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①ヒマラヤ・トレッキング(アンナプルナ・アラウンド)2004/11/06 [アンナプルナ]

11月6日  出発 一路バンコックへ

成田エクスプレス5号(渋谷6:57発)に乗る。時間的には1,2本遅い列車でも良かったが、飛行機の座席を選ぶのに早めに出る。空港第2ビルには8時07分に到着。早速手順良くチェックインをする。早い受付になったので理想的な席、非常口の後ろを確保する。搭乗までは十分時間があるのでのんびりとラウンジで朝ご飯をとる。

今回はタイ国際航空でバンコック経由ネパール入りとした。過去2回のネパール入りはロイヤルネパール航空を使ったが、その印象は決して良いものではなかった。そんな事情があって今回はバンコック一泊の道を選んだ。確かに噂通りタイ航空は機材も良いし安心は出来たが、スチュワーデスの対応は噂ほどではなかった。 11時出発のTG641便は予定通りの離陸となる。15時半(日本時間17時半)の到着。バンコックはさすがに熱帯だ。11月というのにむんむんの蒸し暑さ。ホテルはラマガーデンホテル。飛行場から市内に向かって3分の一のところにある。ツイン一部屋当たり朝飯付きで5900円には感動だ。 場所は別としてそれなりのホテルに安心した。
一息入れて市内にタクシーで向かう。土曜日なのでダウンタウンは人混みでごった返ししていた。 山で使う下着(なんとグンゼがあった)を買い込みありきたりの食事をして帰る。


②ヒマラヤ・トレッキング(アンナプルナ・アラウンド)(2004年11月) [アンナプルナ]

11月7日  バンコックからカトマンドゥへ

一路カトマンドゥへ。10時30分のフライト。8時のシャトルバスで飛行場に向かう。9時には飛行場に着き搭乗手続きをする。座席は成田で予約したとおり非常口の後ろで足が伸ばせる。9時50分には搭乗開始。10時30分離陸してカトマンドゥに向かう。ネパール現地時間で12時35分(所要時間3時間半)トリブバァン空港に到着。入国手続き後荷物を待つもストックだけが来ない。既に全ての荷物が出し終わっているので慌てた。改めて見渡すとコンベヤーの終点の近くに鎮座していてほっとした。カートに全ての荷物を載せて出国。出口には多くの出迎えが待ちわび、顔も知らぬ相手の名前を書いて出会いを待っている。ガイドを頼んだダワさん(次回で紹介)は前回のトレッキングで顔を知っている仲なので必死になって探す。出口の一番右側に彼はいた。握手をして再会、安堵した。ダワさんが手配していたタクシーに向かう。

相変わらず旅行客の手助けをして金をせびろうとする人々が近寄ってくるが、勝手を知っているので振り払ってタクシーに乗り込む。タメルに向かう道も勝手知ったところ。今回はバリケードも少なく、軍隊の検問も緩い気がした。今日の宿は「フジゲストハウス」。前回は日本にも無いような高級ホテルに泊まったが今回は節約も兼ねてお手軽なプティホテルにした。名前からも想像つくように日本人向けを意識した宿だ。タメルの中心から少し東に外れた裏道に面している。

ご主人は達者な日本語を使う。彼に言わせると日本人は礼儀正しいが、白人は門限も破るし、遅い時間でも周りに気を遣わず騒ぐ。お客は日本人に限る、との話。嬉しい話だがその日本人も今では外人との違いが無くなってしまっているので気恥ずかしい。部屋は5階(イギリス式の表示なので4階と書いてあるが)だった。良い部屋だったが、用事のたびの上り下りは相当な負担だ。

部屋でダワさんと今回のスケジュールの再確認と費用精算をする。トレッキング最後でタトパニからベニに下りるか、ゴレパニ経由でビレタンティ、ナヤプルに下りるかが決まらなかった。日程的に無理をすればゴレパニ、プーンヒル経由でアンナプルナ山群(当エリアで唯一の8000mを超す第Ⅰ峰)を見ることが出来るのだが、その選択はその時点の体調如何と云うことにする。なにしろ今回のトレッキングは300km弱(?)の行程と5500mの高度への挑戦だから最終段階の状況が想定できないからだ。

打ち合わせを終えて地図の調達にダワさんを同伴し専門店に行く。その店では現地の人は店の入り口で荷物を預けないと入れない。現地人への差別だがやむを得ないのか。帰ってから一寝入りする。日本時間とは3時間15分の時差が一寸は体調を変えているだろう。気がつくと既に周りは日が沈み暗くなっていた。

宿のご主人に聞いて最近評判になっているという「一太」に行く。大きな提灯があるビルの2階にあった。日本人のオーナーシェフと日本語の話せるネパール人の店員。キャベツと豚肉のみそ炒めが170ルピー。味はごく普通の家庭の味だがここでは貴重な味だ。他の料理も大体そのぐらいの値段。豆腐やみそ汁、酢の物など。未だ日本料理が恋しい環境ではないが、さすがに明日から付きあわなければならない現地料理には手を付ける気にならなかった。タメルの街を久しぶりに歩いたが、迷うこともなく宿に帰る。これからしばらくはバスタブの風呂とも縁がなくなる、しっかり風呂の味を堪能して、9時50分未だ街の賑わいの喧噪が聞こえてくるなかベッドに入る。


参考)ヒマラヤ・トレッキング(アンナプルナ・アラウンド)ガイドとトレッキングルート [アンナプルナ]

お世話になったガイドダワさんのこと

ダワさんの正式の名前はDawa Tenjen Sherpaです。
彼はシェルパ族でマカルーの麓が生まれ故郷。前回のランタン、コサイクンドをトレッキングしていた際に出会ったガイド。日本人の感性にはぴったりの人。シェルパ族が日本人に一番向いているガイドであり、ポーターだと、人の評判なども含めて多くの日本人が実感していることだと思う。
彼は最低限の情報交換をするに十分な日本語は話せるし、以前はグルン族のガイドを使っていたが、その違いは歴然だ。必要なときにはそばにいて対応してくれるし、必要がないときには遠離って見守ってくれている人だ。当然日本人の気性、好み(食事やロッジなど)にも理解が深い。彼の選ぶロッジ、そして食事などのアドバイスも適切だ。ネパールでトレッキングを希望の方にはお勧めできるガイド。

追記:日本ではガイドのことをシェルパと言っているが、実はシェルパはあくまでも部族名であり、ガイドではない。シェルパ族が有能なガイドだという名誉ある通称だ。


③ヒマラヤ・トレッキング(アンナプルナ・アラウンド)(2004年11月) [アンナプルナ]

11月8日  カトマンドゥからベシサハール

昨晩買い込んだパンとミルクティーの朝飯。さすがにカトマンドゥといえども肌寒い。7時にはダワさんが迎えに来た。今日はベシサハールまで車での移動。ネパールの最高級車(?)20年ぐらい前の型式だろうカローラ(当地ではコロラと訛って呼んでいる)だ。雑踏の市内をぬって郊外に向かう。


ベシサハールはポカラに向かう幹線道路をひたすら走って途中から分岐したところにある。チトワン(ジャングルサファリで有名な自然公園)に向かった時と同じ道だ。カトマンドゥからしばらくは上り、クラキリ峠で最初の検問を通過。8時20分。検問風景を撮影しようとすると警官から止めるように指示される。峠を越えると一気に見晴らしがきくようになる。左前方にマナスルの山群が、そして目を右に振るとガネッシュ・ヒマールの山群、そしてランタン・リルンを中心にしたランタン・ヒマールが見える。昨年歩いたランタン谷とコサイクンドが一望でき感慨に耽った。道路標識によればポカラまで180kmの距離。10時にポカラまで140kmの地点を通過。

10時半ライチショックでコーヒー・ブレークをとる。外人向けのリゾートが忽然と現れた感じ。他には客人はいない。北の方角にはマナスルが見える。ここは丁度マナスルの南に位置する地点だ。11時半ドゥムレで幹線から離れてベシサハールへ分岐する。典型的なネパールの農村風景の中をぬって走る。アンナプルナ山群が左方向に雲に隠れて一部が、そしてその右手にはラムジュン・ヒマールがくっきり見える。車の調子に異変が起きたようだ。突然馬力を失う。ラジエーターの水が漏れたようだ。ドライバーは目の前の農家に水を求めて、ラジエーターに水をたす。


20分ぐらい時間をロスしただろうか。どうやら車は無事動き始めた。1時半にベシサハール(標高760m)に到着。先発で現地入りしていた二人のポーターと合流。ACAP(検問所)でのチェックを終えて2時半に宿に入り、チキンカレー(250ルピー:食べ物代はアルコール、炭酸が自己負担となるがそれ以外はガイド料に含まれている)を食べる。ダワさんに頼んで現地の医療施設を見学する。ベシサハールはマルシャンディ川流域の最大のそしてヒンドゥ教徒の町、一部にはグルン族のブッディストもいるのでタルチョー(幟)がはためいている。彫金や裁縫、時計など各種の専門店も点在している。 シャワーをとり9時には就寝。3時間15分の時差ぼけが未だ残っているようだ。夜半にふと目が覚めて天を仰ぐと、星座を区別できないほどの星に、その輝きに圧倒された。


④ヒマラヤ・トレッキング(アンナプルナ・アラウンド)(2004年11月) [アンナプルナ]

11月9日(火)  ベシサハールからゲルム

ホテルの隣には広場があり、白人のパーティーが昨晩からテントを張っていた。焚き火で盛り上がっていた。6時頃には町中が活気を帯びてくる。ポカラに向かうバス乗り場に人だかりが出来、トレッカー達が活動を始めていた。ホテルの食堂は白人トレッカーに占拠されてしまったので、押し出されるように2階のベランダで食事となる。オープン・カフェになっているので、ここの方が眺めはいい。しかし一寸肌寒いのが欠点だが。

7時にはジープに乗ってクディ(790m)に向かう予定だったが、朝ご飯の用意が遅れ、結局7時一寸前に慌ただしく宿を出る。街外れにある乗り場に向かって走るようにして歩く。しかし、そこに着いたはいいもののジープのかけらもなくあるのは2台のバスだけ。ダワさんがやり取りをして結局一台のバスに慌ただしく飛び乗る。7時10分。事情はよく分からないが、ジープは予約というわけではなく乗り合いのようだった。それが既に出てしまってバスに変更になったと推察される。道は恐ろしく悪路。バスもやっとの思いで走路を見つけて走っている。身体は右に左に、そして前に後ろに揺さぶられる。

田んぼには刈り取られた稲が横たわっている。収穫前の稲穂は日本のようにたわわに実らずすっきりと伸びた先に少ない穂を付けている。生産性の低さがはっきり。 悪路を少しずつ高度を上げて右手にマルシャンディ川を見下ろし、左手には崖が迫る。歩行なら自分の足を信じて歩めるが、道無き道を壊れそうな車に身を預けるのはどれだけ危険か。「車が崖下に転落で何人死亡」というそんなニュースを偶に聞く事があるが、トレッキングの最大のリスクはここにあるというのが実感。小さな集落をいくつか通り過ぎて滔々と水が流れているコーラ(河川に流れ込んでいる支流のこと)を渡る。一見どこが道か分からない岩が出ているところをさりげなく越えていく。車で行き着ける最終点クディに8時に着く。いよいよトレッキングの開始だ。3時間かけてクディまで歩く覚悟をしていたが、幸い昨年から道が開通して車での移動が可能になった。天気は最高。ラムジュン・ヒマールの山々が見える。


直ぐに右に折れて細道をマルシャンディ川に向けて下りる。吊り橋を渡りしばらく上ると再び広い道に出る。8時20分マナスルの山群が見える。自動車が通れる道を作っている最中なのだろう歩くには勿体ないぐらいに広い。対岸に渡るとブルブレ(840m)の街だ。8時50分トレッキング最初のチェックポイントを通過する。マナスルの左手には雪を頂いたラムジュン・ヒマール(6,932m)の山群が見える。山としては当然マナスルが大きく、存在感もあるはずだが、ここからではラムジュン・ヒマールが圧巻だ。

道は河原のなか右岸を歩く。右手上にある別の道をポニーキャラバンが歩いている。そこは雨期の夏道だそうだ。今歩いているところは乾期の道。9時20分にはガディの街の入り口に着く。バッティ(茶店)でチャイを飲む。田圃が続く。6月頃に田植えをして丁度収穫が終わろうとしている時期だ。ンガディ(930m)の町中で早めのランチをとる(10時25分)。マナスルもラムジュン・ヒマールも山稜に隠れて見えなくなった。夏のような雲が出ているが、明るい日差しと亜熱帯らしい暑さにすっかり冬であることを忘れてしまう。通る風が爽やかで肌に気持ちいい刺激を与えてくれる。ロッジで食事を摂るが電気はあるし他のエリアのトレッキングに較べて設備が良い。冷蔵庫まであったのには驚いた。

11時40分食事を終えて出発。しばらく行くとウスタの街、そしてンガデコーラを渡り対岸で一休憩。直ぐにランパタの街を経由してしばらく行くと一寸した登りになる。ランドスライドも目に入り少しずつ山岳らしい景観となる。チョルテン(仏塔)を通過する機会が増えて、少しずつヒンズーの世界から仏教の世界に変わりつつあるのが実感される。12時27分ブフンダンダの入り口に着いて一休み。ここはブフン族の世界。ヒンズーを信じる少数民族の集落だそうだ。12時40分出発。5分もすると前方にブフンダンダの大きな集落が見えてくる。


