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どこに行くのだろう、日本 [思いのまま]

歴史的大転換と言われた政権交代が今年の最大の出来事だろう。その背景には長年引き摺り続けてきた魑魅魍魎な政治の必然性が感じられる。と言うより遅きに失したが故にビッグニュースになったという皮肉かもしれない。小泉政権の登場がそのだめ押しをしたのだろう。その時に大転換が出来ていたらここまで日本は落ち込まずに済んだはずだ。残念ながらそのような民意も無く、それを啓蒙する指導者も不在だった。その結果不幸にも世界がすでに市場主義から舵を切ろうとしているさなかにさらにその道を突き進んで行ってしまった。

日本の一番の強みと誇りは圧倒的な中産階級によって支えられていたと言うことだ。少なくとも今日まで見事な成長を実現した国で格差社会に突き進まずに、より進化した平等社会を達成した唯一の国であったはずだ。

ところが弱肉強食が何故悪い、しかも振り落とされた弱者は見捨てる、グローバリゼーションの中で生き残る道は雇用を固定しないで流動化することでコストダウンを図ることだと言った。輸出依存体質の経済構造を作り、世界の誇るトヨタを作ったものの内需はデフレ下の中で確実にシュリンクしてしまった。

デフレの最大の原因は政治に対する信頼の崩壊だ。だから個人個人が自己防衛するしかないので一円でも安い物を探し求め、節約する、ユニクロの天国になった。しかし、縮み現象は歳入欠陥につながり、巨額な赤字国債の発行を余儀なくされてしまう。今は国内の金融資産に支えられて赤字国債が消化されているので、金利の上昇にはつながっていないが、海外の資金をあてにしなければならない時には日本はさらにスピードを上げて奈落の底に落ち込んでいくはずだ。金利高になれば本来の歳出に向けるためではなく、赤字国債の増発によるさらなる金利負担と言う重い足枷に振り回されることになる。

その前に何とか逆スパイラルから脱しなければならない。それが民主党に託された大命題だ。マスコミの非難はあるものの基本的にはその意気込みは前政権よりは明確に示されている。ところで政権交代から今日までのマスコミはネガティブキャンペーンはやるものの、そこには将来の日本を目指すべき指針が示されているものはない。

どうも日本の文化は評論家的であり、ネガティブキャンペーンに溜飲を下げてよし、とする風潮が根強い。インテリと言われている方々の本質であるように思える。

いまこそポジティブな発想で、多少のリスクも乗り越えていく気概が必要だ。普天間の件で結論先延ばしは米国を苛立たせるだけで不毛だ、と言う声がある。第2次世界大戦で本土の国民のためにあれだけの犠牲を沖縄に押しつけた我々がさらにその犠牲を押しつけ続けることの理不尽さに恥じ入らなければならない。前政権の合意とか米国のご機嫌を損ねる、という矮小的なことでこの結論を急ぐことはないはず。その点では鳩山政権は今までの追従的な外交から脱し、日本国民の立場に立った発想と結論を目指そうとしているのは評価できることだ。

世界の政治史を振り返ってもこれだけ相手国に従い続けている國は敗戦時以外ではどこにもなかった。
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普天間そして沖縄 [思いのまま]

鳩山首相がこの問題を取り上げ、今までの経緯、行きがかりを捨てて原点に戻ろうというところまでは久しぶりに「ここに政治あり」の快挙だった。しかし政治的覚悟、戦略があまりにも稚拙で行き当たりばったりの感は否めず混乱の坩堝に世論を追い込んでいるのは残念なことだ。

世論の平均的な常識である現状維持派の最大の根拠は軍備で急膨張している中国や狂気集団である北朝鮮への「抑止力」のためには、米軍への依存が唯一の手段だから沖縄は耐えるべきだと言ってきた。しかし、その沖縄は第2次世界大戦で日本本土をを守るために犠牲を一身に引き受けさせられ、しかも戦後は米国に占領され、アメリカナイズされた価値観を移植され、米国の前線基地として今でも位置づけられてしまったことだ。

この最大の犠牲者である沖縄に鳩山首相の発言は少なくとも現状脱却への一縷の希望を与えたことは事実だ。

つい最近まで沖縄での基地反対闘争は鎮静化し、ほとんど目立った活動が見られなかった。それは基地依存体質に追い込んだ日本政府の意図的戦略が結実したからかもしれないが、あるいは沖縄県民が我慢さえすれば、という沖縄県民の気質に付け込んでいたからかもしれない。

しかし心の奥深くでは何故沖縄だけが日本の犠牲者であり続けなければならないのか、と言う思いは沖縄県民の心中に通奏低音として流れていたはずだ。それが鳩山首相の発言で一気に噴出したのが今日的混沌の背景ではないだろうか。

今でも岡本行夫氏はNHK特集で大田昌秀元知事に向かって日本の安全のために沖縄は犠牲者になれ!と言って憚らない。米国へ刃向かうことに怯えるだけの弱腰で、日本外交が主体的に維持できる筈はない。今でも敗戦国日本、米国追従主義が戦後50年以上もたっても脈々と継承されている日本は米国の49番目の州と言われる所以である。

今問われているのは戦後政治の転換を普天間を通じてどこまで実現できるのかだと思う。米国と自国の利益を主張して対立関係を経験している国はいくらでもある。そしてその後、その険悪な関係が持続すると言うより新たね対米関係が構築されているケースはいくつもあるのだから。

今まで一度も反旗を翻したことがない日本だから今回のように抵抗する意志を示すと飼い犬に噛まれたと言う錯覚を感じているのが米国政府関係者だ。我々自身の人間関係でもこのような関係は普通に起きていることだ。子供が親離れする時も同じではないか。反抗期に親が絶望の淵に立たされるのに類似している。

いずれにしても沖縄の現状を改善し、日本全体でその問題を引き受ける覚悟がなければ普天間は解決しないし、その時、日本全体で「基地ノーサンキュー」をいうなら沖縄に理不尽な要求をするのではなく、米軍基地縮小、撤退を言うのが日本全体としての道なのだ。その上で今後起きうる新たな日米関係を痛みも受け入れて取り組んでいくべきではないのか。
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鳩山退陣に思う [思いのまま]

予定されたこととはいえ、鳩山退陣そして小沢幹事長の辞任は一つのケジメとして想定されたことだが、鳩山前首相の就任そして退任挨拶には今までの宰相とは全く違った味を実感した。これだけ明日に向かってロマンを語った人はいない。

「国連気候変動サミット」での環境政策への提言、そして沖縄の基地、「子供は社会の財産」、脱ダム宣言に見られる「箱から人へ」などなど、そのメッセージは拘泥の呪縛から離れられない我々に強烈な刺激を与えてくれた。

ヒマラヤでは氷河の異常な融解で、目に見えるスピードで氷河は後退し、融け流れ出た水が氷河湖を作り、いつ決壊するのか分からない、そんな危機が迫っていても生まれ故郷を去れない人々、それが温暖化の結果であることは言うまでもない。

一時のカンフル的効果はあっただろうが、目的もなく箱物を作り、今ではその維持で悪戦苦闘する地方自治体が日本中にどれだけあるだろうか。

そして沖縄問題は我々日本人とりわけ本土の人間が負わなければならない負担を戦中、戦後一貫して沖縄に押しつけ続けてきた矛盾を明確に意識させた素晴らしいメッセージだった。

県外、国外と言った話は沖縄の犠牲を解放するにはまずは県外が議論されるだろうけど、現実には各県の知事は及び腰。先日の全国知事会では多くの欠席者が出て、鳩山前首相の懇願を自分の問題としてまともに受け止めようともしない、こんな無責任な知事ばかりではとても県外は無理だった。だとしたら、国外しか解決策は無いと言うことになる。

それを主張すれば日米関係が拗れるのは必至。今回の問題の本質は日本がそろそろそこまでの覚悟をして、新しい日米関係を探る新しい時代を迎えるべきだというメッセージだったと思う。しかし、この点については鳩山前首相は明らかにプロの政治家として失格であった。ここに及んで、さらに勉強したら沖縄にある基地撤去は日米関係に亀裂を作り、基地の存在は東アジアの平和にとって不可欠だということで、あっさりと前言を翻し、元の黙阿弥になってしまったことだ。

でも辞任のスピーチから想像するに、彼は最後まで新しい日本を目指し、チャレンジをし続けようとしていたように思う。従来の旧タイプの政治家とは明らかに一線を画する新しい政治家像を示してくれた。惜しむらくは彼を取り巻くブレインに恵まれず、一人で裸踊りをさせられてしまったことだろう。

このような政治家が次にいつ頃現れるのか、あまり希望が見えない。後世から振り返ると、もしかしたら惜しい人を追い出したと言うことになるのかもしれないが・・・・・。

さらに政治を考える時、大衆迎合を前提とする政治は真の民主主義と言えるのだろうか。大衆の意志で政治を制御し、質を担保するには大衆の民度に依存しなければならないが、今日までの日本ではそれにはほど遠い。それに大衆に強大な影響力を及ぼすジャーナリスト、マスコミの程度の低さには目を覆うばかりだ。まさに大政翼賛会を否定しながら大政翼賛会的になってしまっているとしか思えないマスコミでは、大衆に建設的な議論を提供する力はないし、否、悪影響しか無いのが現実だ。
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原発=放射線=問題 [思いのまま]

