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ガウリサンカール・メンルンツェ・ツォーロルパへ(3) [ロールワリンヒマールに]

10月30日~11月2日  HND~KTM~JAGAT(1150M)

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いつものようにHNDの深夜便、BKKトランジットでKTMへ向かう。今回は久しぶりに友人と一緒のトレッキングだ。同じ便をブッキングしたつもりだったのに、顔を見合わせずにBKKに着く。まさか搭乗出来ずじまいとは思わなかったが多少の不安がよぎった。それが杞憂だったのを確認できたのはBKKのKTM搭乗口で。理由はHND・BKK便はタイ航空とANAのコードシェア便でほとんど同タイムでそれぞれが飛び立つので、私はタイ航空、相棒はANAだったということだった。。事前の打ち合わせに不備があったわけだ。

BKK・KTMでは隣席に日本人で震災支援のためにネパール入りをするチームの一員が座った。私も医療には少なかれず興味がある分野だったので3時間余のフライトはあっという間に過ぎた。

ネパールは長年の課題であった新憲法を制定して新時代を迎えるのかと思っていた矢先に国境封鎖という事態になっていた。出発前から懸念したことだったが、現地入りしてからどうなるのか不安がよぎる。ガイドからの忠告でリスクの少ないエリアといわれるガウリサンカールに変更しているので大丈夫とは思うのだが。

地震、そして国内での騒乱で入国者が少ないと予想していたが、思いのほか搭乗客の减少はみられない。ただ、さすがにトレキング目的の人は少なく、震災支援絡みの入国が多いようだった。

トリブヴァン空港ではガイドのダワさんとコックのドルジさんが待っていた。空港構内で待機するタクシーも目立って少ないという感じもなく特段の変化は感じなかった。ダワさんの手配したタクシーでタメルに向かう。走りだして気がかりが杞憂ではなく事実であることを実感させられた。

飛行場を出ると一気に渋滞に巻き込まれるのが通例だったのに、なんと走っている車がまばらだ。日本での報道通りの様相に先行きが不安になった。

道も整備されていつもなら通る道ではないルートを経由してあっという間にタメルに着く。今回はいつもの定宿にしていたサムサラリゾートをやめて、フジホテルに変更した。サムサラは建物はそれなりだが、ソフトが最低。インド系の客が多くなり、トラブルが絶えないことが理由だ。フジホテルは過去に一度泊まったことのあるが、名前からして日本びいきのオーナーだし、その当時はちょっとシャビーな雰囲気だったが、増設もしてバスタブ付きの部屋が増えて快適になったとの情報だった。

31日は一日フリーなので、震災の影響も気にかかるパタンに行ってみた。確かに跡形もなくなった建物や傾きかけた建物を支え棒で支えていたり、非難テントがあるのは事実だが、全損ではと気がかりだったがそれほどの被害ではなかったので安堵した。報道の癖は受け入れ側に強烈なインパクトを与える限定的な報道になりがちで、その報道が一部であるということを忘れさせてしまうことだ。報道の不正確性に嵌らないよう留意する必要がある。
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パタンからの帰路ではボダナートに寄った。ブッディストの最大の聖地のシュツーパが上部の飾りがなく、痛々しかった。震災の影響でこんな被害が、と聞いてみたら一番上にある飾りだけが崩落したらしい。その修復も含めて全体の改修をしているのが事実のようだ。いつもなら時計回りで信者が歩いているのだが、たまたまなのかいつも程の賑わいではなかった。

以前に食したテントゥク(チベット料理で平麺)の煮込みうどんを食べる。薄汚い店で、客は現地人、といってもチベタン、シェルパなど山岳地方の部族が主だ。腹をこわすのではと不安になるが、以前同様無事であることを祈りながら頬張った。

11月1日(日)