1時45分街の中心地に着き一息入れる。対岸には段々畑が続き、小さな集落が見える。そこに辿り着くだけでも気が遠くなりそうだが、さらに見えない山の裏側にも人家があるそうだ。中国以上に人口密度が高いというわけが実感できる。2時10分出発。今日の目的地シャンゲまではゲルム(シャンゲ一寸手前)以外には小さな集落があるのみだ。標高が低いので初夏のように暑いが、通る風が心地よい(2時40分)。3時35分タマン族の村カニガオン(1170m)を通過、4時にゲルム(1100m)に着く。当初はシャンゲで泊まる予定であったが、急遽ゲルムで宿を取ることになる。

実際のやりとりは分からないが、シュバ(ポーターの一人)さんのアドバイスで変更になったようだ。シュバさんはダワさんより先輩格のガイドで貴重な情報を持っている。今回はポーターとしての参加だ。シュバさんはライ族(?)。雰囲気も一寸違うが、ダワさん達の故郷が近い縁で参加を依頼したようだ。彼は英語が達者で欧米人のガイドを勤めているが、テロ事件以来トレッカーが激減し仕事が減ったと嘆いていた。ダワさんも一目置いている存在だった。

ゲルムは平坦な耕作地がある長閑な農村だ。数軒のロッジがあるが日本流に言えば全て民宿だ。我々の泊まったロッジは中学校の教師の家。こんな言い方は失礼だが知的な雰囲気を漂わすご主人(30代か)と魅力的な奥さんそして小学生のお嬢さんという一家だった。ネパールでも少子化が進んでいるのかもしれない。比較的豊な家族には子供が少ないように思えた。

街道に面したところにテーブルがあり、そこでお茶を飲みながらご主人達と団欒をする。まさにオープンカフェだ。右手にある急な階段を上った直ぐに自分たちの部屋がある。他には宿泊客はいない。背丈ぐらい木の上からは日本で言うクツワ虫だろうか煩く鳴く虫の声がなにげに懐かしく感傷に浸ってしまった。過ぎ去った日本の夏を思い出しているのか、日本との共通性に安堵感を感じてしまったからだろうか。

6時にはすっかり日が落ちて残照が対岸の稜線上に残るだけだ。明るい時には気がつかなかった人家に灯りがともりあちこちに人家があることが確認できる。灯りといっても当地は電力が供給されていない。来年には通電するとの話だが、電信柱に張られた電線は錆び付いているしいつになることやら。家の中にはスイッチと電線が既に設置されている。人々の熱い待望する気持ちが伝わってきた。6時45分壊電の灯りを頼りに夕ご飯を終えた。満腹だ。ここでは青物が露地物として栽培されているのでふんだんに野菜が出てくる。西安で食べた香菜のような一寸癖があるが美味しい野菜が出てきた。7時半には就寝する。


⑤ヒマラヤ・トレッキング(アンナプルナ・アラウンド)(2004年11月) [アンナプルナ]

11月10日(水)  ゲルムからタルへ
街道筋に面しているので朝早くから人の動きが喧噪となって伝わってくる。6時に起きて散策をする。暗闇を鈴の音を鳴らしながらポニー・キャラバンが通り過ぎていく。鞍の両側にそれぞれ30kgぐらいの荷物を積んでいるが、運搬費用は一日350ルピーとか。村落のある右岸はなだらかな傾斜地では耕作地が拡がっているが、対岸は急峻な斜面で農耕には向いていない。

天空には朝日が差し込んでいるが谷間にあるここは未だ薄暗い。ロッジのご主人は今日の教育材料を探しているのか必死に雑音混じりの携帯ラジオを音源を探して向きを変えながら聞き入っている。昔の日本もそんな時代があったと懐かしんだ。アンテナにコードを付けて天井に伸ばし必死に電波を探し求めていた。 7時には朝ご飯を終え荷支度。ダワさんが最終的に荷物の確認をして忘れ物のチェックをする。毎日ザックから荷物を出しては、パッキングする連続だから忘れ物が一番心配だ。7時半出発する。天気は上々だが少しばかり雲もある。トレッキングには全く支障は無さそう。

マルシャンディ川の対岸に吊り橋を渡る。対岸の橋のたもとにはシャンゲの街がある。ゲルムとは目と鼻の先。川の対岸に対峙している関係だが街の規模はシャンゲの方が大きい。一般的なトレッキングではシャンゲに泊まっているようだ。

吊り橋の左側に2段に別れた滝が落ちている。なかなかスケールの大きい滝だ。7時45分シャンゲに入る。川を挟んで広々とした開放的な景色から一気に両側の谷が迫って渓谷らしい景観となる。8時15分シュリチャウの中心地に入る。ガイドブックによれば対岸に温泉があると書いてある。8時45分ジャガットの街の入り口で小休止。9時に出発して25分には街の中心部を通過。ジャガット(1330m)は大きな街で富んだ土地の雰囲気を漂わせている。9時30分街の出口に近いところで一休み。 50分に出発。深い渓谷沿いのトレッキングはとても楽しい。しばらくすると左側に何段にも連なった滝がマルシャンディ川に向かって落ちている。素晴らしい景色だ。

左岸の切り立った崖を一人だけ歩ける幅しかない道を辛うじて歩いていくと、前方に数人の青年現地人がたむろしていた。突然ダワさんに彼らが話しかける。咄嗟のことで理解が出来なかったが予想していたマオイスト達(毛沢東派反政府軍)だった。よく見ると一人だけは小銃を抱えていた。しばらくダワさんと彼らの交渉が続き、その結末は一人当たり900ルピーのドネーションを要求された。事前にドネーションを想定して相当額だけ別にしていたが小金がなく、500ルピー札2枚の組み合わせしかなかったので、全部取り上げられる覚悟で渡した。しかし予想に反してきちんと100ルピーのお釣りが帰ってきた。時計を見ると10時10分頃の話だ。這々の体でその場を去り10分後に休憩を取る。ダワさんにその経緯を確認したところ、ドネーションには一応の根拠があって、日本人であるということでトレッキング1日当たり100ルピーでトレッキング日数をかけた金額が総計になっているとのことだった。実は計算根拠の9日は実際より短い申告であったが、ダワさんの咄嗟の機転で通過可能な最低限の金額を押さえて決めた水準だった。しかもビックリしたことに、しっかりと領収書を発行してくれたこと。それを持って行けば他地区で別のマオイストに出会ったときには通行証になると聞いたが半信半疑だ。それを後で確認機会する事になるのだが。

10時50分クムチェラムダに着く。右手にはクムチェチャンガの滝が見事に落ちている。10時50分チャムジェ(1,410m)の街に着く。ここでランチを取る。ここで食べたポテトは格別美味しかった。ランタンに行ったときに食べた小さく黄金色の美味しいポテトに比べることが出来る。日射しは初冬とは思えないほど強く、日だまりで椅子に座ってくつろいでいると肌がヒリヒリするほどだ。亜熱帯地方を改めて実感。

12時15分出発。再び渓谷沿いのトレイルを辿る。狭い渓谷に架かる吊り橋を渡って対岸に。渓谷は一層狭く対岸に手が届くのではと錯覚するほどだ。何しろヒマラヤでは日本的な渓谷とはスケールが違うわけだから、このような風景は珍しい。しばらく行くとサタレ(1,480m)の街を通過。1時05分シッタルダンダに着く。滝が落ち込んだり、四方から渓谷が流れ込み削られた深い谷が合流する姿は黒部下廊下の十字峡をスケールアップしたような雰囲気。1時40分タルベシ(1,590m)で小休止。

2時には出発。2時15分タルの街の入り口に立つ。狭い渓谷から急に開けた中洲状の開けた土地になったが、そこがタル(1,700m)の街。白い柱で囲ったゲートがありそれをくぐって街に入る。街の先には右手に大きな滝が落ちている。今日はここが宿泊地。タルはマナン・ディストリクトの最初の街だ。

グルン族が中心の町を辿ってきたのだが、グルン族は仏教徒であるもののシェルパ族とは違った信仰の形を持っているようで、外見的にはヒンズー教の影響を受け入れているようにも思える。仏教圏の象徴であるチョルテンやタルチョウ、マニ・ウオール(経文が彫られた石を積み上げた塚)が目に入らなかったのはそのせいかもしれない。

ロッジの作りは今までのエベレストやランタンに比べてレベルが高い。街道に沿って庭を持ち、そこには芝生が植えられている。街道に面して柵があり門がある。その理由は後で分かったのだが、街道にはひっきりなしにポニー・キャラバンが行き交うしその他の家畜が通るので、庭に入りこまれて芝生を食いちぎられるのを防ぐ目的があるためとか。このような景観は当地方の豊かさの証にもなっている気がする。昼下がりから少しずつ雲がかかってきた。明日の天気が気がかりだ。
道を挟んでハイハイやっとの子供達と話に夢中になっているその母親達がいる。井戸端会議はどこの国にも共通したシーンだ。芝生のある庭に置かれたテーブルを囲んでティーを飲む。さすがに雲がかかると肌寒い。


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⑥ヒマラヤ・トレッキング(アンナプルナ・アラウンド)(2004年11月) [アンナプルナ]

11月11日(木)  タルからチャメへ
早寝をするので朝は5時台には目が覚めてしまう。タルの集落を散策する。真っ直ぐに延びた街道に沿って小綺麗なロッジが左右に並ぶ。

その先にはポニーの中継所があって小川が流れ、その先には草原状の広場がある。数十頭のポニーが草を食んでいた。この景色は少年時代に見たOK牧場の世界を彷彿させる。まさに、西部劇のロケーション現場のようだ。改めて家並みに素朴さと言うより洋風のカラフルさ、モダンさを発見。右手の山からは大きな滝が流れ落ちている。美しい滝だ。

ロッジの宿泊代はガイド任せなので気にしていなかったが相場観を持とうと聞いてみた。場所、グレードによって当然違うのは当然だが ここではツインで120ルピーとか。 7時35分タルを出発する。15分も歩くと中洲状の広がりが終わり、急に両側の山が迫り狭い渓谷になる。足下を流れるマルシャンディ川を見ながら道は狭く、崖に沿って緩やかな登りになっていく。

8時10分長い60mの吊り橋を渡って対岸に渡る(1850m)。8時10分小休止。25分に出発する。ポニー・キャラバンが先を歩いている。女性やら子供も連れた家族連れのキャラバンっだ。コルテの村を過ぎ二つの滝を見ながら、少し下った後吊り橋を対岸に渡るとカルテの街だ。9時05分着。

9時20分レモンティーを飲んで出発。9時45分ダラパニ(1960m)に着く。この辺からチベットの影響が少しずつ色濃くなってくる。9時50分ACAP(検問所)のチェックを受けて再出発。ダラパニの村はずれ、10時になった頃、マナスルが見えた。長い吊り橋の対岸にあるその村はトンジェの村、マナスルへの分岐点だ。マナスルを源流とするドゥドゥコーラがマルシャンディ川と合流。山羊の大群が降りてくる。道一杯に塞ぐようにお互いぶつかりながら、しかし整然と隊を組んでこちらに向かってきた。

10時45分バカルチャップ(2160m)の街に入り、早めの昼ご飯をとる。バカルチャップは小さな集落、大凡10軒程度だ。それには理由があった。1995年11月に土砂崩れがこの集落を襲い多数の村人が死亡、2軒のロッジも流されて3人の外人も亡くなったそうだ。 被害を受けた後、ほとんどの家はここから30分上流にあるダナキューに移ったそうだ。

さすがに高度が2000mを越えてきたからだろう。ここまで来ると通る風が心地よいというより若干肌寒くなってきた。少しずつ腹の具合に変調を感じてきたので予防的に食事を軽くした。ヌードルスープ(なんとネパールでは日清のカップラーメン=インド製=が売れ筋)に茹でジャガイモ 。そしておかきを出してみんなと分け合って食べる。ダワさんだけは日本人のガイド経験もあるのでおかきの味は経験済みであったが、ポーター達は怪訝そうな顔をしながら不思議そうに食べていた。そういえばタイ航空の茶菓子にはおかきが出ていたので日本の嗜好品も国際化したものだ。

11時45分に出発だ。このあたりになると休憩するバッティも少なくなり、麓の方では分散していたトレッカーとの出逢いが増えてくる。麓の方では集落があり、トレッカーも分散して滞在することになるので外人の存在をそれほど意識しなかったが、さすがにここまで来るとトレッカーとの出会いが印象に残る。

トレッカーは圧倒的に欧州人だ。とりわけフランス人とドイツ人が多い。アメリカ人は殆ど見かけない。ダワさんによればネパールでの反米感情が背景にあるようだ。そして政情不安だから敬遠しているとか。その結果ガイドとしては仕事が減少して嘆きの種になっている。 海外でのトレッキングの楽しみはいろんな国の人と出会いそれぞれのお国柄を知ることだ。行き交うときには日本でもそうだが挨拶するのが普通。お互いどこから来た人か分からないので、大体は「ナマステ(こんにちは)」と現地語で声をかけるのだが、フランス人だけは「ボンジュール」とかえってくる。どこまで気取っている人種だ、と嫌みも感じるが、必ずしもプライドが高いということでは無さそうだ。意外と個別に話をすれば英語で会話をするし、人懐っこい表情には暖かささえ感じた。ドイツ人は人懐っこさ丸出しだが、一寸退いている、一寸シャイな感じか。でも不思議とドイツ人には親近感を感じた。その理由は分からないのだが・・・。他にはオーストラリア、スペイン、そしてイスラエル人等々。