忘れもしない3.11に起きた東日本大震災そして原発事故。没落の道をひた走りとも言われる日本に最後となるかもしれない警鐘が鳴らされた。その後の対応は想定外といわれる事件だけに全てが後手後手になってしまった。

震災は自然現象で不幸ではあるけど地球に生きる人類として避けがたいことであったが、原発事故は明らかに人災であることは言うまでもない。しかも広島長崎と違って日本人によって作られた被害であることは重要な事実だ。

放射線の恐怖が改めて少しずつ白日の下に明らかになってきているが、放射線のコントロールが困難で何十年、下手をすると百年の時間経過にも悪影響を残してしまうと言うことだ。

そのようにコントロール困難、しかもその悪影響の及ぶ広さ、深刻さを考える時に、経済合理主義優先で安直に原発の建設を進行してきたことは人類にとって最悪の汚点では無いだろうか。さらに全世界とりわけ開発途上国が必死に原発建設を急いでいるが、それを日本のメーカーは自社の業績本位だけで輸出を目指すことは日本で経験したリスクを世界レベルで拡散することにあるという事だ。

福島第一の3つの原発崩壊は日本の技術力があったからこそ、もっと深刻になるものを抑制出来ているのであって、科学的インフラの脆弱な開発途上国ではそのリスクは高く、事故が起きた場合には地球規模での放射線問題を覚悟しなければならない。それは中国新幹線問題からも伺うことが出来る。

国家財政が破綻しかけているのに、放射線問題で国民が背負う負担はさらに国家財政を追い込んでいく。しかも政治的幼児性=ポピュリズムは日本の全体最適の解を得ることをきわめて困難にしている。贅肉落としも出来ず、財政健全化のために課税強化も出来無いままでは落ちるところまで落ちないと再生は困難だと言うことになりそうだ。
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野田政権に期待すること・ポピュリズムからの離別 [思いのまま]

野田政権誕生で一つの希望を与えてくれています。不利な立場でありながら党首選で増税路線を下げなかった一貫性はポピュリズムに毒されている政治下ではきわめて希有な人物だったことです。

他方、その他の候補者そして野党の主張である景気浮揚をして、その先に増税を実施するという国民迎合型の理論は矛盾に満ちています。

バブル崩壊後に一貫して景気浮揚のために赤字国債を多額に発行して来ましたが、結果的には景気の浮揚は全く実現出来ず、その結果が世界的にも注目される巨額の赤字をため込んでしまいました。

その先は日本国債の信用失墜により財政健全化という政策変更を外国から要求されて、結果的には年金、歳費削減等々もっと厳しいデフレ政策が要求され、実施されることになるでしょう。

今日そのような最悪にならないのは国民の金融資産があるからですが、それも今のまま行けば早晩確実に底をつきます。

ただ、このような血の出る厳しい政策=増税路線=実現には官高民低という格差の解消が実現の鍵です。国会議員の削減、公務員の生涯賃金の見直しなど税金に群がっている公的部門のスリム化が実施されれば国民も増税に賛同するでしょうし、政治も政局依存から国民の支持に支えられた政治が実現される筈です。

隠された誘導 フクシマ原発 [思いのまま]

この一週間NHKの特番は9.11,3.11そして原発問題に盛り上がっている。その中でフクシマに関連した報道で意外なことを知った。

フクシマは日本で最初の原発建設であった。当時はメーカーであるGEですら未だ十分な商業運転経験がなかった時期である。導入したタイプはマークワンというもので、実は格納容器を経済性を追求して小さくしたことがリスク上問題であるとの議論が米国議会で当時から議論されていたらしい。

しかし問題提起した技術者はその後理由は分からないがGEを去り、いつしか安全性への疑問は消し去られてしまった。当時の関係者ですらそのような事実を知らなかったと証言している。知っていて知らぬふりなら犯罪だし、先端的原発導入というリスクを導入する当事者(とりわけ技術者)がそのようなリサーチを怠ったという極めてさびしい日本の底の浅さを知るのである。

さらに設計上の問題として電源喪失対策として自家発電装置を原発の海側とほとんど同じ条件にある隣地に設置しているそうだ。その点についても米国の技術者は起きうるリスクについて一つのリスクで同時に機能不全になる危険の察知を顧みない幼稚な対応であったと指摘している。東電の元役員からもその点については問題があったと発言があった。

確かにマグニチュード9を超える未曾有の地震は想定外という言い訳が通るとしても、前述した問題は明らかに人災でしかないと言わざるとえない。

この2点についてもっと洞察を持って対応していたら避けられた事故であったように思えてくる。

もうひとつもっと深刻な問題はこのような情報があったにもかかわらず意図的にか意図せざるところか理解できないが、判断を恣意的に目的(政策)誘導のためにコントロールしてきた事実は罪深いと言わざるを得ない。

ここにきて八ツ場ダムの見直し作業をしているが、昨日の議論では再開することの経済性が科学的にあるいは客観的にありということらしいが、それがどこまで正しいのか吟味して透明性の高い政策判断をしてほしい。

ミーイズム  悲しい日本 [思いのまま]

アジアに行くたびに日本のプレゼンスが確実に後退しているのを実感する。ネパールでは数年前までは中古のトヨタ・カローラが車の代名詞だった。それに代わってインド製のスズキが進出してきた。ところが徐々に現代にシェアを奪われ高い評価を受けるようになっている。街を歩いていると「日本語話せます」、あるいはカタカタで看板が出ている、それが決して不自然ではなかった。日本人が街を闊歩していたから。

ところがこの10月2年ぶりにネパール入りをして明らかな変化を実感した。日本人に会わない、日本語の表現が減った、日本人ですかと聞かれなくなった。時には中国人ですかと言われてしまう。

昨年、日経の交遊抄で「親日国ネパール」で彼らから日本人の誇りを思い出させてもらったエッセイを掲載させてもらったが、確実にそれが色褪せているのを実感される。

そのうえ、経済的プレゼンスの後退だけではなく、精神的世界においても後退しているのを実感する。どこの國より日本が大好き、嘘をつかない、誠実だ、優しい、まじめが彼らにとって日本人の代名詞だった。

1ヶ月にぶりに東京の街を歩いて、そんな日本人はどこにいるのだと思わざるを得ない。電車のドア口でまるでサッカーのゴールキーパーのように立ちふさがり譲らない面々。入ろうとして押そうものなら逆恨み。道でも電車でも公共の場でまるで自分の空間のように我がもの顔でマイペース、携帯を操作しくまり相手が避けるのが当然、本を読みながら流れを妨げる、肩に掛けたバックが相手の肋骨や背中に当たろうが無関心、それを伝えるとお前が避ければいいとばかり怒りの顔。ネパール人に褒められた日本人はどこにいったのだろう。きっとすでに化石化したのかもしれない。

加えてこのような振る舞いをするのは若者と思い「最近の若者は」と言いかねないが、実はいい年をしたおじさんおばさんも多い。そうか、こんな親だから躾も出来無い、子供を怒れない、そんな情けない親だったら、「困ったものだ」と言われてしまう子供達は責められるのではなく同情されてしかるべきなのかもしれない。
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「Because it is there」マロリーの有名な言葉 [思いのまま]

「Because it is thereイギリス登山家マロリーの有名な言葉だ。いろいろな解釈があるのだろうが、「生きている」とつい傲慢になりがちな今日、実は「生かされている」という謙虚さが必要だと言うことではないのか。

山と立ち向かうときに自然界の懐に抱かれているのを率直に実感出来る。それに引き替え現実の社会はあまりにも傲慢であり、自己中心であり、強欲になっていないだろうか。

敬虔なキリスト教徒と言って憚らないブッシュが「神の前では兄弟」というキリスト教教義にもかかわらず異教徒を殺戮し、共産主義を政治信条としている国では富の不平等な配分が進行し、利権が社会を支配している、このような矛盾は数え上げれば切りがない。

このような理不尽は世界レベルだけでなく、日常のなかにもいくらもある。私利私欲を剥き出しにして人を人と思わない、社会への関わりには無関心、利権を支配の道具に使う、そんな輩が跋扈している世の中だ。
しかし、悲惨な東日本大震災が皮肉にも日本人の美徳と言われながら忘れ去られつつあった「絆」を思い起こしてくれたようだ。

これは両刃の剣で、一つ間違えれば出る杭を打つ、個性を奪うと言うことになりかねない要素を秘めている。これは表裏の関係で、「絆」の持つポジティブな側面を生かしながら、ネガティブな側面を抑える方法論を作ることがこれからの日本が日本らしく再生する道ではないのだろうか。
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原発事故から学ぶこと [思いのまま]

大飯原発の再開が今問われている。政府は需給逼迫からなんとか大飯だけでも再開出来ればという方針のようだ。その需給問題が産業界へ深刻な影響を与えるということも見切り発車への動機にもなっている。

世の中の議論を見ていると何もかも満たしたいという無い物ねだり的感じが拭えない。原発事故を整理してみると下記の点が論点ではないか。

①原発では絶対的安全は無く、事故が起きた場合の被害は生活、社会、歴史、文化全てを奪ってしまうということ。これを今日まで安全神話という幻想を作ることで世論形成をしてきた。

