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ヒマラヤ・トレッキング=カンチェンジュンガ・トレッキング2006/10/21 [カンチェンジュンガ]

今月の21日出発、3週間の予定が確定した。14座ある8,000M級の山のうち8座がネパールにある (正確には国境を跨ぐが)。ヒマラヤ行きを始めて5年目を迎えるが、すでに8座のうち7座を自分の 目で確認できた。残された山がカンチェンジュンガだ。云うまでもなく世界第3番目の高峰。ネパ ールの東端、インド・ダージリン地方、シッキム州に隣接する国境にある。 エベレストやアンナプルナとは違ってカンチェンジュンガはアプローチが大変だ。カンチェンジュンガに 向かうには先ずはタプレジュンに入る。タプレジュンには飛行場があるのだが、カトマンドゥから 直接入るフライトはなく、ビラトナガールからのフライトがあるらしい。 ガイドとの打ち合わせでは飛行機を使う話が出ずに、ジープでの移動しかないような話だったので、ガイドの指示に従って第2の都会ビラトナガールまで飛行機で、そこからジープをチャーターしてタプレジュンに向かうことになった。それが後々誤算の原因にもなったのだが。 タプレジュンまでのドライブは予定では一日の話が結局は二日がかりになってしまってスタート早々から躓いた。 タプレジュンからいよいよトレッキング開始。カンチェンジュンガにはサウス(オクタン)に向かうルートとノースベースキャンプ(パンペマ)の2ルートがある。今回のルートは先ずはサウスを目指しツェラムから別れてミルギン・ラを越えてグンシャに下りてノースキャンプを目指すルートに合流する。 今回のパーティーは4人だが、私以外はそれぞれの都合の関係もあってグンシャからタプレジュンに戻る。私はそこからパンペマに向かい、5143Mのノースベースキャンプからカンチェンジュンガを望むのが最大の目的だ。ヒマラヤでも辺地なのでほとんど山小屋はないトレッキングになる。テント生活、キッチンボーイが作る料理、水はミネラルウオーターが購入出来ないので浄水剤で水を作るか、煮沸によるしかない。今までには経験していない生活が約3週間続くわけだから身体が持つのか不安はある。 今までも想像を超える生活にびくつきながらも何とかこなしてきた経験の延長にあると願いたい。

ヒマラヤ・トレッキング=(序)カンチェンジュンガ・トレッキング [カンチェンジュンガ]

10月21日出発以来、21日間のカンチェンジュンガ・トレッキングを終えて11月10日に帰国しました。
紀行については整理の上アップしますが、取り敢えずの総括をしてみたいと思います。
①カンチェンジュンガへの道のりは他のメジャーなルートに比べてアプローチが極めて長い。先ずは40分強(KTMから)のフライトでネパール東部の大都市ビラトナガールに飛び、チャーターしたジープでタプレジュンに向かう。ジープでイラム(インド・ダージリンに隣接する都市、紅茶の産地)を経由して二日がかり。
ビラトナガールからタプレジュン(スクタール)間には週に2回(月、水)フライトがある。飛行場は草地で覆われたプラトーにあるので就航が不安定になると聞いた。因みに復路は幸い飛行機に搭乗出来た。二日がかりで辿り着いたタプレジュン、ビラトナガール間を25分で飛ぶ事が出来た。
②カンチェンジュンガを目指すためにはオクタンにしろパンペマを目指すにしてもゲイン(登り)とロス(下り)の繰り返し。スタート地点2300mから1200あるいは1700までの下りから始まり、尾根を乗越したり、高巻きの繰り返し、さらに初冬とはいえ亜熱帯での暑さと発汗で体力の消耗は甚だしかった。
③メジャーなコースとは違って素朴なヒマラヤトレッキングが楽しめる。南面、北面何れを目指すにしてもキャラバンが入らないトレイルで、動物の排泄物の匂いとか埃が無く快適なこと。道も人間一人が漸く歩ける程度の広さ、まさに日本の山行の形状に類似している。
④ヒマラヤトレッキングではお馴染みのマニウオール、タルチョー、ゴンパ、チョルテンなどブッディスト文化がほとんど見られないエリアだ。部族的には圧倒的にリンブー族の世界。そこにシェルパ、チベタン、タマン、などが共存している世界。
⑤ほとんどのトレッキングコースが緑と水には縁のないのに対し、カンチェンジュンガには豊かな水と緑がある。当然渓谷の美しさ、滝が多いこと、ポカリ(池)があることだ。
⑥ロッジがないのでキャンピング・トレッキングが前提。大がかりなパーティーを組成することになる。因みに今回はガイド、サブガイド、クッキング・ポーター3人、ポーター2人というチームになった。
⑦今年特有なのかは定かではないが、エベレスト以西と違って天候の安定感は劣るように思える。緑と水の豊富さがその反映ではないのか。あるいは世界的な天候不順の影響があるのか、この点については不明だが。


ヒマラヤ・トレッキング=①カンチェンジュンガ・トレッキング(10月22日) [カンチェンジュンガ]

日本出発、一路カトマンドゥへ

(10月21日、22日)
カンチェンジュンガ・トレッキングは極めてアプローチの長いコース。仲間3人との計画になったが、仲間の都合もあって後半は一人で移動することになった。効率的な計画にするために選択肢は直行便ながらスケジュールの変更リスクがあるロイヤルネパールにするか、BKKでのトランジットがある関空(KIX)深夜便にするかで悩んだ。結局後者のタイ国際航空を使うことにした。羽田で仲間の二人とは合流して10月21日(土)21時30分KIX行きのANAに搭乗。KIXでもう一人の仲間と合流して22日1時25分のBKK行きを待つ。KIXは当然深夜なので静寂そのもの。人気もなく自販機が無機的に点灯されている。ドル建ての自販機だけが出国した気持ちにさせる。タイ国際航空は評判通り新しい機材、トリプル7だった。私だけが長期トレッキングになることと、その結果としてタフなトレッキングになるのでビジネスクラスを選ぶ。エコノミーが12万円に比べて26万円と倍以上になるのだが、帰国後直ぐに仕事に復帰するので贅沢ではあるがやむを得ない選択だ。
深夜便なので食欲は無いが、しばらく美味しい食事とは無縁になると思うとついつい箸が進んでしまう。5時15分(現地時間)BKKに到着。新しい空港はハブ空港として近代感覚とタイ独特の雰囲気を醸し出した大きいスケールだ。早朝というのに人で賑わっている。24時間空港として機能しているからだろう。お茶をしたり、ウインドウショッピング、そして友人から進められたタイ製のレトルトカレーを購入する。

10時35分発のタイ国際航空でKTMに向かう。航路はBKKから西北、インド洋に接するミヤンマー、バングラデッシュ、そしてカルカッタを経由してKTMに12時35分(現地時間)に到着。いつになく空気が清澄な気がしたが、後で分かったのは数日前に大雨が降ったと聞き納得した。

ガイドのダワさんが我々の入国を待ちかまえていた。早速タクシーに乗り込んでホテルHATARIへ。HATARIはタメルからちょっと外れた場所にあるが、ガーデンを持ったシックなホテルだ。ガイドフィーを精算して一寸だけタメルを散策。翌朝が早いこともあり、ホテルにあるレストランで夕食をして早々と就寝。3時間15分の時差もあるので何の抵抗もなくぐっすりと寝込んでしまう。部屋が市街地に向いていたため深夜の喧噪や犬の吠える声に何度か目を覚ましてしまったのだが・・・。


ヒマラヤ・トレッキング=②カンチェンジュンガ・トレッキング(10月23日) [カンチェンジュンガ]

カトマンドゥからイラム

(10月23日)
9時のKTM発、ビラトナガール行きのフライト。7時、朝食を済ませて、山では着ない衣類等をホテルに預けて8時前にホテルを出発。8時半には飛行場で荷物のチェックを済ませて搭乗を待つ。以前に比べてチェックが簡素化されていた。荷物のチェックは中を開けるわけでもなく、ライター、ナイフなど所持していないかとの質問とボディーチェックだけ。政権が安定したことがあるのだろう、これならマオイストからのドネーションも無くなったのではと期待を持たせた。しかし、現実は何も変わっていないことを後で実感するのだが。ビラトナガールはタライ平原の中にある都市だ。ルクラやジョムソンなどの山岳空港に向かうよりずっと安定しているので、欠航の心配はない。ほとんど定刻に近い時間に出発した。国内線のブッダエアだ。20人乗りの綺麗な機材を使っていた。噂では国営のロイヤルネパールの評判は悪く、民営のブッダは評判が良いエアラインだそうだ。45分のフライトで南国の都市ビラトナガールに着く。

着いた瞬間はKTMとは違って蒸し暑い。見渡す限りフラットでヒマラヤの圧倒する山容は目に入らない。緑豊かな平野が限りなく広がっている。現地では一昨年アンナプルナでポーターをしてくれたスベさんが待ちかまえていた。彼は先発して現地での車の手配をしていたようだ。何十年前のレンジローバーだろうか、外見はいかにもローバーという出で立ちだが、乗り込んでビックリ。ほとんどローバーの形状を残さないほど改造されていた。
不安を持ちながら屋根上に荷物を積み込み、我々4人とガイド、サブガイドが乗り込んで10時25分タプレジュンに向かう。ルートはイラムを経由して向かうので先ずはほとんど真東に向かう。ネパールにしては珍しく綺麗に舗装されているのに感心した。乗ったローバーはジーゼルであることもあるが、速度が出ない。ポンコツにも抜かれっぱなしだ。先が心配になる。延々とひた走る。道は渋滞することもなく順調に進行する。 この一帯は平野で穀倉地帯、インドの国境を接することもあり、インド系の工場もしばしば目に入る。ネパールでは相対的には豊かな地域なのだろう。今までのネパールとはかなりの違いを感じる。住居も高床式で藁葺き屋根というヒマラヤ・エリアにある家の形状とは様相を異にしている。12時半ダマの町で昼飯を取る。チキンカレ-を頼んだがとても美味しかった。仲間が露天でバナナを20ルピーで買ってきた。これも意外と美味しい。

バナナはインド産と聞き意外だった。ようやく遠くに白く雪を被った山々が小さく視界に入ってきた。突然渋滞に突入。理由が分からず運転手、ガイドの話ではディハールのお祭りで道が塞がれているのではと言っていたが、先に進めない状態が続くので偵察を兼ねて車を降りて先に行ってみる。なんと交通事故で死人が出て、巡査が検視をしていたのだ。既にビニールに覆われていたので死体を見なくて済んだが、その周りには血が飛び散っているのが分かる。どんな渋滞でも車、リキシャ、人間そして牛や犬までが見事に交わし合って事故を防いでいるカトマンドゥの市街地とはここの事情が違うようだ。
ネパール東端の国境に近い町ビルタモドはディハールで賑わいの真っ直中。しばらく渋滞の中を行く。2時50分道を左に折れていよいよ北上だ。車も少なくなり再び順調に前進する。イラムに近づくにつれて名産の茶畑が目に入ってきた。そして黄金色に色づいた稲が頭を垂れている。

日本の秋の農村風景と変わらない。15時を過ぎるといよいよ山岳道路へと道は変わっていく。ランドローバーは苦しそうに喘ぎ始める。16時半インド・ダージリン地方への道が分岐している。16時半頃には1600mの峠を越えてヘアピンを一気に500mまで下り、再び暗闇の中を登り18時半にイラムに着く。イラムティーで有名な産地の中心地だ。ここは再び1600mの高度になる。陽も落ちた上に標高も高いので、車から降りた瞬間冷気を肌に感じた。
今日はここで泊まると聞いた。我々の予定では今日のうちにタプレジュンに着くはずだったが・・・・・。宿はディハールの祭りのため、泊まることは出来たが夕食は出来ないということで外に出る。しかし、お祭りという理由だけでなく、よそ者が来ることが少ない町なのだろう、外食が出来る場所を探すのに苦労する。ガイドがようやく無理を頼んで食堂に入る。食べることが出来たのは再びカレーだった。ディハールで盛り上がっていた町を散策して直ぐに戻って寝ることになる。


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ヒマラヤ・トレッキング=③カンチェンジュンガ・トレッキング(10月24日) [カンチェンジュンガ]

イラムからタプレジュン

(10月24日)
6時15分に出発。昨日同様ホテルには賄い人が居ないので朝飯抜きでの出発となる。再びおんぼろジープに乗り込む。イラムのチョーク(広場)にはすでにビラトナガール方面行きのバスが待機し乗客が列を作っている。
次の大きな町はフィディム。6時35分フィディムまで63KMとの表示があった。7時15分標高2000M地点の平坦な所をひた走る。フィディムまで43KM地点。集落付近を通るとしばしば鶏や犬が道を過ぎったり危機一髪でお互い交わすシーンが続いたが、ついに一羽の鶏を跳ねる羽目となる。運転手は車を停車させ、飼い主とおぼしき人間となにやら話が始まった。結局は500ルピーの弁償金を払って手打ち。我々から見るとどっちが悪いと簡単には判断しかねたが、これはネパールでの約束事なのだろう。いずれにしても命を落とした鶏には申し訳ない。 しばらく行くと右手遠くに白く雪を被った山並みが目に入った。2420M地点、車を止めて見入る。正面にはカンチェンジュンガ、左手にはマカルーの連山が浮き立っている。こんな早く目的の山を拝めるとは思っていなかった。
その地点を過ぎると舗装も終わり、舗装準備段階の砂利道となる。平坦に均されているので乗り心地には変化がない。しかし、それもつかの間、すぐに岩が不規則に突き出た道になり、右に左に身体が振られてしまう。うっかりするとドアのガラスに頭を打ち付けそうになってしまう。8時50分眼下にフィディムの町が目に入る。高度を下げて町に近づく。9時15分にネパール軍の検問。ただ、我々トレッカーに対してはなんの検問もなく、先に進むように指示される。しばらくするとフィディムの町に入る。ここはリンブー族の町。
ここで朝食となる。といってもここでも大した食堂はなく、ガイドが漸く探し当てたローカルな食堂でヌードルスープ(日清の現法が製造したインスタントラーメン)とビスケットで腹ごしらえ。というかそれ以外の選択は出来なかった。道中での腹ごしらえにバナナが好評だったので、当地でもバナナを買い求める。値段は不思議と変わらない。
フィディムは標高950M、10時45分フィディムを出発。当地から再び切り込んだ深い谷に向かって下っていく。あっという間に標高500mレベルまで下り、再び登りに転ずる。11時55分には再び尾根を横切る950M地点を通過。振り返れば谷底の対岸、丁度対面するところにフィディムの街が未だ見えた。突然牛の集団に先を塞がれる。車もさすがに立ち往生。ガイドによればこの牛はダージリンに向けて移動中。牛の運命は売られるための道中。その運命も知らずに長閑に行進していった。
1時一寸前にザルパの町を通過。久しぶりに人の波をすり抜けるようにして先に進む。それにしても道は完全に未整備のただただ切り開いただけのどうにか走行できる状態だ。乗っていて右に左に振られておちおち座ってはいられない。