バカルチャップを出る頃には前方にはラムジュン・ヒマール(6986m)やアンナプルナⅡ峰(7937m)が稜線越しに見え、右手V字谷の向こうにマナスル・ヒマールのいくつかの山が視界に入る。
ここはマナン・ディストリクトの中に入り込んだせいかチベットの気配が濃厚となってきた。タルチョーが散見されるようになり、このコースで初めて小さいゴンパ(ラマ教寺院)が目に入った。
11時45分出発、15分も歩くとダナキュー(2210m)の町はずれに入り、道沿いに人家が点在している。30分もするとダナキューの街の中心地に着く。ダナキューはチベット色が色濃く、大きなマニ車(筒にお経が書きこまれていて回転する。一回回すことでお経を読んだことになるとか)やマニ・ウオールが道沿いにある。ダナキューを過ぎるとマルシャンディ川に合流する支流沿いに上っていく。渓谷は一気に狭くなり、木作りの橋を渡って対岸に渡る。鬱蒼とした大木が林立し、下草にはシダが生えている。大木の中には針葉樹(おそらく松だろう)が生えていて日本の山岳風景を思い出す。左手から入り込んだ沢が深くえぐられて、滝が落ち込んでいる。落ち込んだ先は薄暗くはっきり状況を見ることが出来ない不気味な幽玄さを感じる滝だ。

シュバさんと一緒に記念撮影をする。徐々に下って12時50分開拓地・ティマンベシ(2270m)に着く。マルシャンディ川に沿ったルートが出来る前の旧道になるナムンバンジャン(5505m)越えのルートがここから分岐する。そのルートは雪も多く食料や小屋もない難しいトレイルとか。今はマニアックなコースとして残っているだけ。

ここで小休止だ。1時に出発。15分に土砂崩れの傷跡が目に入る。小休止。30分に出発。45分ラタマラン(2440m)を通過。たまたま下山中の行き交ったガイドがダワさんの仲間。彼らは思いがけない出会いに話が弾み、我々はしばらくそっちのけにされて一休みを取った形になる。
2時05分出発。アップダウンを繰り返しながら大きなコーラを渡り、上るとリンゴ畑が左右に広がりその先にバッティがあった。渓谷は梓川の渓谷に似た景色だ。リンゴ畑は既に収穫を終えて、わずかに残された赤い小さなリンゴが残っていた。バッティの前には篭に入れられたリンゴが山盛りになって売られている。

ダワさんが買い求めようと中に入って声をかけるが人気がない。ようやく老婆が現れてダワさんは慎重に品定めして買い求める。我々にも分けてくれた。掌に乗る程度の大きさ。日本のリンゴとは比べものにならない代物。果物に飢えた身体なのにさてさてという感じだった。食指が伸びない。2時半、雲が空を覆いさすがに日差しが落ちると肌寒い。

チャメまではリンゴ畑が続く。ネパールの一大産地とか。しかも、リンゴの栽培指導をしたのが駒ヶ根市のボランティア団体だそうだ。日本の誇るべき平和的貢献がネパールの人々に豊かな生活への道を示しているのを知り、他人事ながら誇りを共有させてもらった。

2時50分、10分間の小休止。このあたりは松林の連続。ピサンまではそれが続く。2時05分タンクチョックの街を通過。3時15分小休止、切り倒された松の大木に腰を落とし休む。今日はポニー・キャラバンと出会うことが少なかったが、久しぶりに下山するキャラバンが前を通り過ぎていく。再び崖状の斜面で土砂崩れ現場だ。土砂崩れ現場のなかにようやく一人だけ歩ける程度のトレイルを辿る。このような道をポニーはどうしているのか不思議になってダワさんに聞いたところ、もっと上部に足場の良い回り道があるそうだ。チョルテンを通ると3時35分クパールとして知られているコト(2640m)に着く。 右手には切り立ったV字渓谷とマルシャンディ川が合流している。4時15分軍隊のチェックポイントに着く。

ここでは自筆でサインを要求され、通過を許可される。彼らは日本人と知るや尊敬と親しみを持って接してくれた。デジカメに関心を示し、是非ツーショットを、とせびられる。それを見た別の若い兵隊も俺も俺もとせびる。一寸した交流現場になった。

曇っていることもあるだろう、一気に薄暗くなってきた。この辺は松林のある平坦なところ。4時半にチャメ(2710m)に。ここはマナン・ディストリクトのヘッド・クオーターがある。病院、学校、郵便局、銀行などが集まっている。APACで入山手続きをすませ、街の中心を通り過ぎて対岸に渡る。ニューチベタンホテルに泊まる。ここからは素晴らしい景観が楽しめるエリアだそうだ。

ロッジでホットシャワーを浴びる。アンナプルナのルートはエベレストやランタンに比較して設備状況が良い。まずトイレは綺麗だし、食事も美味しい。部屋も綺麗、そして電気が通電していたり、シャワーが使えるところが多い。 5時20分シャワーを使ってさっぱりとした。6時45分食堂でストーブに手をかざして暖を取る。さすがに夜になると寒い。でもまだ11月のせいか、芯から冷えるようなことはない。バルセロナから来ているカメラマンも一緒だ。7時にマッシュルームスープとベジタブルカリーの夕食。上等な味だ。

ここに泊まっているのは年老いたアメリカ人が3人、母娘か3人のフランス人、年老いたフランス人、スペイン人と我々だ。初めて国際色豊かな宿になった。8時20分就寝。その時には全天を覆っていた雲が切れ、満天の星になっていた。明朝、アンナプルナ、ラムジュン・ヒマールが見られることを期待したい。


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⑦ヒマラヤ・トレッキング(アンナプルナ・アラウンド)(2004年11月) [アンナプルナ]

11月12日(金)  チャメから(ローワー)ピサンへ

6時に起床。未だ薄暗いなかロッジを出て空を見上げる。左手に朝日を受けたラムジュン・ヒマール(6986m)が聳り立っていた。見事な勇姿だ。 そして右手に目を移すと稜線越しにアンナプルナⅡ峰(7937m)が辛うじてのぞいている。

石畳の街道沿いに立派なチョルテンがある。石畳を朝早くから掃除する人々。柄の短い箒で丹念に清める。しかし、あっという間に牛やロバなどの糞で汚れてしまう。牛の親子が前を過ぎっていった。さて誰が飼い主なのか母牛の乳首に食らいつきながら親の歩みを必死になって追う仔牛が幼気ない。

7時半マッシュルームスープとハニートーストそしてハニー入り紅茶の朝ご飯をすませる。7時50分出発。さすがに朝の冷え込みがきつくなってきた。長袖のTシャツでは肌寒く、手先も一寸冷たく痺れる感じだが、歩き出せば直ぐ熱くなるはず。しばらく寒さを堪えて歩く。右手には切り立ったクリフがそびえ立ち、左手は河原状の平坦な道が続く。

8時25分集落と言うには小さい村タレク(2840m)で小休止。右手の小さな小屋から低音を響かせてラッパの音や賑やかなドラが聞こえてくる。そして独特の艶のある低音で読経の声が聞こえてきた。想像の範囲だが敬虔なる老人のように思えた。ラマ教徒は8時半ごろにお祈りをするのが風習という。

30分 出発。のんびりしたトレッキングが続く。8時50分上空を飛行機が通過していく。フンディにある飛行場へ週3便、ポカラから飛んでいるそうだ。樹林帯をアップダウンをしながら楽しい歩行だ。9時40分アンナプルナⅡ峰が見事に視野に入る。レンズを望遠に変えて連写する。興奮で手が震えるのを抑えるのが大変だ。丁度コーラが合流しているデルタ状のところでドイツ人の老夫妻に出会う。カメラに興味を持っていたようだ。私の持っているカメラのメーカーや交換レンズについて質問がある。どこから来たのか、との質問に日本と答えると「そうだろうと思った、日本は良い国だ」と言われる。「ドイツ人とは」と思い描いている典型的なドイツ人であった。奥さんは大変シャイで多くを語らなかった。一緒に記念撮影をする。

大きなマニ・ウオールを通過し、10時10分バラタン(2950m)に着く。撮影に時間を費やしたり、のんびりとした長閑な歩行だ。ほとんど平坦で楽しいトレッキング。ここで小休止。レモン・ティーを飲む。日中は日射しが強く、汗まみれになるが快適だ。ここでもリンゴが売られている。大きいのが4ルピー、小さくなると3,2ルピーとか。ビスケットは20ルピー。下界では12ルピーのものだそうだ。 10時半に出発。相変わらず平坦な広いエリアを歩く。11時ごろ、右手に大きな一枚岩の山が屹立している。上部には白い雪が積もっている。こんな大きな一枚岩は見たことがない。

さすがにヒマラヤのスケールの大きさを感じた。ただ、雰囲気としては大雑把な単調な景観はヒマラヤと言うよりロッキーに似ているような気がする。古い木橋を渡り左手に移る。平坦な単調な景色だ。橋を渡ったところで5分ほど休憩。10分に出発。周囲は松林。その中をひたすら歩く。

天上では音を立てて風が走っている。トロン・パス越えルートの最大の課題は強風を避けて通過することが肝心と聞いている。その理由は昼頃から強風が川下から川上に向かって吹き荒れ峠越えができなことがあるそうだ。その兆しが既にここでも起きていることが分かる。

11時35分小休止。道端にはケルンのような石積みがある。チョルテンだ。ケルンもチョルテンも幸運を祈るわけだから宗教的背景は別として同じ願いを込めたものだ。12時15分ドュクリ・ポカリ(3060m)に着く。ポカリはネパール語で池のことだ。

前方にはチュル・ウエスト(6419m)が雪をたたえて美しい姿を見ることが出来る。左手にはアンナプルナⅡ峰が逆光の中に勇姿を見せている。右手と後方にはそれぞれ大きな一枚岩の壁が聳立っている。テラスにあるテーブルを囲んで食事だ。ミックスカレーを注文。ヌードルスープを飲みなが、卵やチーズや野菜が入っていて栄養満点な食事を摂る。12時55分には食事を終える。

太陽が燦々とふりそそぎ、日だまりの温もりを満喫。フランス人の老夫婦も食事をしていた。一寸構えた風采だが、話してみれば気さくなフランス人。片言の英語での会話。74歳のおじいさんと71歳の奥さん、そしてお嬢さんだろうか。筋力を鍛えていることを自慢するかのように拳を作って見せた。愛嬌のある老人だ。

1時20分出発する。相変わらず牧歌的なトレッキング。途中に池があった。乾期なので水は殆ど消えているが雨期には多くの水をたたえているそうだ。牛が辛うじて残った枯れ草を食むでいた。左手にあるアンナプルナには氷河がある。 1時45分右手の稜線の鞍部から三角錘状の雪を被ったピサン・ピーク(6092m)が覗いている。足下の葉先には霜が解けずに残っていることから、日中は暖かいけど夜の冷え込みが厳しいことが伺える。

谷間が少しずつ広がりをもって開放的になってきた。厳冬期にはこのあたりから雪景色になることがあるそうだ。2時過ぎに対岸の山中腹に赤茶けた集落が目に入る。アッパーピサン(3300m)の集落だ。アッパーピサンを経由しマナンに至るルートもあるそうだが、ほとんどのトレッカーは時間的に短い左岸をそのままマナンに向かう。

2時15分ピサンの入り口に着く。小休止。アンナプルナⅡ峰の反対斜面を見ることが出来る。ただ、水蒸気が上がっているため輪郭をはっきり見ることは出来ない。写真におさめるには条件が悪すぎる。2時30分ピサン(3200m)のロッジに入る。ここは殺伐とした土と砂の世界。街道筋の右手に斜面に沿って建てられている。道の高さに食堂、部屋があり、下の階にはトイレやバックヤ-ドがあった。ロッジの下を流れる川を挟んで対岸の上部にはアッパーピサンの町が見える。

小屋で小休止した後、3時20分アッパーピサンにあるゴンパを訪ね、アンナプルナの写真を撮る。街道筋に立派なマニ・ウオールがある。右手に曲がって橋を渡れ、と指示されたが、丁度マニ・ウオールの陰(裏側)にゴンパへの道があったのでうっかり行き過ぎてしまった。後戻りをして橋を渡って左手に向かう。

木橋は丁度日本にある古橋、猿橋等と同じ造りだ。下から梁を突き出し、その上に順々に梁を載せて伸ばしていく。橋を渡ると石ころ混じりの畑だ。ジャガイモを作っている。今は収穫後なのでただの石ころ混じりの土でしかないが。しばらくすると石段の登りが急になってくる。

3000mの高度だから息が上がる。遠くから見ると赤茶けた薄汚い集落に見えたが、近くで見るとなかなか味のある集落だ。時代と歴史を感じさせる。4時、くねった道を上っていくと漸くゴンパに辿り着く。そこには何人かのトレッカーが既に待機していた。アンナプルナの勇姿を写真に納めようとの思いからだ。

ドイツ人が数人と一人で来ている青年。彼は29歳のイスラエルから来た学生だった。パレスチナ問題はさすがに聞けなかったが、電気工学を勉強し今は医者の勉強をしているとか。兵役は終えてヒマラヤに来たそうだ。さすがに日が落ちると急速に寒くなる。手がかじかんでしまいそう。この寒さはここに来て初めてだ。三脚を設え、シャッターチャンスを狙う。アンナプルナの山頂から垂直に落ち込んだ氷河は圧巻だ。

しかも陽が落ちているのでその厳しさが一層増してくる。5時にローワー・ピサンに戻る。建物の横では子供達が太鼓をたたいて踊っている。ビハールというネパールの第2のお祭りの真っ最中。本来ヒンドゥーのお祭りだが、ブッディストも興じるとか。