②原子力は綺麗で環境に優しい資源とすり込まれてきたが、未だに廃棄物の処理はこれからの課題というままで、核廃棄物をコントロール出来る術を持ち合わせていない。この点はスリーマイル島、チェルノブイリでもこの度の福島でも証明されてしまった。

③戦後日本は今日に至るまで、先進国になる、そのためには経済至上主義一辺倒で走りまくってきた。そのためには目先の取りあえずの理屈が付くなら一見安いという価値だけで意思決定をしてきた。ここに来て多くの報道で明らかになったように原発を未熟な技術段階での導入、コスト優先による安全対応の後回しあるいは無視、電力会社の経営面では収益優先的発想、そして地域発展という悲願を求めての地域=僻地=判断、それを享受する受容者=都会=も安いに越したことはないという安易な判断で走ってきた。誰もが無責任な判断、というか無判断を許容してきた。

④日本は原爆で唯一の被災国であり、不幸にして原発事故にも遭遇してしまった国として今何を主張し、これからの将来に何を目指すのかが問われている。

⑤まずは目先の問題である原発の再開をどう受け止めるのかだ。まずは無い物ねだり的思考を止めることだ。反対論の多くは再開反対、電力料金値上げ反対がまさにその象徴だ。当面原発再開出来なければ化石燃料に依存せざるを得ないわけだから値上げも許容するなかで考えるべきだ。再開推進派の論点である産業界の競争力低下、ひいては成長を阻害してしまうということも、どの程度か予測つかないが、起きることも覚悟の上で主張すべきだろう。

ストレス・テストで天井を上げた条件が満たされたら、緊急避難的に最低限の原発を再稼働し、その後に脱原発の目標を合意の上で設定し、段階的に脱原発を完遂する政治的強制力を行使していくのが望ましい。しかし現時点でのストレス・テストは十分とは言い難い。ベント対策も不十分なままでの再開には疑問を感じる。スイスでは電源喪失後でも手動でベントが出来る対策が用意されていると聞く。ましてや活断層が施設下に走っているとの仮説にも科学的根拠が用意されるべきだ。今回の福島を振り返れば再開に当たって判断すべき重要事項だ。

⑦日本はエコ先進国と云われているが、それは本当なのか。明るくないと治安が悪くなる、だから煌々と明るくしなければならない、ハンディキャップを持つ人のためのエレベーターを健常者が堂々と遠慮もなく乗っている姿。企業経営では収益というバリアがあるので省エネが進行するが、社会システムが相手だとコスト意識は全く働かない。そこには大きな無駄が発生してしまう。社会に関わるコストを自己責任を放棄して社会、政治に負わせようとしている仕組みは無責任主義と自己責任主義、自立精神の放棄に繋がっている。

⑧これはきつい言い方になるが、原発誘致地区でも同様だ。誘致の背景には巨額な資金が流れている。それは原発を受け入れた利権にもなっている。正しい前提を聞かずにという事もあるが、結果的には今日起きてしまった災害はそれの前払い金の代償と言えなくもない。それを政治的に選択した帰結とも言える。

⑨これから原発再開を地域がどのように受け止めるかはその点をしっかりわきまえて判断すべきだろう。原発地区の関係者が客が来なくなって生活が成り立たない、だから早急に再開という声もあるが、それはそれで理解出来るけれどもっと広い地域までリスクを負わなければならないという側面も含めて、その先にあることの覚悟、合意形成が必要だ。

⑩それにしてもこの差し迫った時期に政治は与党、野党に限らず無為無策、自分たちのための政局としてしか受け止めていないのは言語道断だ。ただ、それをさせている背景にはそれを要求する国民、マスコミがあるからだろう。思い切った決断をすれば暴挙と云い、あれこれに配慮をすれば優柔不断を責める。国民が無責任、人任せ的になっている今日的状況を憂う。

⑪最悪にして最大の危機に遭遇した電力問題を根本から見直す今はおそらく唯一の機会だ。送電を発電機能と切り離し自由化を促進するというのも一案なのだろう。現状を前提にした改革は東電経営者のみならず全国の電力会社経営者の発する発言から浮世離れしているとしか思えない事ばかり。このような考えが企業内で常識化しそれに従えない人間が排除される企業カルチャーは百害あって一利もない、と誰しもが思っている。糾弾を浴びている官僚よりも悪質性があるのは独占企業として胡座をかけ続けられたからだ。そこにメスを入れる絶好のチャンスを生かさなければならない。

消費税増税 [思いのまま]

昨日消費税増税の法案が衆議院を通過した。今日までの経過を顧みて思うことがある。
まず政治家としての使命は何かと云うことだ。昨今に限らないかもしれないが、あまりにも政局だけが意志決定の動機として見え隠れする。党としてまた自分の首を守るために選挙だけが意志決定を支配している。だから世論調査を気にしながらポピュリズムに隷属することになる。政治家が信念を持ってこれからの日本を考えたとき、国民に対してその必然性、正当性を主張することが使命なはずだ。過去には命を賭して信条を貫き通した政治家が何人もいた。残念ながら岸信介以来主義主張はあっても狡猾な手練手管で国民を愚弄する政治家はいたが、ほとんどは世論に負けて腰砕け、猫の目にように立場を変えてしまう。しかもそう振る舞っても政治家はその生命を失う事はほとんど無かった。その程度の民意(選挙の洗礼で)でしかない。
今回の野田首相はそういう時流のなかでは希有な政治家だ。明らかに国民の積極的な支持を得られるはずもない苦い薬を信念を持って主張し続けた姿勢は見上げたものだ。自分の首をかけた決断は軽薄などんな批判をも超えた生き様として映る。それに引き替え小澤、自民党、公明党の主張には自己保身、選挙目当て、自分たちの行ってきた積年の膿を民主党に先送りした大元の元凶であるのに、恥じらいもなく責め立てる姿はきわめて見苦しい。

消費税増税という選択が正しいのかどうかは歴史しか証明できないが、今日的状況では短期的には市場の鬼との戦いを回避するために、そして長期的には社会保障の継続性を担保するためには選択せざるを得ない政策と私は考えている。全体的なスリム化、国家的無駄の排除は当然前提であることは云うまでもない。

高度経済成長時代の甘い蜜に慣れきった国民は得ること、与えられることにしか興味が向かわなくなってしまっている。しかし高齢化社会、その結果として人口減、そして低成長時代になったら、与えられている物を失い、奪われる時代になっていることを自覚しなければならない。この意識のギャップを埋めることが政治家の最大の使命であるはず。目先で起きる辛さを受け入れて将来起きる可能性の高いリスクを回避するという苦い薬の必要性を問いかけなければならない。

だからNHKの報道で今回の採決をどう思いますか、と、程度の悪い報道の仕方は何を意図しているのか分からない。しばしば叫ばれている日本のマスコミのレベルの低さが世論をミスリードしている現実がそこにはある。

マスコミが政治に対し正しい主張を要求するならマスコミ自らも襟を正して見識を示すべきではないか。どう思いますか、との質問に生活が苦しい、仕事に悪影響、被災地支援が先では、という私的な答えしか返ってくるはずがないのは分かっているはず。マスコミとして日本の将来をどうしたいと思っているのか、それを主張できないなら3流**実話とどこが違うのだろうか。

日本は何度も困難を乗り越えてきたが、今回は満たされた社会環境でのリスク対応のために、本気になって将来を考える、考えなければならない状況は皆無に等しい。例えば戦後と比較したら生きるために誰もが必死になって明日に向かっていたが、今日は少なくともある程度の生活が実現しているなかで、自分は何も考えない、何もしない、国が社会が私に手を差し伸べるべきと主張する。だから絶望的状況だといえるのだ。

明日の日本を考えるとき、部分最適を求めることで合成の誤謬に陥っている今日的状況から全体最適を志向する価値観を醸成するリーダの出現を待たなければならない。

オリンピック入賞者のコメント [思いのまま]

あと数日でオリンピックも閉幕になる。メダルの数がどうのこうのという視点はそんなこととは言いながらもついつい気になってしまう。

期待されていた柔道が全く不甲斐ない結果になったのと、水泳とかそれほど期待されていたとは思われなかったアーチェリーとかフェンシング競技で入賞という結果を見て対照的な印象を感じる。

柔道は国技でもあり、日本発祥のオリンピック競技であるという宿命とプライドが重圧となっていたのだろう。その上に国際化が遅れてしまったのが敗因と思われる。詳細は分からないが古くさい伝統と非科学的練習、そして根性論が優先しているのでは。競技後のコメントを聞いていても自責の念を語るものばかり。

それに比べて他の競技では精一杯実力を出し切ったという発言に加えて仲間意識とそのバックにあるサポート部隊そして応援する日本に対して感謝の気持ちを語り、自分だけで勝ったのではないという発言は印象的だ。このコメントは外国人には大変奇異に写ったようだ。まるで協会が想定問答集で教育しているのではと疑いたくもなるが。