1時25分、人でごった返ししているバスタールの町を通過。標高は1995Mだ。16時バッティーで一休み。コーラが前方に勢いよく流れている。川魚の日干しが店頭にぶら下げられている。出発すると直ぐに吊り橋を渡って、再び対岸の急坂を登り始める。すでに道は暗くヘッドライトが点灯された。一瞬何かに乗り上げた感じでエンスト。運転手はエンジンを点火し半クラッチで繋ごうとするがどうしたことか後退り。真っ暗闇の中をかなりの勢いで(動揺しているのでそう感じたのかもしれないが)後退した瞬間はペアピンカーブの連続だったから断崖絶壁を一気に落下するのかと生きた心地がしなかった。幸いそんな事態になる前にクラッチが繋がり前進を始めた。よく観光地に向かうバスや飛行機が事故に遭遇し、悲惨な結果になったとのニュースを聞いているが、ヒマラヤに来ることの最大のリスクがトレッキング前後の交通手段にあると改めて実感した。

暗闇をひた走り、ビラトナガールから丸1日半経ってようやくタプレジュンの町に入る。ここがトレッキングを始める町。近代文明の最終地点。この先には電気、道路、電話などとは一切関係ない日本で云えば明治維新前に突入だ。町の入り口にはバスターミナルがあって明日の早朝出発を待つ5,6台のバスが待機していた。当地入りするほとんどのトレッカーはバスで入山するらしい。ほんの一部がスケタール飛行場(ここから3時間登った台地にある飛行場、今回のルートはそこを経由して始まる)に降り立つとか。我々も飛行機の利用をトライしたが、ガイドの判断で陸路になった。

今晩の宿は町はずれの宿。ここで先発のサブガイドのバッサン君とキッチンポーター達、コック長のマンバトルさん(バッサンとマンバトルさんは昨年のゴーキョにお供してくれた知り合いだ)他2名と合流するはずなのに、我々が泊まるロッジには不在だった。取り敢えず、我々はロッジで夕食を取るはずだったが、ここでもデハールのためダルバート、カレーぐらいしか用意されていない。 ディハールはネパールの新年の祭りだ。客を持てなすより祭りに興じることが優先している。ガイドのダワさんはポーター仲間達の所在を確かめるために出ていった。こんな真っ暗な町で宛もなく探すなんて出来るのかと疑問に思ったものの、さすがに彼らの嗅覚には感服。居所を探し当てて戻ってきた。彼らは翌日出発するルートのスタート地点のバッティーにいた。


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ヒマラヤ・トレッキング=④カンチェンジュンガ・トレッキング(10月25日) [カンチェンジュンガ]

タプレジュンからカリ・カルカへ

(10月25日)
昨晩は10時過ぎに就寝。相変わらずディハールの賑わいで睡眠を妨げられることもあったが、気になりながらいつの間にか寝込んでいた。タプレジュンは多くの部族が混在している町。リンブー、シェルパ、グルン、ネワールそしてチベタンなど。彼らはそれぞれがまとまって居住していると云うことではなく混在して住んでいるそうだ。

7時には出発、といってもここでは食事が取れないので本日から我らクッキングチームの手作りの食事開始となった。彼らは離れたバッティーにいるのでジープで移動することになっていたが、その肝心のジープが寒いせいかエンジンがかからない。荷物は車に預けて移動する。タプレジュンは標高1780M。さすがに朝方からの冷え込みが実感された。
昨晩の暗闇で実感した町のイメージよりかなり大きな町であることが歩いてみて分かった。バスプールを右手に見ながらその先を左に曲がった先にあるバッティーで久しぶりにコック長のマンバトルさんと再会する。彼は残念ながら英語、ましてや日本語は話せないけど、とても良い勘をしているので日本語とネパール語での意志疎通が出来る人。性格が明るく気が良く回る人だ。彼の腕はガイドのダワさんによれば日本人の好みが分かっているので、あなたのデリケートな胃袋にも対応できると太鼓判だった。
期待通りの朝ご飯を終えて、8時50分いよいよトレッキング開始となる。普段着の儘の子供連れのカップルがまるで小走りで追い抜いていった。雰囲気はまだまだ長閑なハイキングコースというところ。しかし、歩き始めでもあり、斜度もそこそこあるし、陽が昇ってきたのでしっかりと汗をかいてしまった。タフな登りだ。11時にスケタール(2300M)に着く。

そこには飛行場がある。といっても舗装された滑走路などは見あたらない。フラットな草原、若干傾斜している気がするが鉄条網で遮断されているのと、吹き流しがはためいているので飛行場だと云うことが分かる程度だ。バッティーの隣の空き地で昼飯だ。シートを広げて食事の準備が始まる。先ずはホット・オレンジジュース、チベタンブレッドにキャベツのコールスロー、オイルサーディンなどなど。数人の白人トレッカーが目に入るが、他のトレッキングルートとは比較にならないほど静かな環境でのトレッキングが楽しめそうな気配だ。
1時には今日の目的地ラリ・カルカに向けて出発。町はずれで帰路ルートになるティルワからの道(左手)と分岐する。しばらくは広大な広がりの空間を長閑に進む。

ほとんどハイキング気分の連続のまま、1時45分には標高2500M地点、デオラリ・バンジャン(バンジャンは乗越だろうか)に着く。スケタール・ダンダ(ダンダは尾根か)を越えてそこから谷に向かって下りだ。下り登りを繰り返しながら少しずつ高度を下げていく。2時25分チョータラ(腰の高さの石積みがあってそこに腰掛けて荷物を置いて休憩する場所)を通過。
今回のチーム編成に触れてみたい。カンチェンジュンガは全てテント生活が前提、食事も全て自炊となるので総勢13人のネパール人が仲間だ。先ずはガイド、サブガイド2人、クッキングポーター4人、6人のポーター編成。我々は総勢4人だが、途中で3人の仲間は下山するため二手に分かれることも大編成になった理由。しかも、実際にはクッキングポーターやポーターは幕営、食事の準備のために我々より先行して移動するので、身近にはガイドだけが我々の前後を固めてくれることになる。大編成を実感することにはならない。2時50分にちょっとした広がりのあるところで休憩。
尾根の中腹をずうっとトラバースするので沢が近づくと水面まで急降下、沢を石伝いに渡ったりあるいは丸太橋を渡って通過。そして直ぐに高巻いて急登の繰り返しだ。緑も多く、水も豊富なまるで日本の山を歩いている気分だ。私は2台の重いカメラと交換レンズを背負っているので重く肩にのしかかってくる。標高はそこそこだが、亜熱帯、強い日差しに玉の汗がドドーと額、襟足に伝わり、そして目にまで入って滲みてくる。汗を拭うだけでも負担だし、身体も消耗する。仲間の一人が急に体調を崩し一寸心配だ。彼はいつも元気で一番先を歩いているのだが、列の後になることが多くなって元気の無さが気にかかる。4時過ぎに乗越を越えると少し下った先でカリ・カルカの2軒の小屋が見えた。今晩はそこがテント場だ(標高2300M)。4時20分に着く。

トレイルを挟んで小屋の反対側に平坦に整備されたテント場がある。カルカは牧場という意味。この一帯は緩い傾斜の牧場だ。といっても冬場なので数頭の牛しか視界に入らない。3つのテントが張られる。我々のテント2つとガイドのテント。他の仲間は風が吹き込むような掘っ立て小屋に雑魚寝だ。日中は暑いとはいえさすがに夜は冷え込むのに大丈夫だろうか。これから高度を上げていって彼らはどのように対応するのだろうか。一抹の不安が過ぎる。稜線の向こうにカンチェンジュンガのピーク、バディボラ(?)が夕日を浴びて見える。
体調を崩した仲間が心配だ。食欲がない。怠いらしい。早々にテントでシュラフに入って身体を温め、喉を通りやすいスープとお粥で体力の維持を図る。ところが途中で嘔吐する事態となり緊張する。まずは体調の回復を祈るだけだ。我々3人はテントで食事をしながら明日からの対応を考える。回復すれば問題ないにしても、スタートしたばかりでの体調後退は気掛かり。多少無理をしても先に進むか、リスクを避けるために後退するか、いろんなケースを想定して議論する。いずれにしても彼の翌日の体調を見てと言うことになった。
もう一つ気掛かりがある。スタートから既にスケジュールがずれていることだ。ジープに要する時間が一日の筈が2日がかりだったり、今日の目的地もカリ・カルカの先のシチェワ・バンジャンだった。しかも仲間の体調不良が重なってリスケが必至となった。私は予定に余裕を持って来ているので問題ないが、途中で帰る仲間にとっては一日の遅れだけでも致命的だから深刻だ。ガイドに事態の先行きについて考えを聞く。彼の顔も勝れない。結論はジープで想定外に時間がかかってしまった為、3人の予定を完遂するのは既に不可能との判断だった。一日の歩行時間を長くするとかで対応は出来ないか、との問いに対してはポーターの負担が大きすぎるとの判断。確かに我々は手ぶらで真っ暗な中をヘッドライトで歩行も不可能ではないにしても、食事の用意、後片付け、幕営の準備など考えるともっともだ。
ではどこまで先に進んで引き返すか、が議論になる。結局、仲間の体調もあるので明日は可能ならシチェワ・バンジャンまで進み、カンチェンジュンガの眺望を満喫して引き返すと言う結論になる。私はどうするか悩んだ結果、単独で先に進むことで自分との葛藤を整理する。何故なら、体力との戦いで今回のタフさは想定以上で少し自信がぐらつき始めていたし、企画首謀者である自分だけが計画に沿って進み、仲間は楽しみにしていた計画が挫折すると言うギャップがとても堪らない。しかし、自分が仲間と歩調を合わせたところで、彼らにとって何の役に立つわけではない。私はそうならば2度とない機会を生かすことで予定通り自分の計画の達成を目指そう。それが結論だった。なにか痼りを残しながらの就寝となる。


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ヒマラヤ・トレッキング=⑤カンチェンジュンガ・トレッキング(10月26日) [カンチェンジュンガ]

カリ・カルカからシンチェワ・バンジャン(カレ・バンジャン)へ

(10月26日(木))
そろそろ日にち、曜日の観念が希薄になりはじめた。6時に起床7時半には出発。朝ご飯はお粥とワカメのみそ汁、ゆで卵など日本食だ。幸い昨日体調を崩した仲間も元気になったので、先に進むのは問題無さそう。乾期なのだが水蒸気が既に上がってすっきりした青空ではなく、一寸白みがかった空だ。幸い遠くにカンチェンジュンガとカブルーの山を望める。

尾根の中腹を過ぎるようにして先を進む。ずーっと先まで今日のルートが確認できる、オープンな景観の中を進む。




相変わらず下ったり登ったりの繰り返し。昨日とほとんど変化がない。日本の山登りとほとんど変わらない景色に懐かしさがある反面、ヒマラヤに来たという実感からはほど遠い。まるで奥秩父、南アルプスを歩いている錯覚さえ覚える。


尾根の鼻を越えて先に進むと一寸した集落がある。9時半テンベワのまちに着く。蝉が騒々しいぐらいに競い合って鳴いている。日本の蝉とは違って鳴き声には特色がない。ニーニー、アブラゼミ、クマゼミ系で、ミンミンとかオーシンツクツク系ではない。この辺りは未だ農業中心の環境だがさすがに標高から米は出来ないので専ら粟が生産されている。丁度粟の実が色付きを待っている。ここは学校もあるこの一帯の中心地。標高2000Mだ。ここから深く切れ込んだパワコーラ(コーラは川を意味する)に向かって一気に急降下。そしてその先には一気の登りが待ちかまえている。10時半段々畑の途中にある草地で昼飯。

近くの農家に行って水をもらい食事の準備が始まる。今日の昼ご飯はコンビーフの揚げ物、空豆の醤油煮、カリフラワーのマヨネーズ添えとサンドイッチ。地元の人が時々登ったり下ったりしていくが、不思議そうにすることもなく素っ気なく通り過ぎていく。11時45分出発。最下点(1435m)のパワコーラに架かる吊り橋を渡り直ぐにジグザクの登りだ。沢を吹き上げてくる風が冷気を運んで来てくれる。この汗だくの歩行にとっては救いだ。日本の渓流登りとなにも違わない雰囲気だ。一気に高度を稼ぐと平坦なところにチョータラがありそこで休憩だ。12時30分。しばらく上り下りの連続で景観には大きな変化はない。
2時だろう後ろを振り返ると遙か遠くの中腹にラリカルカが見えた。大きなダンダの中腹を移動してきたことが軌跡として確認出来る。2時半、クンザリの集落を通る。しばらく平坦なトレイルだったが、ここからは尾根の乗越を目指して登りになる。ゲートを潜っていよいよシンチェワ・バンジャン(2149M)の集落に入った。トレイルは集落を繋ぐ道に合流し、その両側には十数軒の家があるが、我々は左に折れてその左手にある平坦な場所が本日のテント場になる。道端でゴザを敷き手動ミシンを操作して縫い物をしている職人がいた。きっとこの辺では機械操作できる優良技術者なのだろうか。すでに幕営の準備が始まっていた。尾根からは天気さえ良ければカブルー(7353M)、カンチェンジュンガ(8586M)が見えるはずだが、今日は雲が上がっていて見ることは出来なかった。明日には是非見せて欲しい。
仲間3人は残念ながらここを最後に引き返しすことになった。楽しみにしていた計画がアプローチの時間見積もりの誤算で不可能になってしまった憤りを抑えながらの下山になる。計画の杜撰さはガイドの調査不足が全ての原因だが、この企画をした自分としても後ろめたい気分になる。彼らとの明日の別れがどんな風になるのか気掛かりだ。


