雨でいっそう水量を増して踊るように時には争うように牙をむいて下流に向かって行く。大きな中州が浮かぶように広がっている。よくよく見るとその中州の先端にロバが一頭立ちすくんでいた。背中には荷物を積んでいただろう枠組みが無残にも残っている。ミールさんは川に転落して泳いで辛うじて中州に這い上がったのだろうといっていた。ロバの運命を想像しても儚い。へり以外誰にも助けることが出来ないどうしようもない状況だ。でも飼い主にとって3万ルピー(5万円相当)もするロバを失ったロスは残念無念だろうことも想像出来る。
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11時40分、水際のトレイルが水没しているため、大きく高巻きすることになる。長い道中でもあり、長い登りは足に辛い。どうのこうの言うまでもなく一歩一歩足を進めるしかない。11時50分ようやくビアフォ氷河の合流地点が見える。12時15分小休止。ここまでは快晴にもかかわらず、往路ほどの熱風に悩まされることはなかった。昨日の雨が気化熱になっているからかもしれない。

12時40分、そろそろジョラも近い。ドモルド川がブラルドゥ川と合流する地点だ。ここからは今日のキャンプ予定地、コラフォンも見える。ビアフォー氷河が流れ込んでいる手前にある。そこだけ緑が繁茂しているのではっきりと見分けることが出来る。それにしても往路でも実感したことだが、ドモルド川上部までの行き来は堪える。橋があったら、と子供じみた非現実的な空想に疲労感との葛藤がもたげる。さすがにここまで来ると快適だった通る風も熱風に変わっていた。1時半には手持ちの水も尽きて喉をカラカラにしながらようやくジョラにたどり着く。

ここで昼ご飯といつもより長い休憩を取ることになる。といっても日射が厳しいのには変わりない。一眠りしたいにも快適な場所はない。惜しみなく流れるホースの水を思いっきり頭に浴びて冷やす。水冷だ。一気に頭がすっきりする。さらにタオルにたっぷり水を浸し後頭部に巻き付ける。ホットした一瞬。

2時10分、ぼちぼち出発。出発際に管理人からシェールが「往路の吊り橋の通行料を払え」と呼び止められていた。彼は領収書ももっているので払う必要はないと一悶着。この濡れ衣の原因は行きの通行料を受領した人間と今日は違っていたことだけなのだが。それにしても不思議な現象、管理体制が不十分というか、イチャモンつけて取れる相手からは取る、ということなのだろうか。とても現地ガイドなしでは何が起こっても不思議ではないことを実感する。

2時30分には対岸に渡る吊り橋を渡り、対岸を今度は下流(ブラルドゥ川)に向かって進む。少しは山陰もあって少しは楽だ。ほとんど水平トレイルなので足への負担は少ない。さらに山際に近づき日陰が多くなる。トレイルは岩壁に沿って時には岩をくりぬいた場所もある。ガイドは川面に下りてペットボトルに汲み入れた水を土砂が沈殿する時間を待って美味しそうに飲み干していた。岩場を一気に登りそして下ってしばらく行くと今日の目的地コラフォンだ。4時50分、まだ明るく夕日が燦々と降り注いでいた。ビアフォー氷河の末端で上部にはアブレーションバレーがダムの突堤になっている。岩の間を縫って小さな流れを作り、集まって小さな川がテントの横を流れている。柳らしい木が繁茂している。キャンプサイトとしては最高の環境だ。
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テントを張り、日向ぼっこをしているとパキスタン軍の数人が近づいて来た。私にも片言の英語でどこから?どこに?との質問を浴びせてきた。ガイドやポーターともやり取りをしていた。だんだん雰囲気が変わって我々の食料で余っているものがないか、ということになったらしい。パキスタン軍も十分な支援が出来てないことが推察された。
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あと一日で集落に戻れる。ただ一つ心配なのは道路が増水でどこまで破壊されているのかだ。噂の範囲だが、アスコーリからジープには乗れないらしい、ということだ。行ってみないと分からない世界。ケセラセラ。
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バルトロ氷河とK2⑯ コラフォンからスッカルド(復路)・完 [バルトロ氷河からK2へ]