とはいえ、それが仲間という支えを意識することで実力を発揮させていたのかもしれないし、発言の一言一言に不自然さが無かったのも事実。男子水泳のリレーで「北島を手ぶらで帰せない」ということに象徴的に現れていた。

日本人の意識には希薄化されたとは言え、まだ良い意味でのムラ意識が残っていて、それは今日の日本を築き上げてきた要因でもあったのだろう。ただ、目標が明確な途上国であった日本では強みだったのだが、目標を自力で構築しなければならない成熟社会になった日本では「出る杭」が必要だ。マジョリティーには現在があるが、未来の啓示はない。それはマイノリティーのなかにある。マイノリティーは「出る杭」になるはずだ。それを謙虚に受け入れ許容する社会形成が必要な時代になっている。

ムラとしての運命共同体意識と個性の尊重はしばしばコンフリクトしてしまうが、この葛藤を乗り越えられるかどうかがこれからの日本が世界に貢献していけるかどうかの課題だろう。欧米社会を賛美する多くの日本の教養人も多いが、欧米の個人主義過剰の文化には問題がある。米国に象徴される思い上がり社会は世界平和を脅かし続けているからだ。米国のあとは中国がその後塵を追っているように思える。どうも21世紀は戦争の世紀と云われた20世紀よりも恐ろしい世紀になりかねない。

日本が世界に経済力ではなく、文化、哲学の世界でリーダーとして活躍することで21世紀の世界が平和裡に終えることを願いたい。これからの社会を担っていく若者が単なる内向きでの日本大好きだけではなく、世界に向けてオピニオンを発し、尊敬される日本人になって欲しい。

知床 [思いのまま]

8月13日から斜里岳と羅臼岳を目指して北海道入り。女満別空港は初めてのランディング。お盆と云うこともあり機内は子供達の喧噪のなかうとうとしても眠りにつけない。1時間40分のフライトでランディング。

まずは斜里のホテルに向かう。途中で小清水原生花園に立ち寄った。雲が掛かってきたことと日没も早いので日差しのない北国らしい海景色を眺望。

夜は折角なので地魚の美味しそうな店を探す。「北鮮」という屋号、怪しげだが何となく予感がしてのれんを潜る。予約の人、とぶっきらぼうな声がかかる。予約無しだが、というと一瞬困惑そうな顔に見えた。矢継ぎ早にカウンターで良いけど、間髪入れずに答える。急に態度が好転して招き入れてくれた。

ホッキ貝、ホヤ、ボタンエビの刺身、熊のたたき、ホッケの焼き魚、岩のりの味噌汁・・・・。地元産だけの食事を堪能した。
斜里岳自身.jpg
翌日は快晴とは言えないが山登りにはもってこいの天候だ。残念ながら清里町からの眺望は雲の中で出来無かった。車で斜里岳5合目にある山小屋「清岳荘」を目指す。登山届けをして先に進む。なだらかな道をしばらく行くと林道に合流する。林道とはいえ車が走った痕跡はない。草ぼうぼうになっている。すぐに林道も終わりいよいよ山道になる。

下二股までは何の変哲もないトレイルだ。ここで尾根道経由の新道と沢沿いの旧道に分岐する。旧道で登り、新道を下るというのが一般的らしい。

ここから先はほとんど沢筋を登っていく。何度も何度も沢を右に左に渡渉する。沢筋を登る楽しみは滝だ。登るにはしばしば難所にもなったり、高巻きをすることになるが、最初に出会った睡蓮の滝はおとなしい姿に一服の清涼剤だ。渡渉は石伝いに難なく対岸に渡れる。ただ、気になるのは昨日降った雨がどれだけ増水になっているのかが気掛かりだ。
DSC_0669.jpg
その懸念が現実の問題になってきた。足場にする石が増水した水の中だ。流れも激しく濡れる覚悟が必要になった。そしてバランスを失って落水しないように注意が必要になる。幸いスティックがあるのでバランスを保ちながら水中に足場を作ったら一気に次の足場に移動という状況に何度かなった。方丈の滝、華の滝などを経由して上二股に着く。

ここまで登ると水量はさすがに減少し、木々も低木が増えて日差しが直接当たるようになった。その先は沢のなかを頂上を目指す。頭上に9合目胸突き八丁と表示がある。いよいよガレ場の急登になる。斜里岳と嘗めてかかったが、予想外の辛い登りだ。日差しも強くなり、汗で全身びっしょりだ。背中から回した水筒の差し口を咥えて必死に飲もうとしたが、飲んだ実感を持てるように十分な水量を得られないため、必死になって吸引しなければならない。これは相当の苦痛だった。

前方に稜線が目に入る。そして山頂はその稜線の左手にある。稜線に着いて一息いれる。稜線上には山頂を目指すトレッカーが視界に入る。彼らの一歩一歩の歩みがゆっくりだ。それはそうだ。急峻な岩場の連続だからだ。

ちょっと気が重くなったが気合いを入れて先に進む。すぐにアルミ製の小さな祠があった。この先切り立っているとはいえ左右が気になることはないが、急峻な登りは確かだ。すでに早立ちのトレッカーが下山してくる。山でのルールは上り優先だ。待機してくれるトレッカーに「有り難うございます」と一言掛けて喘ぎ喘ぎ登る。下から見るとピークと思われたところに着くが、この先にもう一登りがあった。T字状に交差した尾根に出たら山頂はもうすぐだ。なだらかな山頂で昼飯を食べる。
山頂1.jpg
霞が掛かったようにクリアではないけど、摩周湖、屈斜路湖の湖面が鏡のように輝いている。後ろを振り返ると知床連山が視界に入る。エゾリスがちょろちょろと近づいてきた。おこぼれ狙いなのか接近してきたので撮影をしようとしたがあっという間に去っていった。残念無念。

下山は上二股から新道経由で下山する。分岐してからしばらく木立のなかを登りになる。稜線に向かってほとんど水平に近いので今までの疲れを癒しながらの歩みだ。何度かの登りを繰り返して稜線上に出る。背丈ほどの草木に囲まれながら視界のきいたトレイルを進む。

熊見峠を過ぎると稜線から離れて下二股を目指す。最初のうちはなだらかな下りだったが、最後の下りは人間の背丈に近い落差を下りたり、昨日の雨でぬかって滑りやすいところもある。気を抜いたときに足元を奪われて片手を着く羽目になった。

沢音が聞こえ、一気に近づいてきた。折り返しながらの急降下でようやく下二俣に着く。ここからは来た道を下りだ。相変わらず何度かの渡渉には神経を使ったが、何事もなく無事「清岳荘」に着く。帰路麓から見た斜里岳の雄姿は見事だった。
斜里岳1.jpg
翌日は移動日。午後を利用して知床五湖からカムイワッカを巡ろう。オホーツクの海を左に見ながら斜里を目指す。右手からは大小いくつかの滝が落ちている。代表的なのはオシンコシンの滝だ。それ以外は目を見張るような滝はなかった。
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一路知床五湖に向かう。斜里にある道の駅で昼食。地元の材料を使っているとはいえ昼飯にしては高価なメニューだ。まさに観光地値段と云うことだろう。それを行列を作って待っているのには驚いた。ホッケ定食で手を打って済ませる。
知床五湖.jpg
海岸線に沿って行くと高度を上げて道は延びる。自然センター先の交差点を左折してすぐに五湖の駐車場だ。有料駐車場に入る際に本日はヒグマが出るリスクがあるので遊歩道がある一湖だけの解放だという。ゆっくり散策をしたかったので残念だが、全く見ないのも悔しいので一湖だけの散策をする。熊笹に覆われた平原のなかに池塘がある。遠くでエゾシカが笹を食んでいた。一湖の先には知床連山が望めた。一番右手が明日目指す羅臼岳、一番左にあるのが硫黄山だ。
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自然センターに戻りシャトルバスに乗る。カムイワッカの滝には自家用車は入れない。世界自然遺産に登録されたためだろう。ヘアピンカーブの連続の林道を走る。カムイワッカの滝はオホーツクに落ちる滝で何段にも分かれて連続してる。熱い温泉が湧きだしている上部の滝が有名だが、残念ながら落石の危険があるために禁止になっていた。バスストップの先では滑状の緩やかな滝があって多くの観光客が登っている。サンダルで入ると生暖かい。温泉のせいだ。滑らないのか気になったが硫黄が混ざっているので水量のあるところほど滑らない。普通なら流れを避けた方が良いのだが、ここでは逆だ。監視員が怖がっている観光客に敢えて水の中に入るよう助言していた。

まだ時間があったので知床峠を越えて羅臼に向かう。峠では眼下に今はロシア領にされている国後島が眼下に見えた。こんなに大きいのかと感慨深いものがあった。四島返還が政治問題として話題になるが、国後島の大きさを見て四島一括返還に拘る意味が理解出来た。
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ただ、世界的に見て国境はそこに占領されている地域に自国民が居住しているという厳然とした事実があれば民族問題と国境問題を絡めることが出来るのだが、残念ながら四島には日本人が居住していない、全員がロシア人だという点がさらに解決を困難にしているように思えた。