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ヒマラヤ・トレッキング=⑥カンチェンジュンガ・トレッキング(10月27日) [カンチェンジュンガ]

シンチェワ・バンジャンからママンケへ

(10月27日)
今日は金曜日、週末だ。仕事を離れて1週間経ったが、毎日余裕もなく歩き続けているのでそんな時間の経過が実感できない。6時に起床。天気は風もなく雲一つない快晴だが、どこまでも澄み切った青空ではない。わずかに白みがかった青空だ。テントの周りにはこの集落の子供達だろう。取り囲んでじっと見入っている。何を求めているのかあるいは意味無く好奇心で覘いているのか分からなかったが、ガイド達が離れるように現地語で追い払っていた。

カンチェンジュンガを求めて尾根道に向かう。日の出後の斜め後ろから日を浴びたカブルー、カンチェンジュンガがくっきりと目に入る。



よかった。ここで引き返す仲間達にとっては見えなかったらどんなに悔しいことだろう。目に焼き付けるようにカメラのシャッターを押し続ける。テントに戻ると朝ご飯が待っていた。お粥に大根のみそ汁、キャベツの醤油和え、口にしなかったがトーストもあった。ここからは私をサポートするチームと戻る3人の仲間チームはいよいよ別行動になる。チーフガイドのダワさんは今いるポーターを2隊に分割するため、新たに当地で数人のポーターを新たに加えて再編成。今まで一緒だったスベさんが別れる仲間のガイドとしてリードしてくれることになった。2人の女性のシェルパ族ポーターは3人の仲間と動くことになったのでここでお別れだ。明るく、くったくない彼女たちを思い出に残すため記念撮影する。何人かの気心しれたポーター達ともお別れだ。
こんな早くに一人旅になるとは想像もしていなかったし、無念で計画変更を余儀された3人の気持ちを思うと後ろ髪を引かれる思いで一杯だ。8時30分ポーターの荷物配分も終わりいよいよ出発。お互いの幸運を祈ってみんなに送られて出発する。尾根を一歩一歩登りながら振り返って手を振りたい気持ちもあったが、なにかそうさせない複雑な気持ちになっていた。一つにはこれが最後の別れでも無いよなぁ!という縁起も担いでいたかもしれない。今日目指す先はママンケ(1840M)が目的地。しばらく尾根を登ると右手山腹に移る。水平道路になり、ゆっくりしたトレッキングだ。しばらく行くと長閑な農村風景の中に何軒かの家々が点在している。ケセワ(1995M)の集落を通過。この一帯では粟が栽培されている。その先は苔むした石畳を一気に下り、左手からは流れ落ちる沢を渡るたびに糸を引く滝や広く薄く布のように水が落ちている滝(規模は小さいが白糸の滝のように)があったり、日本的景観の連続だ。

ヒマラヤの水は(外人にとって)飲めないと云われているが、ここなら飲めそうな環境にある。しかし、ガイドは決して飲まないでくれ、とのお達し。自重しよう。見えていたカンチェンジュンガもだんだん視野から消えていく。リンブー族とグルン族の集落が続く。集落を離れると樹林帯の中を上り下りの繰り返し。

10時木陰で休む。ふと来た方を振り返ると木の間がくれに仲間達と別れた尾根、その後の水平道路に移ったトレイルが遠くに望める。10時55分フンフン(1845M)の集落に入る。尾根を乗越したところに広場があり、そこで昼ご飯となる。ここから私一人だけの食事になる。先ずは私の料理が準備されて、食べている間に彼らの食事が作られる。見事な段取りだ。集落はその尾根上に展開している。そこはリンブー族が中心の集落。

何をするわけではなく石積みに腰掛けているご婦人もいる。ご婦人と言っても裸足で民族衣装をまとっている。リンブー族のご婦人は邪魔になるのではと思うほどの大きい鼻輪をぶら下げている人もいる。そして頭にはターバンのような布を巻いている。
12時45分出発。パーティーが2隊に別れてどんな構成になったのか確認したら、ダワさんとバッサン君、コック長のマンバトルさん、下準備をするダワさん(ガイドのダワさんとは無関係、出身地が一緒だそうだ)、皿洗いのチキリ族のラメス君、ポーターが4人だった。王様気分だ。でもカトマンドゥ入国から出国までの総コストは沖縄一週間より安いとは誰も想像できないだろう。山好きな日本人にとっては大変幸せな国だ。
しばらく登ると再び段々畑の広がった集落に入る。アンファンだ。軒先を通過したり、道もトレイルから分岐して幾つにも人家に向かう道が枝分かれしている。それぐらいなだらかな傾斜地に広がった集落だと云うこと。気がついてみたらいつの間にかトレイルから外れて人家の方に紛れ込んでしまった。ガイドが農作業をしている人に尋ねてルートに戻る。険しい山道ではほとんど間違うことはないのだが、集落が広がっている所では紛らわしい道が幾重にも交差している。
1時35分小尾根を登ったところにあるチョータラで小休止。ここからはジャヌー(7710M)、カンチェンジュンガ、カブルーが見えるはずだが、雲の中で見ることは出来なかった。
アンパンの村を通過して先に進む。

赤い小さな旗がはためいているのが目に入った。マオイストの旗だ。マオイストがこの春から政権に参加したのだからまさか以前のようにドネーションの要求はないだろう。でも不気味な旗が一寸気にかかる。遙か彼方遠く下に見えるカベリコーラの対岸に別のトレイルが見え、それに沿って小さな集落、ペタンの町が見える。そこはタプレジュンとは違ったアプローチでイラムから続くルートだ。ママンケでこの道と合流する。しばらく水平道を進み、尾根を乗越したところで小休止。通り過ぎる婦人にガイドが声をかけてなにかと話が弾んでいた。知り合いでもないのに彼らは人なつっこく地元の人と話すのだが、実はガイドもそうこうしながら地元情報を収集しているようだ。確かに、通信手段がないので、人伝えにしか現場の状況は知り得ない。例えば大雨でトレイルが崩落でトレイルが遮断されたり、橋が流されてルート変更があったりと言う情報は伝わらない世界。そんな世界では地元の人が唯一の情報源になるのだ。
彼女はここからつかず離れずでガイド達と談話を続け、しばらく沈黙があったり。道は大きく左に曲がると小さな集落がある。2時半ポンペダダだ。そこからはトレイルは大きく左に回り込みながら深く切り込んでいるカセワコーラに向かって一気に約300mを下降する。カセワコーラの対岸上部には目的地のママンケの集落が視界に入るが、この下降とその先の急登からけっして楽ではないことが想像される。苔むした環境にはアンジュ(?)=茎が背丈まで伸びて里芋のように大きな葉を張っているおそらくタロイモの一種と思われる=が栽培されている。根を揚げたりして主食にするようだ。
3時15分カセワコーラにかかる吊り橋を対岸に渡る。つかず離れずの彼女はサンダル履きで手に荷物を持っている。まるで我々が近くのスーパーに買い物に行く姿と何も違わない。自分は息が上がる寸前なのに何故スタスタと歩けるのだろう。羨ましいというか、憎らしいというか、複雑な気持ちだ。
緑の豊富な山道を喘ぎ喘ぎ登る。少しずつ傾斜が緩くなってきて、段々畑のある中を一歩一歩高度を上げていくと平坦になり、4時5分大きな集落ママンゲに入る。トレイルのちょっと下にある平坦な場所に下りるとテント場だ。牛と犬がそこを陣取っているので彼らを排除することから始まる。鶏も餌を啄んでいた。

すでに陽は傾き、陽が落ちると汗ばんだ背中や腰が冷えて、身体全身に寒さが伝わっていく。すぐに着替えをして身体の冷えを避けなければ。ふと冷静になって今までのトレッキングを振り返るとアップダウンの繰り返しが予想以上、冬とはいえ亜熱帯の2000M前後の高度を登ったり下ったり。エベレストなどのメジャーなコースでは長大な吊り橋で川を渡ることが多いのに、当地ではほとんどが川面まで下りて稜線まで登る繰り返し。しかも不思議と登りでは燦々と陽を浴びながら汗だくで登り、木陰の涼しさを感じながら下るという連続だ。こんなにタフなコースだから秘境であり続けているだろうが、いい加減にして登り続けてくれ!と叫びたくなる。
テントで一人ぐったりと横になっているとガイドのダワさんがこっそりと声をかけてきた。やはりマオイストとの出逢いは避けられなかったのだ。さっき目に入った旗がその象徴だったのか。ダワさんからは彼の要求は5000ルピー(約9000円)とのこと。ダワさんの指示で、私は日本語しか話せない、金はカトマンドゥに置いてきた、手持ちは1000ルピーしかない、との下打ち合わせでマオイストの登場をテントで待ちかまえる。ところがマオイストはダワさんのもとを離れてフランス人夫婦が泊まっている下の小屋に移動して行った。緊張した時間が経過したが、その後彼は姿を消し、私は食事を取る。一件落着とは思えないので今後の展開には不安が残ったが、少なくとも今晩はこれ以上の展開はないようだ。テントから谷の向こうを見るとヘッドランプが移動するのが見える。昼に見たカベリコーラの対岸にある道を移動している人達なのだろうか。夜中に犬の競り合う鳴き声とテントの脇を走り抜ける足音に何度が目を覚ましたが、疲れから直ぐに熟睡してしまった。(帰国後に狂犬病で死人が出たと聞いてゾッとした。犬好きな人間なのでついつい手を出してしまうのだが、要注意だ)


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ヒマラヤ・トレッキング=⑦カンチェンジュンガ・トレッキング(10月28日) [カンチェンジュンガ]

ママンケからヤンプーディンへ

10月28日(土)
朝一番の関心事は昨晩下見(?)に来たマオイストの動きだ。6時半、外から「お茶が用意できました」との声だ。テントを開けて背を屈めながら出る。すでに洗面器に温かい湯が充たされて洗顔の用意がされていた。毎朝暖かいお湯の用意とチャイでスタートだ。王様気分だ。ひそひそ声でマオイストの動向を聞いたところ、下に泊まっているフランス人夫婦のところでやり取りをしているとか。間違いなく次は自分の番だ。ダワさんとの打ち合わせに従い現金はほとんど無い、1000ルピーなら支払える、ということで対応の準備。持ち物を全部チェックするらしいとのことで、1000ルピーを残して全財産をダワさんに預ける。朝ご飯を食べ終えて落ち着かない状態で出発の準備をしていたらいよいよお客さんが登場だ。ダワさんの通訳で二言三言やり取りをして予定通り1000ルピーの支払いと帳簿にサインをして持ち物検査は無しで終了。マオイストが政権に参加したのに相変わらずの仕草、今や盗賊と言われても仕方ない状況をどのように考えているのだ、と日本語で大人しく嫌みを言ったのだが、ダワさんはおそらくストレートには翻訳せずに話したのだろう、彼はそそくさと去っていった。

8時出発。平坦な農村風景に囲まれたトレイルを進むとしばらくしてママンゲの出口のゲートをくぐる。日本のありふれた山岳風景(急峻な険しい北アルプスではなく)と何も違わない。しばらくすると沢に向かってトレイルを下る。そして沢を越えるのだが、以前には使っていた吊り橋が朽ち果てていて川面までぶら下がっている(8時50分)。脇道で回避して先に進む。カベリコーラに向かっていくつもの稜線が襞を谷に向かって伸ばしている。その襞を登っては下るの繰り返しだ。

稜線を乗越す時には遠くに雪を被ったカブルーが望める。その瞬間だけがカンチェンジュンガを目指していることを実感する。何回か木橋を渡り、吊り橋を渡り稜線に向かっては下りを繰り返す。

なだらかな斜面に繁茂した木々の下を歩いていると、沢の音が近づいている。足元は湿地帯のように水が豊富に流れていて、そこには背丈ほどの芋の葉が伸びている。左手からのガッテコーラに架かった橋を渡ったその先にちょっとしたスペースがあった。今日はここで昼ご飯。丁度11時。トレイルの左手に大きな石が転がっていてそれを風よけにしてラジウスの用意だ。キッチンポーターは手際よく川面から水をくみ上げて先ずはお湯の用意をする。道の反対側の草地に、敷いてもらいシート仰向けに寝そべるとすぐにウトウトしてしまった。「どうぞ!」と声がかかる。

オレンジジュースをカップに入れて持ってきてくれた。あれ!いつもと違って熱くないね!と聞くと、わざわざ温めたジュースを川の水につけて冷やしてくれたそうだ。「あの川の水で作ったジュースはご免、お腹壊すよ!」と実は想像していたのだ。細やかな気遣いに改めて感謝。
低地での多湿が異常な発汗に繋がり体力をかなり消耗したようだ。食欲もますます後退した。先ずは水分補給ということでダトパニ(お湯)を待ちきれず、災害時用の浄化ボトルに川の水を注入、手で絞りながら飲料を作り飲んだが、煮沸していない水という不安が脳裏を過ぎったがそんなこと云う余裕もなかった。
コックの用意した料理には手をつけることが出来なかった。辛うじて数枚のビスケットを口にしただけ。体調は絶不調の極。最後に出して貰ったザクロが甘酸っぱくて唯一の救いだった。食べ終わってあと芯が残る不快感があったのだが・・・。