ロッジに帰ると食堂の隣の部屋から太鼓の音とともに読経の声が聞こえてきた。ロッジの宿のおじいさんがお祈りをしている。年季の入った艶のある響きがなんとも音楽的だった。ここのロッジで初めて日本人トレッカーと出会った。彼はカメラマンだ。ネパ-ルには何度も入国していて国内事情に詳しい。地球の歩き方を読み返していたら彼の写真が何点か掲載されていた。

彼から聞いたことでびっくりしたのは、この地域でも春から秋にかけては実に緑豊かなエリアになるそうだ。乾期の冬しかヒマラヤ入りしていない私には、限りなく土色で緑とはほど遠い景色しか見ていないので想像がつかない世界だ。彼もネパール人、ネパールにすっかり填った人だ。世界各国を見て歩いてそしてその土地土地の味わいを知った知識人として大変興味ある話をしてくれて参考になった。

一番印象に残った話は西欧、アメリカも含めて階級社会が前提に作られているが、例外は日本だけだと云うこと。それを前提に社会の仕組みが出来ている。当地でも48の階級で構成されているカースト制度が支配しているため、ブッディストの世界にまで階級化が浸透しているそうだ。階級が違うと学校での食事も別、結婚も階級を離れては出来無い、交われない社会構成になっているそうだ。

ガイドの名刺にシェルパと記していたが、これは彼らの民族として誇りの象徴と思っていたが、そのシェルパ族もカースト制度の下位に位置しているとか。通り過ぎている程度では知り得ない貴重な話を聞けた。

彼はフンデにある飛行場に着いて高度順応のためピサンに下りてきたそうだ。飛行機で当地に入ったので高山病にかかったようだ。彼は既に体調を少し崩していた。手持ちの高山病予防の薬を渡す。時間の短縮の代償が高山病に罹患してしまったらしい。 周りではビハールで若者達がテラスに集まり踊りに盛り上がっている。都会なら老若男女入り乱れての盛り上がりだが、ここでは山岳地区だから男ばかりで盛り上がりにも今一の感は否めない。祭りの喧噪を子守歌にうとうと、7時半には寝てしまった。


⑧ヒマラヤ・トレッキング(アンナプルナ・アラウンド)(2004年11月) [アンナプルナ]

11月13日(土)  ピサンからマナンへ

6時10分起床。凍てつく水で顔を洗う。一気に目が覚める。朝のアンナプルナⅡ峰を撮りに対岸に渡り、アッパーピサンの集落の入り口まで行く。

既に水蒸気が上がっていて必ずしも良い条件ではなかった。7時15分朝食を待つ。隣ではおじいさんのお祈りが始まった。これは人によっては雑音といえないこともないが、東京の携帯音とか空しい会話とか都会の喧噪とは違って、太鼓と低音の読経が心地よく心に響いてくる。仏教を理解しているわけではないが、自分の中にも少しは仏教的世界があるのかもしれない。他方、白人にとってはどう響いているか聞きたいところだが・・・・・・。

7時30分に漸く朝ご飯。どうしたわけか最後の組になってしまった。胃の具合が多少心配なのでお茶漬け海苔にご飯。魚肉ソーセージ、ゆで卵、茹でジャガイモにした。食堂では今回のトレッキングで初めてアメリカ人との出逢いだ。7人の西海岸からの一団。ダワさんによればアメリカ人は嫌われ者(マオイストから狙われやすいとか)で、その上9.11事件以降さらに警戒的になって激減しているとのことだ。煩いぐらいによくお喋りをする連中。

8時過ぎに出発。しばらく行くと対岸に小さな集落が見え、その先に道が伸びている。その先はピサン・ピークにつながっている。そして対岸に渡って渓谷沿いにアップダウンを繰り返しながら上流に向かえばマナンに向かう。標高が高いルートなので景観は素晴らしいそうだが、余裕がないと選べないルートだ。

9時10分ノーダラ(3280m)に着く。しばらくダラダラと登り詰めると9時半過ぎ峠に至る。大勢のトレッカーが一息入れている。当地の名産であるリンゴやビスケット、パンを売っている。そこからはフンディ(3280m)の町と飛行場が眼下に広がる。


一気にフンディに向けて下る。木陰には雪の塊が残っている。上空をフンディに向かう飛行機が飛来する。9時55分小休止。ピサン・ピークがお椀を伏せたように綺麗な姿を見せている。前方にはアンナプルナⅢ峰が綺麗に見えている。写真に納めておこう。ここからは平原状の広がりの中を淡々と歩く。確かに飛行場が作りやすい地形になっている。

10時半フンディの町に入り小休止。アンナプルナⅢ峰(7555m)がはっきりと眼前に迫る。そこから続くブリッジにはアイスフォールが垂直の壁を覆っていて、その先にアンナプルナⅣ峰(7525m)がある。

10時50分出発。11時右手には滑走路だ。滑走路は舗装されていないようだ。道路中央にマヘンドラ元国王の立像がある。国民から慕われていた国王だったが、政変で暗殺された、。現国王はマヘンドラ国王の次男、長男も元国王とともに暗殺されたため王位を継承したのが次男ギャネンドラだが、国民からの信頼は得られていない。

その先で軍隊の検問を受ける。チリチョー・ピーク(7134m)の山頂が正面に頭を出している。そして正面にはチュリュ・イースト(6558m) の山群が聳えている。この一帯は平坦で西部劇の世界を思わせる。30分ほど行くと水が殆ど消えたポカリがあって対岸に小綺麗な建物があった。1979年にユーゴスラビアの協力で建てられた登山学校だそうだ。今ではネパールの山岳協会によって運営されている。 左手に大きな沢が入り込んでいるが、開けた沢の空間の奥にアンナプルナⅢ、Ⅳ峰が見える。

正午に小休止。午後を過ぎると必ずと言っていいほど風が強くなり、土埃を上げて舞う。マスクをしたいほどだ。家畜もこの高度になるとヤクの世界になる。長い暖かそうな毛で覆われている。12時05分、マナンの町が遠くに見えてきた。対岸に渡り、12時20分ムンジ(3330m)にあるロッジに入る。一帯は赤茶けた砂漠、まさにチベット的な景観になっている。右手に岩肌の中腹にゴンパがある。そしてチベタンの集落ブラガがある。強い風が後方から強烈に吹きまくる。フォローだからまだしも真正面からだとかなり辛い風だ。タオルを口に当てていないと砂埃を吸ってしまうほどだ。なかなかの苦痛だ。

1時25分マナン(3540m)の町に入る。チベット族の一部族、マナミ族の町だ。川に架かっている橋の向こうには放牧地があって馬や牛が放たれている。チュル・イーストが後方に見える。その下にはブルガの町が見える。マルシャンディ川の左岸に聳立ったピークの上にタルチョがはためいている。明日高度順応のために上るピークだ。2時にマナンの町のゲートを潜り、2時10分にはロッジ・ヒマラヤンシンギに着く。当地では最高クラスのロッジなのだろう。コの字に部屋が配置されていて部屋にはシャワー、トイレ付きだった。

荷物の整理をする。ザックから荷物を取り出してみてビックリ。日本から持ってきた携帯食を取り出したらいくつかから中身がこぼれていた。高度のため圧が強すぎて破れたのかと一瞬思ったのだが、よく見ると囓られた跡があった。そういえば昨晩、夜中に夢うつつながらガサガサという音がした気がしていた。無意識にザックを揺すったりした記憶がある。夢ではなくて現実だったのだ。犯人は鼠だ。ランタンの時にも鼠に被害を受けたことがある。不注意にも夜の防備を考えずザックの紐を締めることなく放置したのが敗因。今更悔やんでも仕方ないが、楽しみにしていた日本食やビスケットを数点食べ損なうことになった。

一段落してから2時40分、マナンの町を散策する。相変わらず午後には台風のような風が吹き荒れ、乾ききった土を巻き上げてくる。音がすごい。囂々と音を立てている。タルチョーが引きちぎれんばかりに翩翻とはためいている。体中が土まみれになった気分だ。ロッジの前は広場になっている。おそらく雨期にはジャガイモ畑なのだろう。石ころだらけで畑とは思えないが、柵があるので辛うじて畑であることから分かる。

ロッジはマナン市街の一番手前にある。道に沿って先が中心地だ。ここはトロン・パス越えの最後の最大の町と言うこともあって、トイレットペーパーやスナック菓子など売っているバッティが軒を並べる。シャビーなスナックや映画館もあった。まさに白人トレッカーを意識した町作りだ。だらだらと上っていくと、両側から石積みの家並みが迫り、石の回廊という風情になっている。マニ・ウオールやゴンパなどある中心地を過ぎると道が二手に分かれ、一方はトロン・パスを目指すルート、左手に折れるとマルシャンディ川を渡ってダム湖に向かう。

町を一周して宿に帰る。4時にもなると風もおさまったが、空気はさすがに冷たい。手を擦りながらベランダから澄んだ空気に美しく映えているガンガプルナやアンナプルナの厳しい山容をカメラに納める。アンナプルナの稜線には強風が吹いているのだろう雪煙が上がっていた。

稜線の後ろから夕陽を受けてシルエットになった荘厳な山容は人を寄せ付けない厳しさを持っている。そして氷河が青白く薄気味悪い光を放っている。6時半ヤク・ステーキと焼きそばで夕飯。8時には就寝。部屋に向かう回廊に立つと町の賑わいが伝わってくる。正面にはネオンサイン擬きの灯りもあった。すっかり外人を意識した社会になっているのが一寸寂しい。マナン地方はマナギー族(チベタン系)が住んでいる。


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⑨ヒマラヤ・トレッキング(アンナプルナ・アラウンド)(2004年11月) [アンナプルナ]

11月14日(日)  マナンで高度順応の一日

夜中に喉が渇き水を飲む。満天の星だ。明日も天気が約束されている。睡眠中に意識するわけではないが、時々息苦しさを感じて慌てて深呼吸してしまう。でもいつの間にか寝込む。しばらくすると又息苦しい。そして深呼吸。それを繰り返しながら、結局浅い眠りになってしまった。この体験はラウルビナヤク・パスを越えるときにも経験したことだ。酸素が高山で希薄なっているからだ。浅い眠りになって寝不足になる恐れを感じながらも、結果的にはそれなりに寝ているのだろうか。 5時半頃だろうかカウベルの音が聞こえてくる。夢うつつの中でカウベルの音を数えると相当の数になる。ポニー・キャラバンの一帯が早朝から下山しているのだ。ポニーの使い手の口笛やかけ声が時々聞こえてくる。 6時には空も白み、寒い中手を擦りながら表に出て写真を撮る。右手遠くにある谷間の向こうにはマナスル・ヒマールの山が見える。丁度その背後から日の出だ。

正面にはガンガプルナ、その左手にはアンナプルナⅢ、Ⅳ、Ⅱと続く。

山羊の一団が左手から右に向けてきちっと連隊を組んで移動している。おそらく小屋から解放されて放牧地に向かっているのだろう。誰が指示するわけではなく移動している姿に感動した。7時40分朝ご飯を終える。体調を意識して魚肉ソーセージにゆで卵、海苔茶漬け。

今日は高度順応のための休養日に当てられている。トロン・パスの5500mへの挑戦の為だ。最初のトレッキングでは時間を節約して本来休養する場所で次の行程に移ったためか高山病にかかってしまった反省から無理をしないことにする。

8時45分マルシャンディ川の対岸に聳えているピークにあるチョルテン(3800m)を目指して出発する。昨日の午後とはうって変わって無風だ。タルチョーも垂れ下がっている。陽が昇るに従って上昇気流が谷間という狭い通路に沿って上部を目指す。それが午後からの強風の原因なので朝方は静寂そのものだ。 今日の荷物はカメラと飲み水、ビスケットだが、荷物はポーターが持ってくれるので、コンパクトカメラだけを首に提げて登る。両側に家並みが迫りその中を潜り抜けるようにして通り過ぎる。そしてマルシャンディ川に架かった橋を渡る。しばらく河原を歩き右手の稜線を目指し足を進める。瓦礫の中にいくつかのルートがある。稜線の裏側にはダム湖があって白濁した水を満々とたたえている。9時15分真正面にガンガプルナの氷河を見上げる展望台に着く。

ガンガプルナの稜線越しにティリチョー・ピーク(7134m)が、その先には明日目指すトロン・ピークが、さらにその右手に振ればチュル連山が見える。10時40分徐々に風が吹き始めた。いつものように午後に向けて強い風の吹く前兆だ。チョルテンがはためき始めた。バッティがあって紅茶を飲む。アンナプルナ山群も視界に入り、マルシャンディ川を眼下にそしてその対岸には集落が広がる。そして下流に目を移すとマナスルⅠ峰が見える。マナンの町から見えたのがマナスルⅡ峰、見ることが出来ないがⅢ峰、Ⅳ峰があるそうだ。

10時55分下山を開始。下山途上では上を目指す多くの外人トレッカーと行き違った。11時40分小屋に戻る。1時にランチを取る。ツナサンドイッチとミネストロープ。パンに不安があったが普通のサンドイッチに安心。こちらでは普通のパンになかなかありつけない。久しぶりに食欲にこたえる食事になった。

午後はのんびりと休養。昼寝をしていたらバタバタという轟音にに目を覚ます。ヘリの到来だ。強風でただでさえ砂塵が舞い上がっている上に土埃を巻き上げて目の前にあるヘリポート(と言うよりらしき場所)に降りた。話によれば高山病患者の運搬のようだ。このような風景は日常茶飯事。ダワさんによれば外人は体力があるが故に高度順応には対応出来ず、高山病になるケースが多いそうだ。日本人は非力でもあり体力相応に上るので比較的少ないとか。