8月7日(木) コラフォン~アスコーリ~スッカルド

ここのテントサイトは木立があり、明るい時には心の安らぎを与えてくれるが、夜陰が迫るとむしろ不気味さを感じる。特に人の気配があってもおかしくない雰囲気だ。そんなこともお構いなしに静寂の闇のなか早々と睡魔が襲ってきた。テントの設営に問題があったのか、背中に石があたって寝苦しい。最後のテント生活で興奮しているのか2時に目が覚めてしまった。テントを出て夜空を眺めると満天の星だ。見事すぎて星座の区別がつかないほど。星雲も見られる。木立が何気なく不気味な恐怖心を煽る。テントに戻るがなかなか寝付けない。ウオークマンを出してモーツァルトのシンフォニーを聴く。澄み切った音が耳奥に響き渡り、再びいつの間にか寝入っていた。
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6時半に出発する。しばらくはフラットなトレイルを進む。ビアフォー氷河とブラルドゥ川の合流、瓦礫が押し出されて突堤状になっている壁を右手に見ながら砂地で脹ら脛に負担がかかる歩行になる。7時半にはビアフォー氷河の一番右手に氷河の水を集めて轟々と流れる川にかかる吊り橋を渡る。かき集められた水は行き先を奪われてお互いがぶつかりあって逆巻きを作ったりしている。その様は迫力満点だ。
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対岸を進むと山肌が迫り岩場を高巻きする。さすがに肉体的に疲労困憊の極致なので、たかが高巻きと言っても堪える。高巻きを下るとブラルドゥ川に突き出した尾根の下を回り込み、前方に緑に包まれた集落が目に入る。ようやく終着地アスコーリだ。対岸にも緑に包まれた集落も見える。なだらかな道をだらだらと進むが、集落の中心にはなかなか届かない。右手の岩陰に勢いよく水が迸って落ちている。そこでは我々のポーターも含めて村民達が頭を洗ったり、気持ちよく水浴びをしていた。ガイドも気持ちよさそうに喉を潤していた。

9時20分に往路でテントを張った出発点にようやく戻る。入山管理をしている建物に入ってミールさんと椅子に座り、ガイドの情報収集を待つ。ヨーロッパからの20人近い集団が入山登録のためにパスポートを手にして行列をしている。言葉の響きからラテン系、おそらくスペイン系ではと想像された。シェールが帰ってきた。彼のもたらした情報は想像以上の悪い話だった。

分かったことは間違いなくアスコーリから1時間程度歩かなければならない、その先でジープに乗れるが、そのままスッカルドに戻れる可能性は儚い夢であることが分かった。通信手段が無い状態では人の話が頼り。伝言ゲームと一緒で情報が歪んでしまい事実が曖昧化する。まずは先に進むしかない。

10時10分先の見通しが見えない不安を抱えて出発する。村の人だろうか、ガイド達になにやら話しかけて、急坂を転がるように下っていく。往路ではポーターが「車から降ろされて登った急坂だ。今日は一台の車もない。激しい夏の日差しが容赦なくさしこんでくる。買い込んだミネラルウオーターで喉を潤す。途中から村人の使う近道なのか、右に逸れて岩場を慎重に下ることになった。ここに来て再び緊張する場面だった。一気の下りが終わると再びジープ道に戻り、しばらく行くとブラルドゥ川の河原が近づいて来た。水平道路になり、時にはブラルドゥ川の飛沫を受けるほど近づいたりする。確かにジープ道は崩壊しいしていた。

何人も現地の人々だろう忙しく行き違った。積み上げて作られた堤防が見事に抉られている。目標の見えない歩行は平坦と言っても辛い。ブラルドゥ川の水面に沿って下る。11時半若干の登りの先に木立に覆われた、大勢の人の行き来が視界に入った。トゥンゴルという集落だ。車も視界に入る。ホットした瞬間だ。

現地の重要な交通手段になっているロバや小振りの馬が行き来して慌ただしい。車はあったが、さて、それを手配できるのか、その先ジープでどこまで行けるのか、まだまだ先行き不安は拭えない。大きな木立の下にミールさんがシートを敷いてくれた。腰を下ろしてのんびりと周囲の動きを観察する。あどけない子供達がロバの騎乗練習をしているのを親父が愛情溢れる笑顔で見守っている。