1時20分に出発。今日の目的地ヤンプーディンはそう遠くないはず。しばらく緩やかな登りを進むと1時40分、真っ直ぐ集落の中心に向かう道と左折して稜線に向かう急登の道に分かれる。ヤンプーディンは学校、郵便がある定住村として最奥のシェルパ族の集落だ。我々は集落の中心に向かわず、左手の急峻な登り道に入る。体調不良、食欲不振が重なって登りは堪える。腹の具合もいつものように最悪状態になってしまった。稜線を登っていくと右手遙か下に集落が見えてきた(1時50分)。大きな建物も見える。きっと学校なのだろうか。今まで通過してきたどの集落よりも大きいように見える。この一帯は耕作が盛んで両側には粟が実を結んでいる。農作業姿もちらほら。農村特有の家畜の匂いが漂ってくる。それは生活の匂いでもある。2時45分今晩の幕営地に着く。といっても農家の庭先にある平坦地に張るので自然の中での幕営にはほど遠い。

到着時には既にヨーロッパの十数人の先発隊が幕営を終えて散歩していた。そして夕方になろうとしているのにチキリ族のガイドが引き連れた8人の外人パーティーが昼ご飯をとろうとしていた。我々が明日目指すトロンタンから下って一気に我々が本日出発してきたママンゲまで下るそうだ。凄いスケジュールには驚いた。
夕方になると標高2000Mを超えているのでさすがに汗が冷えて寒い。汗でびっしょりの下着を脱いで乾いた物に取り替える。やっとすっきりして身体が温まる。夕ご飯は日本から持ってきたレトルトのお粥に梅干しを一寸口にしただけで箸が動かない。無理をしないでおこう。でも明日のラミテバンジャン越えはタフだと聞くので心配だ。大丈夫だろうか。(2829)


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ヒマラヤ・トレッキング=⑧カンチェンジュンガ・トレッキング(10月29日) [カンチェンジュンガ]

ヤンプーディンからトロンタンへ

10月29日(日)
昨晩は疲労困憊。あっという間に熟睡したようだ。何度かお腹の調子が悪く目を覚ます。5時半には起床、直ぐに朝食だが喉を通らない。お粥と作ってもらったみそ汁で軽く済ませる。天気は申し分ない快晴。今日の日程は高度を稼ぐのと水場がないのでかなりタフになりそうだ。多めに水を用意し7時15分出発だ。急登していくうちに気がつくと崖の縁を歩いていた。断崖絶壁の下にはオムジェコーラが白く渦巻きながら流れている。一寸スリリングなシーンだ。

しばらく進むと傾斜が緩くなり、目の前をコーラが岩を縫って流れている。2時間ほど経っただろうか、ここでアミールコーラの徒渉だ。飛沫が飛び散っている岩を足場にしながら対岸を目指す。流れが二つに分かれているので渡りきっても次がある。薄く黒く変色した岩がくせ者だ。ビブラム底もそこでは通用しない。うっかりすると滑ってしまう。ストックをバランスに使って漸くにして対岸に渡りきってホッとした。周りを見るとガイド達の方が私を見て緊張していたようだ。一息入れると急登の再開となる。10時半カルカがある。3000M弱の高度だ。腰を下ろせる岩を背にして一休憩。

丁度ここでヤンプーディンの集落を通過してデュピバンジャン(2620M)を経由して上がってくるトレイルと合流だ。眼下彼方下にはヤンプーディンの集落が箱庭のように見える。
ここで昼食になる。水場はないのでリンゴとフルーツポンチの缶詰だけ。といっても食欲がないのでそれで十分だ。ガイドやポーターは今日は昼抜きだそうだ。彼らの食事はダルバート(ネパール人の常食)には水と火が必要なので作るのが大変だということもあるのだろう。カブールとラトンが見えていたが一瞬にして雲の中に入ってしまった。なんか空模様が不安になる。日差しも雲の中。肌寒くなってきた。通る風も冷たい。
11時50分出発。今までよりは傾斜はきつくないがダラダラした登りが続く。石楠花の群生地を通り、その中に黒く焦げたようにして大木が何本も立ち枯れて立っていた。ガイドに聞くと山火事で燃えたとのこと。原因は落雷だろう、と想像した。確かにこのようなところで人為的な原因で広範囲に山火事になるはずがない。不用意にトレッカーが火をつけたとも思えないし、地元の人にとっては生活の大事な財産だからましてやあり得ない。落雷というのが穏当だろう。繁茂していた木々も疎らとなり高山の雰囲気になってきた。1時50分乗越に出る。ここがラミテバンジャン(3310M)だ。

現地人は当地をシッタレ・ダーダと云うそうだ。そこを乗越てトレイルは続いているはずだった。地図ではそうなっているのだが、目の前は大きな崩落によって道らしきものはなく、地獄まで続くような崩落の傷跡に変貌していた。遙か彼方前方に目をやると途中で遮断された道が見えた。
さてトレイルは、と右手の山を見ると新しい道が作られていた。ガイドブックではここからジャヌー(7710M)が見えることになっていたが、残念ながら近場には陽が差しているのに遠くの景色は雲の中だ。しかも、このバンジャン(乗越)からは下れるという気持ちが打ち砕かれてしばし呆然となった。
ここで挫けてもいられない。気持ちを入れ替えて地表に剥きだしになった木の根っ子を掴んだりしながら急峻な尾根を登る。ここも石楠花の群生地だ。来春の開花の準備を確実に始めている。蕾が膨らんでいる。しばらくするとピークを越して下りに移る。シェルパ族の人々だろう高地で放牧していたゾッキョを連れて下山して来た。その後を十頭近く牛の集団が続く。今年生まれたばかりの子牛が急な登りに足が動かず村人に抱えられて登ってきた。一瞬のほのぼのとした暖かさが心を和ましてくれた。下りは疲れた足には堪える。徐々に高度を下げていくが、なかなか先が見ない。そろそろ日も稜線の向こうに落ちて薄暗くなってきた。ようやくシンブワコーラが目の前に氷河からの水を集めて勢いよく岩を削って流れている。シンブワコーラはカンチェンジュンガのふところにあるヤルン氷河に源がある。

いよいよ目的地も遠くないことを表している。コーラ沿いの軽い登り道を歩いているとラメスがヤカンとコップを持って近づいてきた。テント場はそう遠くない。ホットジュースを一気に飲んで元気を取り戻しトロンタン(2995M)に向かう。
5時に到着。トロンタンはシンブワコーラを渡って一気に登ったところにテント場があった。ここには夏場の放牧用の番屋があってガイド、ポーターはそこに寝ることになる。

既に真っ暗ななかローソクの火を頼りに夕食だ。今晩は食欲もないのと準備の時間もないので日本から持ってきたレトルトの五目ご飯とポタージュ、そしてミカンだ。小屋の周りではヤクが2頭枯れ草を食んでいた。カウベルがガラーン、ガラーンと穏やかに鳴っていた。


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ヒマラヤ・トレッキング=⑨カンチェンジュンガ・トレッキング(10月30日) [カンチェンジュンガ]

トロンタンからチェラムへ

10月30日(月)

トロンタンにある番屋には中年のご婦人が常駐している。彼女ともう一人の男とでこの小屋を維持しているらしい。
番屋がどんなルールで運営されているのか聞けなかったが、ヤンプーディンの住民が管理しているらしい。この先のカルカとヤンプーディン(最奥の常駐村)の行き来に立ち寄るためには欠かせない設備だ。厳冬期には雪が腰まで積もるそうだ。小屋が潰れないよう維持することも大事な役割とか。


2頭のヤクが番屋前で待機している。昨晩から番屋に泊まっていた家族がチーズのパックを背中に乗せる準備をしていた。老夫、息子夫婦、そして孫をいれて5人のグループだ。老人が近づいて来た。手振りで何かを伝えようとしている。なかなか理解できない。こちらも愛想一杯笑顔で対応。でも実は何も理解できていなかった。後で分かったのだが彼は声が出ないのだ。家族とも手話で話をしていた。でも家族全員との暖かいやり取りを見ているだけで不思議とほのぼのとした気分になっていった。

いよいよ装備を高山対応に切替、半ズボンから長ズボンにウインドブレーカー、そして帽子や下着も羊毛製にする。朝の冷え込みも今までとは違った冷え込みだ。霜が降りている。ここは谷間なのでなおさらだ。8時40分出発。両側から迫った谷間をシンブワコーラを右手に見ながら進む。この一帯は樹林帯になっている。水が豊富で苔むしたなかを歩いたり、しばしばトレイルに流れ込んだ水の中を歩くこともある。だんだん谷間の空間が広がりを作って開放的な雰囲気に変わる。

ポーター達がはしゃいで木の実を積んでいる。よく見ると背丈ほどの木に濃紺の小さな実がなっていた。房状になっているチャッシー?(ブルベリーではないかと思われる)を帽子やビニール袋に。食べてみたが未だ完熟前なのか酸っぱくてとても美味しいとは言えなかった。12月頃には黒ずんで甘くなるそうだ。それでも彼らにとっては土産らしい。しっかり袋に入れてザックに大事そうに仕舞っていた。


9時15分進行方向に真っ白な雪をたたえたラトン(6678M)が浮き立って見える。さらに進むとカブルー(7317M)が見えてきた。




ワタのカルカだ。ゾッキョが放牧されている。シェルパ族の人も作業をしている。12時にアンダペディに着く。ここにも番屋がある。ここで昼食だ。今日はチャウメン(焼きそば)とブロッコリーのマヨネーズ和え、インゲンの醤油味だ。少しずつ食欲が戻ってきてホッとした。

番屋に入るとヤクのチーズが梁からぶら下げられて保存されている。さらにヤク肉の干物が下がっていた。この肉は死んだヤク肉を干して保存食に。必要に応じて茹でて解した後油で炒めて食べるそうだ。高山ではヤクの乳や肉が貴重なタンパク質の供給源になっていることが分かる。ヤクは屠殺するのではなく、自然死したヤクを使うそうだ。あくまでも神の思し召しをいただくと云うことらしい。

日本でいうブルーの防水シートが調理場に早変わり。その上で香辛料、食材、食器などを並べて3人のチームワーク(下ごしらえ、調理人、皿洗い=水汲み)で手際よく料理がされていく。広げた物を再び見事にまとめて1時50分に出発だ。ここからは若干の登りはあるものの長閑なトレイルになる。


2時半トレイルの真ん中に何本かの木がまとめられてその周りをタルチョーが囲っていた。仏教徒が祈祷する対象にしているのが分かる。私も幸運を祈願して先に進む。




毎日午後になると雲が出て来る。正面のラトンが見え隠れする。木々も低木になり周りの視界は明るい。右手シンブワコーラに木橋が架かり道が対岸の稜線に向かって延びている(3時5分)。ダージリン地方につながるトレイルだ。右手にある稜線を越えた向こうはインドということ。ネパールの最東端を今歩いていることになる。国境に縁のない日本人にとっては不思議な気分。両側の稜線がどんどん遠くなり、フラットな平原状になる。3時半今日のキャンプ地チェラム(3870M)に着く。コーラの流れは平原の広がりに拡散し、池のように広がって一見止まっているように錯覚するように流れている。


この水が我々にとって貴重な水源だ。幕営も終わったいるので早速着替えをして汗ばんだ下着から解放される。




夕食は餅入りワカメ入りのみそ汁、ヤク肉入りのカリー、ナスの煮浸し、それに塩昆布だ。本当に久しぶりに食事が美味しかった。明日から2,3日が今回のヤマ場。それを控えて体調が回復したのは救いだ。
ここまで来るとさすがに夜は冷え込む気配。それに備えてシュラフカバー、インナーシュラフ、羊毛の下着、靴下も穿いて寒さに備える。真っ暗な夜空を見上げると日中とはうって変わって満天の星。三日月が出ているので正面のラトンが白く浮き上がって見える。幻想的な雰囲気だ。写真に収めたいくらいだ。高山でのテント生活はどんなに冷え込むかと警戒したが、シュラフに入った瞬間を望めばこんな快適な環境はない。今まで経験したのはロッジ泊まりのトレッキングに比べて、遙かに快適なのが分かった。割高なのが玉に瑕だが。


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ヒマラヤ・トレッキング=⑩カンチェンジュンガ・トレッキング(10月31日) [カンチェンジュンガ]

チェラムからラムチェへ

10月31日(火)
5時半に起床。快晴だ。身体を解すつもりでストレッチをしていたら気のせいかふらつく感じだ。高度のせいだろうか、疲労のせいか。テントのすぐ前には昨晩からゾッキョの子が紐に繋がれていた。昨夕は近場の草を食んでいた姿を見ていたが、今朝は足をたたんで休んでいる。一晩中このままでいたようだ。周りには霜が下りて水は凍っていたから氷点下になっていたはず。さすが高山に順応した家畜だ。何もなかったかのようにごく普通のようにしている。番屋の管理をしている家族(夫婦と男の子)がゾッキョに近づき餌をやっていた。金属の食器には乳が入っているようだ。


8時15分、バッサン(サブガイド)と二人で先行して出発だ。この一帯は木々の背丈は3Mにも満たない低木が疎らに生えている。そろそろ森林限界に近づいているのだろう。ガレ場を一歩一歩登っていく。




岩場の連続で緊張はするが、それよりも高度のせいか足が意図したとおりに動いていないようなまどろっこさがある。8時20分正面には真っ白に雪を頂いたラトンがくっきりと見える。