羅臼から知床半島先端に向かっている道が途絶える相泊に向かう。最果ての街、右にはロシア領が迫っているというちょっとした緊張感と国境という日本では実感できない感傷気分に浸った。相泊の手前に瀬石という集落があり、そこには海中に突き出して温泉があったはずだ。それこそ数十年前に訪ねたときには満潮に近く海中に没する直前に湯浴みしたことがあった。今日も満潮に近いのでさてと不安に駆られたが、なんと温泉がしっかりした石で囲われて入浴出来る状態になっている。早速全裸になって飛び込んだ。夏だから丁度良い湯加減といえるが、寒い時期だったらどうだろう。温いのかもしれない。
瀬石温泉.jpg
そこからほんのちょっと足を伸ばすと相泊だ。そこにも海岸に温泉があるので立ち寄ったが、ごった返していた。夕刻も近づいて地元の漁師も来ているようだ。ここでの入湯は諦めて帰ることにした。ところが道ばたで人だかりが出来ている。山側の小高いところを見ると熊が彷徨いていた。親熊ではなく、親離れした子供のようだ。
相泊エゾシカ.jpg
羅臼岳を目指した翌日は生憎の天気になった。しとしとと雨が降り、山容も確認できない。昼頃にはさらに激しい雨になるとのことで登山は断念する。その代わり知床の岬までのクルージングでもと問い合わせたが、風が強いので欠航になってしまった。宿でぐだぐだと時間を過ごすが、時間を持て余し岩尾別温泉(地の涯温泉)に向かう。到着する直前に左手にヒグマが草を食んでいるのを発見。地の涯温泉は2度目だったが野趣溢れる良い野湯だ。
岩尾別ヒグマ.jpg
昼過ぎには雨脚も弱まったので再度クルージングの可能性を確認した。幸い、岬の手前にあるルシャ湾までのクルージングが就航となったので乗り込んだ。20人ぐらい乗れる船だ。14時に出航。右手に知床の岩壁、そこを這うように落下する滝、岩壁に生息する鳥などが観察が出来た。途中ではオジロ鷲も。だんだん霧が掛かり、霧雨も降ってきた。
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ルシャ湾はヒグマウオッチングで有名らしい。波も高く、視線を凝らすけどなかなか誰も見つけることは出来無い。その時、ガイドからヒグマが居るとの声だ。石ころなのか熊なのか、揺れる船からの確認は難しい。見えたという声も聞いたが岩を錯覚しているのではと疑いたくなる。
ヒグマルシャ湾.jpg
(クリックすると拡大します)
ルシャ湾では観光船は何度も行ったり来たりして観光客に何とか見せようと頑張ってくれているようだ。ようやくの思いで私も200mmの望遠を付けたカメラでヒグマの存在を確認して、撮影にも成功した。

最終日は午後のフライトに間に合うように帰ればいい。時間の余裕もあったので斜里から裏摩周に向かう途中にある神の子池に立ち寄る。この池は摩周湖の伏流水がわき出てできているとか。確かに透明度はとても高い。

裏摩周の展望台からそして第一展望台、第3展望台を巡り、硫黄山を巡り女満別空港に着く。
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ニホンカモシカ [思いのまま]

思い立って八ヶ岳硫黄岳を目指して朝4時に出発。天気予報では午前中は晴れとなっていた。双葉で朝飯と昼ご飯の調達をする。

桜平はカーナビでは検索できないのでフォレスト三井の森を設定して走る。三井が開発した別荘地を抜けると砂利道になる。悪路の部類だろう。幸い、4駆なので気遣うことなく走る。桜平にはすでに多くの車が駐車していて場所の確保に苦労する。一番奥の広場の片隅に辛うじてスペースを見つけて早速登山の準備だ。

この先も林道は整備されているが関係者以外は入れない。沢を越してひたすら車道を登る。車が登るにはかなりの傾斜だ。硫黄臭が臭ってくると夏沢鉱泉だ。八ヶ岳は高校生時代に入って以来なので見るもの聞くもの新鮮だ。小屋は昔の薄汚い小屋のイメージとは違って小綺麗になっている。山ガールとか山ボーイの時代だからそうもありなん。

引き続き林道が続く。しばらく行くといよいよ山道だ。といっても十分な広さがある。日差しもあり、多少汗ばむが、快適な登りだ。オーレン小屋のミニ発電所を通過し少しずつ山岳らしい雰囲気になる。オーレン小屋に着く頃には空には雲が掛かり天候悪化の予兆だ。でも一気に悪化することはないだろう。

硫黄岳には夏沢峠からと赤岩の頭経由があるので夏沢峠を選ぶ。しばらくは木立のなかを緩やかな傾斜を登る。沢も涸れ沢になりそれに沿って登る。傾斜が緩やかになると冷たい風が気持ちよく通り抜けるようになる。そうなると峠も近い。

夏沢峠ではガスのなかで景観を楽しむことは出来無い。小屋にはモモンガ、オゴジョが出没する小屋として宣伝があった。ここから山梨側に下りると本沢温泉がある。昔々野湯を求めて行ったことがある。でも小屋の案内板を見ると温泉が売りになっているようだ。今や野湯ではなく普通の秘湯になってしまったことだろう。

ここからは尾根状のトレイルだ。しばらく登ると森林限界になる。はいまつ、シャクナゲが群生している。霧がかかり視界は不良。ふと右手に目を向けると30Mもない先で草を食んでいる黒い動くものが。久し振りに見たニホンカモシカだ。人が近づいても動ずることなく、こちらを見ている。足で首あたりを掻いたりもしている。
慌ててカメラを取りだし撮影だ。景色は楽しめないがカモシカに会えるだけで運が良かった。
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霧はますます深く足元だけが視界だ。この先は岩を砕いて作られたトレイルを進む。ケルンがこの先頂上まで立っていると聞いた。霧が掛かっても道を失うことはない。なだらかになるとすぐに山頂だ。山頂には10人ほどの登山者が食事をしたり撮影をしたりで寛いでいる。折角買ってきたおにぎり弁当を少しは早い時間だが、口にする。

そうこうしているうちに横岳、赤岳が浮かび上がってきた。下りは赤岩の頭を経由して下る。取り付きは岩場を、その先は赤茶けた山肌を露出した尾根道だ。赤岩の頭で赤岳鉱泉に下りるトレイルと分かれて右手の背丈ほどの藪を下る。ここからの下りは落差がある足には負担になる下りになる。気がつくと雨音がしてきた。やっぱり雨か、と雨具の用意だ。さほどの雨脚ではないので気になるほどではない。

オーレンの小屋に着く頃には雨も気にならない程度になったので雨具を脱いで下山する。ここからは登ったトレイルを下るだけ。

権利と責任(義務) [思いのまま]

戦後、"与えられた"民主主義が導入されて、今日の足場が確立された。軍国主義一色の戦前から一気呵成に先進国家への仲間入りを目指した。

戦争で全てを失った日本は生きるためなら手段を選ばず、良くも悪くも経済至上主義を軸として成長路線の軌道に乗る。そのような時代背景に背を押されて民主主義の一面でしかない個人主義=権利だけが価値観を支配していったのではないか。

それは幸いにして日本は一時的ではあったが先進国に追いつき追い越す契機にもなった。

一時はJapan as No.1として世界中を席巻し、その誇りに酔いしれていた日本があった。時には行き過ぎた思い上がりが世界中から非難もされた。

日本には個人と社会を穏やかに関係づけるトータルシステムとしての価値観があった。謙虚、謙譲、気遣い、思いやり、情けは人のためならず、などなど日本の社会に穏やかな絆がビルトインされていた。

反面、このような価値観は戦前の軍国主義を支えた精神的土壌でもあった。

しかし今日の日本ではその反動なのかもしれない行き過ぎた自己主張(我欲)意識が跋扈している。そして戦前、全体主義下で抑圧されていた個人が、権利を手にしてまるで子供のようにだだをこねて強請っても良いという風潮が見え隠れする。

あげくは権利という人権の前では全ての考えが思考停止を要求され、人道主義の声に圧倒されて議論すら出来無い事態にもなっている。

社会がインデペンデントで個人、個人が自己責任で生きているならいざ知らず、社会は互助するシステムを作って社会的安定を実現しようとしているのは云うまでもない。

極端に個人個人が責任をもって生きるべき、との米国流の小さな政府という政治信条は極端としてもその対極にあったはずの共産主義(現実にはまやかしの共産主義であったから)は今やナンセンスという時代にもなり、日本はどちらにも与しない単なる権利主義国家に、そしてそれを支えるポピュリズムという慢性期疾病を患ってしまった。

多くの先進国家では可能な限り個人の要求に沿うよう政治プロセスが出来ている。それが機能したのは経済成長という背景があったからだ。

しかし、個人の要求を満たす財源が欠乏しはじめた今、過剰化している権利を少しずつ剥ぎ落としてインデペンデントに生きていかなければならない時代になっていることを自覚しなければならない。

日本は幸か不幸かその先端にあるのではないか。いろいろ綻びはあるが日本ほど手厚い保障が実現している国はいくつかの小国を除いて希有だろう。それはまれな中産階級化をベースとした高度成長がそれを支えてきたからだ。

しかし成長を望めない今日では今までの価値観を変える時期が来ているのに、相変わらず権利の主張、人道至上主義が支配的な価値観であることに危惧を感じるのは私だけだろうか。