いつもなら現地でポーターと合流してスタートだが、今回は交通手段に不安があるので、KTMからチャーターしたバスに全員乗って出発だ。タメルの北側の広い道にバスが待機していた。すでにドルジさんたちは荷揚げの作業をしていた。車内には納まらない荷物を屋根上にも積み上げてなんとか乗り込む。
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今回のチームは14名、ガイド、サブガイド、コック、キッチンボーイ3人、ポーターが8名で構成されている。いつもと違ったことがあった。震災で多くのポーターたちは故郷の災害復旧に帰ってしまっている。ガイドは苦労してドゥンチェ(ランタンヒマール)から呼び寄せたそうだ。キッチンボーイもマカルーから呼び寄せた。チーム編成にはかなり手こずったらしい。サブガイドはオンチュさん、ガイドの奥さんの親戚。彼はクライミング・ガイドの資格を持った強者だ。

7時40分出発。乗ってから告げられたのが、当初計画ではシガティ(950M)まで2日がかりだったが、道路事情が分かったので一日に短縮されたということ。これは吉報だ。願わくば、話で聞くダム建設現場まで道路が整備されたとも聞くのでシガティより先まで行けることを祈った。まずはシガティを目指す。

バクタプルのそばを通り、チベットに通じる幹線道路はネパールでは珍しい真っ直ぐで4車線もある国道を走る。途中でチベット国境にあるコダリへの道と別れてヘアピンの上りをチャリコットに向かう。途中2000Mを越す高地から再び下り、直進すれば古くはエベレストへの基地でもあるジリへの道と離れてチャリコットから北上する。タマ・コシ・ナディ(川)に向かって急速に高度を下げる。コシ沿いにシンガティに向かう。

2時半、タイアがバーストしために修理のために工場に立ち寄って1時間は潰しただろうか。その間、驟雨が襲い先行きの不安がよぎる。

4時15分、シガティの街につく。シガティはこのルートで最後の大きな街で鉄筋のビルもある。しかし、多くの建物は震災の影響を色濃くもっていて、痛々しい光景はこの度の震災の惨劇をリアルに露わにしていた。
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先に進めるかどうか悩んでいた矢先に、上流から下りてくるバスが来たので、ガイドに可能な限り先に進むよう運転手と交渉して欲しいと依頼する。橋の袂でしばらく停ったままのやり取りが始まった。運転手からはこの先まで行くと帰る燃料がなくなるので無理だとのことになり、止む無くシガティで幕営することになった。タマコシナディの河原にちょうど幕営適地があったので今日のキャプサイトになった。幕営中にふたたび雨が振り、深夜には雷も鳴る。明日からの天気が気がかりだ。

11月2日(月)
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昨晩の悪天候がウソのような快晴だ。路線バスだろう上に向かって上っていった。いまさらどうのこうのではないので、腹をくくって自動車道を歩く。8時20分に出発する。9時30分2つのコーラの出会いを左手のタマコシナディに沿って上流に向かう。10時20分ポシャリでザムネ橋を右岸から左岸に渡る。タルチョーがはためき、ブッディストの世界に入った証だ。ここで初めてガウリサンカール(7135M)を見ることが出来た。
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11時前にランチ。気になるのはポーターたちの歩みが遅いことだ。我々より先に目的地に着いて段取りよく作業をするのが普通なのに、我々のほうが早く着く。その時はこれが後々問題の原因になるとは想像できなかった。相変わらず整備された道を黙々と歩く。
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UNと記載された車が追い越していった。目的は震災救援に関わる食料配給についての地元への説明らしい。14時右岸に美しい滝が落ちている。温泉もあるらしいのだが、日本人にとっては魅力あるものではない。マンタリ(1070M)で左岸から右岸にJagat橋を渡りしばらく歩くとジャガッドのガオン(村)がある。、ロッジの庭先が今日のキャンプ地になる。対岸には発電所があった。
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相変わらずポーターたちの歩みは遅く、汗をかいて着替えをしたいのに待たなければならない。憤りと本格的に山間部に入ってからのことが心配になる。

今日も夕刻から雨が降り出して、先行きの不安がもたげる。
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