8時40分左手から落ちてくる沢を渡渉し次のガレ場に向かう。登りきるとフラットな平原状に出る。9時半カルカを通過。ここからはラトンだけではなく、カブルーサウスそしてその先にはノースも見える。

日陰にはところどころ雪が残っている。純白な雪だから明らかに今冬の新雪だ。
11時15分池塘の前に出る。ここはラプサン(4310M地点)。ヤクが草を食むでいた。なだらかな平原状のカルカは湿地帯でもあり、水が豊富なところだ。

11時45分ポカリの前で昼ご飯。陽が陰って一寸肌寒くなった。いつものホットオレンジジュースにヌードルスープ、ウインナソーセージ、ナビスコのビスケット、キャベツの和え物そしてコーヒーだ。こんな雰囲気だとまるでハイキング気分だ。ところで水は目の前のポカリのお陰で水には不自由しない。

ススで汚れた鍋を洗っていた。たわしにつまみ上げた泥を磨き粉代わりに使って見事にピカピカに仕立て上げていた。便利な生活に慣れ親しんだ我々にとってはビックリするような知恵に感動だ。
12時45分出発だ。ようやくヒマラヤらしい高山らしい景観に出会う。なんと長かったことか。見事な屹立した山々。遠くにはヤルン氷河が見え始めた。小さなポカリが幾つもある。

2時には今日の目的地ラムチェに着く。右手にはヤルン氷河が押し出して作られたモレーンがある。
早速ヤルン氷河を見るために目の前のモレーンの上を目指して登る。そこに登るとカンチェンジュンガ方面の山が見えるのではと期待し、バッサンを連れてカメラを抱えて登る。ガレ山を直登するので足元の浮き石で滑ったりする。大したことにならないがカメラが大事だ。すでに高度は4500mを越しているので直登は息苦しい。でもあっという間に丘陵の頂点に立つ。この先は一気に落ち込んだ谷になっていた。よく見ると谷底の所々に白い壁に囲まれた薄青い氷が覘いていた。これがヤルン氷河だ。ほとんど土砂で表面が覆われているので気がつかなかったが、この辺りが氷河の終着点。




この谷は氷河が上から下りながら岩石を両側に押し出して出来たアブレーション・バレーであることが理解できた。長い年月かけて作られた谷だが、温暖化のために谷をそのまま残して、氷河が後退して今では遙か谷底にしか残っていない。

残念ながら雲がかかってカンチェンジュンガ方面は雲の中だ。しばらく雲が切れるチャンスを狙って佇んだが、体の芯まで冷えてくる。無風で無音の世界。時々落石の音が氷河にこだましている。カンチェンジュンガの上部を目指すときはこの谷底をトレイスして上を目指すわけで、谷底を歩いている時に聞くこの音はもっと不気味に感じることだろう。残念ながら眺望が期待できそうもないので、明日オクタンまで進んでカンチェンジュンガが眺望出来ることを祈りながらテントに戻る。
今晩の食事はヤク肉入りのダルバートにご飯、ニンニク入りのネパリースープ、茹でじゃがにワサビを付けて食べたらこれがとても美味しかった。食欲がすっかり戻り始めてお代わりをする。





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ヒマラヤ・トレッキング=⑪カンチェンジュンガ・トレッキング(11月1日) [カンチェンジュンガ]

ラムチェからチュチュングポカリへ

11月1日(水)
今日は朝飯抜きで5時半にオクタンに向けて出発。今日の目的地チュチュングポカリへはオクタンから出発地に戻って(ラムチェ)からの登りになるので荷物は取りあえずの腹ごしらえだけ。ビスケットと飲料そしてカメラだ。同行するのはガイドのダワさんとキッチンポーターのダワさんだけ。実はガイドのダワさんは当地は初めてなので当地での経験豊富なポーターのダワさんが付き添うことになった。荷物は全部ガイドが持ってくれるので自分は空身。

しばらくは平坦な道を進む。ラムチェからは正面にラトンとカブルーの南峰が行く手を阻むように正面に見える。美しい姿だ。ヤルン氷河に沿って進むトレイルはラムチェの先で左に折れて伸びている。しばらくは軽い登りの平坦な広がりのある岩場を進む。

突然ガイドから声がかかった。「鹿の群れだ」との声に前方を見ると岩場と保護色になっている数頭の鹿の群れだ。最初は警戒もせずに枯れ草を食んでいたが、危険を感じたのか一気に右手上を目指して脱兎の如く走り去った。

モレーンの縁を登る。未だ陽も差していないとさすがに4500Mをこえる高山だから手袋をしていても指先は痺れてくるし、体の芯まで冷えが伝わってくる。ヤルン氷河が左に曲がってその先に進むと正面にカンバチェン(7902M)。カンチェンジュンガ本峰の西側にあるヤルンカン(8505M)そして左手尾根越しにジャヌー(クンブカルナ=7710M)が見えた。この一帯がオクタンだ。


しかし右手インド国境を跨いで立ちはだかるカンチェンジュンガ本峰、サウスのある国境方面は残念ながら雲の中。7時半にはオクタンに着きビスケットを咥えながら雲が切れるのを待つ。ここから見ることが出来るはずのカンチェンジュンガをカメラに納めようと構え続けたが、なかなか雲が切れる気配はない。

右手アブレーションバレーには道らしき踏み跡が見えるが、カンチェンジュンガを目指す際に通過するトレイルだ。 天候の回復見通しもなく寒い事もあり、後ろ髪を引かれる思いでそこを去る。モレーンから再び平坦な広がりのある谷間を下っていくと再び鹿の群れだ。今度は4つのグループがそれぞれ群れをなして枯れ草を食んでいる。近づくと一つの群れがリーダーを先頭に右手の山の上を目指し走り始める。順序があるのか見事に一列になって上に向かっていく。次の群れが同じように山の上を目指す。そして保護色の鹿は山の彼方に消え去っていった。かすかに蹄の音が幾つも重なって静かな空間にこだました。ヒマラヤで何度かいろいろな動物に出会ったがここでの出逢いは感動的だった。

9時にはテントに戻り朝ご飯。再び食欲が後退している。お粥にみそ汁をかけて、ハニーレモンティー、サヤエンドウの和え物で何とか流し込む。10時5分出発だ。

しばらくは昨日登った道を下り10時40分丸太橋を渡っていよいよ分岐(ヤルンバラ)してポカリを目指す。山肌を一気に直登するような登り。さすがに息が切れる。一歩一歩足をゆっくり進めるしかない.。快晴ではないが日差しがあり、急登に汗だくとなる。眼下にはヤルン氷河そしてシンブワ・コーラが見える。

しばらく行くと山火事のあとだろうか、黒く焼け焦がれた木がにょきっと何本も立っている。ガイドの話では落雷が原因のようだ。トレイルがトラバースになり正面に尾根が見える。

12時40分チェラムからのトレイルと合流する。ここで昼飯だ。ここにはゆっくりするスペースもなく、水場もないので、ほとんど岩に寄りかかりながらの食事になった。ビスケット(紀伊国屋のクッキー)とリンゴ。ネパールでもビスケットはそれなりの味だが、紀伊国屋のビスケットはさすがに美味しい。あとはダトパニを冷やした水で作ったポカリスエットだけだ。気分的には寛ぐと云うよりようやくの思いで呼吸を整えているという感じ。2パーティー、白人約10人のトレッカーそしてガイド、ポーターが追い越していった。

1時45分出発。ここからさらに急登が続く。バテバテの体、4600Mを目指しての高度だから息も上がる。2時15分ポカリの前に着く。天気が悪化して雪交じりとなる。鹿に出会った時にガイドが言っていた「天候が悪化する時には鹿は下に下りてくる。天候悪化の前兆だ」がまさに当たってしまった。この先が心配だし、ミルギンラから見るジャヌー眺望がどうなるのか不安になる。

ポカリを囲むように屏風状の岩がそそり立っている。ポカリの周辺では数頭のヤクが残り僅かになっている枯れ草を食んでいた。二つ目のポカリ前が今日のテント場だ。すでにテントが張られている。ズーと先だと思いこんでいたために、突然の宿泊地到着に安堵した。この辺りの記載が地図上もガイドブックにも正確にはなく、しかもガイド達も経験不足のエリアであるため私に詳しい説明がなかったからだ。

テントが張られるのを待って中に転がり込む。さすがに辛かった。なんども「もうたくさん」と言う気分になった。3870Mをスタートに4730Mのカンチェンジュンガ展望地点、オクタンまで足を伸ばし、4000M近くまで下山してからの4425Mまでの急登だからやむを得ないか。天気さえ良ければ疲れも吹っ飛ぶのだが残念ながら雪交じりの天気に気が滅入った。

寝袋を取り出し、汗をかいた下着の着替えをして体を温めるために潜り込む。ふと気がつくと眠り込んでいたようだ。ヤクのカウベルの音に目を覚ます。お茶の用意が出来たので喉を潤してながら体の芯を暖める。ポカリの前にある掘っ立て小屋では夕ご飯の準備だ。

今までは一人テントで食べることも多かったが、狭いし一人で食べるのも侘びしいので、ガイド達の調理している小屋でみんなに囲まれながら食事をすることにした。今晩の献立は乾燥させたヤク肉を戻し煮込んだカレーとナスの醤油煮、ベジタブルスープ、ツナ缶そしてご飯。とても美味しく平らげることが出来た。朝、昼とも軽食で済ませていたので当然かもしれないが、食事が美味しい。食欲が戻ったようだ。

ガイド達は私の食事が終わってから彼らの食事の準備。所在ないがポーター達とたどたどしい会話を楽しみながら、少しでも暖のあるところに居たかったのでしばらくはそこに止まることにした。

ガイドのダワさんは今年の春、彼としてもエベレストへの初登頂に成功したので、カンチェンジュンガのピークハントについて質問した。彼によればカンチェンジュンガは崩れやすい山で、極めて難易度の高い山だそうだ。多分ダウラギリと並ぶ難しい山らしい。世界第2位の山、パキスタンのK2も難しいと聞いていた。

明日の天候に不安があるのでこれからの計画の見直しをすることになる。先ずは復路は、往路で使ったジープではなく、出来れば飛行機を利用したい旨伝える。タプレジュンへのフライトは週に2回だが、時たま臨時便も飛ぶとのこと。ダワさんの話でグンシャには電話があるので予約を入れてみよう、とのこと。そのためには少しでも早いほうがいいということで、ダワさんは明日早朝に下ることになる。

ガイドはサブガイドのバッサンそしてキッチンポーターながら経験豊富なマンバトルさんが居るので心配ないとのこと。さらにこの先の天候に不安があるので明日はグンシャまで一気に下りずにシェレレで泊まってジャヌー眺望の可能性に賭けることにする。




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ヒマラヤ・トレッキング=⑫カンチェンジュンガ・トレッキング(11月2日) [カンチェンジュンガ]

チュチュング・ポカリからシレ・ラ手前のポカリへ

(11月2日)
6時に起床。テントから外を見ると事態は好転していない。天空は厚い雲が覆い被さっている。辛うじて地平線上の雲の切れ間から差し込む朝日の輝きが幻想的で美しい。テント場の前にあるポカリは凍っていた。湖面に雲や山が投影されて幻想的な世界だ。ラトン(6679M)だけがピークをくっきり見せている。


こんな天候では今日の眺望は期待できそうもない。一番の目的の一つだったジャヌー(7710M=現地名クンバカルナ)はこのままだと絶望的だ。ガイドと相談して一気にグンシャまで下らずに今日はシレ・ラ泊まり(実際はその手前にあるポカリ)に変更する。ガイドによればジャヌーを見るチャンスがあるということだったが、後で分かったことはジャヌーはミルギン・ラを越してから先ではシレ・ラまで稜線の裏側になってしまって見ることが出来ない事が分かった。

ガイドの情報不足が改めて問題を突きつけられた。ダワさんはメジャーなエリアには的確な情報を提供してくれたが、カンチェンジュンガの情報に関しては不満が残った。(ただ振り返れば疲労度から考えて途中で宿泊することで体力温存に役立った点は結果的に良かったが。)

ガイドのダワさんはタプレジュンからのフライトチケット手配のため先行してグンシャに下りる。今日からはサブガイドのバッサンがリーダー役だ。さらにポーターの3人もダワさんと一緒して下山する。彼らの使命はここで終わったと云うこと。食材も行程半ばを過ぎ荷物が減ったためだ。

7時10分にはガイドと3人のポーターは出発した。我々も7時50分に出発する。ここからはなだらかな登りが続く。8時55分シネラプチェ・ラ(4640M)に着く。時折雲間から光が射すこともあり、青空が眩しい。右手前方に10月29日に通過したラミテ・バンジャンとそこの大崩落が視界に入る。そしてその左手にはシッキムに続く街道も見える。


9時50分アンダペディ(ワタ)からのトレイルと合流。イギリス人の大部隊が追いつ抜かれつで折角の静かな雰囲気が壊れるので、一旦小休止を取り距離を作る。エッジを右手に見ながら山腹を緩やかな登りでトラバースする。しばらくすると青空も消えて雲が、そして厚い雲に変わっていった。

11時45分ミルギン・ラ(4480M)に着く。ここからのジャヌー眺望を楽しみにしてきたが、残念ながら後も先も雲の中。この一帯は雪に覆われている。タルチョーが風に煽られてパタパタとはためいている。トレイルから左手に登ったところに小さなピークがある。折角なので雲が切れる一瞬を期待してカメラを手にそこで待機する。ほとんど絶望的だと思って諦めかけたその一瞬、ガスが掃くように切れてジャヌーのピークが見えた。全貌が見えたわけではないのでその時はどこの山なのかも分からなかったし、ピークが見えただけで満足しなければと自分に言い聞かせていた。本来ならガイドに情報を求めたいのだが彼らも未経験のエリアのため正確な情報が得られない。結局、本当の感動は日本に帰って撮影した画像と写真集のジャヌーの画像を比較して、間違いなくジャヌーであることが確認できてようやく味わうことが出来たのだ。