6時に夕飯。再びヤク・ステーキにラザニア。一寸ボリュームが重い。多少残してしまった。明日は早い出発なので早々に寝支度をする。今晩は鼠対策の為しっかりザックの紐を縛る。


⑩ヒマラヤ・トレッキング(アンナプルナ・アラウンド)(2004年11月) [アンナプルナ]

11月15日(月)  マナンからトロンペディへ

6時に起床。いよいよ高度への挑戦への第一歩になる。高度に適応できればいいのだが、これだけはここに来てしまった以上あとは運任せだ。今日の朝ご飯には日本から持ってきたレトルトにする。コックには不慣れなレトルトは火にかける時間とか作り方の説明が必要で意外と面倒な食材だった。自分たちで火を扱えれば簡単な話だが、通訳を通しての説明では手間がかかる。次回の食料計画に当たっては再考しなければならない。

7時の出発予定が結局7時半になる。しばらく町並みを歩き右手に道を求め、ゲートをくぐり抜けるとマナンの町とお別れだ。マルシャンディ川の対岸には昨日見た人工湖が眼下に見え、その上に目を転じるとガンガプルナ、アンナプルナⅢ、正面にはティリチョー・ピークが見える。しばらく行くと左手からコーラが流れ込んでいる。下の方にはティリチョー・ピークに向かう道が見える。そのトレイルは二つの川の出合いの間に落ち込んでいる尾根に沿ってティリチョー・ピークに延びている。その上部のテラス状の平坦地にロッジがある。ティリチョー・タル(湖)を経由してジョムソンに至るルートだ。このルートは全く小屋が無いためテント持ちでないと行けない。マニアックなコースだ。

我々は右手の斜面をトロン・パスを目指し登っていく。マナンからトロン・パスまでは2000mの高度差があり2日以上の日程になる。いよいよ今回のトレッキングの最大のヤマ場だ。さすがにここまで来るとマルシャンディ川の川幅も狭くなっている。 8時15分小休止。4人のイギリス人が元気よく追い越していった。空気が薄いので息が上がる。テンギ(3650m)の町を通り、9時10分グサン(3960m)に着く。

遙か眼下を見ると広くなった河原には石積みの小屋がある。夏場の羊の放牧小屋とか。たまたま野生の数頭のカモシカが草を食むでいる。余りにも遠いので辛うじて確認できただけだが。対岸の尾根の中腹にはティリチョー・ピークからジョムソンに直接向かうトレイルが見える。10時、深い渓谷に沿って対岸にある道がこちら側に合流する。 左手にはティリチョー・ピーク、そして渓谷の先にはトロン・ピーク、そしてその右手にはチュリュ山群が見える。

5分の小休止。10時55分進行方向正面にレダールの小屋が見える。5分も歩かないうちにヤク・カルカ(4110m)の入り口、朽ち果てた小屋が2軒、その前を通過。11時15分ヤク・カルカの中心にあるロッジでランチ。

ここまで来るとさすがにトレッカーしかいない。夏の放牧地としての利用はあっても通年で生活するには困難があってここは夏村ということだ。白人トレッカーが日だまりのテラスでのんびりとくつろいでいる。

突然、小屋の前が騒然となった。ヤクが縄を掛けられて引き立てられている。ヤクも異変を感じたのだろう。何人がかりで引っ張っても微動だにしない。その顛末を見ていたダワさんの話ではこれからそのヤクを殺す準備とか。どうもこのような殺気だった雰囲気は苦手だ。その現場から遠ざかる。昨晩食べたヤクとこの生きたヤクが二重写しになったりして気分が悪い。人間てげんきんなもので、このような同情と食欲が見事に使い分けられているが都合良いというか身勝手というか。

ここから後ろを振り返るとアンナプルナⅢが真正面に、その右手の稜線越えにガンガプルナが、左手にアンナプルナⅣが綺麗に見える。高山病の前兆か食欲が無い。この先のことも考えて無理をせずビスケットと紅茶だけを口にして、胃の負担を避けた。

12時15分ヤク・カルカを出発する。カルカとは牧場という意味だそうだ。12時50分小休止。前方には吊り橋があってそのずっと上に小屋がある。今日は幸い昼過ぎになっても強風は吹き荒れない。吊り橋を渡り1時過ぎにレダールに着く。ここからはアンナプルナはよく見えるがトロン・ピークは手前の山に遮られて見えなくなった。1時15分マルシャンディ川を対岸に向かって木の橋を渡る。しばらく急峻な登りの後掘っ立て小屋のバッティがある。2時半そこで一休み。

対岸の向こうにはプクン(6120m)が見える。2時50分に出発。暫くはなだらかな道だ。3時25分城壁に囲まれたような中にある門を潜って入場。「ここは?」とダワさんに尋ねたらなんとここがトロン・ペディ(4540m)だと言われた。想像していたより楽勝に拍子抜けだ。城壁に囲まれたようなロッジは強風対策の結果なのだろう。奥まったところに食堂と受付がある。すでに多くのトレッカーがくつろいでいる。部屋が決まり、荷物を置いて周囲を散策する。

回廊の外にはヤクの親子が僅かに残された枯れ草を食んでいた。この上にもロッジがあるそうだ。日が陰るとさすがに冷え込む。4時には食堂に入る。そこは人でごった返していて席を探すのさえ大変なぐらいの混み具合。しかも欧州の白人ばかりなのでまるでヨーロッパのアルプスにいる錯覚をしてしまう。 どうしてだろう、白人は分厚い本を読んだり、トランプに興じたり、人によってはCDを耳に当てている。自然界の音や空気を静かに味わうのが自分流の楽しみ方だが、文化の違いなんだろう、白人の過ごし方には違和感を感じる。 設備も小綺麗で床暖房なのかストーブが目に入らないのに暖かい。ここでリンギさん(ダワさんのボス)と一年ぶりに出会う。彼はオランダ人の老夫婦をロッジ泊まりの食事賄い付きのトレッキングを請け負っているそうだ。だからポーター以外にコックと食材運びのポーターも連れている。大名旅行みたいだ。

彼らは昨日トロン・パス越えを試みたが体調不良で戻り、明日再度挑戦するとか。ガイドブックによればこのパス越えにはヤク・カルカとかレダールでゆっくり高度順応をする人が多いとか。我々は一気越えなので一寸気がかり。明日無事に越えられるか。この小屋からは国際電話が可能。一分5ドルとか。おそらく衛星電話なのだろう。 5時には夕飯を取る。食事もスパゲッティやラザニエなどのイタリアンやステーキなどかなり凝った美味しそうな料理を出している。だが残念ながら食欲が無いので、ボイルドポテト3個とミルクコーヒーで済ませる。おそらく高山病の初期症状か少しずつ出ているのだろう。体力の低下にはなっていないのが救い。明日は3時半に食事、4時過ぎには出発しなければならない。トロン・パスは11時以降になると強風で通過が困難なこともあるので、ほとんどのトレッカーは早朝の出発を目指す。 食堂で身体を温めた勢いで部屋に帰り、そのままシュラフに潜り込む。


⑪ヒマラヤ・トレッキング(アンナプルナ・アラウンド)(2004年11月) [アンナプルナ]

11月16日 (火)  トロン・ペディからムクティナートへ

3時に起床。すでに部屋の外では会話をする声、足音が響きわたり早くも周囲は活気を帯びている。正直言ってヒマラヤのトレッキングは時間のゆとりを織り込んで動くし、酸素が薄いというハンディキャップ以外にはそれほど緊張する場面が少ない。むしろ日本の山岳を移動する方が緊張したことを思い出す。このトレッキングで初めて登山という実感が迫り緊張した気分になる。小屋を囲っている壁を越えて上空を風が通る音が気になるが、幸いロッジには風の影響はない。満天の星に感動するが、それを味わっている余裕はない。頭がフラフラする。高山の影響が出ているのだろう。トロン・パス越えがちょっと心配だ。食欲はないが無理矢理ハニートーストとコーヒーで軽くすませて4時には予定通り出発。

今日の行程は登り1040m下り1620mのハードなスケジュールだ。真っ暗な中ヘッドランプを頼りにダワさんの後に従う。つづら折れのガレ場の道をゆっくり一歩一歩喘ぎながら歩く。手もかじかみ、初めて手袋をつけダウンを着て歩く。牛歩のごとく足を進めて、1時間かけてトロン・ハイ・キャンプ(4800m)に辿り着く。そこでダトパニ(ネパール後でお湯のこと)を補給、小休止。 5時20分に出発。白み始めた空を仰ぎながらボチボチと歩く。6時05分右手にトロン・ピークが見え、正面には雪に覆われた白い山が見えたが、丁度その間にある鞍部がトロン・パスになるらしい。ここからは手前のリッジの陰で見ることは出来ない。 もう少しの我慢。この時間になると周囲の山々が綺麗に見えてくる。6時20分ハイケンのバッティに着く。息も絶え絶えだ。レモンティを飲んで元気を回復。40分に出発、足は重い。7時10分太陽が東側稜線の上に昇り、一気に明るみを増す。日の出側のリッジが反対側の稜線にその影を映している。 7時15分小休止。ダワさんの持ってきたテルモスに入った紅茶をもらう。25分出発。8時正面にはためくタルチョーが目に入る。

そこが今回のトレッキングの最高地点、トロン・パスだ。8時10分トロン・パス(5416m)の上に立つ。パスは広がりのある平坦な空間だ。タルチョが翩翻とはためいている。そして石を積み上げたバッティがある。しかし身体はいうことを聞かない。標高5500mとなれば酸素は平地の1/2だ。フラフラしながら三脚を出して写真を撮りまくる。アンナプルナ、ガンガプルナ、トロン・ピーク、ヤクガワカング、カトゥンカングが一望できる。ただ、空気が薄いという事以外にはフラットな地形のためか高度感が無く迫力はさほど無く、期待はずれだ。景観では前回訪れたランタン・リルンとかラウルビナヤクからの眺望の方が遙かに迫力があるし、美しい。一言で言えばここの景観にはポイントがないと言うことだ。

さすがに一寸動くだけでも息が上がる。今日は強風の前兆を感じるものの、さして気になるほど風は強くない。峠越えはしばしば雪の世界になるらしい。そしてそのために引き返さざるを得ない事もあるそうだ。その上普段でも正午過ぎると強風が吹き荒れて行動不能になる事がしばしばとか。幸い今回は雪の吹きだまりはあったものの歩行困難なルートではなかったし風もない。 8時35分出発する。後日談だが、日本に帰ってからマナンで会ったカメラマンと思い出話をする機会があったが、彼は我々よりゆっくりした行程で4日後にトロン・パスを通過したそうだ。その時には雪が積もり、しかも天候も悪く視界不良でガイドの案内が無いと下山出来無いような悪条件だったと聞いた。改めて運の良さを感じた。

この先のムクチナートは今までのマルシャンディ川の緑と滝とは違って岩と砂だけの土色の殺風景なチベット的世界になるらしい。ここからの下りは雪が積もっていて下山には慎重をきす。 トレッキング・シューズなので凍った雪道はスリップしやすい。トレッカー各人がそれぞれの判断で道を選んでトレイルがあちこちにある。さいわい滑落してもどこかで止まると思えるので安心だが、慎重に進む。 9時25分、高度障害による胃の不快感は解決したもののフラフラ感は未だ残っている。ストックはこのような状況ではバランスを維持するのに好都合だ。バランスを失っても支えることが出来るのが良い。 下り下りの連続は足には負担だ。9時50分陽も昇り、小休止。身体が温まったのでダウンを脱ぐ。10時35分ゆっくりの休憩。トロン・ペディで買い求めたシナモンロールやオレンジを頬張る。11時20分テディのバッティに着く。

11時35分出発。ここまで下りると緊張する場面もなく、ひたすら下るだけの苦痛に耐えるだけだ。12時平坦な景観の良いところで休む。そこからはムクチナートの町が、そしてその左前方の稜線の後ろに氷壁を抱えたダウラギリの美しい山容が見える。

左手にはニルギルの山群が、そしてさらにその左手稜線の上にティリチョー・ピークが覗いている。右手には殺伐とした砂と土だけの穏やかな山が横たわっている。その後方にはムスタング地方がある。

ムスタングは以前ネパールに隣接する一国家として存在していたが、いまではネパールの一ディストリクトとして組み入れられた。今日でも特別区としてそこへの入場が制限されているエリアだ。外人の訪問を制限し、入域するには高額のフィーを払わなければならない。ブータンと並んで、鎖国的な秘境として一度は行ってみたい地域だ。そこの前領主はほとんどカトマンドゥで生活しているとのこと。

今日はムクティナート(3798m)泊まり。時間に余裕があるので寺院に寄ってから街に入ることになる。物々しい壁に囲まれている広大な境内だ。12時40分寺院の裏側の門から境内に入る。最初は聖水が迸る水の壁とその後ろにヒンドゥー教寺院ムクチナラヤンを拝観し、さらに回廊を少しずつ下りながら前進するとチベット教寺院ジョラムキ・ゴンパがある。


