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靖国問題 [平和]

靖国の問題を他国からの内政干渉問題だからけしからん、故に靖国参拝を外圧で止めた印象を与えてはならない、とした論調が多く見られる。しかし靖国問題はそんな感情論や表層的な事象として片づけるような軽量な話ではない。

まず、内政干渉の問題はすぐれて外交問題であって、靖国だけが内政干渉ではなかったし、アメリカからの内政干渉が多々ある中それに対する反応は従順であったことと比較して近隣アジア諸国には無神経この上ないことと対照的だ。だからこの論点で靖国問題を論ずるのは見当違いといえる。何が正義で何が不正義というより関係国間の力関係であり、それがどのように歴史に反映されたかと言うことでしかない。

靖国問題の背景には日本が犯した戦争責任を世界に対して、とりわけ近隣のアジア諸国にどのようにして果たしたのか、さらに軍国主義の犠牲者になった国民に対しどのような誓いをしたのか、世界平和を希求する21世紀の課題に対する答えを日本が示すことが出来るかが問われている事だ。

その観点から見て、靖国の一番の本質的問題が露見しているのは公人としての首相はじめ閣僚が何を目的として靖国に参拝しているかだ。このことは靖国と国家が一体となってしまう危険を孕んでいて、戦争賛歌を歌い続けている、そして戦犯はあくまで英霊であると言い続けている靖国神社が日本国政府によって認知されていることを世界に示す行動になっている事の意味を考えなければならない。その政治的な意味と国家のためにと殉死した御霊をどのように祭るかだ。

殉死者(戦犯は当然含まない)の御霊をどのように祭るかは誰にも利することなく、政治的に利用されない形で解決すればいいことで、海外でも行われていることにヒントがある。千鳥ヶ淵にある戦没者墓園が既にあるからそれを国家的に認知すれば済むことだ。奇しくも2005年8月15日小泉首相はそこに参拝している。

しかし、一番の問題は靖国神社の存在そしてそこに参拝することを政治的に利用している集団があることは看過することは出来ない。不戦という誓いという表向きの理由とそれを実現するために靖国でなければならないという背景には大きな矛盾を感じる。この矛盾は海外から言われる非難とは別にまずは国内問題として議論されなければならない。

まず靖国には戦前は国家護持の神社として特別の扱いを受けていたが、それは陸軍、海軍の軍事関係者(形式は天皇によって)が戦死者を無駄死にでなく、有り難くも平民が成り得ない神格化への舞台を作ることで戦争賛美あるいは戦争を正当化しようとしたものであった。
戦後においても靖国神社を国家護持への移行を目論んだこともあったが、それ自体は世論の動向から実現せず、しかし結果的には戦犯と言われる軍人がいつの間にか英霊として祀られることとなってしまった。
しかも靖国には現在でも戦争に係わる資料が見事に陳列されている。それはあたかも戦争賛歌であり、平和の香りは全くない。そこには政府が国民を代表して参拝しなければならない必然性は誰が見ても見つけることは出来ない。

不戦の誓いを実現する一番の近道は一流国としての奢りを捨てて日本は日本人にとって望ましい選択をすればいい。アジアを訪ねて実感したことは日本が脅威でないこと、そして彼らの生活の充実に貢献してきたことが彼らからの評価に繋がり、共感出来る国家として位置づけられいる。軍備強化で平和が実現出来るという錯覚は明らかに非現実的。何故なら軍備の強化は際限なく膨張する宿命を持っている。そのために国民の血税を軍備に際限なく分配しなければならない。その帰結は間違いなく市民の安寧を希求する国家への期待を裏切らざるを得ない。そして国家の破綻にしか導かないはずだ。年金もそうだし、忘れられている医療もそうだ。間違いなく先細りの危険性を孕んでいる。

世界一流とは何か。国連への拠出、ユネスコやWHOへの資金はどこの国より多く提供して平和活動に最大の貢献をしている日本の姿を世界に認知させ、かつてスイスがそうであったように日本がどこの国にも脅威ではなく、それを世界が理解することで日本の希求する平和実現の道を作ることだ。今までどこの国家も実現出来なかった理想主義的かもしれない平和への素晴らしい実験をすることが明らかに21世紀の世界一流の証だ。