ミルギン・ラの前後は厚い雪に覆われていた。<雪が深いだけなら歩行にリスクはないが、時々アイスバーンや凍った岩に足を奪われそうになる。滑落のリスクはそれほどではないが、スリップすればただごとでは済まないだろう。しばらく緊張した連続。ガイドが気を使ってくれる。下り登りを繰り返しながら少しずつ高度を下げていく。シネオン・ラ(4440M)を通過。ここまで来るとテント場はそう遠くないはずだ。

1時15分ラメスがヤカンにホットオレンジを入れて来てくれた。いよいよテント場は近い。岩場を一気に下ると眼下にポカリと十個近いテントが既に張られていた。天候は益々悪化、雪混じりになってきた。岩に囲まれたシェルターのなかでガイド達は寝泊まりする。そこが調理場でもある。バーナーの余熱でテントよりは暖を取れるので暫くはガイド達の調理を見たり、軽い冗談を交わしながら時間が経過していく。バッサンは夕方まで時間があるので他のグループのポーター達とトランプゲームに熱中し盛り上がっていた。多少のギャンブルになっているようだ。

2時過ぎ野菜入りのスパゲッティにブロッコリー、マッシュルーム、ジャガイモのマヨネーズ和えなどと日本から持ってきたドリップコーヒーで昼と夜兼用の食事だ。そこで横になって寛いでいたら「山が見えるよ!」と声がかかる。


出てみるとテント場の後にピークが見えた。ピークから沢沿いに小さな流れが目の前のポカリに流れ込んでいる。でもそれも一瞬の出来事で再びガスに隠されてしまった。ポカリを数頭のヤクが横切って行く。





小雪が再び降り始める。再びガスの中に沈んでいった。しんしんと降る雪に不安を感じながらいつの間にか深い眠りについていた。



ヒマラヤ・トレッキング=⑬カンチェンジュンガ・トレッキング(11月3日) [カンチェンジュンガ]

シレ・ラ手前のポカリからギャブラ

(11月3日)
4220Mの夜はさぞかし厳しいものと覚悟していたが、いつになく熟睡できた。ロッジ泊まりの時には寒さと呼吸困難で何度か目を覚ますことがあったのだが何故だろう。まずテントの中は意外に暖かいと云うことだ。自分の体温がテント内を確実に暖めてくれる。さらに、インナーシュラフやシュラフカバーを用意したため体温の温存に成功したのだろう。狭いという以外は快適だ。改めてテント生活の素晴らしさを体感した。

相変わらず天候ははかばかしくない。しかし雪や雨の心配はないようだ。下り中心の行程になるので今日は楽勝か。7時15分出発する。足元には雪が残っている。7時55分シレ・ラ(4290M)を通過する。いよいよグンシャに向けて下る。左手には大きく深い谷がタプレジュンに向かって伸びている。晴れていればマカルーの眺望も可能と聞いたが残念だ。シレ・ラを回ると再び雪と氷に道が覆
われている。足元を一歩一歩確かめながら緊張しながら下る。それも直ぐに消えて快調に下る。8時15分はるか眼下に流れるグンシャコーラに沿って十数件の集落が見えた。一瞬グンシャかと錯覚したが、ファレの集落だった。グンシャより一つ下流の集落。



しばらく歩くとさらにコーラの上流に大きな集落、グンシャが見えた。9時丁度4000M地点を通過。さらに下ると背丈の高い樹林帯に移る。石楠花の群生だ。ここの下りは一気だ。腰ほどもある高さの岩をストック頼りに下りたり、膝には堪える歩行だ。数組の(独りでガイドを伴った)トレッカーが行き違った。9時50分突然大きく開けた平原を通過。沢鳴りの音が耳元に近づいてきた。そろそろグンシャの町ではないのか。再び樹林の中を通り右手からの沢に架かった木橋を渡る。檜葉で装飾された橋だ。

10時15分トレイルが整備され、グンシャ(3595M)の集落の村はずれに着く。ここの集落はシェルパ族の部落。各家の屋根にはチベット教信者である証、タルチョがはためいていた。

集落に入って左手数軒先の広い庭を持つ家に入る。主人が出てきた。居るはずのダワさんが居ない。主人は手にしていた紙をバッサンに渡す。ネパール語で書かれたダワさんからの伝言だった。グンシャでは電話があるが、ビジーで通信不能なので、チケット手配のためさらに先に進む、とのこと。

多少の不安が無かったわけではないが、彼がチケット購入に成功するよう祈ることでそれを打ち消した。相変わらず厚い雲と強い風に体の芯が冷える。家の奥にある納屋だろうか、床が抜けそうな小屋の中で昼飯の準備が始まった。

グンシャはカンチェンジュンガを最も近くから展望可能なパンペマへの定住村最後の集落だ。パンペマも目指す予定にしていたが、予想以上のタフなルートだったので断念した先だ。行くとしたらここから往復で3泊4日はかかるコースだ。集落は整然とした小綺麗な町。こんな奥地に何故だろう。理由を確かめることは出来なかったが。
ところで予定外の展開にサブガイドのバッサンもナーバスになっている。自分としては水曜日のフライトに搭乗できることさえ実現できれば、後はお任せしよう。バッサンは今日の日程をどこまでにするか、自信がなかったのだろう、そこの家主と何度かやり取りして、ギャブラまで行くことになる。ここからギャブラまでは大した上り下りは無いそうだ。12時には昼飯を終えて出発する。相変わらず灰色の世界だ。

街道を先に進んで直ぐに左に曲がって大きな吊り橋を渡る。橋の手前にはチェックポストがあるのだが、何の手続きもしないで先に進めた。集落は街道に沿って先に真っ直ぐ伸びている。勢いよく流れるグンシャ・コーラを眼下にしながら対岸に渡り、直ぐに右岸に沿って左に道を取る。コーラとほとんど同じレベルを下流に向かって歩く。河岸には煉瓦色に染まったヒマラヤ杉だろうか、見事な紅葉には感動した。対岸にはゴンパがある。

日本のように様々な色に染まる紅葉とは違った趣だ。久しぶりに一匹だけの寂しい響きだったが蝉の声が聞こえた。道の真ん中に檜葉を積み上げた囲みがある。チベット教でのお祈りの場所だそうだ。

1時15分ファレの集落を通過。道に沿って数軒の家が並ぶ。我々が通過するといつの間にか子供達が近づいてきた。"ギブミースウート”と声をかけてくる。まさかこんな奥地ですれてしまった子供達に出会うとは。トレッカーの所行の罪深さを実感する。私もかつてはうっかり物を上げてしまったのだが、それがかえって彼らの心を穢して仕舞うのに気づき敢えて無視することにしている。バッサンが現地語で去るよう追い返していたがなかなか執拗だった。

チベタンカーペットを作り販売している家の前を通る。柄には興味が湧いたが、技術的にはポカラなどで購入できるレベルとは違いすぎるほどお粗末。しかもこんな重量物を買い込んだらポーターを泣かせるだけなので断念した。グンシャコーラは左手深い谷の下を流れている。そこに向かって右手、左手から滝が落ち込んでいた。美しい景観だ。

1時45分ファレの集落外れにある掘っ立て小屋で小休止。そこを過ぎると一気の大下り。2時15分河原まで下る。両側からの山が迫り対岸まで数十メートルと思われるほどの狭く深い渓谷を先を争うようにして氷河からの水が落ちていく。再び紅葉した木々の中を歩く。

3時半大休止。さすがにポーター達も疲れの色が隠せない。顔の表情にゆとりが無くなってきた。3時55分沢越えの対岸小高いところにタルチョが見える。今晩のテント場が近いと云うことだ。沢を越えてからの登りは大した距離ではなかったが堪えた。ここまでの疲労が確かに足と気力に来ている。しばらく行くと再び平坦な場所に出る。耕作をしているというより牧畜中心の集落なのだろう。4時15分トレイルの右手にある一軒家の庭先がテント場だ(ギャブラ=2730M)。だだっ広い広場にぽつんとテントが張られた。調理場兼ポーター達の寝床は人家の奥にある小屋だ。テントだけが小屋から離れたところにあり、トレイル(人通り)に近いので一寸不気味さを感じる。

ご飯も終えてテントで寛いでいたらバッサンから声がかかった。人家にいる少年が高熱で息苦しくしている。薬はないか、とのことだった。少年は人家のベッドでダウンを羽織り、毛布にくるまって消耗しきってうつろな目を開けていた。彼のおじさんにあたるという付き添いによればシレ・ラで発熱し医者の居るところに下りるところとか。ダワさんがいないので意思の疎通は片言の英語だけ。症状の確認も定かではなく不安になったが、高熱、息苦しい、症状への対処療法として抗生物質、副腎皮質ホルモンのリンデロン、解熱剤を渡し、飲用方法を何度も確認して手渡す。あと高熱での脱水を避けるためポカリスエットの粉末をお湯に溶かし呑んで貰う。彼は美味しそうに呑んでくれた。何とかどれかの薬が効いてくれればと祈って部屋を去る。


ヒマラヤ・トレッキング=⑭カンチェンジュンガ・トレッキング(11月4日) [カンチェンジュンガ]

ギャブラからセカトムへ

(11月4日)
昨晩の少年が気になって家を訪ねる。付添人によれば少年はポカリスエットを美味しいと云いながら飲んでくれたそうだ。そして薬が効いたのか熱も下がり多少元気になったと聞いた。取り敢えずはホッとした。でもこれから下山して医師の元に辿り着くには4,5日かかることを考えると不安になる。それまでの繋ぎに渡した薬が役立ってくれ!と祈るばかりだ。そんな私をじーっと観察していた家の女主人が「私も頭痛持ちなので薬を欲しい」と云ってきた。直感的にこれは悪のりだと判断したが、2錠だけ痛み止めの薬を渡してなだめることにした。まさかここで偽医者を演じる羽目になるとは想像外だった。

世話になった家は集落の外れでギャブラの中心はトレイルから外れた尾根に向かった上部にあるそうだ。7時20分出発。曇りの朝。開放的だが左手には深く落ち込んだ渓谷が木々に覆われて流れを見ることは出来ない。しばらくすると一気の下りとなる。幾つかの沢を越えながら吊り橋を越えるとタンゲム(2405M)の集落に着く(9時20分)。小休止。ここか
らは山腹の稜線をめがけて登りになる。天にまで伸びる道のように錯覚さえしてしまうほど足は重く、気持ちも萎えている。
この一帯にも滝が散見される。見事な景観だが不思議とヒマラヤではどれもこれも無名だ。山でさえ無名峰がある。大きな二つの稜線を越えて10時50分チョウタラを通過、対岸には段々畑が視界に入る。そろそろ集落が近い印だ。急に開放的な広がりが展開する。久しぶりに人と行き違う。地元の母娘だ。母親は背中に篭を背負っている。草の葉をちぎっては篭に投げ入れている。10才ぐらいだろうか娘はその後を追って付いていく。そして道から離れて谷川の急斜面に草をかき分けながらあっという間に消えていった。

ここはアムジロッサ(2510M)。ここで昼食になる。ここは未だシェルパ族の世界。トレイルに沿って平坦な空間があり、そこにブルーシートを広げて仰向けに体を伸ばす。その左右は畑になっていて、主として粟の栽培が行われているようだ。幸い、薄日が射して汗ばんだ体を温めてくれる。それでも多少肌寒い。広場の先には人家があり、その中からゴロゴロという音がしてきた。中を見ると婦人が石臼で粉を挽いているところだった。


12時45分出発。薄日も隠れて益々肌寒い。歩き出せば心配ないだろう。午前はアップダウンを繰り返すタフな行程だったが、午後はどうなんだろう。ガイドブックでは午後の行程が一日になっている。登りと下りの違いはあるだろうが一寸心配だ。今日の目的地はセカトム(1660M)だ。


しばらくは穏やかな下りの山腹道を進む。そして急な下りのあと、大きな吊り橋を対岸に渡る(1時40分)。渓谷は日本の渓谷を彷彿させるような見事な美を作っている。その先で小休止。2時出発。水平に近いトレイルをコーラに沿って下る。2時半サリマに着く。地図や古いガイドブックにはトレイルが右岸の上を回ってセカトムに向かうようになっているが、我々は左岸をコーラ沿いに下る。新しいトレイルなのだろう。

3時半、ダウワリに着く。対岸右前方には天井から落ち来ると言っても過言ではない大滝が見事だ。その対岸から真正面に見ながら通過し4時にはゾンギムに着く。上り下りの連続が続く。疲労が体の芯までしみこんで足元が覚束ない。それほど危険な状態ではないので何とかなるが、さすがに疲労困憊の極限だ。


ここからは渓流に沿って下るショートカットのトレイルと左手の山腹を乗越し高巻きの迂回路がある。ゾンギムに住む住民情報で川沿いの道はかなり危険で地元民だけが通るだけだと。結局はポーター達は危険だか近道のコーラ沿いに下る。私とバッサンは危険を回避するために再び急斜面を登することとなる。ジグザグの坂道を一気に上に向かう。眼下には朽ち果てた吊り橋がちぎれそうになってかろうじてコーラを跨いでいるのが見える。旧道に繋がっていた橋だそうだが、トレイルが崩壊したため不要になった吊り橋だ。

こんな夕方なのに行き違うトレッカーに出会った。白人のトレッカーとガイド、ポーターだ。トレッカーは両足切断で義足なのだろうか、覚束ない足取りながら強靱な上体で杖を使って体を支え必死に歩いて来た。さすがに声をかけて良いのか迷っているうちに通り過ぎていった。限界への挑戦、素晴らしいことだと思いながら、さてもし自分がそんな状態になった時どれだけポジティブに生きていけるのか問われた気がする。