なかなか交渉は捗らないらしい。この先ふたたび橋が流出してしまってので徒渉するらしい。このような緊急事態になるとジープの所有者の立場が一転して強硬になる。シェールは厳しい顔で激しく交渉を重ねている。最後は決着がつく前にジープに乗り込めとの指示があった。やり取りを無視して乗り込む。結局は料金で手を打ったのだろう、シェールは怒りの顔を露わにしていたが、取りあえずは先に進むことは出来た。
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深い轍に右に左に降られながらおんぼろジープはそろそろと動く。それほど乗ったとは思えないうちに突然駐まる。川が左にU字状にうねった先でそこに流れ込む川に行く手を遮られた。このジープはここまでだ。崖から岩が落ちて道を塞いでしまった。その先にある激流をどのようにした渡るのか不安になった。増水した流れに足場が水面下にもぐり足場が見えない。ポーター達にも怯んでしまう者もいた。
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ガイドのシェールが先ず先に進む。はらはらしたが、さすがに見事な徒渉だ。ほとんど水に濡れずに対岸に渡った。その次は自分の番。シェールは最後の足場が大きな歩幅になるので対岸に転がっている大きな石を投げ込んで安定するよう移動させてくれた。四の五の言っていては先に進めない。覚悟を決めて一歩一歩水を被っている足場を頼りに徒渉する。最後の足場がぐらついた瞬間は冷やっとしたが、ストックでバランスを取り辛うじて転倒を免れた。シェールも対岸から手を差し伸べてくれたが必要なかった。

次々とポーター達も足場伝いに、あるいは中には激しい流れの中に腰まで浸かってそろそろと徒渉するものもいた。なんとか全員何のトラブルもなく、徒渉を終えて先に進む。この先は往路でも車を降りざるを得なかった崩壊現場を通過する。その間の道のりはだらだらと長かった。炎天下の緊張のない歩行は堪える。だんだん川面が眼下に移る。いつの間にか断崖絶壁の中腹を歩いていた。ブラルドゥ川は激しい激流となって行き先を失い、流れが流れとぶつかり合って白い飛沫を上げている。

1時間弱の歩きだっただろうか、ようやく橋脚が壊れて傾斜した橋を渡ってジープが何台もプールされている場所に辿り着く。再びどのジープになるのか、やり取りが始まる。一旦乗り込んだジープが我々メーンバー全員と荷物が載らないことに再度やり取りが始まった。結局ポーター達は下山途中の集落で降りることもあり、2時半に2台に分散して乗ることになる。

思いがけないトラブルのため昼ご飯は3時過ぎになった。往路でも寄ったレストランに入る。ここには多くのトレッカーが寛いでいた。リンゴの実がなっている庭先でカレーを注文する。4時前に出発し、谷間を縫って道は何度かのへピンカーブを登ったり下ったりしてスッカルドに進む。左右の急峻な山肌にほぼ水平に白い帯状のラインが走っている。所々に穴があいているのだが、そこが採掘場あるいは採掘場の跡になる。カラコルムは貴石や半貴石の産地だ。ガイドのシェールも遊び半分で見つけるそうだ。
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右手から川が合流するするころには川幅は広く、対岸までの距離は1キロ以上になるほどだ。山は両側に遠のき、平坦な地形が耕作地として提供されている。しかし、道は相変わらずというかむしろ工事途上ということもありかえって悪路になっている。シガールまでもうじきと言うところでポーター達は全員降りた。しばらく行くと運転手が親戚の家の前で車を止めて挨拶が始まった。

すると家族全員と思われる老若男女が車に近寄ってきた。主だろう、一言「ちょっと待ってろ!」と言って果樹園に足を向け、撓わになっている杏子をもぎ取ってざるに入れて家の中に入っていった。水で洗って是非食べろ!美味しいよ。と言うことになった。一つ口に入れたが、なんと美味しいことだろう。喉も渇いているので次々と咥えて食べてしまった。洗った水が綺麗かどうかは今やどうでもいい。標高の高い当地とかフンザでは今が杏子の美味しい季節になっている。
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暖かい歓迎に心の交流を実感したが、子供達のくったくない姿を写真に納めようとしたら、男の子はむしろせがむようにポ-ズを取ってくれたが、イスラム教の世界だから女の子はカメラを向けたとたん家に一目さんで走り去った。
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シガールはパキスタンでも有名な避暑地だ。もともと英国の占領が行われるまでは王国があった町で、大変美しい。丁度夕日を背に逆光になった川面が陰影を深めてまるで水彩画のようだ。シガールのあるフォートに立ち寄る。フォートは町から坂道を登って山の斜面に沿って作られている。今ではカーン財団のもとにホテルとして運営されている。入場料を払うと中を見ることが出来る。
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シガールから峠を越して一気にインダスに向けて下る。7時過ぎにインダスに架かる橋を渡るとスッカルドの町だ。8時にはホテルに到着して、遅い夕ご飯、久しぶりの本格的な料理に舌鼓をうつ。

長~い2週間のk2トレッキングの終わりを、インダス川とシガール川が目の前で合流する、思い出を穏やかな静寂の中で反芻している。夜空にはきらきらと星が美しく煌めいていた。次にこのような夜空を見られるのはいつになることだろう。
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