ここのゴンパには観音菩薩像の台座下に小さな囲いがあり、その中を覗くと仄暗い中に青白い炎(永久の神火=実は天然ガス)が静かに灯し続けているのが見える。それが信仰の対象になっている。ドネーションを献上し参拝した。4月から6月までが巡礼の季節。当地はネパール最大の聖地で、その時には遠くはインドからも巡礼が参拝に来るそうだ。ネパール国王もヘリコプターで参拝にくるらしい。そのためのわざわざヘリポートが寺院の隣に設けられていた。その時期をはずすと訪れる客は少なく静かな佇まい。僧侶も常駐せず、カトマンドゥに居住しているそうだ。1時10分寺院を出て街を目指して下る。10分も下ると街に入り,ACAPでチェックした後、ホテル(ロイヤルムスタングホテル)に入る。ベランダに出るとダウラギリが凛として聳え立っていうrのが見える。

今回のトレッキングで見た景観では最も美しく圧巻だ。しばらく部屋で昼寝をする。6時に夕飯。未だ高山の影響のせいか食欲がない。日本から持ってきたレトルト・リゾットを作ってもらう。辛うじて腹ごしらえをする。今日は早起きをしたのでそのまま直ぐに寝床に入る。ダワさんのボス、リンジさんの一帯と合流する。リンジさんがガイドしているオランダ人夫婦は無事にトロンパスを乗り越えられたと言うことだ。


⑫ヒマラヤ・トレッキング(アンナプルナ・アラウンド)(2004年11月) [アンナプルナ]

11月17日(水)  ムクティナートからマルファへ

6時起床。村人が時々慌ただしく行き交うだけで未だ静かに眠った街だ。集落の屋根越しにダイラギリが朝日を受けて金色に輝いている。

ホテル前にある家と家の間を抜けて裏庭に回る。そこからは遮るものがなくダウラギリが見える。見事な姿だ。三本の襞とその間を氷壁がかためている。7時を過ぎる頃には多くのトレッカーが急ぎ足で下山し始めた。 我々はのんびりと7時45分に出発。それにしてもこんなにトレッカーがどこにいたんだろうと思うほど続々と下山している。ラッシュだ。ひたすら全員が下山。集落がしばらく続く。8時にはチベットを彷彿させる(想像だが)ジャルコットの街に入る。ここでも上空をレスキューのヘリが飛び去って行った。高山病の患者を救出するためだろう。 8時50分集落から離れて、街道だけが一本走っている単調な風景。土と砂以外には何も存在しない殺風景な景色。対岸には人工的に彫られたような筒状に彫り込まれたような断崖が眼に入る。殺伐としたチベット的な景観だ。

前方にはムスタングを源流とする川が視界に入る。ムスタングに続く道も見えてきた。眼には入らないが谷底にはカグベニの街があるそうだ。前方の稜線越えにダウラギリのピークだけがのぞいている。カクベニにはムスタングに入るゲイトがあってそこで入域料を支払わなければならない。そばの栽培が盛んなところだ。我々はカグベニを経由せず直接ジョムソンの街に向かって下山する。この時間になるとカクベニから上がってくるトレッカーが増えてきた。登りは負担を避けてカクベニ経由、下山はほとんどのトレッカーがジョムソンへの直接下りている。 支流のジョンコーラはカリガンダキ川に合流してトレイルはカリガンダキの断崖上を下山する。道幅は広い。さらに一気に下山する。カリガンダキ川の源流はチベット国境近くにある。カリガンダキ川に沿ってチベットへの街道があり昔から最も繁盛した街道の一つだ。この歴史の重みが当地方の豊かさにもなっているのだろう。今まで行ったランタンとかソル・クーンブ地方と比較して物資の豊かさに明らかな差がある。

10時10分エクリバッティに着く。小休止。大勢の荷物を運ぶ現地の人々、そして白人のトレッカーが一息入れている。25分に出発。ここでカグベニ経由のトレイルと合流してカリガンダキ川の河川敷を平坦な道が続く。しばらく行くと左手から大きなコーラが入り込んでいる。広い河川敷は砂と石で敷き詰められている。今は乾期で水量が少なく河川敷をそのまま歩けるので肉体的には大変助かる。よく見れば山側にはアップダウンを繰り返す山道が続いている。それが雨期の道だ。今は乾期、疲れているので川面のトレイルは助かる。河川敷が広いのでダウラギリを見ることがまだ出来る。その広い河原をポニー・キャラバンが遡上してくる。

頭に飾りを付けたリーダー格のポニーが先導している。河原を走るブルトーザーが走っている。道が都会から続いていないのにどうしてしてここにあるのか不思議だ。騎馬に乗った若者が睥睨するように走り去っていく。騎馬民族の血がそうさせているのだろうか。10時50分小休止。11時15分遙か彼方にジョムソンの街が見える。河原を仮設橋を渡って河川の右に左に道を探しひたすら下流へ向かう。11時55分大きな集落のジョムソンに着く。柳の並木が並び、久しぶりの大きな街だ。上空をポカラからの飛行機が飛んでくる。ここから飛行機でポカラに40分で帰ってしまう安易な帰路も考えられるが、ここは初志貫徹、踏破に挑戦だ。

橋を渡り街の中心部に入る。道は石畳になっている。ここまでは風を感じなかったが、俄に風が強くなってきた。確か、ジョムソンのフライトは風でよく欠航すると聞いていたが、それを実感する。カリガンダキ川上流の最大の街、ここには銀行、病院などがある。軍隊のチェックポイントもある。トレッカーを検閲というより自国民の不満分子への牽制が主目的か。ガイド、ポーターは荷物をしっかりチェックされているが、我々は何も検査されずにそのまま通過。ダワさんから先に行くよう指示されてゆっくりと先に進む。今度はACAPのチェックポストがあって入山許可証などのチェックを受ける。街の外れに飛行場がある。足早に急ぐ外人が多い。おそらく飛行場に向かう人たちだろう。飛行場の前にあるレストラン「サナーズ」に入る。とてもネパールとは思えない高いアメニティーを持ったレストランだ。外人好みの店作り、そして食べて分かったことは味も我々の口に合う水準だった。一寸だけ気位が高く、都会風気取りだ。幾つだろう、ませた子がウエイターをしている。店を仕切ろうという思いが強く出ていてその背伸び意識が可愛い、こんな仕草が出来ると言うことはオーナーの子供、年格好は中学ぐらいか。雇われ人とは違ったプライドが伝わってくる。レストランはサンルーフ状になっていて、滑走路越しにニルギルの山々が見える。残念だが水蒸気が上がって靄っているので、ガラス越しでの撮影が難しい。ツナサンドとマッシュルームスープを食べる。2週間以上のトレッキング後だからと言うこともあるが、否、カトマンドゥの街と比べても上等な味だった。

1時40分出発する。左手に滑走路が右手にはミュージアムを見ながらジョムソンの街を後にする。石畳が美しい町並みだが、午後ともなるとますます風が強くなってくる。町はずれでダワさんが地元住民に声をかけている。正式な道は右手山側にあるが、乾期なので河川敷で歩ける道がどのような状況か確認しているようだ。結局河川敷のルートが歩行可能とのことで流れに点在する石を渡り歩きながら河川の中央部にある中洲へと足を進める。何度か仮設橋を渡り左岸へと移動する。 ここから今晩泊まるマルファはそう遠くない。2時50分マルファの街の入り口に入る。綺麗に組み込まれた石畳の道を進む。右側にはそそり立つ山肌が迫り、山腹にはゴンパがあった。街道の両側には迫るようにして商店が軒を並べている。トレッカーを狙った店作り。とても美しい町並みだ。ただ、夕方ともなるとポニーの糞が散乱しているので足下には気をつけないといけない。3時に街道左側にあるホテルに入る。中庭のある小綺麗なホテルだ。

そういえばピサンで会ったポカラ在住のJICAに勤務する50代の男性と40前後の女性と会話をする機会があった。彼らからはジョムソン街道随一の美しい街マルファに是非立ち寄るよう進められていたが、まさにその通りだ。そしてマルファは日本人にとって忘れられない街でもある。川口彗海が明治時代に潜伏し、鎖国下にあったチベット入りを準備した街としても知られている。今でも当時川口を匿って支援してくれた一族が記念館として彼の生活そのままを残していてくれる。全くのボランティアで入場料を取るわけでもない。

荷物を置いて記念館に向かう。記念館の表示はあるものの無人だ。ダワさんが近所の人に管理人の家を聞き、声をかけて入れてもらうことになる。可愛いお嬢さんが案内だ。話さなければ日本人と間違うぐらいだ。門を入ると中庭があり、それを囲むように3階建ての建物だ。今では一階は鶏の寝床になっている。急な階段を上り、2階には川口がお経を学んだ時の蔵書や着衣が整然と飾られている。30分も見ただろうか、礼を言って辞す。ホテルを経て戻る途中左手に分岐する道がある。ダウラギリへのトレイルだ。ダウラギリはトレッキングには向いていないとか。ダワさんによればタフなルートの割に山の景観を堪能するロケーションが少なく、さらに近づこうとすれば高度な技術を要するそうだ。 さらに、道を戻る形で上がっていくと左手にゴンパの入り口だ。

突然、ロバに乗った日本人女性が近づいてきた来た。そうそうピサンであったJICAの方だった。ロバでジョムソンまで戻るそうだ。 マルファを象徴するゴンパが左手斜面上にある。ゲートがくぐり左手の山の斜面にあるゴンパに向かって重い足を持ち上げるようにして登る。寺院は下段と上段に別れていて下の方では10歳ぐらいだろうか、可愛い坊やが一所懸命老僧から経の勉強を授けてもらっていた。

直向きに脇目もふらず、遊び盛りなのにと余計な心配をしてしまう。上段には祭壇と修行の場が有る。それほど大きくはないが立派な本堂だ。けばけばしい朱色に彩られた仏像が並び、曼荼羅の壁画が一面に描かれている。さっき修行僧に経を教えていた僧が説明に上がってきた。ダワさんの通訳で問いかけたが、ダワさんも僧の言葉が地方訛りが強すぎて、十分に会話が成立出来ないほどだ。8歳で入門し、その後は世俗との交渉を殆ど絶って修行に努めるので、ネパールの標準語を学ぶ機会もなく、方言そのままでこの年になったとダワさんは言う。 いつものように午後は風が強く、眼下に広がるマルファの街の造りにその風との戦いを知る。街はまるで地下都市のように屋根で町中が覆われた形になっていて、生活はその下で風の影響を受けないように作られている。そういうことでホテルに居ても全く風が強いことを意識することがない。街道沿いにはトレッカーを対象とした店や裁縫屋、食料店などが軒を並べている。

夕食はマッシュルームスープとヤク肉入りのカレーにする。肉が固く噛み切れなかったのはいただけないが、美味しい夕ご飯になった。ダワさんとタトパニの先のルートについて相談する。出来ることならアンナプルナⅠ峰を見たいので、ゴレパニからプーンヒルを経由してポカラに出たい。体力的には3000m強への登りがあるのでタフだ。8000mを越えるアンナプルナⅠはそこからでないと見ることが出来ない。一応日程的にはそのコースも可能という事だった。後はタトパニについての体力との相談と言うことになった。ホットシャワーも温度も下がることなく快適に使えた。7時半には就寝した。


⑬ヒマラヤ・トレッキング(アンナプルナ・アラウンド)(2004年11月) [アンナプルナ]

11月18日(木)  マルファからガサへ

寝室は丁度街道に沿った部屋で、その道の高さから一寸下がった位置にあった。窓を開けると丁度目先に路面がある。早朝早くから牛の鳴き声を夢現のなかで聞く。しばらく経ってからか蹄の音がだんだん近づいてきては通り過ぎていった。間違いなくポニーのキャラバンだ。数十頭が下へ下っていった。

食堂に行くと既に多くの白人トレッカーがテーブルを囲んでいる。テーブルの下には炭がおこされていて足下を暖房していた。部屋の片隅に水濾しのサーバーがある。多くのトレッカーはそこで水筒に水を入れている。飲料水なのだが、ダワさんに言わせれば日本人には無理だ、止めるように言われる。ここでも日本人のヤワさを見せつけられてしまった。

混雑のためか予定通りには朝ご飯が出てこない。予定を越えて出発は7時50分となる。天気は芳しくない。厚い雲ではないが全天を覆い、ニルギルが雲の切れ間から時々覗くだけだ。町はずれになるとりんご畑やキャベツなど野菜が栽培されている。当地はある程度は自給できる恵まれた環境にある。8時15分トゥクチェ(2590m)の町との境界を越える。柳の木(?)がぽつんぽつんと生えている。道は対面通行できるような 広い道をオートバイが後ろから走ってきた。整地されていない凸凹道を巧みにかわし臭い排気ガスと砂塵をまき散らして走り去る。何故道が通じていないのにオ-トバイなのか不思議に思えた。9時20分トゥクチェの町のゲートを通過する。

9時55分休憩して出発。この町も中心部は石畳が敷き詰められている。町の中心地だろうか大きな広場があり、小学生から中学生だろう、ボール遊びなどで戯れている。右手には中学校がそしてその隣にはゴンパがある。街道は広場を越えて左手にずれた形で続いている。マルファからトゥクチェ一帯はタカリ族のエリアだ。 町を過ぎると再び河川敷を道を探しながら対岸に渡る。正式な道は下流に向かって右手を辿るのだが、乾期は河川敷を歩けるので楽が出来る。10時半上空を飛行機の爆音が聞こえてきた。時間的にポカラからジョムソンに向かう飛行機だ。飛行機で下りることが可能なのにわざわざ歩いているのかふと思い、ばかばかしくなったりもしてしまう。次々と飛行機が上空を通過していく。冷静になれば飛行機では味わえないカリガンダキ沿いの佇まいを見ることが出来ない。そう考えると歩くのも満更ではない。 河川敷を板を渡した程度の橋を渡って再び夏道に戻る。