対岸の大滝をほぼ水平位置で眺望しながら歩き山腹を回り込んだ後、一気に下りる。バッティーの先にあるコーラに架かる吊り橋を渡り対岸の山腹を再び登り詰めるとジョンギムに着く。後で分かったことだが高巻きの道が1時間強かかったのに対し、ポーター達が通った渓流沿いのトレイルは20分だったと聞いた。それを聞いたときには複雑な気持ちだったが、体の状態からすれば安全第一が大事と自らを納得させた。


私の荷物を持っているポーターがバッティーで女主と親しげに歓談していた。我々は日も落ちて暗くなっているので休むことなく先に進む。おそらくここからは下りだけだろう。そんな期待で先に進んでいたらダワさんが迎えに来てくれた。彼によればフライトの手配は出来たとのこと。先ずはホッとした。すっかり薄暗い中重い足を進めていたらダワさんから「荷物を持ってあげるから」と声がかかる。先ずは遠慮したのだが、プライドを捨てて、持って貰うことにする。

5時半にはグンシャコーラの河岸にある広々としたテントサイト、ジャパンタ(セカトムの外れ)に着く。コーラの水量は広く厚く奔流となって流れていて、話し声も遮られるほどだ。そして水の冷気で寒さが一層増幅されているように思えた。

既に谷間でもあるので早々に薄暗くなりランプだよりの活動になる。ところがテントは張られているのだが、肝心の私の荷物が来ない。さっきバティで油を売っていたポ-ターはどこに行ったのだろうか。仲間達がなにやら話していたが、困惑している風。20分ぐらい経っただろうかようやく荷物が届いたので汗で冷え切った下着を着替えることが出来た。仲間からは彼に怒りがぶつけられて散々な立場になっていた。それもそうだ。一番大事な私の荷物なのだから。彼のいい訳では間違えて上部にある集落の方に行ってしまったと云うことだったが。

ライト便りに夕食が作られる。今晩はピザだそうだ。このヒマラヤの山中でどんなピザが出るのか心配したが、口に出来無いほどではなかったのでホッとした。腹も空いていたのかもしれないが。

テントサイトにはなんと十張り以上のテントが張られていた。白人達のテントにはダイニング用、就寝用そしてなんとトイレ用がある。だから益々大所帯になってしまうわけだ。何でトイレテントが必要なんだ?自然そのものに憧れてヒマラヤに来ているなら、自然に合わせた生活を受け入れたらどうなのだろう。彼らの振る舞いには違和感というか、不快感さえ感じてしまった。白人の自己主張=個人主義は社会の中でのルールだろう。自然界には通用しない筈だ。ここに自分を持ち込むのではなく、自然の中に入り込んだ自分を探して欲しい。東洋と西洋が交わりきれない理由がここにある、と確信した。掘っ立て小屋ではガイド、ポーター達が粟酒を呑んだり、トランプに興じている。今までの自然そのものの世界から人間社会へ確実に戻っていることを実感させられた。



ヒマラヤ・トレッキング=⑮カンチェンジュンガ・トレッキング(11月5日) [カンチェンジュンガ]

セカトムからチルワへ

(11月5日)
今日の日程は余裕があるらしい。朝はゆっくりでいいよ、と言われていたが、結局は早々と目が覚めてしまう。陽が差していないととても寒い。写真を撮ったりして周りを散策したりして時間を潰す。グンシャコーラの上流には真っ白に輝いたピークを持つジャヌー(クンバカルナ)が見える。何故か彼らはジャヌーとは呼ばない。

8時05分出発。ダワさんは私が起きる前に先発した。フライトの予約は電話で入れたのだが、最終的には支払い行為が無いとキャンセルになるリスクがあるということでタプレジュンの飛行場に向かった。この時期はトレッカーが最も多い時期なのでダワさんは慎重を期したようだ。再びサブガイドのバッサンがリーダーだが、これから先は人里に近づくので不安はない。唯一あるのはマオイストとの再会リスク。彼らとの交渉には手練手管が必要なので若い経験不足の彼には一抹の不安が残った。

グンシャコーラの右岸を「ヘロク」を経て先に進む。グンシャコーラとタモール川が合流する。タモール川はチベット国境から氷河の水を集めて下って来るグンシャコーラの何倍もある大河だ。そこに長大な吊り橋が架かっている。見るからに新しい橋だ。その橋のお陰で下山が大変便利になったという。従来はタモール川の左岸をそのまま幾つかのピークを越えて下山するタフなトレイルだったそうだ。

グンシャコーラとタモール川の出合に突きだしている尾根の上にセカトムの集落があるが、振り返っても視界には入ってこない。今までの山岳という雰囲気からいよいよ人家の匂いのする環境に激変だ。川も大河となり景観を作るような繊細さが無くなった。なだらかな道を下っていく。左手を見ると木枠に網を張って何か作業をしている人々が居た。近づくと紙を漉いている。そう言えば以前に和紙に似た紙に印刷されたカレンダーを買ったことがあるが、それと同じ紙をここで漉いているのだ。老若男女がそれぞれ分担して作業をしている。木を細かく裂いて釜で茹でるもの、漉いた原料を乾燥させるもの、忙しそうに動き回っていた。子供達は下半身は丸出し、シャツだけ羽織って遊んでいた。


先に進もうとしたら道が幾つかに分かれている。人里に入ったからだ。ポーターが戻って紙漉をしている人達に確認する。一昨年から開通したトレイルはゆっくり下っていく。ストレスのない道だ。9時40分ごろ11才から16才までの6人の生徒達に行き違う。ネパールではかなり遠くから歩いて学校に通うわけだから、10時始業となっている。

昨日までの山岳風景から住民との接触、粟の栽培など一気に里の匂い一色。10時にはフェンブの集落に入る。すっかり汗ばむような亜熱帯の陽気に汗が出てくる。トレイルの左右に人家があり若い男、女達が何をするわけではなくボオーッと外を眺めている。


ここで一息入れる。ポーターが近くの木によじ登り蜜柑をもぎ取ってきた。未だ青々とした未熟な蜜柑だが口にすると酸味が利いているものの汗をかいているので、ちょうどレモン代わりになって乾きを潤してくれる。レモンよりは十分甘いので申し分ない。ついつい2つ食べてしまった。この集落はリンブー族の世界になっている。建物が独特の高床で藁葺きや竹をメッシュ状に編んだ壁などで識別できる。ここでは粟以外に米の生産もされている。
ネパールでは米の生産性は高くないようだ。黄金色に染まった稲穂がついているが、たわわに実って頭を下げる事はない。数えるのが簡単に出来る程度しか実ってない。生産性の低さは歴然だ。ここでは蝉時雨の中1425Mの標高まですでに下りていた。

この一帯はタモール川も両側に広い河川敷をもちその周辺にも平坦な拡がりがあって農業が盛んだ。タペトクの集落を通過、この先長い吊り橋を渡って左岸を進むのだが、橋の手前でランチとなる。11時だ。

草地にブルーシートを敷きコックが料理を始める。目の前が川だが集落に行って水を貰ってきて調理が始まる。仰向けになって昼寝をしているとバッタが目の前をバタバタと飛んでいった。金盞花のような花が咲き誇っている。気がつくと地元のリンブー族の老人が近寄ってきてガイド達と座り込んで話し込んでいた。彼は66才、バプティスト派を信仰するクリスチャンだとか。ネパールでキリスト教信者の話はカトマンドゥでも聞かなかったのにこんな辺地で目の当たりにするとはビックリだ。本当ならもっとその由来も尋ねたかったが通訳がいない状態ではそこまでだった。

ポーターが再び木によじ登ってフルーツをもぎ取ってきた。ハンボー(味からするとマンゴーの原種?)と言っていたがさて?でも疲れた体には美味しい果物だった。さっきの蜜柑といいよそ者がもぎ取っても誰も怒る訳ではないこの大らかさはなんだろう。貧しい生活だから子供達がもぎ取り尽くしてもおかしくないはずなのにどうしたことだろう。不思議だ。こんな大らかさにネパール人に親近感を実感するのかもしれない、とふと思った。

1時10分出発。すぐに吊り橋を渡る。対岸では旧道からの道と合流する。橋が流されたのだろう、孟宗竹だろうか竹を3本合わせて作られた仮橋を渡る。短いので恐怖はないが不安定な足元だ。ダラダラとした下りが続きだんだんと川面からの高度感が出てくる。2時30分右手眼下平坦なテントサイトが見える。しかし既に空きがない状態だ。我々はやむを得ず先のチルワ(1270M)の集落に向かう。

2時40分左右に数件のバッティーが並んでいる。左手のバッティーに入る。先ずはチャイを呑んで渇きを癒す。何人かの地元の男達がトンバという粟酒(アルコール度はビール程度とか)を呑んでいる。20センチぐらいの樽に管(作りはチベタンティーを作る筒の小さいサイズ)を突っ込み呑んでいる。しばらくするとダトパニ(湯)を入れてさらに飲み続ける。そしてなにやら話に盛り上がっていた。まさに日本の酒場の風景だ。


4時過ぎ2人の青年が入ってきた。一種異様な雰囲気、旅の途中という風でもなく、地元民ともシラットした関係で、席に座ってなにやら様子を窺っている風。ガイドのバッサンは彼らとなにやら話をしていたが、彼の顔には緊張感が漂うというか、今までの若者らしい甘さが消えて一転大人の顔に変身したのには一寸ビックリした。

30分ぐらいして一応立ち去った。ふと外を見ると同じ服装をまとった青年達が数十人行き交っている。バッサンからこっそりとマオイストが来たと告げられた。再び緊張の瞬間だ。今回のマオイストは今までにない数と武装集団だと云うこと。小銃を肩にかけて闊歩している。少女もかなり居るのにはビックリした。きっとかつての紅衛兵はこんな感じだったのだろうか、と想像した。2階にあるベッドルームに入って様子を窺う。小さな窓から下の様子を窺うが緊張感と怖い物見たさの好奇心が交錯する。従軍カメラマンになった気でカメラを向けようとするが、カメラ視線に不思議と彼らの目が合っているような気がしてシャッターが切れなかった。しばらく息を凝らしながら事態の変化を待ったが何も変わらなかった。

食堂に戻ると再びマオイストが来ていた。飲みに来ている住民と口論しているように見えた。言葉が分からないので何とも言えないが、政治的議論になっているようにも伺えた。バッサンもそこに入っている。道を挟んだ小屋が調理場になっていた。ラメスが夕ご飯を食堂に運んでくれた。今晩はカレーだ。その間バッサンが側に待機してくれているので不安はないが、マオイストの存在が気になって仕方がない。夕飯が終わるとガイド達も食事のため調理場に戻ったので私も彼らの食事に付き合って移動する。その場でびっくりすることが判明した。ポーターの一人がかつてはマオイストに入隊していたそうだ。貧しい生活から解放されたい気持ちがマオイストの存在を支えているように思えた。なにしろマオイストになれば食べることには困らない。集落に入れば力ずくで宿泊場所の提供を要求し、極めて廉価で食料を購入して自炊する。そんな毎日だからある意味気楽な稼業だ。時にはトレッカーからのドネーションもあるのだから。


ヒマラヤ・トレッキング=⑯カンチェンジュンガ・トレッキング(11月6日) [カンチェンジュンガ]

チルワからプルンバへ

(11月6日)
昨晩からのマオイストの動きが気になるので、起きざま真っ先に小さな窓から外に目をやる。6時前というのに慌ただしい気配。人の話し声、咳、鶏の雄叫び、すでに早朝とは思えない状況だ。道を行き交う村人とマオイスト達。目の前にある水場と集落の外れにある水場に群れて食材や食器を洗ったりしている。しかしこの一見穏やかそうな雰囲気とは違って住民達の態度には腫れ物に触るようなぴーんと張った緊張感が漂っていた。

チルワはこの一帯の集散地というか交易の中心地らしい。朝から荷を背負ったポーターがチョウタラに荷物を載せて出発を待っている。バッティーから川上に戻るように進んで左手に曲がるとタモール川に架かる大きな吊り橋があり、奥地につながるトレイルが続いている。


バッサンにマオイストとの交渉結果を確認したが、その後特別な動きがないとのこと。当然ママンケでマオイストに支払ったドネーションの領収書があるので、それを提示するタイミングがあるはず(領収書があれば再度の請求を免除されることが多い)とバッサンに話したが、今のところ説明だけで済んでいるとのことだ。バッティーの食堂で朝ご飯をとる。宿のご主人から是非自分の写真を撮ってくれ、とせがまれた。

結局マオイストからの接触はその後もなく7時20分に出発となる。ヤレヤレだ。既にポーター達はテント場確保のために先発していた。キッチンポーターのマンバトルさん達は後片付けをして後を追うとのことでバッサンと二人だけで先行する。

下流に向かって道は二つに分かれている。右手はドプハン(730M)を経由してバサンタブルに向かう道、左手が我々が進む飛行場がある町、スクタール(2300M)に向かう。吊り橋を渡ってしばらく登りになっている。道は今までとは違って立派な作りになっている。チョータラも多く、しかもそこには屋根が付いていることが多い。当地では雨が多いのかもしれない。

8時10分一軒家の前を通過する。ナガディンの集落に入る。ここには学校がある。学校に通う生徒達が手に教科書を持って制服の紺色セーターに身を包んで歩いている。道端のあちこちに石造りの記念碑が建っている。面白い図柄があしらわれている子供の背丈ほどの大きさだ。バッサンに意味を確かめたが、多分英語に翻訳するのが難しかったのだろう、ただ死者を頌える記念碑とだけ返事してきた。天気が良いため汗だくの歩行となる。


8時15分チワの集落に入る。吊り橋を渡って一寸急な登りになる。ここでトレイルが分かれる。真っ直ぐはスケタールまで7時間、右に折れるとシンワに下るトレイルだ。来た道を戻るとタペトーク(昨日通過した集落)まで4時間という表示もあった。ここに来て道路標示が頻繁にあることが大きな変化だ。しかも、ヒマラヤにしては行程に時間表示があることだ。これは極めて希で他のエリアでは考えられない違いだ。