権利を実現する背景には再配分というシステムが必要だ。再配分するパイが増えないなら制約が生じる。これからは既得権と云われた権利も削る時代なのだ。辛い話だが、それを超えていかなければならない。

権利(利権)の見直しが必要だ。戦後多くの利権(権利)がばらまかれてきた。それは時代背景から許されたあるいは望まれたものであったのだろう。生活保護費、健康保険、失業保険、疾病に関わる保障、高齢者への援助などなど。

ところが様相が一変した。以前は必死になって頑張っていた、あるいは頑張る意欲があるが厳しい状況に追い込まれた人への再配分が原理原則だった。ところが今日では就業するより失業の方が条件が良いからと云って自発的失業を選ぶ、外来件数に表れるように安易に医療受給をする(ドイツでの外来件数の数倍が日本の現状)、就業するより原発の補償金の方が高いので自発的失業をする、このような例示を探すのにいとまがない。

依存する方が楽だ、という世の中は退廃への道に繋がる。社会的公平を求めた結果が逆の不公平になってしまう。これが「正直者が馬鹿を見る」今日の世の中のようだ。

明日に希望を持てない、持たなくてもいいという社会には明るい将来は展望できない。節税、脱税に明け暮れるのではなく喜んで税の納付によって責任を果たし、社会への関わりを継続することで個人と社会の接点を繋ぐことが出来、コミュニティーが再生され、そこに日本的絆が再生するのではないだろうか。

そのためにはまずは自立する気概と責任を果たす、それでも起きてしまうマイノリティー問題には自立するための支援を厚くする、ただただ依存しようとするグループには厳しい対応が必要だろう。それが社会的公平を実現するために通らなければならない道だろう。

衆議院選挙の結果を見て [思いのまま]

この度の衆議院選挙では自民党の小選挙区得票率は43%だったのに議席占有率は79%に及んだ。この傾向は前回の選挙でも明らかになった現象である。民意を反映という本来の選挙の目的とはあまりにもギャプが生じている。残念ながらこの問題点を指摘するマスコミの声はほとんど無い。世論にもそれを問題視する声が小さい。

最高裁が定員割りで違憲を指摘しているが、小選挙区選挙の制度の問題の方がもっと不公平であることだ。

さらに選挙の質の低下は小選挙区では顕著で国より地域に傾斜した主張が叫ばれ、ポピュリズムに走りやすい、その時の気分で世間受けを狙った主張が叫ばれて世論は単純に乗せられて動いてしまう、烏合の衆化に不安を感じるのは私だけであろうか。

尖閣や竹島では中国韓国と正面対立を叫んで選挙公約をしながら、すでにその矛を降ろそうとしている。民主党はマニフェストを反故にして大敗を喫したが、自民党というか安倍総理は同じ事をしていることになる。否、民主党は政権経験無しの無知から純粋に掲げた幼さであったに対し、今回の自民党は確信犯である。

国債を無秩序に日銀に保有させるという「青天」にして国民受けのいい放漫財政に走る恐怖に誰がブレーキを踏むことが出来るのだろうか。心地よい言葉と政策におぼれて将来に禍根を残さなければ良いのだが。、

チトワン国立公園(ネパール) [思いのまま]

昨年11月にチトワン公園を訪ねました。3度目ですが何度行っても楽しいアクティビティーです。

今回はカトマンドゥからの2泊3日のツアーに参加。8時にKTMを出発。その日は3時頃に現地到着。チトワンの集落散策。翌日は朝一番で象に乗ってジャングルサファリのあと午後はカヌーで川下り、その先でジャングルを歩いて戻る。そして夜は現地のダンスショーを観劇して翌朝にKTMに戻るという行程でした。
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(途中で日本で云えばサービスエリアでランチ)
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   (チトワンの風景)
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   (夕陽)
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 (ライノー、インドサイ)
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    (ワニ)
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チャング・ナラヤンとバクタプル(ネパール) [思いのまま]

2012年11月、KTM東方12KMの郊外にある古都バクタブルを訪ねた。バクタプルは世界遺産に指定されている。KTMとパタンそしてバクタプルが15世紀から18世紀のマッラ王朝時代それぞれが首都だった。三つの古都を比較するとKTMは街のど真ん中で荒らされ放題と人の喧噪に飲み込まれているので魅力を感じない。パタンはKTMに比べれば多少の落ち着きを感じるが、都会的雰囲気の延長にある。ところがバクタプルは離れていることもあるだろう、とても落ち着いた佇まいで建造物も傷みが少ないように見えた。個人的には一押しの古都と言えよう。

KTM市内王宮前でタクシーの交渉だ。往復でチャーターする。トリブバン飛行場を左に見ながら廃線となったトロリーバスの架線沿いに東に向かう。ポカラに向かう道より整備が進んでいて片側3車線だ。ネパールでは信じられないまるで高速道路を走るごとく加速する。

バクタプルの北にチャング・ナラヤン寺院がある。この寺院は世界遺産に登録されているネワール文化を見事に表現しているヒンズー教の古刹で4世紀に起源を持つ。まずはそこに立ち寄ろう。田園風景の道を先に進むと丘陵エリアに移る。タクシーはアクセルを踏み込みながらS字カーブを高度を稼いでいく。あっという間にさっき通った田園風景が眼下に広がっていた。

寺院下にある駐車場にタクシーを置いて坂になった参道を上る。両側には店が軒を連ねている。どこにもある風景だ。この寺院はヒンズー教寺院のはずなのに曼荼羅絵など仏教に絡む土産も売っていて一瞬この寺院は何だったのかと疑問を感じてしまう。そういう大らかさの宗教観は日本人にも繋がる感性だ。

11月とはいえ天気が良いので汗ばんでしまう。山頂には本殿があり、左手には宝物殿があって歴史的価値のある仏像などが展示されていた。
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丘を下っていよいよバクタプルに入る。ここは2度目なのである程度予想がつく景色だ。街に入るためには入場料を支払う。確か15ドルだった。王宮前にあるダルバール広場に入る。右手にあるレストランでカレーセットを注文する。店は観光客以外には出入りしないので料金も高い。東京の中級店並という感じでネパールでは異常に高い料金にはびっくりした。古都は保存状態もいい方で2度目でも十分満足させてくれるツアーになった。
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右傾化する日本.、次の重要な選択は [思いのまま]

前回の選挙で民意を反映していない絶対多数を得て、まるでそれが民意で
あるかのように錯覚して憲法改正へ思いっきり舵を切ろうとしている。
まずは改正を議決するために96条を改正し、民意ではなく安倍首相の思う
ままに憲法を改正しようと企んでいる。

幼児ながら東京大空襲を経験し、今で言えば爆音とサーチライトのPTSD
になっていたのを記憶している。母親が私を背負って行った闇米の買い出し
も強烈な印象だ。私の原点はどうであれ絶対に戦争をしてはいけないと
いう事。その点では一部にはお仕着せ憲法と揶揄する輩もいるが、多少の
問題はあるとしても世界で稀な理想的な現憲法だと確信している。
外交は所詮は理屈ではなく、力関係と友好関係で決まる。その為には
まずはコストのかからない争いを避けるための手段、政策を徹底的に追求
することだ。

憲法改正の声が強くなっている背景には竹島、尖閣問題が影響している
のだろう。その火に油を注いでいるのは慰安婦とか戦争責任を明確に
しない安倍政権の発言に由来していることもある。
中国韓国が日本人感情を逆撫でしているように見えるが、我々が被害者側
であったらと冷静になればその感情の発露はある意味必然で、当然と思え
なくもない。

最近の安倍政権の発言は戦争責任を敢えて避け、それどころか逆撫でする
発言が多すぎる。その行き着く先は最後は力尽くの決着、戦争でしか結論を
得られなくなってしまうというシナリオだ。それが今回の憲法改正で海外にも
派兵できるように憲法を改正しようとしているのだ。

安倍さん、憲法改正してもあなたは戦場には行きませんよね、自分が行く
つもりで改正する勇気がありますか、と問いただしたい。憲法改正の背景に
ある無責任さは自分は戦争現場とは無関係だという安易な考えが世論にもある。
その結果だろう、日本の根本を変えてしまう今回の憲法改正議論にその世論が
あまりにも無防備であることに恐怖を感じてならない。

現在の日本は世界の中でどう見られているのだろう。右傾化する日本に一番
理解があると思われる米国の識者からも安倍首相の歴史観の歪みに否定的な
見解が出ているらしいし、隣国である韓国、中国にとっては心中穏やかでない
のは云うまでもない。中国はこことばかりに沖縄県の領有にまで言及し始めて来た。

人間は残念ながら先人の精神的遺産を継承は出来無い。学ぶことは出来ても学ぶ本人の
中に内在する本性、領域を越えることは絶対出来ない。芸術を見れば分かる。18、19世紀
の天才、バッハ、モーツアルト、ベートーベンは今でも新鮮に心に訴えてくれるし、その後
彼らを超えられた作曲家はいるだろうか。精神世界はその人の中でしか醸成されない。