10時40分前方に小さな部落が視界に入る。10時40分コバン(2560m)の町に入る。町と言っても数軒の家があるだけの小さな集落だ。直ぐ前は広い河川敷で柳の木がぽつんぽつんと植えられている。11時には再び河川敷の道に移る。しばらくは河川敷の中を進む。丸太を二本渡しただけの橋をポニー達は見事に渡っていく姿にはビックリだ。またジョムソン行きの飛行機が飛んでいった。 11時30分川幅が急に狭くなり、対岸の夏道に移る。一気の登りに息が上がる。しばらく進むと眼下に再び広い河川敷が眼に入る。

そして対岸からコーラが流れ込み、その上流には滝が落ちている。河川敷が広いこともあるのだろう、マルシャンディ川に落ち込む滝に比べると大した規模ではない。急な下りを降りきると11時50分、村に入ると数件のバッティがあり、左手のバティに入る。コヘタンティー(2995m)の村だ。

どう見ても美味しい料理が出てくるとは思えない雰囲気。料理を作れそうな大人がない。無難な料理、ハッシュドポテトとヌードルスープを頼む。そこには先客がいた。しかも日本人の女性とガイドだ。最初はお互い様子を窺うようにしていたが、声をかけると気さくに反応があった。彼女は大阪から来た美容師さん。ガイドはシェルパ族の若者だ。彼の日本語は流暢で見事な話し言葉を使う。彼女からは今までに行った思い出話を聞く。チベットにあるカイラスに行った時の思い出には最高の賛辞があった。カイラスのことは初めて聞いたが、チベットのさらに辺境にある6600M級の山でチベット密教、ボン教、ジャイナ教、ヒンズー教の神々の聖地だそうだ。彼らはこれからムクティナートに向かう。再会を約して1時に出発する。

再び上り下りを繰り返し、1時15分眼下にカロパニ(2530m)の町が見える。カリガンダキ川はしばらく広い河川敷の中だったが、一気のつづら折れの下りのあと、川幅は急に狭くなりその先にある吊り橋を渡るとカロパニの町に入る(1時30分)。1時45分カロパニの町の中心を通過、しばらく行くとカリガンダキ川が左に折れている丁度その正面に街が見える。正面の稜線越えに赤茶けたお椀を伏せた山が特徴的だ。2時、小さな集落を通過してしばらくして行くとレテ(2480m)の街に着く。ここではポリス・チェックがある。峠を越すと2時25分、左手にニルギルを源流とした大きなコーラが合流している。カリガンダキ川の右手を一気に降りると右手から合流するレテコーラに架かる吊り橋を渡る。3時05分ナンの村に着く。結構ハードな移動で息が上がる。深くえぐられた深い谷、見上げるとランドスライドの中腹に作られた人一人通れるような細い道をポニーが一歩一歩前進している。

遠くから見ているとよくぞ滑落しないものだと感心する。現実には事故は決して多くはないが、年に数件はポニーの滑落事故はあるそうだ。対岸では数百メートルに渡ってランドスライドの傷跡が痛々しい。ここでもスケールの大きさを感じる。3時20分パークという小さな村を通過。3時30分カイク(2085m)の村だ。ここからはニルギルのピークが雲の切れ間から望められる。なんとかニルギルの山容を写真に納めようと4時20分迄ガスの切れるのを待ったが、残念ながら良いチャンスには巡り会えなかった。

3時30分には目的地ガサ(2010m)の街が見える。狭い谷間の中一寸した平坦な地域の中にある集落だ。ロッジ(フロリダゲストハウス)は街の入り口に位置し、街道の左手にある。まずレストランがあり、数人の外人トレッカーがいた。中に入ると中庭があり、その先に宿泊の棟がある。日が差さない一日だったのでさすがに夕方は肌寒い。5時半に夕食を摂る。今晩はロシアンサラダとマッシュルームスープとカリー。7時半には就寝する。


⑭ヒマラヤ・トレッキング(アンナプルナ・アラウンド)(2004年11月) [アンナプルナ]

11月19日(金)  ガサからタトパニへ

珍しく眠気を感じながら6時半起床。疲れもたまってきたこともあったし、夜中に何度か雨音を聞いて翌日のことが心配になったり、東京で何か気になるようなことが起きているのではと言う漠然とした不安心理が深い眠りを妨げた結果かもしれない。天気は幸い雨の気配はなく、ダウラギリのレンジやニルギルも望める。

7時55分に出発。石畳を踏みながらガサの街の中心部に入る。水牛、牛、ポニーが家族と一緒になって生活をともにしている。右手の急峻な丘陵の上では家族総出で草刈りをしている姿が見えた。その先の中腹にはネパール軍の駐屯地があり、銃をかまえた兵隊が土嚢越しに監視をしている。一寸不気味だ。街道を何人もの軍人が歩いている。訓練中とはとても思えない長閑な雰囲気だ。マオイストが良く出没すると聞くゴレパニはここより麓に近いところにある。政府軍としては飛び地での孤軍奮闘、緊張して守っているという形だ。 ここはマンガル族、タカリ族、グルン族が混じり合って生活をしているエリアだそうだ。桃の花が満開だ。これから冬を迎えるというのに不思議な光景。家の造りはネワールの影響を感じる造り。

8時15分石段を下っていく。前方遠く眼下に切り立ったV字峡の両岸を繋ぐ吊り橋が見える。そこを対岸に渡るそうだ。このあたりがムスタング・ディストリクトからミヤディ・ディストリクトとの境界。8時30分一気に下って吊り橋の袂に着く。そこにはチェック・ポストがあり、チェック待ちのトレッカーが大勢検問待ちで待機している。追いつ越されつの馴染みの人々だ。丁度吊り橋をこちらに向かってくるポニー・キャラバンが長く続くため、こちらからは渡ることが出来ない。


ここではかなりしっかりしたチェックで久しぶりに本人のサインを求められる。10分以上待機させられたと思う。対岸に渡って山道を上り下りをしながらしばらく行くとタル・バガールの街が見えた。9時05分。再びポニー・キャラバンとすれ違う。ポニー使いの見事な口笛捌きで列を崩さずに上っていく。キャラバンの一帯なのに荷を積んでいないポニーがいたり、重い荷物を背負わされたポニーがいたりだ。荷物を背負わされたポニーに同情してしまう。不満も言わず黙々と歩む。一頭だけ遅れて列を追うのがいた。よく脱走しないものだ。

タル・バガールの外れにある峠のバッティで一休み。9時45分コプチェパニで飲料補給の休憩。対岸の先に大きな滝が落ち込んでいる。10時に出発、吊り橋を目指して一気の下り。ここまで降りるとヒマラヤも亜熱帯気候になってくる。蝉の声が聞こえるし、日射も肌にきつい。とても11月とは思えない気候だ。10時20分吊り橋の手前でポニーの通過を待つ。さっき見えた大きな滝が吊り橋の左手に一層大きく迫ってくる。10時30分滝の前に着く。プティシャラの滝だ。

傾斜地に幾重にも連続した滝を作っている。10時40分出発。10時45分ルクセクチチハラ(1630m)の集落を通過。11時05分左手にアンナプルナ・サウスが見える。11時20分(1400m)ダナに着く。バッティで休憩。久しぶりにオレンジを食べる。こういう時の柑橘果物は最高に美味しい。いつも思うことだがヒマラヤに来て一番美味しい食べ物と言えばオレンジが第一だろう。対岸越えにアンナプルナ・サウスとその右にはバラハ・シックハル(7647m)だろう、真っ白いピークにつながる。その裏にアンナプルナⅠ(8091m)があるが、それは前のレンジに遮られて見ることが出来ない。

この地域は土地が豊なのだろう、農作業風景が眼に入る。11時55分ダナ・ビアミティ(1400m)にあるキャビン・ゲストハウスでランチをとる。太陽が燦々とふりそそぎ、ブーゲンビリアが満開で咲き誇っている。中庭にあるテーブルに席を取りランチを取る。庭にもミカンの木が沢山の実をたわわになっている。この一帯ではミカンの栽培が盛んだ。突然黒い牛が闖入してきた。

食堂の中を通り抜け、中庭にも来た。みんなでようやくのことで道路に追い立てたが、相変わらず食堂の中に興味があるようだ。この店の黒の飼い犬だろう、必死になって戦おうとして吠えたてる。牛は動じない。しばらく壮絶な戦いが続いたが、牛の飼い主が現れ引き取られていった。キャロットスープとマッシュルームラザニエを食べる。このレストランも味は上等だ。1時10分出発する。日差しは強く眩しいほどだ。

1時30分左手に大きな滝が見える。ポニー・キャラバンの一隊が上ってくる。1時50分左手後方にニルギルが左手にはアンナプルナ・サウスが見える。目の前に羊の大群が道をふさいで溢れている。一睡の余地がないとはこんな事だ。

道一杯を塞いでいるのでどこに段差があるのかも分からない。数は数え切れないほど、目の子で何十頭だ。お尻の上に黄色い目印のペンキが塗られている。おそらく所有関係を示す印なのだろう。羊たちはヒンドゥ教信徒の生け贄に供されたり、食肉として市場に出るためにローマンタンからポカラまでの長旅をしているそうだ。やむを得ないとはいうものの同情してしまう。羊のお尻をストックで突きながら道を作り前進。ポニーには通用しないが、羊だからこの脅迫が通用する。驚いた羊たちは何とか避けようと前後ろそして隣の羊を追い立てる。漸く出来た隙間に分け入って前進する。なんとか羊の大群の前に出て足早に前進する。一寸緊張した瞬間だ。2時、遠くにタトパニ(1190m)の街が見える。2時10分タトパニの町の入り口にさしかかり、15分には右手にある鉄筋の立派なホテル・ヒマラヤに入る。今晩の宿だ。食堂が道路に面していてその奥に寝室への出口がある。中庭を通って左手の入り口から3階にある寝室に向かう。その階にはテラスがあってそこからはニルギルの山群を眺望する事が出来た。

雲も切れて穏やかな夕日を浴びたピークが天上に向かって伸びていた。テラスから下の街道を見下ろすと引き続き羊の群れが町に向かって道一杯埋め尽くして下山していく。 タトパニは温泉町でも有名だ。3時半温泉に向かう。タトパニの中心部に向かって一寸下った所から左に折れて河原に一気に下る。降りきって少し上流に行った所に温泉場がある。入湯料は15ルピー。コンクリで固められたプール状の銭湯という趣。日本の渓流にある秘湯とは余りにも違う。白人のトレッカー、おそらく言葉からドイツ人達だろう、賑やかに楽しんでいた。ここでは文明の利器がないのだから間違いなく本物のかけ流し温泉だ。ただ、日本と違ってパンツ着用だから日本人にとっては落ち着かない。湯船から落とされた湯で石けんを使って身体を洗うようになっている。気分的に湯船から落ちる湯で身体を洗う気になれないので、浸かるだけでホテルに帰ってシャワーで身体を洗おう。芯まで温まりすぎて喉が~からになってしまった。掘っ立て小屋で売っている70ルピーの缶ジュースを買う。V字の渓谷の上流にニルギルが聳え立っている。日本的なセンスでこの温泉を仕立て直したらきっと素晴らしい秘湯になるだろうと非現実的な想像を指定してしまった。

ホテルに戻り身体を洗い、そして汗くさくなったTシャツや下着を洗う。しばらく夕陽を受けるニルギルのシャッターチャンスを狙ったが大した景色も得られず、写真は諦めて6時夕飯にする。今晩はラムステーキとパンプキンスープ。フロントでマッサージ500ルピーの表示があったので、ダワさんを通じて交渉してもらい7時に部屋に来て貰う。中年(?)のおじさんだったが、身体にオイルを塗りながらマッサージをする。身体が疲れていることもあるのだろう、しっかりと効くマッサージだった。50分ぐらいだったか。うとうとしてしまった。

トロン・ペディ以降、ダワさんのボス、リンギさん達と同じ行程でここでも一緒になる。リンギさんによればマオイストのゼネスト情報が入っていて、明後日には決行されるとの話。当初の希望はゴレパニからプーンヒルを経由してアンナプルナⅠ峰を眺望して帰るルートを考えていたが、このような状況では帰国日時への影響を避けるため安全サイドに計画を振るしかない。正直言ってここから高度3200m弱の登りを挑戦するのはタフでもあり、そうなることは大歓迎だ。結果的にはプーンヒルによるリスクを考えてそれを中断する。 タトパニは既にマオイストの強い影響下にある町で通信線も遮断され、都会との通信が不能だから、上ってくる人々からしか情報を得ることが出来ないし、不確かなそして場合によっては増幅され歪んだ情報でもあるかもしれない。不思議だったのは決してマオイストが組織的にこの地域を支配しているわけではないが、誰がマオイストか分からない相互不信で固められているのでコミュニティーが機能不全になっているようだ。スト破りをするとその情報が誰かからか漏れて、その仕打ちを恐れなければならない、そんな恐怖を作ることで隠然と支配を実現している。ガイド達はその様な事情を知っているのでゼネストは必ず決行すると確信していた。思いがけない事件に巻き込まれ予定を一日繰り上げて明日中にポカラに入らないと帰国の予定に支障が起きそうになった。そのためには明日は早起きをしなければならない。


⑮ヒマラヤ・トレッキング(アンナプルナ・アラウンド)(2004年11月) [アンナプルナ]

11月20日(土)  タトパニからポカラへ

5時20分に起床。未だ真っ暗だ。天空だけが白み始めている。街道筋の幾つかの店の灯りが目に入る程度。 6時を過ぎても明るくならない。ニルギルの方面には雲が垂れ込めておそらく明るくなっても見ることは出来そうもない。 キャラバンがカウベルを鳴らしながら降りていく。