道も整備されて厳しい登りや下りもないが、確実に標高2300Mのスケタールに向かって登る。さすがに体は疲労が蓄積している。帰国後にテープに落とした当時の自分の声を聞いて張りが無く息絶え絶えの声になっている事からも分かる。

11時05分リンキンの集落に入る。この一帯は山岳地方には変わりがないが、なだらかな傾斜地に豊かな農業が盛んに行われている。既にリンブー族中心のエリアだが、家の造りも立派になってきた。豊かさを反映しているのだろう。11時半リンキンの集落の外れイジュン、そこにはゲートがあったのだが、その手前の広場で昼ご飯となる。

すでに外人部隊の7,8人のグループがランチ中だった。彼らは道端に腰を下ろして食事をしていたが、我々は右手にあるチョータラの裏の草地でブルーシートを敷いての準備だ。いつの間にか気がついたら6人の子供達がチョータラに腰掛けて話しながら我々の様子を窺っていた。仰向けになって青空を眺めながら食事の出来るのを待つ。餌にありつけるのを期待してかじっと座り込んで犬が待ちかまえている。


12時40分ランチを終えて出発。ゲートを出ると目の前が大きく拡がり遙か彼方にタプレジュンの町が逆光に黒く陰になって見える。スケタールはタプレジュンの上。長く伸びている稜線に沿って左手にあるが視界には入らない。この一帯の住民はリンブー族でキラート(?)というブッディストの一派を信仰しているそうだ。

2時ボエムの集落を通過する。ここにも学校がある。子供達が寄ってきて「ギブメースイート」「ギブミーペン」と後を追ってくる。ここではかなり執拗だった。バッサンが現地語で追い払うが手強い。何とか振り切って先に進む。あちこちに花が咲いている。日本の花とも共通していて懐かしい。3時10分には今日のテント場があるプルンバの入り口に着く。この辺りでは赤土が目立つ。かなりの急登が終わると学校の校庭跡らしきところがテント場だ。ここでも既に多くのテントが張られていた。我々は最後の到着だろうか。校舎跡の前にテントを張り校舎内で調理が始まる。ここは1890Mの標高。

テントを張ったところは道沿いでもあるので、現地の人々の行き来が盛んで落ち着かない。

疲れを癒すために先ずはテントに入り、汗に塗れた下着を着替えてシュラフに潜って一寝入りしていたが、行き交う人々の足音、話し声にしばしば眠りを遮られる。現地人の顔かたちに変化がある。中国人なのかミャンマー系なのか、日本人の顔かたちからちょっと遠くなった気がする。時々物珍しそうに中を覘く奴までいる。紅茶が運ばれてくて一息入れる。テントから離れようとしたらバッサンが「テントはしっかり監視しておきます」と言う。彼に理由を聞くとテントからの盗難があるそうだ。それを聞いて出るときには少なくとも出口を閉めて、そして人気を感じさせるためにランプをつけてテント内に置くことにした。

校舎跡では夕ご飯の準備進む。壊れかけた机に向かって座って夕飯だ。ポーター達と会話を交わしながらあっという間に時間が経った。

それぞれのテントに灯りが入り団欒中。校庭先にあるトイレで事件が起きていた。トイレは鍵がかかっている。有料トイレになっているようだ。状況判断が出来なかったが料金でガイドと管理人との話し合いが手こずっていたようだ。それも決着してトイレも使えることになる。天気は快晴。月もなく暗闇だ。遠くで犬の遠吠えが聞こえるがいつの間にか熟睡していたようだ。気がついたら朝だった。



ヒマラヤ・トレッキング=⑰完カンチェンジュンガ・トレッキング(11月7日~) [カンチェンジュンガ]

プルンバからスケタール、そしてカトマンドゥへ

(11月7日から帰国まで)

快晴だ。西に落ちる月が美しい。7時20分出発する。今日はスクタール迄の行程なので楽勝だ(と思う)。テントサイトから一気な急登が始まる。道は集落の真ん中をほとんど直登するようにして喘ぎ喘ぎ進む。今までと違って人の行き来が益々多くなり、まさに農村風景そのものだ。日差しがさすがに強くなって一気の登りそして朝一番という最悪の条件下で歩くのは辛い。息が上がるし汗だくになるし。

8時少し前に集落から離れて、しばらくすると急登も終わりなだらかな登りに変わる。このトレイルはスルケダンダ(現地の人はダンダではダーダと発音しているようだ)の西側山腹を歩いていることになる。右手にはタモール川が遙か彼方眼下に蛇行しながら流れている。その両側には人家が点在しているのが分かる。ここはガリダンダだ。孟宗竹だろうか太い見事な竹の群生がある。そう言えば行き違う女性の服装に新しい変化があった。アオザイのような透けた薄い生地の布を肩から羽織っている。インドのサリーとも違った雰囲気だ。


8時40分集落に入る。木陰に入ると涼しい。なだらかな上り下りを繰り返しながら少しずつ高度を稼いでいる。9時半ブングクルンブの集落に入る。久しぶりにゴンパがあった。しかし、いわゆるヒマラヤ特有の立派な造りではない。チベット教の有り様が東部特有なんだろう。この点はダワさんが居ないので背景を知る機会がなかった。バッサンは道案内、その他の手配では充分機能するのだが、さすがに若い。伝統とか文化、あるいは地勢的情報などになると何も知らない。本当ならトレッカーが何を欲するのか知る勉強のためにも執拗に質問すべきなのだろうけど、お互いたどたどしい英語でやり取りするにはテーマが難しすぎる。


16才のシェルパ族の少年が教科書を手に抱えてすれ違った。バッサンが数言話しかけていたが、紺色のセーターに身を包み、真面目で優秀そうな青年だった。こんな真剣な眼差しの青年はさて日本にいるだろうか、と気になった。明確に目指すべき事があるか無いかが印象の違いを感じさせているのかもしれない。
長閑な田園地帯をのんびり進んでいくと前方にスクタールの飛行場の吹き流しが目に入った。10時50分管制塔の前を通過して集落に入る。左右に人家が並ぶ。11時ダワさんと再開し飛行場前にあるバッティーに入る。全てのトレッキング行程終了の瞬間だ。全員と握手をして感謝の意を伝える。そしてダワさんに早速搭乗の可否について尋ねた。全てOKとのこと。あとは明日の天候異変がないことを祈るだけになった。


ここには今回のトレッキングをスタートした地点でもある。草原に作られた草地の飛行場とホテル、バッティーが数件ある。若干の店もあったが駄菓子屋程度。滑走路に隣接しているバッティーに泊まる。寝室は別棟の急階段の上だ。70度近い階段には手こずった。


食堂で昼飯だ。ここはバッティーとは云っても飲み物やヌードルスープ程度しか提供していないのでキッチンポーターが食事を作ってくれた。汗で濡れた下着やシュラフなど乾かすために滑走路を囲んでいる鉄条網にかけて干す。風が強く飛ばされそうになる。さすがダワさんは手慣れたもの。捩ったり乾かすものどうしを結んだりして見事に飛ばされない状態にしてくれた。サブポーターのバッサンは隣のバッティーの2階にあるテラスで興じられているトランプを見に行った。真剣に勝負しているからだろう時々驚くほどの大声も聞こえてくる。

時間が止まったような午後だ。全て終わったという安堵感と疲労感が全身を覆っている。食堂で天窓から射す日を受けて横になって昼寝をしたり、ぼーっとした時間がどのくらい経っただろうか。

コックのダワさんが突然鶏を抱えて入ってきた。何事だろうと目が覚めて問いただす。にやにやしているだけだ。バッサンに聞いたら今晩のおかずだという。まさか!さっき冗談にバッティーの前で餌を食べていた鶏を美味しそうなご馳走とは云ってしまったが、まさかそうなるとは思ってもみなかった。鶏には申し訳ない。

後で分かったことだが、トレッキングの最終日には打ち上げをするそうだ。その時には鶏を絞めてご馳走を作る習わしとか。自分がうっかり口走った事が原因でないことを知ってホッとしたものの、目の前で生きた鶏を絞めて食材にする、日本でも地方ではあり得る風景だろうが、都会人の私にとっては生まれて初めての体験だ。

怖い物見たさに時々目をやる。さすがに首を捻った瞬間は目をそらしたが、首を切り落とし血抜きをした後熱湯を全身にかけてから羽をむしり始めた。いとも簡単に羽が抜けていく。丸裸になった鶏がさばかれる。肉と骨を仕分けていく。さて、これは何の食材になるのだろうか。

しばらく調理現場から離れて外に出る。昼過ぎにも風が強かったがますます強くなっている。しかも空には入道雲のような雲がわき上がってきた。嫌な予感だ。慌てて干し物を引き上げる。しばらくするとポツンポツンと音がし始めた。雨の音ではない。音から察するに雹だろう。

表に出てみた。空は真っ暗、遠くに雷の音そして稲妻が走り出した。風の音そして雹が落ちる音、一天俄に様相が一変した。遠雷は確実に近づいて来る。まさに嵐の様相だ。寒冷前線の通過であれば明日には回復しているはず。そうならば一過性なので飛行機が飛べるはず、そう願いたい。

気温も急速に下がってきた。ダウンを出してバッティーの台所にある炉の前に行って暖を取る。夕飯が出来たと声がかかる。食堂に行くと香ばしいカレーの香りと見事なケーキが用意されていた。そうか、鶏はカレーの具になったのだ。それにしてもこんなヒマラヤの山奥でケーキにありつけるとは。味には一抹の不安はあるが見栄えは見事。

彼らと談笑していたらまたビックリする話が出た。キッチンポーターのラメスが自分もマオイストだったと白状した。身内になんと二人もマオイスト経験者がいたとは想像外だ。
いつもならガイドやポーター達の食事は自分が終わってからだが、今晩は全員一緒の食事だ。カレーを口にした。これは美味しい。鶏から出た出汁が効いているのだろう。食欲がどんどんわき上がってくる。お代わりをしてしまった。

食事が終わるとケーキ入刀だ。ケーキの表には赤いジャムだろうかそれで「Kanchenjunga2006Nov」と書かれていた。どこで手に入れたのだろうか小さなローソクを立てて火を灯す。

先ずは自分が吹いて火を消す。入刀。みんなで分け合って食べる。美味しい。悪いけどこれほど美味しいケーキだとは想像しなかった。スポンジはチョコレートケーキ、表面は白いクリームで覆われている。その上に赤い文字が書いているのだ。ついつい頬張ってしまった。聞いてみればこの食材全てをカトマンドゥから持参したそうだ。この長い行程中、このためにずうーっと運び続けて来たなんて信じられない。本当に有り難う。皆さん

夜半には嵐も落ち着いて若干の雨が残る程度になった。明日の天候を祈ってベッドに入る。


11月8日、ダワさんだけが自分と一緒に行動する。みんなはここからバスに乗って帰路につくのだ。バスはタプレジュン(スクタールから小1時間の下り)から早朝6時に出発するそうだ。3時頃食堂に降りていくと既に帰り支度をしていた。彼らとは最後の別れになるので見送ることにする。そして未だ真っ暗な中、4時40分出発していった。いつまでも手を振っての分かれ。彼らのヘッドライトが小さく遠くに消えていった。


陽が差して東の地平線が黄金色に染まりはじめた。快晴ではないが落ち着いた天候の朝だ。外に出ると遠くの山容が激変していた。昨日は雪を被っていなかった山が真っ白に変化していた。一晩にして山の状態が激変している。改めて山の恐ろしさを実感した。振り返って自分たちが歩いてきた山はどうなっているのか気になった。ダワさんに聞くとミルギンラは大雪だろう、と言っていた。タイミングが数日ずれていたら行くも帰るも出来ない立ち往生が余儀なくされていたかもしれないと思うと運の良さを感じた。

ここの飛行場は草地に広がる軍の管理下にある簡易飛行場。待合室があるわけでもなく、ゲートがあるわけでもない。バッティーの先を登ると十数人の搭乗客だろう、荷物のチェックを受けている。厳しい荷物チェックを受けて飛行場内に入る。我々以外は一組のネパール人を除いて全員白人。ドイツ人とフランス人だ。場内にトイレが無いと一悶着。時間があると言うことで外に出る人もいた。

9時半頃だろうか遠くから爆音がかすかに聞こえてきた。歓声が上がる。ここでは確実はない。ほとんど運を天に任せざるを得ないのを知っているので上がった歓声だ。自分もホッとした。もしキャンセルになると改めてビラトナガールからジープを呼んで二日がかりで下山になる、疲れた状態では耐えられない行程になるからだ。機種は20人乗りの飛行機だ。数人の現地人と一組の白人トレッカーが降りてきた。

折り返しで10時には離陸した。草地の滑空だからどうなるのかと心配したがあっけなく離陸成功。ビラトナガールには40分弱で着く。後の問題はカトマンドゥへのフライトが取れるかどうかだ。
残念ながら簡単にはいかなかった。キャンセル待ちでダワさんが係員と交渉するが思うようにいかない。便は何本もあるというのに。カトマンドゥ、ビラトナガールはそれだけ需要も多い路線だ。

食堂で焼きそばを食べ、チャイを呑んだりして時間を稼ぐが先が見えない。飛行場から離れて周辺を散策したが、見る物もなくあっという間に戻ってしまった。

ようやく3時頃に搭乗することが出来た。夕方にはカトマンドゥに着きホテルに入る。次はバンコックから関空までのフライトの確保だ。予約済みのフライトは余裕を見て3日後にしてあったからだ。明日にはタイ航空の事務所に行って交渉をしなければならない。今時分はゴールデンシーズンなので予約の変更が難しいかもしれない。

幸いビジネスチケットだったので、翌日首尾よく変更が出来、カトマンドゥ午後発でバンコックを経由し関空に向かうことが出来た。






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