この性を乗り越えるために人類は歴史を学ぶことでその欠点を乗り越えようとしてきた。
ところが現実にはしばしばその歴史を看過している。その一例が「失われた20年」の経験が
今や単なる過去として雲散霧消しつつあることだろう。何度と繰り返したバブルの経験を
歴史に学べばある程度コントロール出来ていたはずだ。今まさに同じ事が始まろうとしている。

安倍首相の発想には自分が頂点、歴史に学ぶという謙虚さが全く無いし、しばしば思い
上がりの発想で民を従え、付いてこい式の発想が見え隠れする。民主主義の原点は
民の声を集約するところに始まるはずだ。それが出来無い宰相は危険極まりない。

「美しい日本」「世界から羨ましく思われる日本」「歴史認識の外交・政治問題化望まず
(この点は自己矛盾でしかない。自ら歴史認識を政治の舞台に持ち出しているではないのか)」
の言葉には空虚さが響き、同時に違和感を感じる。先日長島、松井の国民栄誉賞授与式
での振る舞いはまるでヒットラーがベルリンオリンピックでの演説姿にダブったのは私だけの
錯覚だろうか。

このような自己中の発想からは外交面では独走の危険があり、国民にとっては一部の取り
巻きだけが優遇されるシステムを構築していく危険を感じる。

パンドラの蓋を開けることで隣国との対立関係が深まるのを期待しているような政治より隣国を
罵るのではなく、尊敬しあえる関係を構築するのが政治でだろう。争いを求めれば自ずから
軍備費の増嵩に繋がり、本来国民の幸福に使われるべき富が浪費されることだ。ただでさえ
財政危機が問題になっているおり、さらに財政を悪化させるか、あるいは福祉から防衛に財政が
シフトして国民の犠牲が増えることになる。

戦後紆余曲折があったが深刻な歴史的大転換の危機が今日ほど緊迫していたことはないだろう。
有名なタレントや地盤を継承する世襲議員に安易に任せるのではなく、地域利益誘導ではなく、
安定した国益と安寧を真に思う政治家を選ぶことが我々の責任だろう。

三浦雄一郎のエベレスト登頂は? [思いのまま]

三浦雄一郎が80歳にしてエベレスト登頂と辟易するほどの報道ぶりだ。私はピークハントはしていないが、ヒマラヤに何度も足を踏み入れてシェルパ族の友人からもいろいろ聞いている。この度の偉業といわれている事実はどう評価するべきなのだろうか。確かに80歳にしてあのような意欲があったと言うことは評価に値するが、登山家の視点から見たらあれだけの資金を使って贅沢なサポーターを従えての達成には疑問を感じるのではないか。しかもヘリを使っての行き帰りでは言語道断。そしてマスコミを巻き込んでの騒ぎぶりにはあきれてしまう。まるでプロレスの試合を見てはしゃぎ立てている観客に成り下がっているマスコミがそこにいる。
エベレストは8000m級の山では一番安全なピークハントの一つと言われている。今回はスポンサーを集めて潤沢な資金で十分な酸素と贅沢な装備が用意されていた。奇しくも同じタイミングで河野千鶴子さんがダウラギリで非業の死と報道されている。資金も潤沢ではないのでおそらく十分な酸素も使わずにギリギリの装備で、エベレストよりもはるかに難しいと言われるダウラギリに挑戦した彼女(66歳)の死の方がどれだけ心を打つことだろう。所詮は登山家と冒険家の違いなのか。エベレストを興業の対象に使った売名のために利用したとしか思えない。

河野さんと三浦雄一郎 [思いのまま]

ほとぼりも冷めて過去化しつつある三浦雄一郎の最高齢での登頂そしてダウラギリ登頂出来ず帰らぬ人となった河野千鶴子さんは偶然にも相前後してニュースになった。それはピークハントのシーズンがその時期に限定されるので同時期になっただけだ。この偶然は山に向かう人間の両極にある姿を映し出す結果になった。河野さんに関する情報は部分的でしかないので正確かどうかは別としてある程度想像も含めていると断らなければならない。

片や億の単位の資金を集めてヘリコプターを使って美味しいご馳走に恵まれて多くのサポーターが支えて実現した記録の意味をどう受け止めればいいのだろうか。山を愛する人ならそれ以上を語るまでもないだろう。

他方河野さんは老婆の記録更新を目指すわけではなく、一人の女性として人生の再発見を山に求められたと言われている。ダウラギリというエベレストどころではない困難な登頂を目指し、ピーク手前100Mで先行したパーティーのトラブルで引き返さざるを得なくなっての途中での非業だ。しかも同行したサポーターは2名だけという考えられないギリギリの態勢だった。

この対比から学ぶことがある。金次第で望むものを手にする、額に汗をして頑張ることのばかばかしさ。昨今の世相は残念ながらそういう風潮に流されている。自然が商品化されやすくなったという事でもあるのだろう。マスコミがそうさせているのだが。

自然は命の源泉であり、心を豊かにする源だ。ところが自動販売機でコインを入れれば手に入る清涼飲料同然に簡単に手に入る。室堂にハイヒールで立てるわけだ。ヒマラヤでもホース・トレッキングが増えているし、へりを使って一気に高山へ、が日常化している。耐久消費財であった自然が、確実に消耗品化しているということだろう。

自然の懐に入って心を洗う。しかし自然は心を癒してくれるだけでなく、ある時突然牙をむきだして襲ってくる。そのリスクはしばしば避ける事が出来ない。それが自然の本質だ。河野さんはダウラギリでその両方を体験してしまったわけだ。自然との付き合いはだから難しい。生きることの極限を目の当たりにしながら、自然の懐に入るための汗が全ての呪縛から解放してくれる、その魅力に恋い焦がれていたのが河野さんなのかもしれない。

この時代、偶然にもヒマラヤで起きた二つの椿事は自然と人間の関わりについて強烈なメッセージを送っている。合理主義の蔓延で金次第の社会が支配的になり優位になりすぎたために社会の歪みが大きくなっている。その背景の一因に自然への畏怖、敬意の欠落があるのではないだろうか。自己中で自分だけの世界に引き籠もる。自分を支えている社会そしてその背景にある自然との関わりを遮断している。

もう一度心の豊かさを手にするために、そして自然と共存する社会を構築するためにも、多くの人が自然に接して欲しい。それも金次第ではなく、自分の足で額に汗して手にする自然との出会いを大事にして欲しいと願うのは私だけだろうか。

アベノミクスの陥穽 [思いのまま]

ダボス会議で自信満々の日銀総裁。海外からは結構ちやほやされたように報道されていたが、所詮報道は意図的に一部だけを報じる癖があることを前提にしなければならない。その背景にある世界から注目された「アベノミクス」だが、現時点では円安で物価上昇を誘引したという意味でインフレターゲットの実現に向けて動いているように見える。

さて、目指す円安とインフレは何を目的としているのか、あるいは何を目的としなければならないのか、が世の中では議論がされていないように思う。ともわれ最終的には経済成長の実現で再配分出来る所得が増え、需要が喚起されて成長が実現するというシナリオでなければならない。さらに所得増加の再配分過程で一部に偏在しない仕組み(税制等で)を構築する必要がある。

ところがアベノミクスでは最後の目的がほとんど語られていないのだ。インフレは富める人に優しく、貧しい人にとっては地獄になりやすい。日本の中産階級は核分裂して貧しい階層にどんどん追い込まれているのが現実だから、インフレの影響はマイナスに大きく関わっているとしか思えない。それは非正規雇用で利益追求している産業構造から見ても明らか。

このように所得が増えないのに円安で輸入価格上昇が進行すれば国民全体としては生活が脅かされることになる。

また視点を変えて円安のメリットと思われる輸出増加だが、一向に増えていない。それは為替リスクを避けようとする企業が生産拠点を海外に移しているし、一時かもしれない円安で生産拠点を国内回帰する企業はそう期待出来ない。国内回帰がなければ雇用創造も実現出来ないわけだ。

さらに最近盛んに声高に安倍首相は叫んでいる「日本津々浦々に好景気を」だが、例えば地方のシャッター通りをロードサイドビジネスに代えて元気づけるというような、具体的に何をしたらそれが実現するのかについて全く触れていない。彼一流の言葉だけの戯言としか聞こえてこない。そろそろアベノミクスの本質が誰の目にも分かるような時期が近いように思える。
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暗闇の世界に向かっている日本? [思いのまま]

知らなかったNHK経営委員の顔ぶれ。次から次と過去に不適である証拠が露わに。こんな輩が任命されている背景に安倍政権の意向があることは明白だ。公平にして中立、事実だけを正確に伝えて欲しい公共放送がすでに安倍政権の思うままに操られるようになりそうで恐ろしい。すでにそうなっているのかもしれないが。

靖国参拝で意図していることは不戦ではなく戦争責任否定、慰安婦問題での恥ずかしい言い訳などなど、世界中から異常な日本と見られはじめているように思える。海外に行くと「誠実、勤勉、平和ニッポン」の方ですね、と顔を赤らめながらもほくそ笑めた日本人も確実に白い目で見られる日が近いことだろう。
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原発と電気料金 [思いのまま]