6時55分出発。タトパニの中心地を抜けて町を出て直ぐに吊り橋を対岸に渡る。またまた羊たちの大群に遭遇する。吊り橋は羊に占拠されていて通過できない。列が切れるまで待機だ。丁度対岸の道の反対側に草地があって羊たちは草を食むために一休み体制だ。その間隙を縫って前進する。小さなコーラを越えて少し上った所に小屋があり、丁度道が分岐している。ここがゴラパニへの道との分岐点だ。そこには3人の現地人が小屋に背を預けるようにして休んでいた。我々も小休止というか、そこで留まる形になった。

だが、何か不自然さを肌で感じる。ダワさんが彼らと会話をしている。しばらくしたらダワさんから前回マオイストから貰った領収書を出すよう促される。そこで事態の成り行きが理解できた。再びマオイストに出会ってしまった事を。一人は中年の冷静な対応をするリーダー格、一人は教義的で強圧的な雰囲気を持った青年、もう一人は存在感の薄いただ追従しているという感じの青年だった。マオイストは領収書に目を通している。ダワさんと何言かやり取りがあった後、ダワさんから荷物を持って前進して下さいとの合図だ。お陰様で事なきを得て無事通過。まさか、反政府軍に2度も遭遇するとは思っていなかったし、さらに驚きは彼らが発行した領収書が本当に通行許可書になるとは期待してもいなかったが、幸いその通りになって安堵もした。自分たちが単なる金銭目当ての追い剥ぎや盗賊で無いという彼らなりの矜持かもしれない。

7時半に出発。50分にはダトパニ(温かいお湯の意味=温泉)のある小さな集落バガールを通過。ここの温泉は規模が小さく汚いそうだ。不思議と空荷のポニーがまるで走るように次々と下を目指して通り過ぎていく。このあたりは再び渓谷が迫り、深い谷になっている。道幅も狭くなっているので、登りと下りのポニーが行き違えないため、下りのポニーがポニー使いの口笛一つで停止し道を譲っている。我々もしばらく待機だ。このあたりの渓谷は日本の景観に近く懐かしさを感じる。川が岩を削るように白い飛沫を上げながら走るように下っていく。迫力だ。8時45分マハビールの村を通過。9時10分、ティプヤン(1040m) の街を通過、再び対岸に渡る吊り橋の前に来た。再び羊の大群の渡橋だ。これはなかなか時間がかかりそう。9時15分、吊り橋を渡った所のバッティで小休憩。9時35分出発。しばらく行くと道は自動車が通れるほどの広さになったがだからといって決して歩くのには快適ではない。10時半ショウーギバザールに着く。ここには2台のピックアップトラックが待機している。ダワさんが交渉を始めた。どうもここからは文明の利器が使えそうな雰囲気。


ピックアップトラックの荷台には幌代わりに日本でもよく見かける防水シートでカバーがされている。すでに数人の現地人が荷台に乗り込んでいる。掘っ立て小屋の中で一休み。その間ダワさんは車に乗るための交渉をしている。今日も真夏のような日射しだ。ダワさんからコカコーラの差し入れだ。炭酸系の飲料はトレッキング中自己負担で飲む飲料のはずだが、今回はダワさんの心遣いだ。交渉が成立して足は確保された。なにしろ今日中にポカラに着かないと大変な事態になるのでひとまず安心した。

10時45分出発。我々以外にはイギリス人のご婦人のトレッカーとネパール人など老若男女10人近くが乗っている、両側にベンチがあり、半身になりながらすし詰めになって座る。悪路だから左右前後に揺さぶられる。シートで囲われているので外の景色を見ること事は出来ない。唸りを上げるエンジン音と隙間から入り込む砂塵が気になるだけ。11時頃だろう。なんとなくエンジンの調子が悪そうな音が続いた後、すとーんとエンジンが止まってしまった。みんな不安そうにエンジン音が聞こえてくるのを待ち望んでひたすら待つ。なかなか埒があかない。焦れだした乗り合わせた客はトラックから飛び降りて運転室での作業を見に行ったり、表に出てたばこを吹かしたりそれぞれ思いのままに動き出した。腰が痛くなるので表に出てストレッチをしたりして気を紛らせる。作業はなかなか埒があかない。みんなが覗き込むようにして注目している。結局40分ほど修理作業の結果、エンジンは動いた。様子から想像するにエンジンオイルが漏れて、オイル補充をしたらしい。運転手の様子からは不安そうな素振りは微塵もなかった。このようなトラブルはきっといつものことだったのだろう。スタートした途端に坂道の手前でまた止まり、逆走し始めた。あれ!とまたまた不安になったが、何のことはない修理現場にガソリンタンクのふたを忘れて取り戻しに帰っただけだった。早く気がついて良かったと胸をなで下ろす。

ポニー・キャラバンの大群が前を移動していたが、クラクションの音で路端に避けてくれる。12時一寸前に道が吊り橋で遮られたコーラの手前で車が止まり下車だ。吊り橋を渡っていよいよ当初の計画では泊まる予定だったガレスワール(1170m)の街でランチをとる。ふと不思議に思った。コーラを越えて吊り橋しかないのにどうしてさっきの対岸に車があったのだろうか。この車に限らずオートバイとかトラクターとかが道路がつながっていない所にあるのが不思議でならない。ヘリとかで運んだのか、まさか分解して持って行ったとも思えない。誰も分からず謎のままになった。吊り橋を渡った直ぐにあるホテルリバーサイドに入る。


小綺麗な所だ。ブーゲンビリアや名前が分からない白い花などが咲き誇り、明るい開放的なテラスとその前をコーラが白い泡を立てながら流れている大変素晴らしい景色だ。

ミネストローネにマッシュルーム・スパゲッティを食べる。上等な味だ。1時10分再度車に乗るため広場に向かう。 ここでは都会並みの品揃えをした商店が並ぶ坂道を進むと大きな菩提樹を囲んだ広場に出る。そこにはジープやカローラが十台以上待機していた。

1時20分ジープに乗ってベニに向かう。出発しようとしたらセルが動かない。いや~参った。又か、と思っていたらニュートラルで車を押して走らせてギアを入れた。ブルンブルンとエンジンが掛かり拍手喝采だ。運転手はいつものこととシャーシャーとしている。道は少しは整備されている。今迄ほど揺すられる事はないがまだまだ快適にはほど遠い。30分頃ベニの町に入り、早速軍隊のチェックがある。35分石畳の段差をものともせず進んで吊り橋の手前まで進んでくれた。排気ガスが臭くて堪らないマヒンドラの4駆だけど道路条件お構いなしに前進していってくれるので助かった。吊り橋を渡って数分歩くとバスターミナルになる。ここではバス、タクシーが洪水のように無秩序に駐車している。客引きの声が飛び交っている。ダワさんがタクシー運転手と交渉を始めた。右手からはダウラギリに源を発するコーラが合流している。運転手の顔立ちはネワール系で山岳系のチベタン系とは明らかに違いを感じる。

1時50分タクシーに乗り込んで出発。直ぐに軍隊の物々しいチェック。それには理由がある。ベニはこの一帯の州都。しかもネパールで最もマオイストの影響を受けている所だ。チェックポイントではバス乗客は全員降ろされて身体検査を受ける。2時検査を終えて再出発。右手に川の流れがあるが山もそれほど高くなく平坦な農業エリアを走っていく。漸く地図上にもある道路を走る。少しはましな道だ。バナナがなっていたり、目の前をリスが通り過ぎていった。右手前方に立派な橋が見える。バックルーンからの国道だ。2時50分、合流地点にまた検問がある。これから先は正規の国道だから道は良いはず。ポカラまでの距離が石造りの表示板に65kmと書いてあった。3時35分フスマの町を通過。川沿いに上流に向かって少しずつ高度を上げていく。再び警察のチェック。今度は簡単に終わり、3時10分に出発。河岸段丘が美しい。

3時20分ナヤプル(1070m)に着く。ナヤプルはプーンヒル経由のルートを取った場合の最終地点だ。道には何人かのトレッカーが右へ左へと動いている。何台かのタクシーも客待ちをしている。対岸の町はビレタンティだろうか。ここで休憩。これから先は川と離れて峠越えだ。4時05分カーレ(1770m)の町に着く。峠の頂点にある町だ。ダンプスを経由してアンナプルナ・ベースキャンプへ向かうルートの起点だそうだ。これから先は下りになる。道路は一応舗装されているが、中心部一台分だけだ。だから行き違うときにはそれぞれ左右に寄って走る。4時20分ノーダラ(1440m)を通過。サランコットの展望台はここから分岐していく。以前朝日の昇る前にサランコットを訪ね、マチャプチャレ、アンナプルナ、ダウラギリ、マナスルなどの山々を見たことが思い出される。そこは手軽にポカラからヒマラヤの景観を楽しむお手軽コースだ。

ここまで来るとポカラの市街地には直ぐ。緩やかな下りを市内に向かって下りる。日本の数十年前の農村風景と全くそっくりだ。市街地に入り4時40分警察の検問がある。簡単に終わってホテルに。市街地をぬってレイクサイドに向かう。この辺になると以前徘徊したこともあり土地勘が戻る。レイクサイドはネパールで最も西欧的な市街地でポカラでも外人が好む地域。日本で言えば軽井沢とか横浜の元町のように、程度は別として全てが異人社会に作られていて、現地の人にとっては近づけない(価格水準が高いので)ところだ。いるとすれば我々のガイドやポーターのような人々だ。登山用品店、おみやげ屋、CDショップ、絨毯、シルク製品、持ち帰れない民族小刀、飲食店、本屋などなど。レイクサイドには王室の離宮もあり厳重な警戒もされている。道には飼い主不明なのだろうか牛が徘徊し、人々がさかんに行き来している。

レイクサイドの地名の由来は人工湖ペワ湖に沿って開発された市街地だからだ。ここからは飛行場も歩いていける距離にある。5時ホテルに着く。レークサイドの中心地の幹線道路から少し入ったホテルに泊まる。5階建ての大理石で作られた、感じの良いプティホテルだ。町に出て食事をし、今日こそゆっくりと身体を休めてやりたい。本当にご苦労さん。300km弱の距離をよく耐えたし、人生初めての5500mの高度体験、全てが感動だった。この疲れの絶頂なのに再びヒマラヤに入りの次なる挑戦をしたくなってしまう。


最終)ヒマラヤ・トレッキング(アンナプルナ・アラウンド)(2004年11月) [アンナプルナ]

11月21日~ 23日 、24日  ポカラからカトマンドゥそして東京

当初の予定では20日はガレスワールに泊まり、21日にポカラ着の予定だったので一日短縮した事になる 。ゼネストのお陰だ。ただ、そこから生まれた時間的余裕はゼネストのため有効に生かせない。どこに行くにしても全く交通手段が無く、全て自分の足だけが頼りだから。


早めにカトマンドゥ入りしたかったが、ゼネスト中は飛行機以外の交通手段はストップだ。必然的に全ての移動客は飛行機に集中。直ぐには飛行機の手配が出来なかった。ダワさんの必死の努力で明日22日の午後の便が手配できてホットした。ここまで来てカトマンドゥに辿り着けなければ何のために急いで下りてきたのか分からなくなる。結果的にポカラでの時間はたっぷり出来たが、移動の手段もなく市内にはカトマンドゥのような歴史的遺産もなく、結局パタレチャンゴ(デビの滝)とそのそばにあるチベット難民キャンプを見る程度で身体を休めた。

その晩は今回のトレッキングで世話になったガイドとポーターに謝意を示す会食を持った。彼らの好みのレストランを指名して貰って行く。日本語でお礼を述べて、ダワさんの翻訳で謝意をポーター達に伝えて貰う。そして僅かだがガイドにはチップを渡す。一番苦手のチップだ。当てずっぽうの対応だが、気持ちが伝わればと思った。22日は2時のフライトなので昼前に飛行場に向かう。

タクシーがないので飛行場までも歩きだ。汗だくなるような暑さの中を進む。ポーター達はコストのこともあり飛行機に乗らずゼネスト終了後陸路でカトマンドゥに帰るそうだ。彼らとは飛行場でお別れだ。予定通りの出発、左手にはマナスルヒマールの山々を望みながらの快適な飛行。40分のフライトでカトマンドゥに着く。カトマンドゥではネパール入りした日に泊まったフジゲストハウスに入る。


23日午後1時40分タイ国際航空で出国だったが、昼過ぎから急に天候が悪化し、真っ黒になった空からバケツをひっくり返したような雨ばかりか、屋根を打ち破るのではと思うほどの雹が降りはじめた。これがなかなか止まない。到着するはずの飛行機が着かない。バンコックで5時間のトランジットがあるので多少気持ちに余裕があるものの、飛行機が着いてくれなければ始まらないので不安になる。イライラしながらバンコックからの到着便を待つ。 幸い雨が小降りになって1時間遅れで出発。ここではボーディング・ブリッジもないし、雨の降る中びしょ濡れになりながら搭乗することとなる。バンコックに19時30分着。飛行場では食事をしたり、土産を買ったり、コーヒーを飲んだりあらゆる手を講じて時間を使うものの、それでも時間を使い切れない。後は搭乗口の前の椅子でうたた寝だ。23時10分の出発。深夜便なので睡魔も襲い、トレッキングの疲れと無事終えたという安堵感からすぐに夢の世界に入った。 成田には24日7時10分到着。リムジンバスで都内に向かう。


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