エネルギー基本計画へのたたきが台が議論されている。その中でベースロード電源に原発も連ねられている。この意図については見方が分かれているが、どの立場に立とうが「原発は安い」という幻想を否定するところからはじめなければならない。確かに目先の電気料が高騰しているのは事実だが、それはあたかも原発が停止しているからだというごまかしがある(円安の影響も無視できない)。福島原発事故でとりあえず見える範囲だけでも10兆円を国民が負担しなければならない。その負担は電気料ではなく簿外の税金になっているだけだ。その負担も含めれば原発が安いとはいえないし、加えて福島での神風*がなければ関東甲信越風向きでは東北一円は放射能汚染地域になるリスクがあったことを考えると、目先の料金だけで議論するにはあまりにも軽率と言わざるを得ない。言うまでもなく廃棄物処理問題も先の見えない闇のなかだし、この問題を経済至上主義だけで議論することは将来に禍根を残すだろう。

*神風の説明はこのURLをご覧ください。
http://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-1168.html
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3.11を控えて・・・福島と沖縄 [思いのまま]

3月11日を控えて思うこと。それは沖縄問題と福島は共通していることだ。どちらも被害者、被災地は利益享受者に利用され、問題の前面に置かれていたということだ。

沖縄は第2次世界大戦で本土に代わり前線基地としての甚大な被災を被ったばかりか今日に至るまで米国の占領地同然に置かれている。また福島原発は東京そして日本の経済的富を実現するために建設されている。原発の被災現象は3年経過しても混沌として不透明感は拭えない。その後遺症を背負った被災者が大勢いるのに、その犠牲を補償する手立てが結局は無いことも分かってきた。

ここから学ぶことは作られた世論は抗しがたい勢いに飲み込まれて一気呵成に猛進することだ。戦前の戦争礼賛、ヒットラーもそうだったし、安全神話に先導された原発推進も経済至上主義の結果だ。

これに限らず今後も政治のシステムは世の中が間違った方向に行くリスクがあること知り、そのリスクを制御できる政治的、法律的歯止めをビルトインしておかなければならない。恐ろしいことは今日その制御システムが一つ一つ破壊されていることだ。

STAP細胞問題の肝心なことは [思いのまま]

STAP細胞問題のもう一つの見方。今になってあれこれ精査して結局は黒との判定になっているが、あれほどの話題性があるテーマでの研究について、世に問うときに多くの識者が関係していたはずなのに、今になって虚偽だとしたら、そこを問題なく通り抜けてしまった体制とか判断能力とかが問われるべきではないのか。小保方さんが実際はどういう意図でサイエンスにチャレンジしたのかは分からないが、世論に祭り上げられて、そのあげくに地獄に突き落とされたとしたらマスコミの被害者かもしれない。仄聞の限りだが、有名(?)学者は弟子の成果に悪のりして成果を横取りすることしばしばとか。今回もそのような風土がどこかになかったのか。今回の事件は小保方さんにも問題があった以上に学問、研究を支える制度問題の方が深刻だと思える。
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消費税アップに思うこと [思いのまま]

社会保障と税の一体改革のもとに消費税が8%にアップした。3%アップが痛くもない安倍さんが三越にお出ましになり、にこにこ顔で買っている姿が放映されていた。安倍さんのにこにこ顔を苦々しく思った人が何人いたんだろうか。
消費税を上げることは「社会保障と税の一体改革」と言う美名のもと国家財政の収支ギャップを埋めるために一番実現性がある痛みとして受け入れたわけだ。その時に一番配慮されるべきことは個人ベースで収入増のあてのない階層への配慮がどこまで真剣に配慮されたのかだ。
実は最近知って驚いたことがある。知り合いの前大学教授によると、OECDの統計から所得分布を見ると貧困率の一番高いのは想像通り米国で、しかも1995年から2009年の推移で大幅に悪化している。日本はすでに米国よりは若干低い水準だがその水準に近づき、悪化率は最も高く確実に悪名高い米国の水準になろうとしている。それに比べて英、仏、独では日本の60%程度でしかも変化は横ばい、一部には改善している国もある。
日本は中産階級が膨らむかたちで相対的には平等な社会が形成され、欧米のような階級社会とは違った幸せな国になってきたのが戦後史だった。ところが現実にはこのように社会が二極化しているのに(それを私自身も無知だったのだが)その問題が噴出しない状況はどういうことなのだろうか。
階層の二極化の背景には企業の内部留保が労働分配率の低下と裏腹に空前の規模になったこと、それを支えたともいえる非正規労働者化することで賃金の二重構造を加速したことが大きいと思える。それに加えて地方の荒廃による格差拡大だ。
インフレ政策は富める者に優しく、貧しい者にますます厳しい、格差拡大になる癖があることは必然。それをどのように歯止めして補強していくかが肝心なのだが、施策には法人税の減税や企業活動へのあだ花的施策はあっても、格差を解消するための施策が全く無いのが現状だ。地域格差を解消する施策も皆無といえる。
増税は誰のために。残念ながら現状からは将来の日本に、一縷の希望さえも与えていないように思えてならない。
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「おもてなし」の裏側 [思いのまま]

「おもてなし」でオリンピック招致を決めたわけですが、さてさて日本の魅力を売り物にしたのに現実は?
世の中見ていてそれが仮面でしかないと思うことしばしば。

都会では毎日トラブルの連続。おもてなしの本質は相手を思いやる、理解する気持ちがあって発露すること。それなら公共の場でスマホに一心不乱。それは周りに気遣いを強要することに。通話を控えましょうと車内放送があっても無視して大声で通話を。傘かしげも今は昔。

それが社会的にも地位があり一見知識人と思しき人でも当たり前に。

「おもてなし」が商魂としてしか使われなくなった日本そして日本人の矜恃はどこへやら。

躾の出来なくなった大人、それを拒む世の中。余計なお世話はトラブルの元。そんな国で「おもてなし」を売り文句にするのは虚偽表示で訴えられませんかね。確かあの時に「原発はアンダーコントロール」とも宣言した嘘つきがいました。日本は「嘘つき大国」に成り下がってしましました。

巡礼の旅 [思いのまま]

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世界にはいろいろ巡礼の旅がある。サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼や出羽三山での修験道、四国巡礼などなど。私にとってはいまやヒマラヤやカラコルムが巡礼のように思えてきた。「Because it is there」と言う名言もあるが、正直言って辛い思いをして何故何度も行きたくなるのか分からない。天空に棲む神との出合いを希求しているのかもしれない。理屈抜きで「空」の心境にはなれる。損得抜きの世界だし、自然の恵みや怒りをそして人の優しさ、生かされていることも実感する。自然からどんどん遠ざかっている毎日からの逃避かもしれないが、実に清々しい。
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静かな高尾 [思いのまま]

今日は梅雨真っ只中なのに強い日差し、しかしからっとした気持ちいい日和になった。あわてて家を飛び出して高尾に。高尾駅前蕎麦を掻き込んで今日は小仏行きのバスに乗って日影で下車。バス道を少し先に進むと左に曲がると日影沢だ。しばらく行くとキャンプ場。
その先を左にトレイルをとる。木漏れ日のなか静かな上り。林道とクロスして再び山道を登る。この一帯は裏高尾で行き交うトレッカーはほとんどいなかった。
高尾はミシュランで三ツ星の評価をうけてますますの人混みだ。自然をゆっくり堪能する気分になれないのだが、このルートは別世界。山頂下で一般参道に合流する。
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山頂から4号ルート経由でケーブル乗り場に向かう。乗り場の手前から左手に折れる。蛇滝に向かう。このルートも数人としか出会うことない静かなルートだ。
かっこうやウグイス、識別出来ない美しいさえずりにうっとり。そういえば圏央道建設計画が発表されたときに反対運動に火がついて工事が遅延したのを思い出した。
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沢なりが聞こえてくると蛇滝だ。ここは修験の聖地。 信者が滝に打たれて修行する光景が目に浮かぶ。
すぐにバス道に出るが、その手前を右にとると梅林の中。浅川の支流沿いに気持ちいい風を受けながらしばらくすると甲州街道だ。右手に10分で高尾山口駅だ。
思いがけなく出会えた自然豊かな高尾。 (写真9枚)
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地域支援(笑・・・・・・ご当地土産 [思いのまま]

先週、久しぶりに長崎佐賀福岡で仕事になった。ついついお土産の話になるが、(某)首相が地方隅々まで経済再生をと口先で叫べども何の策もない。私はそれを実践する熱い気持ち(笑)でご当地産のお土産を探すことにしている。長崎はなんと言ってもカステラだが、文明堂、ふくさやは東京でも名の知れたブランドでいつもは松翁軒を買うことにしていた。ところが夕飯を食べた魚屋のご主人からとっておきの話を聞いた。観光通近くの奥に天保創業の菓子屋で一日20本しか作らない店があるとのこと。開店早々に店を尋ねるとあと数本残っていた。ラッキー。小ぶりながらしっとりとした有名ブランドにはない甘みを抑えた味は最高だった。佐賀では小城の村岡屋の丸ボーロー、そして福岡では小倉の店だが、ウナギのせいろ蒸しで有名な田舎庵の弁当を買い求めて機内で食した。鹿児島産のウナギがリーズナブルな値段で買える。東京では考えられない嬉しい話。そんなこんなで九州経済にほんの一滴だけど貢献してきた。
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